『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その32:最終回)

百人斬りを据物斬りや捕虜虐殺と言い抜け

2000.1.7

 前回の予告の通りに、本シリーズは、これを以て最終回とします。この問題の教訓の中心は、本多勝一の問題に限ったことでもなく、日本の平和運動だけの問題でもないのですが、およそ事を起こす当たっての「偽の友人」を見破ることの重要性です。

 これも何度も紹介したイギリス諺ですが、公然たる敵よりも偽の友人の方が悪い、または、偽の友人よりも公然たる敵の方が良い、のです。

 私は、欧米崇拝は大嫌いです。イギリスが好きで、この諺を紹介するのではありません。むしろ、「彼(敵)を知り」の一部として、この諺の意義を考えています。

 かつては7つの海を支配し、今またY2k問題まで起こしながら情報革命の発信源となった海賊の子孫、アングロ・サクソンの最大の強みは、その身に付けた残酷なまでの合理主義です。彼らは最初は、あの狭い島国の中で、アイルランド、スコットランド、ウェールズなどの古代ケルト文明を圧迫し、ノルマン海賊などの末裔を抱え、ユダヤ資本はもとより、ヨーロッパ大陸からの様々な流入者をも含めて、差別と抑圧の縮図の中で育ち、次にはアメリカ大陸で原住民の殺戮を繰り広げ、奴隷制度を復活し拡大し、その憎しみの構造を引き摺り、今も幼少期から、敵・味方を峻別せざるを得ない環境の中で育つのです。

 そのアングロ・サクソンの勢力圏の中の平和運動も、四分五裂、まだまだ弱点が多いようです。ましてや、近代の歴史の浅い日本では、間違いだらけの「信じてはいけない」お粗末議論が横行するのは、むしろ、やむを得ないのかしれません。

 その典型例が、本多勝一の「南京大虐殺」問題こと、「百人斬り」お粗末記事の「言い抜け戦法」です。次に紹介するのは、最新の「言い抜け本」の概要です。


『南京大虐殺否定論/13のウソ』

南京事件調査研究会編・柏書房発行
本体価格1600円
1999年10月25日発行

目次(執筆者)

はじめに(藤原彰)
第1章/「東京裁判によるデッチ上げ」説こそがデッチ上げ(藤原彰)
第2章/本当に誰もが南京事件のことを知らなかったのだろうか(吉田裕)
第3章/リアルタイムで世界から非難を浴びていた南京事件(笠原十九司)
第4章/戦争当時中国でも問題にされていた(井上久士)
第5章/数字いじりの不毛な論争は虐殺の実態解明を遠ざける(笠原十九司)
第6章/据えもの斬りや捕虜虐殺は日常茶飯事だった(本多勝一)
第7章/遺体埋葬記録は偽造資料ではない(井上久士)
第8章/虐殺か解放か…山田支隊捕虜約二万の行方(小野賢二)
第9章/国際法の解釈で事件を正当化できるか(吉田裕)
第10章/証言を御都合主義的に利用しても正当な事実認定はできない(渡辺春己)
第11章/妄想が生み出す『反日攪乱工作隊』説(笠原十九司)
第12章/南京大虐殺はニセ写真の宝庫ではない(笠原十九司)
第13章/歴史修正主義の南京大虐殺否定論は右翼の言い分そのままだ(藤原彰)


 このように、「(本多勝一)」は、「据えもの斬りや捕虜虐殺は日常茶飯事だった」と言う部分を担当しているのですが、ここに至る「南京事件」論争の発端について、以下、本多勝一の署名記事を批判した鈴木明の文章から、主要な部分を紹介します。先に問題点を指摘しておくと、以下の本多勝一執筆記事の、いったいどこに、「据えもの斬りや捕虜虐殺と言う字句があるのでしょうか?」なのです。


『諸君』(1972.4)

「南京大虐殺」のまぼろし

鈴木明(評論家)

殺人ゲームは平時か戦時か

 ちょっと待てよ、と思った。昨年11月5日、朝日新聞に掲載された本多勝一氏の「中国の旅」のうち、南京事件における「競う2人の少尉」のくだりである。原文のまま引用する。

「“これは日本でも当時1部報道されたという有名な話なのですが”と姜さんはいって、2人の日本兵がやった次のような“殺人競争”を紹介した。

 AとBの2人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の旬容から湯山までの約10キロの間に、100人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……。

 2人はゲームを開始した。結果はAが89人、Bが78人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山まで15キロの間に、もう1度100人を殺せ、と。結果は、Aが106人、Bが105人だった。こんどは2人とも目標に達したが、上官はいった。“どちらが先に100人に達したかわからんじゃないか。またやり直しだ。紫金城から南京城まで8キロで、こんどは150人が目標だ”

 この区間は城壁に近く、人口が多い。結果ははっきりしないが、2人はたぶん目標を達した可能性が高いと、姜さんはみている」

 このエピソードは、僕に直ちに洞富雄氏が書いた「南京事件」の一節を思い出させた。[中略]。この中で、大森実氏が南京を訪れた際、同地の中国人民対外文化友好協会からきいた話として、次のようなことが書かれている。

