ユーゴ戦争:報道批判特集 / Racak検証
『ユーゴ高官が告発する《NATO空爆》の大嘘』
1999.10.29
Racak検証より続く / 本誌(憎まれ愚痴)編集部による評価と解説は別途。
以下の内、中国大使館「誤爆」の真相については、その後、各種情報もあり、アメリカ当局が「通信設備」に対する爆撃と認めたとの報道もあるので、わがHPの爆撃直後の「誤爆」観測については、訂正を検討中。
『週刊プレイボーイ』』(1999.10.12)
《迷走のアメリカ》第4部「ユーゴ空爆」編・第6回ユーゴ高官が告発する〈NATO空爆〉の大嘘
《人道的》空爆の正体と
再建への遠い道のりを現地取材写真説明:
1)「人道的武力介入」。クリントン大統領は空爆の大義名分をそう説明したが、その実態は非道な殺戮空爆でしかなかった……
2) ベオグラード市内にあるユーゴ国防省のビル。空爆の爪痕が今も痛々しく残っている……
3) 橋や道路などの社会インフラはことごとく破壊され、軍事施設以外の公共施設も狙われた。
4) 世界的な非難を浴びた中国大使館「誤爆」事件。しかし、その真相はいまだ闇の中だ
5) ベオグラード市内のアメリカ大使館。外壁の落書きがユーゴ国民の声を代弁している
6) ユーゴ空爆で初めて実戦を経験した米ステルス爆撃機、B2。米本土基地から直接やってきた。
犯罪マフィアやイスラム原理主義者たちを寄せ集めてつくった危険集団KLAを「正義の民衆ゲリラ」に仕立て、セルビア警察軍による虐殺事件を捏造し、到底受け入れることのできない和平条件をミロシェビッチに提示してユーゴを追い込んでいったアメリカとNATO。その手口は、そのまま空爆にも使われた。「人道的空爆」と彼ら自身が呼んだピンポイント空爆の「嘘」を現地取材をもとに明らかにする!
(取材・文/河合洋一郎)
アメリカが狙う「コソボの独立」
先週初め、KFOR(コソボ平和維持部隊)との合意によりKLA(コソボ解放軍)は人道支援組織「コソボ保安部隊」として再編されることとなった。
KFORの発表によると、この約5千人の元KLAメンバーから成る保安部隊の主な任務は、名目上、災害時の救援活動やコソボの再建などとなっている。が、その真の目的は、空爆停止の合意に反して、KLAを軍事組織として残すことにほかならない。
国連決議1244による当初の計画では、KLAを武装解除し、政治組織に鞍替えさせるはずだった。それがいつの間にかアメリカのナショナル・ガード(州軍)のような形に変える案が浮上し、保安部隊としての存続が決定してしまったのだ。
この3ヵ月間、徹底した民族浄化をコソボで行なってきたKLAが保安部隊とは恐れ入った話だが、現実に彼らが完全に非武装化されたのならまだいい。KFOR側は1万個以上の武器が拠出され武装解除は終了したとしているが、それは画に描いた餅に過ぎない。KLAが引き渡した武器のほとんどは旧式の銃ばかりだからだ。
そもそも武装解除を始める前にKLAがどれだけの武器を保有していたかさえ判明していないのだから、彼らがすべての武器をKFORに引き渡したかどうかなどわかるわけがない。現にKFORのロシア軍司令部は、コソボ内で続々とKLAの兵器貯蔵所が発見されていると報告しているのだ。KLAが空爆終了後、アルバニア領内の基地に移動させた大量の武器についてはKFORは沈黙したままだ。
今回のコソボ保安部隊の結成を含めて過去3ヵ月のKFORの動きを見ていると、背後にいるアメリカがコソボで次に何を狙っているのかが鮮明に浮かび上がってくる。それは、言うまでもない。KLAによるコソボの独立である。KFORの主要任務のひとつはコソボの多民族性を維持させることだった。が、彼らがこの任務をまともに遂行しようとした形跡は見当たらない。すでに20万人以上の非アルバニア系住民が難民となってコソボから追われていることからもそれは明白である。セルビア人にいたっては90%以上がコソボからいなくなってしまっているのだ。殺害された者の数は確認されただけでも300人以上にのぼる。
先月にはUNMIK(国連コソボ暫定自治機構)のクシュネル特別代表がコソボの主要通貨をユーゴ・ディナールからドイツ・マルクへの変更を発表している。法的には、まだコソボはセルビア共和国の自治州であるにもかかわらず、だ。民族浄化がほば完了したところで通貨を替え、現在でもコソボの独立をその目的としているKLAの武装グループとしての存在を許す。
来月には国民投票のための国勢調査が実施される予定となっているが、その数字にコソボの地を追われた非アルバニア系住民たちが加えられることはないだろう。着々とコソボ独立のための下準備が行なわれているとみていい。
