ユーゴ戦争:報道批判特集 / Racak検証
『 “正義のゲリラ” コソボ解放軍の驚くべき正体』
1999.10.1
Racak検証より続く / 本誌(憎まれ愚痴)編集部による評価と解説は別途。
『週刊プレイボーイ』(1999.9.14)
《迷走のアメリカ》第4部「ユーゴ空爆」編・第3回〈正義のゲリラ〉コソボ解放軍の驚くべき正体
麻薬密輸や要人テロを繰り返していた犯罪集団を
「コソボの救世主」に仕立て上げたアメリカの〈罪〉を暴く!写真説明:
1) 民間の家屋しか存在しない場所にも容赦なく空爆は繰り広げられた
2) コソボ解放軍から暗殺の脅しを受けているといわれるコソボのブコシ首相
3) 『ユーゴスラビアにおけるNATOの犯罪』(ユーゴ政府発行)と題された厚手の冊子には、空爆によって被害を受けた民間人や民間施設の悲惨な現実がぎっしり詰まっている
4) 国連や国連安保理の決議を経ずに行なわれたユーゴ空爆に、国際法の後ろ循はなにもない
5) 世界のマスコミによって正義のフリーダム・ファイターに祭り上げられたKLAだが、その正体は極めて悪質なゲリラ集団だった
写真提供/ロイター
NATO軍に空爆の大義名分を与えることとなったラチャック村でのセルビア警察軍によるアルバニア住民虐殺事件。空爆の直接原因となったミロシェビッチのランブイエ和平交渉条件の受諾拒否。これまでユーゴ側の〈罪〉として語られることの多かったそれらの出来事は、すべてアメリカ側によって仕掛けられた巧妙な〈罠〉だった……。ユーゴ空爆の真相に迫る新シリーズ、今回はコソボ解放軍の正体を明らかにする!
(取材・文/河合洋一郎)
暴走するKLAを止められない理由
「KLA(コソボ解放軍)がヘロイン密輸に深く関与しており、そこから活動資金を得ているのは間違いない。だが、それはたいした問題じやない。そんなことはアフガニスタンのムジャヒディンやニカラグアのコントラもやっていたことだからな。我々アメリカ人にとって、今、最も深刻な問題は、彼らがこの国でマフィアに雇われ、ヒットマンとして活動していることだ」
男はモゴモゴとした不明瞭な口調で言った。髪は乱れ、シャツもズボンの外にはみ出したままで、外見はリストラされたサラリーマンかホームレスのようだ。アメリカ連邦議会内で政府の様々な情報機関から機密情報を吸い上げ、国際情勢を分析している組織の責任者にはとても見えない。
アメリカには、日本ではめったにお目にかかれないような強烈なキャラクターがよくいるが、彼もそのひとりだった。
男の名はヨセフ・ボダンスキー。連邦下院「テロ及び非通常戦争タスクフォース」のディレクターである。
KLAはユーゴ空爆で一躍フリーダム・ファイターとしてヒーローに祭り上げられた。しかし、すでにその化けはの皮は剥がれ、コソボの非アルバニア系住民のエスニック・クレンズィング(民族浄化)を行なっていることが判明している。
今月初めの時点で、コソボで殺害されたセルビア人は200人を超えており、行方不明者300人、そしてコソボの地を追われた者が17万人にもなる。これには、クロアチア人やその他の非アルバニア系住民の犠牲者は含まれていない。
これはKLAという集団について少しでも知っていれば十分予期できたことだった。過去1年半にKLAに殺害されたコソボのセルビア人警官の数は千人以上にのぼり、去年11月から今年3月までの4ヵ月間で600人のセルビア人が誘拐され、その中で無事解放された者は20人ほどしかいない。それ以外にも、彼らはセルビア側に好意的なアルバニア人を殺しまくってきた。去年の初めにアメリカのバルカン特使ロバート・ゲルバートがプリシュティナで「KLAはテロ組織」と、つい口を滑らせてしまったのも無理はない。
Kfor(コソボ国連平和維持軍)は先々週、セルビア人に対する迫害を行なっている者たちを徹底的に摘発すると発表したが、どこまでそれを実行するつもりがあるのかは疑問である。その週に、まだコソボに残っているセルビア人を脅迫していた男たち15人が逮捕されているが、そのうちの11人がKLAの創設した警察の身分証明書を持っていた。にもかかわらず、Kforは彼らとKLAの関係を否定したのだ。これではKLAの暴走をストップさせることなど到底不可能だろう。