「南京入城に先立ち……[中略]」

[中略]。大森氏が伝える話は、「南京入城に先立ち」とあるように、戦闘中の手柄争いの話である。しかし。本多氏の話は、平時とも戦時とも受けとれるような微妙な表現がなされている。「この区間は人口が多く」という表現は、多分に、平時のことを類推させる表現である。

[中略]。そのモトの話とは、一体どんなものなのだろうか。「有名な話」とあるからには、当時の新聞を見れば直ちにわかることであろう。僕は昭和12年12月前後の新聞をしらみつぶしに調べにかかった。

事実が変貌する過程

 この話は、当時の「東京日日新聞」のマイクロフィルムから、直ちに発見することができた。この記事は、3回にわたって「後日譚」として掲載されており、「東日」の特ダネらしく、他紙には一切見られない。これも原文を引用させて頂く。

「無錫、常州40キロをたった3日間で踏破した片桐部隊に、百人斬りを競う2人の青年将校がいる。1人は富山部隊向井敏明少尉(26)[中略]、同じ部隊の野田毅少尉(25)[中略]。銃剣道3段の向井少尉が、腰の一刀関の孫六をなでれば、野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を誇る。2人は一旦別れ、出発の朝、野田少尉は無錫を距たる8キロの無名部落で敵のトーチカに突進し、4名の敵を斬って先陣の名乗りをあげた。これを聞いた向井少尉は憤然立ってその夜横林鎮の敵に部下と共に躍り込み、計5名を切りふせた。その後両者とも各地で武勲をたて記者が上州駅付近に行った時この2人が駅頭で会見してる光景にぶつかった。

 向井少尉談。この分だと丹陽でおれの方が百人斬ることになるだろう。おれの刀は5,6人斬っても刃こぼれ1つしないぞ。

[中略]。」

 あまり愉快な引用ではないので、この辺で止めにして置こう。簡単にその後を紹介すると、2人は紫金山の戦闘で向井105名、野田106名になり2人は健闘を誓いあって、その刃こぼれした刀を東京日日新聞に寄贈すると約束している。

 もとより、いまの時点で読めば不愉快極まる話だが、この話が人づてに中国まで伝わってゆくプロセスで、いくつかの点がデフォルメされていった

 第1には、戦闘中の話が平時のゲームにされていること。

 第2に、原文にない「上官命令」という形が加えられたこと。

 第3に、百人斬りが3ラウンドくり返されたように作られてしまっていること、

 などであろう。そして、これは僕が思うのだが、この東京日日新聞の記事そのものも、多分に事実を誇大に表現した形跡が無くもない。たしかに戦争中は、そういう豪傑ぶった男がいたと推定できるが、トーチカの中で銃をかまえた敵に対して、どうやって日本刀で立ち向かったのだろうか?

 本当にこれを「手柄」と思って書いた記者がいたとしたら、これは正常な神経とはとても思われない。

[中略]、実際にこれを取材したのは光本氏であり、[中略]すでに死亡しているとのこと[中略]。


 なお、この鈴木明の文章に「『南京大虐殺』のまぼろし」という題名を付けたのは編集部であろう。鈴木明は、諸資料を点検して慎重な検討を要する旨を指摘してはいるが、南京事件そのものを否定したわけではない。以下のような部分もある。


[中略]何故このような事件が起きたのだろうか?

 当時の日本側の資料(但し戦闘に関するもの)を豊富に持つ防衛庁資料室では、考えられる理由として、昭和9年から、一挙に急速にふえた日本軍隊の「質の低下」を指摘した。

 昭和9年に24万だった日本陸軍は、わずか1,2年の間に、一挙に100万に兵員を増強している。

[中略]佐々木少将の(日本人によって書かれた、恐らく唯一の一級資料)よく使われる資料の一節に、「部隊をまとめつつ前進、和平門にいたる。その後浮虜続々投降し、数千に達す。激昂せる兵は上官の制止もきかばこそ片っぱしより殺戮する。多数戦友の流血と10日間の辛酸をかえりみれば、兵隊ならずとも“皆やってしまえ”といいたくなる。種々雑多な各部隊がすでに入城していて、街頭は兵隊であふれ、中にはいかがわしい服装の者が多い。軍紀の退廃を防ぐため、指揮官がしっかりしないと、憂うべき事故が起る」とあり、入城してきた兵士たちの興奮ぶりがうかがわれる。[後略]


 以上の資料を冷静に比較検討すれば、本多勝一が、自分でも「有名な話」と書き、東京裁判でも審理されて向井(元)少尉らが無罪になっていた事件について、その「モト」の記事すら確かめずに、平気で聞きかじりに勝手な憶測を交えた署名記事を書くデタラメ記者であり、その手抜きを指摘されると逆上して、手段を選ばぬ仕返しに転じ、最後には、「据物斬りや捕虜虐殺」があったのだと、言い抜けに終始する卑劣漢であることが、明白に浮かび上がってきます。

 そのような「偽の友人」の著名度に頼る自称平和主義者にも、再度、警告を発して置きます。「腐った腕を切り落とさないと全身に毒が回る」のです。

 以上で(その32:最終回)終わり。


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