『煉獄のパスワード』(4-6)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第四章 過去帳の女 6

 山城総研に電話をすると、華枝はまた外出中だという返事だった。行先は分らない。

 智樹は段々と心配になってきた。華枝に資料探索を頼んで以後、事態が急速に進展した。無駄骨を折らせても気の毒だから、一度会って相談しようと思っている内に、どんどん日が経ってしまった。華枝のマンションの留守番電話にも伝言を入れて置いたのに何の連絡もしてこない。達哉を羨んだり、足で取材したいという気持ちを漏らしていたのが気に掛かる。危険がなければいいのだが、……。

 

「影森さんの代りに風見さんが中国に飛んで下さったのですが、……」

 と秩父冴子審議官が状況の説明を始めた。

「王文林、日本名千歳弥輔さんとの会見はセットできませんでした。所在も不明というんですが、これがどうも不自然なんです。会うのを避けているんじゃないか、と疑える節があります。その点は、後で考えて下さい」

 智樹は達哉が送ってきたハルビンからの報告メモのコピーを配った。法務省秩父冴子審議官の部屋。《お庭番》チームの打合わせである。

 智樹はまず、西谷奈美と達哉との話を要約説明した。続いて、

「風見は千歳弥輔とは会えませんでしたが、代わりに、西谷奈美の現在の夫の李英財から、新しい情報が得られました。これには李英財が千歳弥輔から聞いたという話も加わっています。重複すると時間の無駄ですから、私自身が気付いた事もその場で一緒に補足して報告します。……

 西谷奈美の最初の夫である北園留吉は弓畠耕一と同期の法務官で同じ部隊に所属していた。北園は八路軍に加わった千歳の戦時脱走と窃盗を助けたとして軍法会議に掛けられ、銃殺刑となった。しかし当時すでに、北園がワナにはめられたという噂が立っていた。その一方、弓畠の評判は芳しくなかった。弓畠は親友の北園を裏切って罪に陥れたのではないか、と噂されていた。しかもその裏切りには大規模な謀略的背景があった。北園は憲兵隊に突然連行される直前まで、生アヘン倉庫からの大掛りな連続盗難事件を調査中であった。北園が連行されると同時に、盗難事件を扱う軍法会議の担当法務官は弓畠に代わり、内容はうやむやのまま二名の日本兵が窃盗罪、五年の禁固刑で内地に送還されたことで幕引きとなった」

「またアヘンですかね」と絹川史郎特捜検事が口をはさんだ。

「はい。また、というより、この事件はもう最初から最後まで、どっぷりとアヘンの海に漬かりっきりですよ。まずですね、西谷奈美の父親も満州一旗組で、最初にアヘン商売をやって事業の元手をつくったそうです。大体、満州国の歳入予算の十五パーセント、蒙疆政権では三十六パーセントがアヘン専売収入だったという数字があるくらいですからね。これが、いわゆる大東亜共栄圏の真相ですよ。私が知っている例で一番比率が高いのはシンガポールの日本軍の軍政予算ですが、何と五十パーセントがアヘン専売収入だったというんですね」

「シンガポールでは特に華僑を相当酷い目に会わせたそうですね」と絹川。

「はい。華僑が国府軍にカンパをしていたので、その報復と称して何万人も虐殺しています。辻政信が陸軍参謀本部の名で命令を出したんです。その上で〈奉納金〉を出させるは、鉱山で酷使するは、酷いもんです。しかもアヘンに関しては〈南洋華僑〉の人口統計をもとにして、その三パーセントは中毒患者になる可能性があるからという〈需給計画〉まで立案しているのです。シンガポールでは、広島に落された原爆を〈神様の贈物〉として称えたというんですが、無理もありませんよ」

「この前のお話では、そのアヘンの供給地が蒙疆だったとか」と冴子。

「はい。最初はイラン、イラク、インドあたりからの輸入が多かったようですが、太平洋戦争が始まると、輸入が途絶します。だから、蒙疆の位置付けが急速に高まるのです。

 当時すでに日本の海外進出先では、アヘンに染まらない日本人の方が珍しいくらいなんですよ。アヘン専売の特権はほとんど日本人が握っていました。北は満州、南は青島を根拠地にして、中国の奥地にも密売の小売店が進出しています。

 日本人か日本国籍を持つ朝鮮人か台湾人を一人雇っていれば日の丸の旗を掲げることが出来る。それだけで治外法権が成立しました。中国の官憲は手出しが出来なかったんですね。それで、日の丸の旗が日本の国旗だということを知らない中国人は、これをアヘン屋の商標だと思いこんでいたらしいんです。時折、国旗凌辱事件として外交問題に発展する騒ぎが起こる。調べてみると、そういう笑い話だったというんです」

