『週刊プレイボーイ』《迷走のアメリカ》ユーゴ空爆編 12

ユーゴ戦争:報道批判特集 / Racak検証

『セルビア人ジャーナリストらが目撃した
《コソボの悪夢》』

2000.1.7

Racak検証より続く / 本誌(憎まれ愚痴)編集部による評価と解説は別途。


『週刊プレイボーイ』(1999.11.23)
《迷走のアメリカ》第4部「ユーゴ空爆」編・第12回

セルビア人ジャーナリストらが目撃した
《コソボの悪夢》

民族浄化はあったのか?
KLAとはいかなる組織なのか?
危険地帯に突撃取材した記者らが見たものとは…

[写真説明]:

1) 我々の取締の手助けをしてくれたセルビア人ジャ-ナリスト、ブランカ・スタニスィッチ女史

2) フリーダム・ファイターとしてコソボ住民の人気を集めたKLAもついに馬脚を現し始めた

3) 民族浄化の代表例といわれる「ラチャツク村虐殺事件」の真相も限りなくキナ臭い

4) ユ-ゴの大地に撃ち込まれた劣化ウラン弾。その土壌からは通常よりはるかに高い放射線が検出された

5) 激しい憎悪を抑えなから自らの体験談を話してくれたセルビア人女性ジュリア(仮名)

6) 民家を始めとする民間施設への爆撃は、すべて「誤爆」の2文字で片づけられた

 今回のコソボ紛争で多数のアルバニア系住民が犠牲になったのは紛れもない事実である。ただ、我々がこの連載で問題にしているのは、それらに関する情報をアメリカやNATO軍側が故意に誇張したり、あるいは、逆に彼らにとって不利な情報を隠蔽しているという点だ。ユーゴ空爆という〈戦争〉の真実を見極めるためにも、紛争のもう一方の当事者であるセルビア人の証言に耳を傾けてみることにしよう。

(取材・文/河合洋一郎)

英紙も認め始めた「民族浄化」の嘘

 この連載で再三、ユーゴ空爆の理由となったセルビア人によるコソボの民族浄化は偽りだったと述べてきたが、ついにアメリカとともにNATOを空爆に引きずり込んだイギリスの主要マスコミまでもがこの問題を取り上げ始めた。

 10月31日付のサンデー・タイムス紙が、殺害されたアルバニア系住民の数は約2千人、少なければ数百人程度とする記事を掲載したのだ。また、同日付の他の記事では、イギリス議会のバルカン委員会が虐殺された人間の数字について虚偽の発言を行なったとして外相のロビン・クックを批判したことを報じている。

 が、この記事は犠牲者数の大幅な水増しがプロパガンダだったことを認めているとはいえ、空爆の牽引車となったブレア政権を擁護する目的で書かれたのは明らかである。なぜなら、数は少なくとも虐殺は虐殺であり、それを阻止するために空爆を行なったのは正しかったとしているからだ。

 北アイルランドで年間300人以上のアイルランド人犠牲者を出し続けてきたイギリスにそんなことをいわれる筋合いはないとセルビア人は怒るだろうが、数は少なくとも虐殺は虐殺だとするタイムス紙の見解には私も異論はない。民族浄化を目的に虐殺された人間がいるのなら、たとえその数が数百人だったとしても許されていいはずがないからだ。

 私が問題にしたいのは、タイムス紙の記事が、すべての外交努力が失敗に終わり、武力による介入以外に虐殺をストップすることはできなかったとしている点だ。これが嘘であることはすでにこの連載で説明した。外交手段によってコソボ問題を解決することは十分に可能だったのだ。今年2月に行なわれたランブイエ交渉でユーゴ側はコソボのアルバニア系住民に旧ユーゴ時代以上の自治権を与える合意書にサインするつもりだったからだ。

 しかし、最終段階になってオルブライト米国務長官が、事実上、NATO軍によるユーゴ占領を意味する追加条項(アネックスB)を付け加えたため交渉は決裂した。つまり、外交手段による解決の道を潰したのは他ならぬアメリカだったのだ。この事実をタイムス紙の記者は都合よく忘れてしまったようだ。

 タイムス紙がこういった記事を掲載したのはイギリス政府の意を呈したものだったと思われる。ブレア政権は空爆終了後、次々と出てくるセルビア人による民族浄化を否定する証拠をこれ以上、無視できなくなったのだろう。そして、世論の批判をかわすために英国で最も権威のある新聞にウソを覆い隠すために新たなウソを重ねる記事を書かせたと見て間違いない。

 ピンチヤ原子力研究所の医師B女史にインタビューした日の夜、私はタクシーでサバ川を見下ろす丘にあるカラメグダン公園の野外レストラン、テラサ・カフェに行った。

 ブランカは低い石造りの塀の横にあるテーブルでワイン・グラスを片手に眼下に黒く流れる川を見つめていた。私に気づくと、彼女の面上に子供のような微笑みが浮かんだ。最初に会った時から私はこの笑顔が気に入っていた。

