発端記事に見る
「ヴェトナム小説」日本上陸の関心事(2)
1999.6.4
日本経済新聞1995.5.2. 本の表紙と顔写真の説明:
ベトナムで論争を呼んだバオ・ニン著の小説『愛の宿命』世界の潮流
ベトナム戦争再評価の風
「声なき声」への封印ゆるむ
戦後20年という節目を迎え、ベトナム戦争の意味を問い直す動きが広がっている。米国、韓国、オーストラリア……。戦争にかかわった各国で、当事者が徐々に重い口を開き始めた。当のベトナムも例外ではない。戦争の悲惨さや不条理性をも直視しようとする作業がやっと始まった。「祖国の解放と統一のための英雄的な戦い」という従来の画一的な戦争観へのアンチテ-ゼである。
抗米戦争を題材にした、ある小説を巡って、ベトナム国内で論争が続いている。
体験や別れ回想
「戦争の悲しみ」という原題で出版され、後に「愛の宿命」と改題された。著者のバオ・ニンは1952年生まれの若手作家。4年前に出版され、翌年、ベトナム作家協会賞を受賞した。主人公のキエンは著者自身と二重写しになる元兵士の作家。復員後の現在の作家生活を織り交ぜながら、戦争体験、恋人との愛と別れを回想するという内容だ。その真価は何といっても冷徹な戦争描写にある。
砲爆撃で「蒸発」する戦友の体。死闘の後の、血で赤く染まり、腐臭が鼻をつく戦場。戦いの重圧と望郷の念に耐えかね、脱走する兵士。死を目前に戦争をのろう傷痍(しょうい)軍人。復員後も戦争の悪夢にうなされる兵士たち。これまで語られることのなかった悲惨な戦争の現実が、次かち次へと登場する。
ハノイ出身の著者バオ・ニンは、1969年に南部の戦場へ出征した。同じ部隊の仲間、500人のうち、生きて帰ったのはバオ・ニンを含めて10入だけだった。小説はこうした熾烈な体験に基づいている。
ベトナムを代表する作家の1人で、日本でも小説「不敗の村」の作者として知られるグエン・ゴックは、バオ・ニンの作品を「(現代ベトナムの)最高の小説の1つ」と絶賛する。
「戦争中、小説は抗米救国の戦いのために兵士や国民を鼓舞するように書かれ、戦争の否定的な面には触れなかった。戦後も大差はなかった。しかし、悲惨や苦痛は敵側だけのものではない。バオ・ニンはその現実を初めて描いた」
敵味方を相対化
しかし、民族解放の大義を絶対化する共産党と政府にとって、敵と味方を相対化するバオ・ニンの小説は、官製の戦争観への公然たる挑戦と映る。「作者は民族と祖国の心を無視し、抵抗戦争を内戦に、自衛の戦いを血なまぐさい殺戮(さつりく)に置き換えた」。共産党機関紙ニヤンザンは最近の紙面でこう批判した。
1月末、政府は金属協会発行の専門誌「知識と技術」を発禁処分にした。表向きの理由は「専門とは無関係の記事を多数掲載した」というものだった。しかし事情通は本当の理由は別にあると見る。同誌が直前の号でバオ・ニンの作品を高く評価する文芸評論を掲載したからだ。
ハノイ市内の古いアパートでバオ・ニンに会った。「アメリカにはそれなりのベトナム介入の理由があった」と言いながらも、「だからといってアメリカの侵略を正当化するわけにはいかない」と言い添えた。「米軍は実戦部隊を送ってサイゴン政権を支援した。ソ連は我々に対しそうしなかった。この違いは大きい」。
バオ・ニンは決して戦争の意味を全否定する「反革命」作家ではない。ただ、「解放のための戦いであっても、戦争であることには変わりはない」ど訴えているだけだ。このような作品が出版を許されたこと自体、ベトナムに吹く自由化の風を反映している。しかし、最近の党と政府の対応を見るかぎり、その勢いはまだまだ弱々しいと言わざるを得ない。
「アリの一穴」に
米国では、ベトナム戦争についておびただしい数のノンフィクションや小説、戯曲などが出版されてきた。その「ベトナム戦争文学」に関する評論集「14の着陸地点」(アイオワ大学出版局刊、1991年)の序文で編者のフィリップ・K.ジェースンはこう書いている。「小説家、劇作家、詩人らは(ベトナム戦争の意味を問い直そうという学者や政治家の作業の)重要な担い手である」。
韓国でも民主化の進展に伴い、ベトナム戦争への関与を否定的に描いた文学作品が登場してきた。作家の安正孝が自らの参戦体験をもとに描いた「ホワイト・バッジ」はその代表例だ。
戦争の舞台となったベトナムには無数の語られるべき物語がまだ眠っているに違いない。バオ・ニンの小説は封印されてきたそうした「声な声」の噴出と言っていい。現代史の一時代を画した戦争の全体像がどこまで当のベトナム人によっで語られるかは人類全体にとっての問題と言っても過言ではない。
ベトナムにとって、文学表現の自由は政治の自由化にもつながる問題だ。1950年代、ベトナムでは表現の自由を求める文学者や芸術家の運動が高まり、共産党と政府の弾圧を招いた。ドイモイ(刷新)政策の進展にもかかわらず政府が文学表現の自由化に慎重なのも、そこに政治的な匂いをかぎとっているからだ。バオ・ニンの作品は画一的な戦争観だけでなく、思想・表現の自由への規制という強固な堤防を突き崩す「アリの一穴」にになる可能性を秘めている。
(編集委員 鈴木真)
以上で(その23)終り。次号に続く。