掲載時の都合で「Racak検証」と『週刊プレイボーイ』連載が入り組んでいます。
ユーゴ戦争:報道批判特集 / Racak検証
『嵌められたミロシェビッチ』
1999.9.24
Racak検証より続く / 本誌(憎まれ愚痴)編集部による評価と解説は別途。
『週刊プレイボーイ』(1999.8.31)
《迷走のアメリカ》第4部「ユーゴ空爆」編として堂々の連載開始!嵌められたミロソビッチ
空爆の大義名分「虐殺事件」は
米国とコソボ解放軍によって仕掛けられた巧妙な罠だった写真説明:
1) コソボ解放の英雄として、英国ブレア首相(左)に握手を求められるKLAリーダー、ハシム・タチ
2) 3月下旬から6月上旬におよぶまで続けられた空爆で、ユーゴ国内のインフラはズタズタにされた
3) セルビア人による虐殺も、アルバニア難民も結局は空爆が生み出したものだった
4) 泣き叫ぶラチャク事件被害者の家族ののほとんどがアルバニア系住民だった
5) ラチャク事件をセルビアによる虐殺と断じたウィリアム・ウォ一カーKVM団長
6) セルビアによる「民疾浄化」を世界に知らしめたラチャク村事件。しかし、本当にこれは虐殺だったのか?
写真/ロイター提供
空爆終了からはや2ヵ月余り。戦争へと突き進んだ現政権に対する責任追及など、ユーゴの国内外で「戦争の清算」が急ピッチで進められているが、果たして裁かれるべきはミロシェビッチだけなのか!?
アメリカおよびNATOが自ら「人道的武力介入」と称した「正義の空爆」。その裏側に潜む「謀略」の影を国際ジャーナリスト河合洋一郎が暴いていく新シリーズ。堂々のスタート!
(取材・文/河合洋一郎)
空爆がつくりあげた“モンスター”
初夏、某日。ワシントンDC。オキシデンタル・グリル・レストラン。
「コソボはどうだった?」
「予想より状況はずっと良かった。西部のほうでは完全に破壊されてしまっているところもあったが、多くの街はほとんど手つかずのままで、電気も水道もきている。とはいっても、以前の状態に戻すには莫大な金が必要になることに変わりはないがね」
マーシャルがサラダをつつきながら言った。国務省出身の、ワシントンでも有数のバルカン問題エキスパートで、つい先日もボブ・ドール元上院議員に同行してセルビアのコソボ自治州を視察してきたばかりだった。
「しかし、最大の問題は金では解決できない問題をどうするかだな」
「KLA(コソボ解放軍)か」
彼は頷いた。
「そうだ。あの組織のトップはコソボの政治権力を握ることしか頭にない。実際に会ってみたが、指導者のタチもオポチュニスト(日和見主義者)を絵に描いたような男だ。民主主義からあれほどほど遠いところにいる連中も少ないだろう」
KLAは、ユーゴ空爆開始前後からアメリカ政府によってフリーダム・ファイターに祭り上げられたが、実は去年まで米国務省によってテロ組織の烙印を押されていた問題の組織である。彼らがアジアからヨーロッパへのへロイン密輸に深く関与しているのは関係者の間ではよく知られた事実だ。
「コソボでブコシ(コソボ共和国首相)を含めて多くの政治リーダーと話したが、みな、今、コソボに最も必要なのは治安の維持だと答える。だが、タチの答えだけは違っていた。なんと言ったと思う?」
「さあな」
私は肩をすくめた。
「政治体制の確立だ。…誰がコソボの治安を乱しているかは、この答えで明白だろう!?
ブコシはKLAから暗殺の脅迫を受けている……」
彼はここで言葉を切ってから、壁にびっしりとかけられてある各界の著名人たちの写真に目をやり、つぶやくように言った。
「……我々はまた“モンスター”を作り上げてしまったのかもしれない。真の問題が始まるのはこれからだ」
「民族浄化政策」は存在しなかった!?