「取材は順調に進んでいるの?」

「まあね.予想以上にひどい状況だな」

 前の椅子に腰掛けながら私は言った。彼女はユーゴの通信社タンユグの記者で、1990年代初頭からユーゴ紛争を現場で取材してきた敏腕ジャーナリストだった.KFOR(コソボ国連平和維持部隊)のコソボ進駐後、コソボの首都プリシユティナで取材を続け、私がユーゴ入りする2週間前にベオグラードに戻ってきたばかりだった。コソボのセルビア人がどういう状況にあるのか、生の声を聞くにはうってつけの相手だった。

報道されないアルバニア人の蛮行

 ウェイトレスに料理を注文してから、さっそくこの話題を切り出した。「最悪よ。KFORは個人的にはいい人が多くて私もずいぶん助けてもらったけど、組織としてはまったくセルビア人を守ろうとしていないわね。それどころKLA(コソボ解放軍)の暴行については、臭いものにはフタをしろといった感じで無視しようとするくらい。

 例えばKFORが毎日行なう記者会見で、殺人事件が起きたという発表があるでしょう。彼らは記者から質問がない限り犠牲者が誰だったかは決して言おうとしない。だから、私の仕事のひとつは記者会見でこの質問をブツけることだった。返ってくる答えはいつも同じ。『セルビア人』……」

 彼女によると、セルビア人住民は電話でKFORに助けを求めることができないという。KFORが通訳として雇った人間はみな、KLAメンバーかシンパのアルバニア人ばかりだからだ。なにか通報すればKLA側に筒抜けになってしまうのだ。

 彼女が続けた。

「西側のマスコミではまったく報道されないセルビア人に対する残虐行為はいくらでもあるわ。例えば87歳の老婆がアパートを買いたいと言って訪ねてきたアルバニア人の男に絞殺されたし、友達3人の前でレイブされた67歳の女性もいる。セルビア人はもう怖くて病院にもかかれないしね」

 これはユーゴ政府保健省次官ゴルダナ・パスタからも聞いていた。KFORの進駐後、コソボの病院のスタッフはすべてアルバニア人に入れ替わったからだ。入院などすれば生きて出られる保証はまったくないという。現にプリシユティナの病院では怪我で入院した14歳のセルビア人少年が翌朝、ベッドの上で刺殺体となって発見されている。

 患者のみならずセルビア人なら医者も例外ではない。ズラトイエ・グリゴリエビッチという小児科医は診察に訪れた30歳前後の女性に射殺された。

 その手口から見てプロのヒットマンであることは間違いない。その女は赤ん坊を抱えていたが、その体の下に拳銃を隠していたというのである。

「セルビア人をコソボから追い出すためのハラスメントも湊まじいらしいな」

「そのとおりよ。空爆前にはプリシユティナには7万人のセルビア人が住んでいたけど、もう2千人しか残っていない。私もハラスメントをやめさせるようにKFORにずいぶんかけ合ったけど無駄だった。そんなことをしていると、そのうち殺されるぞと心配して耳打ちしてくれる人もいたほどよ」

「なるほど。ところで…」

「ハラスメントでコソボを追われた難民に会って話を聞きたい。そうでしょ」

「すべてお見通しだな」

「ジャーナリストなら当事者本人から情報を得たいと思うのが当然でしょう。オーケー。明日、ブリシユティナから逃げてきた女性を紹介するわ。彼女の話を聞けば、KLAがどのようにしてセルビア人をコソボから追い出しているかよくわかると思う」

アパートを略奪されるセルビア人たち

 翌日の夕方、私はブランカのアパートを訪れた。昨晩、彼女が言っていた女性は、すでに居間のソファに座っていた。年齢は30代後半といったところか。化粧をしているが、落ち窪んだ目に宿る深い疲労の色は隠すことはできなかった。ブランカが私を紹介すると、笑みが弱々しくその口元に浮かび、すぐ消えた。

 今でも彼女はKLAから脅迫されているので、ここではジュリアと呼ぼう。プリシュティナ生まれで、不治の病である筋ジストロフィに罹った夫との間にふたりの息子がいる。空爆が終わるまで衣料品輸入会社に勤めて生計を支え、家族はプリシュティナの中心部にあるアパートに住んでいた。93年に購入したものだった。空爆後、アルバニア人から徹底したハラスメントを受け、そのアパートを奪われたのである。

 ブランカの通訳でさっそくインタビユーが始まった。最初に話題となったのは空爆が行なわれていた時のことだった。ジュリアは小声だが芯の強さを感じさせる口調で話し始めた。

「空爆が始まった当初はみな恐怖心を抱いていましたが、すぐに慣れました。70日以上続いた空爆中、空襲警報が鳴りやんだのは4時間だけでしたから。仕事も普通どおりに続けました。アルバニア人の人たちとの関係もいつもどおりで、お互い助け、励まし合っていました。

 真の不安を感じ始めたのは空爆が終わった時からです。KLAが戻ってくれば何をするか予想もつかなかったからです。これは、私に限らずコソボに住むセルビア人が一致して感じていたことだったと思います」