また、KLAがバルカン・ルートと呼ばれるヨーロッパへの最大のへロイン密輸ルートを支配しているのは関係者の間でよく知られた事実だが、Kfor進駐後、コソボは麻薬密輸人の天国となりつつあるという報告もなされている。もちろん、Kforはそれについてなんの対策もとっていない。
なぜKforは彼らを腫れものに触るような態度で扱うのだろうか。そもそも、KLAという問題の多い組織がコソボ解放のヒーローとなったのはどうしてなのか。
その答えに迫るには裏の世界、諜報筋から情報を集めるしかないが、過去の経験から、コソボ問題のような現在進行形の出来事に関して諜報関係者の口を割らせることなど、ほぼ不可能なのはわかっていた。こういう時は、内部情報にアクセスでき、かつ比較的ジャーナリストに喋ることに制約を受けない人間に取材するしかなかった。
それには絶好の男がいた。
冒頭に登場したヨセフ・ボダンスキーである。
CIAが作り上げた反政府組織
彼と知り合ったのは数年前、「テロ及び非通常戦争タスクフォース」が作成したルース・ニュークス(CIS諸国からの核物質流出)、そして中東と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の偽ドル札に関する極秘リポートを手に入れたのがきっかけだった。そのしばらく後にワシントン・ポスト紙が偽札リポートの内容をスッパ抜いて話題になったが、私も入手当時、その内容の濃さに驚愕し、すぐにこのタスクフォースにコンタクトしようとしたがガードが固く、やっと人を介してボダンスキー本人と会えたのは今年に入ってからだった。以後、情報分析のために世界中を飛び回っている彼のスケジュールがついた時に昼食をともにするようになり、ワシントンにおける貴重な情報源のひとりとなった。
7月、記録的な猛暑に見舞われていたワシントンで、私はボダンスキーに会うためキャピトル・ヒル(連邦議会)のレイボーン・ビルを訪れた。約束の時間に少し遅れてオフィスに戻ってきた彼が、
「遅れて済まない。ちょっとカシミール紛争の分析に手間どってな」
と言った。
彼は2日前、カシミールから帰国したばかりだった。相変わらずのホームレス・モードである。仕事上、必要な時には一応、身なりもきちんとするのだが、分析に集中し始めるとヨレヨレになってしまう。私は彼のそういうところが嫌いではなかった。愛すべき情報バカとでも言おうか。
「カシミールはどうだった。けっこうヤバイ状況なんだろう」
「まあな。へリコプターで上空から戦場を視察している時、パキスタン側がマシンガンをブッ放してきたよ」
と言ってフッと笑った。我々はソファに腰を落ち着け、しばらくカシミール情報について話した後、本題に入った。
まず最初に話題となったのはKLAの現状についてだった。彼が話し始めた。
「KforにKLAをコントロールすることができないことなど最初からわかっていたことだ。KLAの司令部さえ組織全体をコントロールすることができないのだからな。KLAにも一応、司令系統らしきものはある。が、そもそも、あの組織は様々なアルバニア人グループを便宜的に寄せ集めて作られたものなのだ。1997年にKLAが結成された時……」
私は彼を遮った。
「1997年と今、言ったが、間違いじやないのか。1993年にKLAという名前ですでにパンフレットが配布されていたし、1996年4月には、BBCニュースヘの手紙でKLAはセルビア人と警官をターゲットにテロを行なっていることを認めていただろう」
ボダンスキーはたしなめるような口調で言った。
「そこが大きな誤解なのだ。確かにKLAという名前を冠した地下組織はずいぶん前から存在した。だが、それは現在のKLAとは別物なのだ。
奴らが本格的な対セルビア人テロに打って出たのは、いつだった?
