イラク情勢・湾岸戦争 湾岸平和訴訟
平和訴訟の最高裁への上告棄却判決
1999.1.15
昨年の1998年11月、相次いで、平和訴訟の最高裁への上告棄却判決が言い渡されました。
湾岸平和訴訟:
大阪の掃海艇派遣違憲訴訟________上告棄却(11月20日)
名古屋の90億ドル戦費支出違憲訴訟___上告棄却(11月24日)
東京の90億ドル戦費支出等違憲訴訟___上告棄却(11月26日)
鹿児島の90億ドル戦費支出等違憲訴訟__上告棄却(11月26日)
カンプチアPKO出兵違憲訴訟:
東京のカンプチア出兵違憲訴訟______上告棄却(11月24日)
これに引き続いて、
大阪のカンプチア出兵違憲訴訟が大阪高裁で控訴棄却(12月3日)
大阪の米軍基地思いやり予算裁判が大阪地裁で抜き打ち結審(12月14日)
この状況下、湾岸平和訴訟原告団の機関誌『未来へ』最終号に1200字の寄稿を求められましたので、次の文章を送りました。
以下、1999.1.10.寄稿の全文:
貴重だが市民運動の質も問われた平和訴訟
湾岸・カンプチアPKO・ゴラン・3訴訟の原告 木村愛二
私の平和訴訟参加のきっかけは、「東京地裁が湾岸平和訴訟に3兆円印紙要求」の新聞記事でした。日本テレビ相手の不当解雇撤回闘争中の旧友、毎日新聞労組の杉山さんが千代田区労協常任幹事でしたから、事情を問い合わせて第3次原告になり、以後、次々と参加した平和訴訟の中で、貴重な体験と多くの友人を得ました。拙著『湾岸報道に偽りあり』は、そこで得た多くの証言や資料の賜物です。原告証人に立てたのも良い体験でした。
敗訴はもとより覚悟の上でしたが、それでもやはり残念なのは、憲法9条が形骸化され、発端の中東危機が深刻化している現状の下で、 市民運動の側の連帯の強化や理論の質的向上などに、いま一つ、工夫と燃焼が不十分だったことです。わがホームページでは勝手ながら訴訟を趣味の山登りにたとえて、湾岸は裾野のハイキング、PKOは上り坂、ゴランは胸突き八丁、段々と原告が減り、最後はチムニーかハングオーヴァーで、私一人が原告の「ガス室」と記しました。そのたった一人の原告本人裁判にも、平和訴訟で得た貴重な友人が何人も傍聴支援に駆け付けてくれました。
「ガス室」は「中東紛争の火種」、パレスチナにおける違法不当なイスラエル建国物語の恥部、人類史上最大最悪のデマゴギーなのです。日本なら満蒙浪人のような極右の政治的シオニストがヒトラーという格好の悪役を得て、世紀の大芝居を打ち、「被害者」への「同情を誘い」、その「同情に付け込む」という詐欺師の常套手段を駆使したのです。
確かに、この「中東紛争の火種」の構造は複雑です。しかし、いつまでも「遠い話」では済まされません。私が労組幹部の現役時代には、ヴェトナムが世界の矛盾の焦点だとか吹き溜まりだとかいう議論が盛んでしたが、今では、中東、またはパレスチナやイラクを、その様に位置付ける議論の場は、非常に少なくなっています。現在、私は、出版労連の個人加盟組合、ネッツ労組で労働組合運動のリターンマッチ中ですが、神保町界隈で口を開けばマルクスだレーニンだと声高に論じていた先輩の衣鉢を継ぐ出版労連の議案書に、今では「ゴラン高原出兵のゴの字も出てこない」実情を、非常に憂慮しています。
その逆に、湾岸では、ラムゼイ・クラーク来日の際のヴィデオの版権処理を巡って、いさかいが続き、その結果として独自の原告団を結成したPKOでは、従軍慰安婦問題を追及中の原告、西野留美子さんが、カンプチア出兵で起きた女性問題を調査するための現地取材までしたのに、何度も匿名の脅迫電話(西野さんによれば脅迫者はゴラン訴訟の内情に詳しかったそうです)を受けて証人を降りるというような不祥事が付きまといました。
相次ぐ敗訴確定は、こうした市民運動の側の質的及び量的な弱さ、低さの反映でもあると思います。そういう自己点検なしに「未来へ」と飛翔することは不可能でしょう。
以上。