 そして、その不安は的中した。KFOR進駐後、見知らぬアルバニア人たちが敵意を剥き出しにし始めたのだ。2週間後には外でセルビア語を話すことさえできなくなった。買い物もすべて友人のアルバニア人にしてもらわねばならなくなった。

 彼女のアパートに突然、闖入者が入り込んできたのは7月半ばだった。ベオグラードにいた病気の夫を訪ねた後、プリシユティナに戻るとアパートから家具や電気製品などが全部盗まれており、アルバニア人夫婦が住んでいたのだ。彼女はすぐにKFORの事務所へ行き、兵士を連れてアパートに戻った。

 KFORの兵士を見ると、その夫婦は、ユーゴ軍の兵士だったジユリアの夫に自分たちの家が燃やされたから、この家に住む権利があると主張した。そして、彼女の夫がユーゴ軍兵士だった証拠だと言って軍の制服を見せた.「私の夫は26歳の時に筋ジストロフィにかかり、ずっと車椅子生活をしていました。その彼がユーゴ軍兵士としてアルバニア人の家を燃やせるわけがありません。そのことを説明しアパートの権利書を見せると、KFORの兵士は彼らに立ち去るように申し渡しました」

 ふたりはおとなしく去ったが、その2日後、今度は違う男が来て、アパートのドアに、これは俺の家だ、と張り紙をして去った。翌日から男は毎日やって来てドアを叩き、出ていけ、と叫び続けた。3日後、ジュリアはドアを開け、男と対決した。

 その時に彼が言ったことは非常に興味深い。前の夫婦同様、お前の夫に家を燃やされたと言ったのである。このセリフとユーゴ軍の制服は、ジユリアのように自宅をブン取られたケースに必ず登場するという。何者かがアルバニア人たちにこうした略奪方法を指示しているということである。

「レイプしてから殺してやる」と脅しは続く…

 彼女のアパートを横取りしようとした男は医者だった。それもただの医者ではない。以前、コソボ共和国で保健省の大臣を務めたこともある男だったのだ。

「記事には絶対に彼の名前を書いてください。J.P.です。世界中の人々にあの男がやったことを知ってもらいたい」

 その名を口にした時、彼女の目に激しく憎悪が宿った。不治の病に罹った夫を抱えて、やっとの思いで手にした我が家を取られてしまったのだから無理もない。

 ジュリアの願いを裏切ることになるが、ここでは男の名前は頭文字だけにしておく。実名を公表してしまえば、彼女がマスコミにしゃべったことが相手にわかってしまう恐れがあるからだ。激しい怒りに彼女はそのことに気付かなかったようだ。

 J.P.のハラスメントはその後2週間も続いた。夜中、5人の男が来て、明け方まで、お前をレイプしてから殺してやると叫び続けたこともあった。彼女は友人宅に身を隠し、KFORの調停を待った。やっとその日がきた。しかし、彼女はKFORの事務所には行かなかった。KLAのメンバーに友人宅を発見され、明日、調停の場に赴こうとすれば殺すと脅迫されたからだ。

 心身ともに疲労し切っていたジエリアは翌日、KFORの勧めに従って赤十字のヘルプでプリシユティナを脱出した。

 彼女の場合、家を失ったとはいえラッキーだったというべきだろう。その前後の数日だけで彼女のように家を出ていくことを拒否していた9人のセルビア人が殺害されたからだ。

 現在でもJ.P.との戦いは続いている。このインタビューの1週間ほど前、ベオグラードの叔母の下に身を寄せている彼女に電話がかかってきたのだ。アパートを取り戻そうとすれば子供の命も危険にさらすことになるという脅しだった。

 これにはわけがあった。ジユリアはJ.P.に取られたアパートをベオグラードに住んでいるアルバニア人所有のアパートと物々交換したいという広告を新聞に出したのである。これを見てJ.P.は焦ったのだろう。権利書がアルバニア人の手に渡ってしまえば強引に居座ることも難しくなるからだ。

 彼女は最後にこう言った。

「J.P.のやったことは絶対に許せません。ですが、私はアルバニア人すべてを憎んでいるわけではないのです。今でも私には多くのアルバニア人の友人がいます。彼らが助けてくれなければ恐らく私は今こうして生きていないでしょう。また、今回の空爆で私たちなどよりもっと悲惨な目に遭ったアルバニア人がたくさんいることも知っています。私が憎んでいるのは、暴力でこれまで私たちが築いてきたものを取り上げた、あるグループに属する人々です。一般的なアルバニア人は善良な人たちばかりで、決して彼らのようではありません」

 彼女の言うあるグループとはもちろんKLAのことだ。財産をすべて奪われてもアルバニア人全体に憎悪を向けようとしない彼女に私はある種の尊敬の念を抱いた。人種差別とは、個人の行ないをその人間が帰属するグループ全体の特徴として捉えることから始まる。恐らく彼女はブリシユティナのアパートを取り戻すことはできないだろう。それでも彼女が今の考えを忘れない限り救いはある。

 人種間の憎悪の鎖がひとつそこで途切れるからだ。

(以下、次号)


以上で(Playboy-12)終り。13に続く。


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