『煉獄のパスワード』(6-2)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第六章 カイライ帝国の亡霊 2

 大日本新聞の長崎記者はすっかり興奮してしまった。

 葬儀自体についても戦慄を覚えないわけにはいかなかった。最高裁長官という日本の司法機関の最高位に位置する人物が怪死を遂げ、その真相を知るものが数人しかいないままに葬られようとしている。それが白昼、首都東京で目の前に展開している現実である。もう一つの関連事件にも箝口令を敷かれた。新聞記者の自分が目で見た事実を報道出来ない状態にある。

 しかもそこへ現れたのが、かねてから疑問を感じていた自社の社長、正田竹造であり、その《満州帰り》人脈の謎を強力に裏付ける怪しい老人であった。この両者は当然、満州を背景として戦争中からの深い関係を保ち続けているのであろう。

〈そうだ。満州は、つまり中国の東北五省だ。あの奥多摩の死体が本当に中国残留孤児で、弓畠耕一と関係ある。そうだとすれば、この線につながってくるわけだ〉

《興亜協和塾》は初耳であった。しかし、黒塗りのパンパス三台と黒ダブルの男達の揃い踏みは、ハッタリにしても相当な陣容である。老人が現れた時のお偉方たちの反応も異様だった。

〈絶対になにかある。当たって砕けろで行こう〉と長崎は決意した。まず資料を揃えてから会見の約束を取るという考え方もある。しかし、直接取材も時には良いものだ。尾行して本拠地を衝くとしよう。長崎は告別式が終わる前に尾行のタクシーを確保して置こうと考え、出棺の挨拶の間に表の通りに出た。通りの左右に目を配っていると、クラクションが鳴り、「長崎さん」と聞き覚えのある声が掛かった。赤い小型乗用車の運転手が薄めのサングレスを外すと、嬉しそうにニコニコしている。新米刑事の浅沼巡査部長である。

「何だ。浅沼さんか。今日は自家用車なの」

「はい。おまけに非番ですよ。どこまででも付合いますよ」

「なんで、ここに来たの」

「勘ですよ、勘。ピーンと来たんです。まあ、乗って下さいよ」

 長崎は助手席に乗った。浅沼は再びサングラスを掛けた。ピンクの色物のオープンシャツの襟を茶のカジュアルスーツの襟の上に重ねて広げ、いかにも遊び人風である。

「警視庁の誰かさんに見付かるとまずいですからね。軽い変装ですよ。ピーンと来たのは簡単な話で、長崎さんの会社と記者クラブに電話をしたら、どちらにもいない。この前の新聞記事を探して告別式の案内を見た。青山葬祭場の文字でイメージがふくらんだ。きっと長崎さんは告別式の会葬者を見張りに行っている。もしかしたら誰かを尾行するかもしれない。車で行って出口で待とう。……どうです、ピタリでしょ」

「さすが、さすが。浅沼さん、あんたは良い刑事になるよ」

 

 告別式が終わって会葬者が流れ出てきた。しばらくすると、なぜかパトカーが先に出てきて先導車のようになり、その後に黒塗りのパンパスが三台続いてくる。

「あの三台だ」と長崎。

「ややっ、凄い。これはサスペンス。……静岡ナンバーですね」と浅沼。

「うん、そうだ」と長崎はおもむろに応じた。だが、内心ではナンバープレートまでは見ていなかった自分のうかつさに気付いて、冷汗をかいていた。静岡とは一寸遠いなとも思った。

 尾行そのものは簡単であった。金色の菊の紋を後頭部にも張り付けた黒塗りパンパスが三台並んで走るのだから、目立ち過ぎるくらいで見失う方がむずかしい。しかも三台の車の運転手はこういう行列を組んでの運転に馴れているらしく、混み合う道路でも決して他の車の割込みを許さなかった。走り方は老人向きということであろうか、ゆったりしていた。だから浅沼は、あまり接近し過ぎないように二、三台分の間隔を置いて走ることにした。一行は直ぐに首都高速に入った。

