『読売新聞・歴史検証』(0-1)

「特高の親玉」正力松太郎が読売に乗り込む背景には、王希天虐殺事件が潜んでいた!?
四分の三世紀を経て解明される驚愕のドラマの真相!!

電網木村書店 Web無料公開 2003.12.1

扉・カバー写真

読売新聞の大手町本社屋
1971年に完工した読売新聞の大手町本社屋(写真撮影:TH)

王希天 カバー写真:王希天(中国人留学生僑日共済会会長)

はしがき

 本書の執筆に当たって心掛けたのは、ともかくこれ一冊を読めば、読売新聞(以下、読売)の歴史と特徴が一応分かる手頃な単行本ということである。

 読売を主要な題材とする単行本を書くのは、これで三度目になるが、読売だけを中心にすえて全面的に描くのは初めてである。しかも今回の執筆のきっかけは、前の二度の時とは違って、より一般的な事情である。読売が一九九四年一一月三日の紙面で「改憲論」を派手にぶち上げたからである。

『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社)を執筆したのは、その当時、わたし自身が日本テレビを相手に解雇撤回闘争中であって、相手の正体を明らかにする必要に迫られたからである。

『マスコミ大戦争/読売vsTBS』(汐文社)を執筆したのは、争議の解決後、四年目のことになる。中心テーマは、その年、一九九二年二月末に発生し、週刊誌種になった読売vsTBSの訴訟合戦である。バブル経済崩壊後に、疑惑の政商、佐川急便に土地を高値で買い取らせた読売の企業体質が、大手メディアにあるまじきことではないかという重大な疑問は、現在も残っている。

『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』は、さきの事情により、本名ではなくペンネームで発表した。以後、『テレビ腐蝕検証』(汐文社、共著)、『NHK腐蝕研究』(同前)『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』(鷹書房)などもペンネームで出した。

 争議が和解で解決したのちには、フリーの立場となったので、『マスコミ大戦争/読売vsTBS』『電波メディアの神話』(緑風出版)などのメディア論も、本名で発表している。本書では、それらの既発表の文章をも再構成し、書き直して収録しているので、その点、ご了承いただきたい。

 旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の発表以後、すでに一六年を経ている。その後に出た新資料や、わたし自身が初めて存在を知った過去の資料も、意外に多い。個々の資料については、本文の中で逐次紹介する。最大かつドラマチックな新発見は、関東大震災直後に「鉛版削除」されていた読売の紙面の背後関係であった。極秘の検閲による「切抜き」が外務省外交史料館に、約七〇年間も「ひっそりと」眠っていた。わたし自身は、旧著の仕上げ段階でマイクロフィルムを検索した際に、その削除後の紙面を一応見ていたのだが、当時はその重要な意味が分からなかったのである。

 こともあろうに元警視庁警務部長の正力松太郎が、首都の名門紙、読売に乗りこむという異常事態の背後には、関東大震災後の中国人労働者とその指導者、王希天の虐殺、中国政府調査団の来日、日本政府の徹底的隠蔽工作という衝撃的事実が潜んでいたのだった。わたし自身は、この虐殺事件と隠蔽工作の歴史的事実と、その発掘の経過を、本書の最大の山場として位置づけた。そこにこそ、現在の読売だけではなく、日本のメディアの歴史的本質が象徴的に表現されていると思うのである。

[注記]……引用文中の[ ]内は本書の注です。引用文中の旧漢字および旧仮名遣いは、必要に応じて当用漢字、当用仮名遣いに改め、ルビを付します。引用文献は本文中にも略記し、詳しくは巻末の総合リストに、その他の参考書とともに記載しました。文中、敬称は略させていただきます。


(0-2) 原本目次

序章:「独裁」「押し売り」「世界一」
(0-31)  「読売改憲論」批判には「彼(敵)を知り」の基本戦略があるか