3月24日に開始されたNATO軍によるユーゴ空爆は、6月9日、ミロシェビッチ大統領が妥協して主要8ヵ国外相会議で西側が提案した和平案をのんだことで終結した。
NATOを中心としたKfor(国連軍)のコソボ進駐とともにセルビア軍は撤退し、コソボの難民たちは続々と故郷に帰り始めている。表面上、一件落着のように見えるが、根本的な問題はまったく解決されておらず、マーシャルのように問題はまだ緒についたばかりと見ている専門家は多い。
ユーゴの民族紛争は過去何百年にもわたって培われてきたもので、空爆で一気にそれを解消することなど不可能だからだ。空爆開始前、CIAのバルカン・エキスパートたちが全員一致で空爆に反対したのもそのためだ。
すでにアルバニア系住民によるセルビア人に対する復讐が始まっており、7月にもプリシュティナ近郊の農村グラチコで作物の収穫を行なっていた14人のセルビア人農民が虐殺される事件が発生している。
空爆はユーゴの国士を荒廃させ、多数の犠牲者を出しただけでなく、セルビア人とアルバニア系住民の憎悪を一層深め、さらに犯罪組織同然のKLAをコソボの将来を左右するほどの大勢力に成長させてしまった。そう考えると、空爆はコソボ情勢を悪化させたとしか思えないのだ。
そもそも、ユーゴに空爆は本当に必要だったのか。
アメリカとNATOは、今回の空爆は再三の警告にもがかわらず、セルビア側がコソボのアルバニア系住民に対するエスニック・クレンズィング(民族浄化政策)をやめなかったために人道的理由から決行に踏み切ったと説明している。しかし、本当にユーゴ経済を完全破壊してしまうような徹底した空爆を行なわねばならないほどコソボは危機状態にあったのだろうか。空爆にいたった経緯をつぶさに検証してみると、そこに大きな疑問が生じてくる。
まず、セルビア人によるコソボにおけるエスニック・クレンズィングを見てみよう。Kforがコソボに進駐してから続々とマス・グレィブ(虐殺墓地)が発見されているが、マスコミの報道を見ていると、セルビア人がアルバニア系住民を過去何年にもわたって虐殺し続けてきたような印象を受ける。
セルビア側がコソボの住民を多数殺害したのは確かだが、忘れてはならないのは、そのほとんどがNAT0軍による空爆が始まった3月24日以後に行なわれたものであるという点だ。
空爆以前、セルビア人との衝突で命を落としていたアルバニア系住民の数は年間数十人にも満たない。
これは民族浄化などと呼べる規模のシステマティックな処刑が空爆以前には行なわれていなかったことを意味している。
去年10月にアメリカの調停でKLAとセルビア側の間で停戦協定が結ばれているが、これは文字どおりふたつのグループの停戦であって、住民の虐殺もその時点では問題になっていなかった。無論、いかなる理由があろうと虐殺行為は許されるものではない。それは空爆後に行なわれたセルビア側の殺戮にしても同じである。しかし、殺傷力の高いクラスター・ボム(集束爆弾)まで使われてNATO軍に民間施設を爆撃され続けたセルビア人に、自制心を持った行動をとるよう説得することなど、一体、誰ができたというのか。彼らの怒りの矛先がコソボのアルバニア系住民に向けられていくことは、ある意味で“必然”であり、こうなることなど最初からわかりきったことではなかったか。
セルビア人のこうした“反応”がアメリカにとって“寝耳に水”だったとは言わせない。
すでに今年初め、CIA長官ジョージ・テネットが議会の公聴会で、ユーゴ空爆を実施すれば、セルビア側は報復としてコソボ住民の虐殺に走るだろうと警告を発しているからだ。
住民の虐殺という事態を招く恐れがあると知りながら、NATOを空爆に引きずり込んだクリントンとイギリスのブレア首相の罪は重いと言わざるを得ない。
「ラチャック村虐殺事件」への疑惑
