第三部「換骨奪胎」メディア汚辱の半世紀
電網木村書店 Web無料公開 2004.2.9
第十章 没理想主義の新聞経営から戦犯への道 4
暖房なし社屋の夜勤に「飲酒禁止」で「武力」を直接行使
元読売社会部記者の高木健夫は、著書『新聞記者一代』(慶昌堂)のなかで、正力が読売を支配した手口をいくつか紹介している。その一つに、夜勤者への飲酒の禁止があった。
当時の読売の社屋は、半分バラック風で、暖房といえば火鉢だけであった。その上に、隙間風が入る。朝刊印刷のギリギリまで記事の新しさを競う商売だから、夜勤は記者の宿命である。寒さをこらえるにも限度がある。そこで、つぎのような事態が発生した。
「新聞記者が、酒をのんで仕事ができなかったら一人前じゃねェや……とわたしたちは、社長の命令に、ひそかな職業的抵抗(レジスタンス)をこころみていたものである。勤務中は酒をのんではいかん、などと、正力社長もわけのわからぬことをいうもんだ。酒をのんだって仕事をやりゃァ、いいじゃないねェか、手めェの金で飲む酒だ……というのが、わたしたちの気持ちであった。[中略]
そのようなある夜の一〇時ごろのことだ。玉虫社会部長は、おでん屋でいっぱいひっかけて、社会部のデスクへ上がってきた。クツを卓の上に投げ出して、ふゥーと熟柿くさい息をはいた。顔がゆでだこのように赤い。
『ちェ、社長がなんだっていうんだ、べらぼうめ』
と、社会部長が管を巻きはじめたところへ、そのうしろに社長があらわれた。みんな固唾(かたず)をのんでいると、騎虎の、……いや、酔虎の勢いで、背中に眼をもたぬ社会部長は、
『手前の金で、手前が勝手に酒を飲むのが、何で悪いンんだ。そんなことをいう権利が、社長にあってたまるか』
とやりだした。そのとたんに、玉虫さんは、あっというまに身体を宙につり下げられてしまった。正力社長がむんずと右手をのばして、玉虫さんのエリ首をつかまえて持ち上げたのだ。正力社長の『武力』についてはかねがね承知していたものの、その現実をまのあたりにしたのは、これがはじめてだった。手足をバタバタさせ、目を白黒させている玉虫社会部長を、正力社長はまるで魚をつかんだような格好でズルズルと階段まで引きずってゆくと、そのまま三階から下へ放り出した。
わたしたちは、びっくりして、階段下にノビているであろう社会部長のところへ駆け下りてみると、かれは腰をさすりながら起き上がり、
『オラァやめる。うん、やめる』といいながら、円タクに乗って帰ってしまった」
玉虫は、別名のユーモア作家、寺尾幸夫として世間に名の通った人物であった。こんな目に会いながらも、玉虫社会部長は、なぜか、なかなかやめないのである。『新聞記者一代』には後日談もあり、相当な人物でもあったようだ。
(10-5)「死屍の山を踏み越えて」読売を発展させた「進軍喇叭」 へ