しかし、独立がコソボのアルバニア系住民たちにとって本当の平和と幸せをもたらすかどうかは疑問である。すでにこの連載で述べたように、KLAはヨーロッパ最大のへロイン密輸組織にコントロールされており、ハシム・タチを始めとして、トップにいる男たちは権力を奪取することしか考えていない。気がつけば民主主義の仮面をかぶった犯罪組織国家の一員となっていたということになりかねないのだ。その時にはすでに時遅しだろう。
市街に残る空爆の傷跡
9月6日、ベオグラード、ハイアット・ホテル。
モーニング・コールで目を覚ました私は、まだ疲れのとれない体を引きずりながら窓のカーテンを開けた。飛び込んできた朝日が目にしみる。
昨日、ハンガリーの首都ブダペストからクルマでパンノニア平原を南に突っ切り、この街に入ったばかりだった。到着したのが夜だったので気がつかなかったが、500メートルほど前方に澄み切った群青の空を背景に先端が黒く焼けただれた高層ビルがそびえ建っていた。
4月21日に空爆されたビジネス・センター・ビルだ。ここが標的となったのは、セルビア社会党本部が置かれていたこと、そしてミロシエビッチの娘が経営するテレビ局が入っていたことが理由だった。
窓ガラスはすべて割れてしまっており、ミサイルが直撃した痕もまだ生々しく残っている。改めて、ユーゴスラビアに来ていることを実感させられた。少しずつ体にエネルギーが戻ってくるのがわかった。
私はシャワーを浴びてリフレッシュした後、タクシーでユーゴ連邦外務省に向かった。ホテルを出るとすぐ、道路の端にクルマが長蛇の列をなして停まっているのが目に入った。その列は1キロ以上続いている。タタシーの運転手に訊ねると、「ペトロ(ガソリン)、ペトロ」と、つたないイギリス英語で言った。
ガソリソの給油の番を待っているのである。ボスニア・へルツェゴビナ戦争以来、ユーゴは経済制裁を受けている。今回の空爆期間中には石油の輸入を完全にストップされていた。その影響が今でも続いているのだ。
サバ川にかかる橋を渡り、街の中心部に入った。左手にはサバ川とダニューブ川が合流しており、それを見下ろすようにカレメグダンの丘がそびえている。川の両脇を緑の森が縁取り、素晴らしい景観をなしている。NATO軍はユーゴスラビア各地の橋梁を破壊したが、ベオグラードの橋はひとつも空爆の被害を受けなかった。住民たちが橋の上に立ち、人間の盾となっていたからだ。
街中は仕事に行き交う人々でごった返していた。しばらく進むと左手にカラフルなグラフィティの描かれた建物が見えた。運転手が「エンバシー、アメリカ」と吐き捨てるように言った。アメリカ大使館である。壁にはナチの紋章や“ゴ-・ホーム”といった落書きが一面に描かれている。窓も全部割られていた。もちろん、これは空爆ではなく投石によるものだ。
『空爆の真実を世界に知らせたい』
外務省の建物はクネザ・ミロシャ通りにあった。道に面して連邦国防省ビルが建っている。当然、ここも空爆で徹底的にやられており、今は空家となっていた。重厚な石造りの建物の入口で外務省の女性職員が私の到着を待っていた。彼女は4階の一室に私を導いていった。そこで秘書が持ってきてくれたトルコ・コーヒーを飲みながらしばらく待っていると、セルビア人にしては長身の男がドアを開けて入ってきた。
ジョージ・ミヤルコビッチである。私の取材のアレンジを担当してくれる男だ。すでに東京のユーゴ大使館を通して取材の目的は伝えてあったが、簡単な挨拶の後、もう一度、簡単に説明した。私の話を聞き終わると、彼はその人柄を示すような誠実な口調で、「キミのことはマルコから聞いている。彼の紹介ならできる限りの協力を惜しまない」
ここへ来る前、ロンドンでインタビューしたマルコ・ガシックがさっそく電話しておいてくれたのだ。ジョージの口ぶりから、なんの見返りも求めずセルビア人の弁護に孤軍奮闘している彼にユーゴ政府が大きな恩義を感じているのがヒシヒシと伝わってきた。
彼は紙に何か走り書きし、私に渡した。
「今日の午後2時にここへ行ってくれ。キミの要望にマッチした人間がインタビューを受ける。後のスケジュールは追って連絡する」
場所は街の繁華街であるミハイロバ通りの近くにある陸軍クラブだった。その紙に書かれた相手の名前を見て私は仰天した。この取材で最も会いたかった男のひとりだったからだ。
次にジョ-ジは部屋の隅にあるデスクから様々な資料を持ってきて私の前に置いた。その中に白い表紙の本が2冊あり、「ユーゴスラビアにおけるNATO軍の犯罪」と題されている。それは上下1千ページにわたってNATO軍の空爆がもたらした被害を克明に記録したものだった。
「それを見れば、空爆がどのような性質のものだったかわかるはずだ」
ジョージが、本のページをめくり始めた私に言った。そこには破壊された建造物と一緒に、爆弾によって原形を留めぬほどズタズタに引き裂かれた死体が満載されていた。それもすべてカラー写真である。こういうものを見慣れていない人間なら恐らく胃の中のものを全部戻してしまうかもしれない。