 首都高速から東名高速に進む。ノンストップのまま東名高速を降りると静岡県清水市に入る。広々とした郊外の道並で、三台のパンパスが急に速度を落として左に寄った。クレクションを三度鳴らす。左前方に、立派な石垣に囲まれた鉄の門が迫っていた。クラクションが鳴ると同時に鉄門が開き、三台のパンパスは速度をゆるめたものの、停止することなく構内にすべり込んだ。鉄門はまた直ぐに閉まった。

 浅沼は慌ててブレーキを踏み、左側に駐車した。エンジンは止めずにハンドブレーキを引く。

「凄い建物ですね」と浅沼が低くうなった。

 三階建ての大きな薄茶色のビル。特に装飾はない。窓枠が深く引込んだ重々しい造り。石垣に取り囲まれた城砦のようだった。正面には、上に大きな菊の紋を配し、下に興亜協和塾と肉太の筆文字を金色で浮き彫りにした黒地で金縁の看板が掛っている。

「《興亜協和塾》か。看板は一寸悪趣味だが、建物は大きいな。剣道場とか柔道場とか、体育館ぐらいのものが、いくつか収まっていそうだな。手下の数も多いかもしれないぞ」と長崎。

「長崎さん」と浅沼が声を潜めた。「特捜の小山田警視が、この事件は危険だといってましたが、僕も本当にそんな気分になってきましたね。いきなり乗りこむのは危ないですよ。こんな人里離れた所ですから」

「人里離れて、は良かったね。ハハハッ、……しかし、ともかく我々の地元の東京都ではないし。静岡とくれば、徳川家康ゆかりの地だとか、清水港の次郎長一家の縄張りだとか。やはり怖いね。君子危きに近寄らず。素直に計画変更か」

 二人が迷っている間に、鉄門が再び開き、黒塗りパンパスが二台続いて出てきた。こちらへ来る。通り過ぎたかと思うと、ギュギュッとUターンして、浅沼の車の前後を挟んでピタリと止まった。前の一台はぎりぎりまでバックしてきた。黒ダブルの屈強な若者が四名づつ計八名が降りてきて、二人の車を取囲んだ。一名が助手席の窓ガラスをコツコツ叩く。長崎は仕方なしにボタンを押して窓ガラスを下げた。

「なんですか」

「なんですか、はないでしょ」と言葉使いは優しいが、ドスの効く雑音混じりの低音だ。

「ずっと尾けてきたんでしょ。どういう積りですか。……どちらのお方で、……」

「私は新聞記者です」と長崎は度胸を決めて名刺を渡した。開き直って、こちらも馬鹿丁寧に申し入れる。

「先程の葬儀の会場で、ご老人をお見掛けしまして、どういうお方か、お目に掛って詳しくうかがいたいと思ったもので、失礼ながら後を追わせていただきました」

「なるほど。そちらのお方は」と浅沼の方に顎をしゃくる。

「私の友人です。丁度、車に乗せて貰ってたもんで」

「それじゃ、お二人とも、どうぞ。中にお入り下さい」

「いえ」と長崎は慌てた。「お会いするのは私一人で結構です。帰りはタクシーでも拾いますから。……それじゃ、どうも。今日は無理を頼んじゃって……」と浅沼に目配せをした。万一の場合、どこかに連絡を付けて助けて貰わなくてはならない。しかし、

「いや、お二人とも、どうぞ。せっかく、ここまでおいでになったんですから」

 返事を待たずに黒ダブルの八名は車中に戻った。前後のパンパスがアクセルをふかせる。ゆっくりと動き出す。浅沼は軽く肩をすくめてアクセルをふかし、発車した。前後を黒塗りのパンパスにピッタリ挟まれたまま、二人を乗せた赤い小型車は鉄門をくぐり、興亜協和塾の中庭に入った。


(6-3) 第六章 カイライ帝国の亡霊 3