1997年の7月だ。それも、コソボ自治州内のそれぞれ離れた10ヵ所の地点を同時に攻撃するという、それまでとはまったく性質の異なる高度な作戦だった。その後、KLAの活動は急激にエスカレートし、数百人規模だった組織は5万人近くまで爆発的な勢いで成長した。なぜか、よく考えてみろ」
「外部からの支援か……」
彼は頷いた。
1997年、KLAは「生れ変わった」
現在のKLAを誕生させた外部勢力とはなんだったのか。戻ってきた答えは予想したとおりだった。
「CIAとBND(ドイッ諜報機関)だ。CIAがアルバニア人と関係を持ち始めたのは1992年。目的はイスラム教徒のアルバニア人を使ってボスニア・へルツェゴビナで問題を起こさせることだった。紛争を拡大させるためにだ。
1997年になってから、ホワイトハウスでミロシェビッチにさらにプレッシャーをかけることが決定された。そのためにコソボで彼に対抗する政治組織が必要となった。そこでそれまでバラバラに活動していたアルバニア人グループをひとつに結集させ、反セルビア人組織を作り上げたのだ。そのためにジョージ・テネットはCIA長官就任後、何度も極秘裏にバルカン半島に飛んでいる」
KLAとは新組織に参加した1グループが使っていたものだったのである。それをそのまま使ったのは、すでにその名称が反セルビア組織としてある程度知られていたからだろう。
1997年11月以降、KLAは急激にテロをステップアップさせ、その3ヵ月後、セルビア側は大規模な対KLA掃討作戦を開始した。CIAの狙いはここにあったと考えていい。セルビア警察や軍がKLA掃討に動き出せば当然、アルバニア系住民の犠牲者が出る。事実、ドレニツァやゴブリエ・オブリニエといった場所で、ラチャック事件のようにセルビア警察軍が住民を虐殺したとされる事件が何件か起きている。
ユーゴ側は、それらの事件の死者はKLAの戦闘員、もしくは戦闘に巻きこまれて死亡した住民で、虐殺ではなかったと主張したが、事件のたびに非難の集中砲火を浴び、国際的にさらに孤立していった。そして、アメリカは住民の虐殺事件を口実に周辺に軍を派遣し、空爆の態勢を整えていくのである。
次に1997年の新KLA創設に参加した男たちについて聞いてみた。
「大きく分けると4つある。まず隣国アルバニア、コソボ在住のアルバニア人、次に犯罪組織のメンバー、そしてイスラム原理主義者たちだ。どのグルーブもキーとなるのは“血”だ。各グループは血縁関係で強固に結びついている。組織というより部族と言ったほうが正解かもしれない」
ずっと前から始まっていた反ユーゴ戦略
彼はアルバニア人社会における“血の重要性”を再三強調した。これについては面白い話がある。血によって結束したグループは血のつながりのないものを徹底的に排除する。構成員が攻撃された時は全メンバーを挙げて復讐するのだという。
これが現在でもアルバニアの風習として残っており、復讐を恐れて人里離れた山奥に隠れている者が数百人単位でいるというのだ。
復讐にはルールまで決められている。血縁グループのメンバーが殺された場合、24時間以内ならば、殺害者の所属する血縁グループの人間なら誰でもひとり殺してかまわないが、2週間過ぎると、その家族、それ以上時間が経つと本人しか殺してはいけないといった具合にである。こうした復讐を重んじるアルバニア人の習慣が現在のコソボ情勢に大きな影を落としていることは間違いない。問題はセルビア人が徹底的に悪役とされてしまった現在、プロパガンダに踊らされた実体のない復警が行なわれている恐れがあるということだ。
話を戻そう。
ボダンスキーが挙げた4つのグルーブの中で、KLAという組織の性格を知るのにポイントとなるのはイスラム原理主義者たちと犯罪組織メンバーである。この両者を同列に考えることはできないが、後に説明するようにKLAのヤクと武器密輸にはこのふたつのグループの存在が大きくかかわっているのだ。
まずイスラム原理主義グループから見てみよう。
バルカン半島にイスラム原理主義勢力が入り込み始めたのはボスニア紛争の時からだった。紛争が勃発した当初、ボスニアのイスラム勢力を支援しようとする国はひとつもなかった。これはアラブ諸国ではボスニアのムスリムは本物のイスラム教徒と見なされていなかったためだ。孤立無援だったイゼトベゴビッチ幹部会議長は、やむなく自らリビアとイランに支援を要請、両国はこれを受け入れる。
その後すぐに、リビアは、イギリスのロッカビーで発生したパンナム103便爆破テロ事件で経済制裁を加えられたためドロップアウトするが、イランは支援を継続した。彼らにはムスリムの同胞を援助するということ以外にも目的があった。ボスニアに介入すればヨーロッバに戦略的拠点を築ける可能性があったからだ。
次にサウジアラビアがイブラヒミ基金という人道援助組織を作り、これをカバーにボスニアのムスリム勢力に資金援助を開始する。サウジの登場は非常に興味深い。サウジといえば、アフガニスタンや中南米などでCIAの意を受けて反政府組織に資金援助をしてきた国である。ボダンスキーも、CIAはボスニアで問題を起こさせるためにアルバニア人を使っていたと証言していることから、彼らはボスニア紛争の頃から反ユーゴ作戦に着手していたことがわかる。
イランのパスダラン(革命防衛軍)とアラブ・アフガンたちが続々とボスニアに潜入し始め、徐々にボスニアはイスラム過激派の戦場と化していく。この時、すでに彼らはアルバニアに訓練キャンプを設置している。
1995年、デイトン合意でボスニアに和平がもたらされると、イスラム過激派は海外でテロを行なわないと誓えば、そのままボスニアに居住することを許されたが、多くはそれを拒否してアルバニアに移動した。ここで彼らは地元の犯罪組織と結びつき、ヤクと武器の密輸を開始する。
そして、新たにパートナーとなったアルバニアン・マフィアとともに彼らは次の戦場であるコソボに入り込んでいくのである。
(以下、次号)
以上。
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