アメリカとNATOによる空爆は、今年2月にフランスのランブイエで行なわれた和平交渉でミロシェビッチが合意協定にサインしなかったことが直接のきっかけとなったが、「空爆やむなし」の意見は、すでにその1ヵ月前から欧米を支配しており、実質的な空爆の要因(大義名分)となった。
なぜ、そうなったのか。理由は、セルビア人による民族浄化の蛮行が広く知れ渡るようになったからである。
「ミロシェビッチが、現代のヒトラーよろしくコソボで残虐非道な民族浄化運動を繰り広げている……」
その印象を決定的にしたのが、1月15日に発生したラチャック村虐殺事件である。
これはコソボ自治州のラチャック村を攻撃したセルビア警察軍が村人45名を処刑したとされる事件で、世界中のマスコミによって報道された。虐殺現場の写真を覚えている読者も多いと思う。後に説明するが、これによってアメリカのセルビアに対する態度は硬化し、ランブイエ和平交渉とその決裂、そして空爆へと事態は悪化の一途をたどっていった。ユーゴ空爆の、まさにターニング・ポイントとなった事件である。
しかし、この虐殺事件には多くの疑念を抱かずにはいられない。取材を進めれば進めるほど、この虐殺事件にはあまりに謎が多く、むしろ疑念のほうが広がっていくからだ。
結論から先に言えば、これは捏造された虐殺事件であり、アメリカがミロシェビッチに仕掛けた罠である可能性が高いとしか言いようがないのだ。
その理由を述べる前に、まず事件の概略を説明しておこう。
セルビア警察軍がラチャック村を包囲したのは1月15日の早朝だった。
その日の作戦の目的は、l週間ほど前、ひとりのセルビア人警官を殺害したテロリストを逮捕することだった。
セルビア警察軍は、捜査を阻もうと村にたてこもるKLA側に砲撃を加えた後、午前10時半、装甲車とともに村に入る。
KLAの戦闘員たちは、村のすぐ隣にある丘の林の中に掘った塹壕から激しく応戦してきた。ゼルビア警察軍が丘に接近すると戦闘が激化。午後3時頃、KLAは戦場を離脱し、戦闘は終わった。セルビア警察軍は、ラチャック村の戦闘でテロリスト15名が死亡し、大量の武器を押収したと発表する。
問題となった虐殺死体が発見されたのは、その翌朝のことである。
場所は村外れにある溝。そこに40体以上の死体が無残にも転がされていたのだ。
発見したのが、戦闘のダメージを取材しに来たジャーナリストたちと、10月に合意された停戦協定が守られているかどうかを監視するために現地入りしていたOSCE(全欧州安全保障協力機構)のコソボ検証団(KVM)のメンバーたちだったことが決定的だった。村人の何人かが、昨日の昼頃、セルビア警察軍が家々から男たちを連れ出し、丘の斜面で処刑したと証言したこともあり、昼頃に現場を訪れたKVM団長ウィリアム・ウォーカーがその場で緊急記者会見を開き、セルビア警察軍によって村人が虐殺されたと発表。「セルビア警察軍による民族浄化虐殺事件」は世界の知るところとなったのである。
「セルビア警察軍犯人説」の矛盾
セルビア政府はウォーカー発言を激しく否定し、発見された死体は戦闘で死んだKLAメンバーで、夜のうちにKLAが死体を溝に集めて虐殺現場をデッチ上げたと主張した。アメリカはこれを一笑に伏し、他のマスコミもとりあわず、この事件はKVM発表どおりの事件として今も記録されている。
しかし、私が調べた限りにおいては、セルビア政府の主張の方が状況証拠的にもはるかに“分がある”。
理由はこうだ。
まず第一に発見状況。
死体が発見されたのほ、セルビア警察軍がKLAと戦闘を繰り広げた翌日、村外れの溝である。発見したのはジャーナリストのKVMのメンバ-であったと書いたが、これは正確ではない。彼らは死体を偶然に発見したのではなく、ある人間たちに導かれて、その場所に足を運んだのである。ある人間たちとは、他ならぬKLAの戦闘員たちであった。