しばらくして私はあることに気づいた。それは明らかに長家でしかない建物が多数、爆撃によって破壊されているということだ。空爆中、“コラトラル・ダメージ”という言葉がNAT0軍のブリーフィングで頻繁に使われた。これは標的のミスや爆撃の巻き添えになって出る民間への被害といった意味だが、写真はNATO軍が民間のターゲットにも容赦なく爆撃を加えていた事実を雄弁に物語っていた。野原にポツンと建っている農家まで空爆で破壊されていた。一体、どういうミスを冒せばこういうことが起きるのか教えてもらいたいものだ。
会議の時間がきたというのでジョージは立ち上がった。私は協力に感謝しようとしたが、彼は右手でそれを抑え、「いや、礼にはおよばない。現在、我が国は世界から孤立し、非常に困難な立場に立たされている。それを打破するには世界の人々に真実を知ってもらうしかないのだ。取材の成功を祈る」
誤爆を仕掛けた!?『冷戦時代の亡霊たち』
陸軍クラブでのインタビュ-までまだ時間があったので、私はタクシーを拾い、再びサバ川を渡ってホテルのあるノビ・ベオグラード側へ戻った。こちら側にもビジネス・セシターやユーゴスラビア・ホテルなど爆撃された建物があったが、特に見ておきたい場所がひとつあった。
中国大使館である。
大使館の建物は私が滞在しているホテルからほんの数分のところにあった。タクシーにしばらく待つように言い、まず建物の周辺を一周してみた。正面玄関の部分はほとんど破壊の痕は見られないが、ミサイルの直撃を受けた南側と西側、そして2棟ある建物の間にミサイルが落下した周辺は瓦礫と化していた。
この建物にいきなりNATO軍のミサイル3発がブチ込まれたのは5月7日深夜のことだった。その結果、3人の中国人ジャーナリストが死亡、20名以上が負傷し、米中関係に大きな波紋を呼んだのは周知の事実だ。アメリカは、誤爆の原因はCIAが誤って古い地図を軍に提供してしまったたためと説明し、中国政府にただちに謝罪。空爆終了後の7月、CIA長官ジョージ・テネットも連邦会議でこのミスを正式に認めた。
しかし、この誤爆事件にはまだ多くの謎が残されている。アメリカが言うような単純極まりないミスで発生したとは考えられないのだ。
まず第一に、中国大使館が建てられてからすでに4年も経過しており、市販されている地図にさえその場所が載っているということだ。また、大使館ができる前は、その場所は空き地だったどいう。一体、CIAはいつの地図を使ったというのか。まだある。アメリカ政府は大使館をユーゴ軍の兵器貯蔵庫と間違えたと説明しているが、それならば完全な軍事タ-ゲットである。それがなぜ空爆が始まってから7週間も放置され続けていたのか。
誤爆事件発生直後から、アメリカが太使館を爆撃した真の目的についての様々な憶測がなされてきた。それらはいまだに噂の域を出ていないが、私はワシントンでひとつだけ空爆の理由となり得る中国大使館のNATO軍に対する敵対行動を複数の情報源から確認することができた。それは中国がユーゴ側に大使館の通信設備を使用するのを許していたということだ。
だが、これを教えてくれた男たちが口を揃えて言っていたように、それだけでは空爆の動機としては弱すぎる。その程度のことでクリントン政権が中国との関係を著しく損なう行為に出るわけがないからだ。ましてや中国核スパイ事件で両国の関係が緊張していた時期だったのだから尚更だ。
それでは、なぜこの誤爆事件は起きたのだろうか。今、言ったように、大使館空爆指令がホワイトハウスから出たという線はまずない。この疑問に対する答えを出すには、誤爆によって誰が得をしたかを考えてみることだ。私が知る限り、そういう人間たちが確かにいた。
中国をアメリカに対する最大の脅威と見なしている冷戦時代の亡霊たちだ。彼らはいまだにワシントンで大きな勢力として存在しており、軍部や諜報界にも強い影響力を持っている。つまり、誤爆をセットアップする能力もあったということだ。
彼らはこれまでクリントンの中国寄りの政策を苦々しい思いで見つめ続けてきた。中国核スパイ事件が去年より一気に浮上してきたのも、その背後に彼らがいたことは間違いない。そして、以前述べたようにクリントンの喉元に突き付けたあの「コックス・リポートし(核軍事技術が中国人スパイによって盗まれていたというリポート)が空爆のタイミングを調整されることでうやむやにされてしまった。中国大使館誤爆は、亡霊たちがクリントンに一矢報いるために仕掛けた罠だった可能性は十分あると考えていい。
私は約束の時間に陸軍クラブの前に到着した。入口でパスポートを渡し、教えられた2階の部屋へ行った。ソファに座っていた私服の男が私に表情のない視線を投げかけ、ゆっくりと立ちあがった。
彼の名はミラン・ミヤルコフスキー。ユーゴ陸軍参謀本部大佐である。
(以下、次号へ)
以上。
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