次にセルビア警察軍の行動だ。
彼らはラチャック村攻撃をまったく秘密にしておらず、村を包囲する前に、マスコミやKVMに作戦が行なわれることを連絡している。
実際、AP通信の記者ふたりが作戦当初から彼らとともに行動しており、KVMのメンバーたちも村を見下ろせる丘から戦闘の一部始終を見ていた。虐殺を計画していたのであれば、ジャーナリストやKVMの人間など完全にシャットアウトしているはずである。虐殺が事前の計画にはない突発的な事件だったとしても、第3者に監視されている中で住民の虐殺など行なうだろうか。
また、目撃者の証言では虐殺が行なわれたのは昼の早い時間となっているが、その頃はセルピア警察軍とKLAの間で激しい戦闘が行なわれていた。これはAPの記者が撮影したビデオでも証明されている。そのような状況下で男たちを連行して処刑することは物理的に可能だったのか。
戦闘終了後すぐ、民間人の死傷者が出たかどうかを調査するためにKVMの監視員たちが村に入り、日没まで2時間以上も間き取り調査を行なっているが、その時には虐殺どころか、男たちがセルビア警察軍によってどこかに連行されたと語った者すらいなかったという点も、KVMが支持する虐殺目撃証言と大きな食い違いを見せる。
ラチャックといえば、人口1500人に満たない小村である。40人以上も虐殺されたのなら、ぞの時点でなんらかの手がかりをつかめていていいはずなのだ。
コソボ検証団長の「キナ臭い」正体
まだある。犠牲者たちは至近距離から頭に数発をブチ込まれて処刑されたとKVMは説明している。しかし、虐殺現場に最初に到着したジャーナリストたちは、その場所に銃の薬莢はほとんど落ちておらず、また、血もほとんど流れていなかったと証言している。
他の場所で殺された死体を発見現場に移動した可能性があるということだ。
KVM団長のウィリアム・ウォーカーは現場を見ると即座にセルビア人の犯行と断定しているが、当然、この時点ではまだ検死さえ行なわれていなかった。人間がどのような形で死んだかなど詳しいことは検死をするまでわからないのは常識である。ましてや殺人現場を見ただけで犯人を特定できるわけがない。
事実、後にユーゴ、フィンランド、そしてベラルーシの医師団によって検死が行なわれているが、この国際検死チームのリーダーであるフィンランド人の女性医師は記者会見で虐殺という言葉を使うことを頑なに拒否している。そして、この国際検死チームによる報告書は現在でもそのすべてが公表されていないのだ。
このように、死体発見直後、これを「セルビア警察軍による虐殺」と断じたKVMの発表には明らかに無理がある。なにか目に見えない力が、この事件を支配している……。
私の疑念を決定づけたのがKVM団長のウィリアム・ウォーカーという人物の素性である。
私は最初、ウォーカーの名前を耳にした時、どこかで聞き覚えがあるなど思い、調べてみて驚いた。
彼は諜報界では有名な、まさに「いわくつきの男」だったのだ。
表向きは外交官だが、イラン・コントラ事件を始めとする様々なアメリカの極秘工作(1980年代、米国大使としてルサルバドルに駐在してい時の極秘工作がとりわけ有名)に何度も関与してきたキャリアを持つ男である。
そうした男が今度はコソで検死結果も待たずに虐殺件の犯人を断定する。そこになにかキナ臭いものを感じのるは私だけではないはずだ。
そして、私はついに、ある爆弾証言を入手することに成功した。
場所はワシントン。証言してくれたのは、ある諜報筋と深いつながりのある米国政府関係者。
その人物、日く、
……虐殺事件が起きる前、あるアメリカ国務省高官がKLAのリーダー、ハシム・タチに電話を入れ、虐殺事件を捏造するように依頼した……
(以下、次号)
以上。
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