「そうですね。今の日本人には想像を絶する世界ですね」と絹川が相槌を打つ。

「それで、と……」

 智樹は話を戻した。

「生アヘン盗難事件と北園の処刑に何等かの関係があるらしいことは、早くから噂になっていた。李英財は日本の敗戦前にそう聞いていた。ところが、戦後に内戦が落着いてから歴史の学習活動が始まって、さらに詳しい話が出てきた。学習といっても教科書があるわけじゃなくて、皆が被害報告や経験を話合うんですね。日本人のアヘン商売は一番憎まれていましたから、結構詳しい裏話が出てきたようです。

 生アヘン盗難事件は単なる窃盗事件ではなくて、関東軍上層部と満州浪人が企んだ謀略の一部だったらしい、というんですね。張家口には蒙疆一帯で生産された生アヘンが集められていましたが、日本軍の敗色が濃くなる頃には運輸手段が確保出来なくなった。特務機関の権限で軍用機まで利用していたようですがね、それもジリ貧ですから……

 生産量は当初の目標に達していないのに、貯蔵量は増える一方である。モルヒネやヘロインに精製する能力も落ちる一方となる。そこで関東軍上層部に意見の対立が生じた。一派の意見は、この際、大東亜共栄圏全体へのアヘンの配給を打切り、直ちに蒙疆と満州のみで機密費として活用しようというものであった。

 これがなんと、いわゆる満蒙根拠地論の一環なんですね。満蒙根拠地論というのは本土決戦との関係で大真面目に計画されていたんですよ。米軍が日本本土に上陸した際、満州に遷都する。満州には日本人以外の諸民族がいるから、米軍は爆撃をしない。この考えは実際に中国大陸で日本人が沢山いた北京などに爆撃がなかったという経験からきているんです。満蒙の隣はソ連だし、アメリカは本来、日本を反共政策の同盟国と考えていた。アメリカの財閥が満州に投資する計画もあったくらいですからね、その発想は続いているわけです。いずれアメリカが後押しをする国府と中共との対決も出てくるから、満蒙で背水の陣を敷くことによって新しい道が開ける。こういう破れかぶれの大変な計画なんですがね、……」

「ハハハハッ……。関東軍や大陸浪人が考えそうなことだ」と絹川。「もっとも、大筋では当たっていないことはない。すぐに東西の冷戦がはじまるんですからね」

「ええ。ただし、いかに日本の侵略が中国人から憎まれていたか、という認識が棚上げされているんですね。そこが一番非現実的な点なんです。

 満州遷都計画は中央段階でも、ドイツの降伏直後には首相官邸で大陸連絡会議という秘密会議が開かれた時、陸軍が大真面目に提案しているんです。そこで、生アヘン盗難事件というのは、この満州遷都計画の先駆けだったのではないか。関東軍の強硬派が、いつも通りの手法で勝手に使える機密費をアヘンから生み出して既成事実を作ろうとしていたのだ、というわけです。アヘンから生み出される機密費は桁はずれの大きさですからね。

 当時も、商工大臣の岸信介が、アヘンを扱う特務機関の里見甫に五百万円の資金調達を依頼したのが暴露されて評判になっていました。岸信介は満州で産業部次長とか総務庁次長とか日本人高官のトップを切っていたエリート官僚ですよ。A級戦犯に指名されたが無罪放免、パージ解除で首相にまでなる。昭和の妖怪の異名あり。利権金脈の王者……」

「いやいや。ますます話が大きくなってきましたね」と絹川。「弓畠耕一もその一味だったということですか」

「いえいえ。弓畠は軍の位でもまだ小尉か中尉ですから。こういう極秘計画までは知る由もないでしょう。全部を知っていたのは関東軍の上層部でもごくごく一部の作戦参謀ぐらいでしょう。彼等は必ず政治経済まで含めた詳しい計画を立案しますからね。それで、……

 李英財が千歳から聞いたという話ですが、千歳は撫順で戦犯収容所の通訳をやっていたそうです。そこには以前の所属部隊の兵隊や将校もいた。そこで自分の上官だった北園の処刑を知り、自分の脱走が原因とされていることに責任を感じた。だが、関係者を捜して断片的な事実を集めてみると、おかしなことが多い。弓畠の評判は悪いし、生アヘン盗難事件の処理もおかしかった。しかし、弓畠本人の元当番兵から聞いた当時の噂話が一番こたえた。北園夫人への横恋募が先にあって、弓畠自身が北園を罪に陥し入れたのではないか、二人の様子がおかしかったというのです。そうなると、自分の脱走が口実に使われて北園の処刑に至っているわけだから、これは個人的にも許せない。どうしても事実を確めたい。そこで調べてみると、かっての北園夫人、奈美が離縁され、ハルビンで父無し子を生んでいた」

「これは立派な動機ですね」と小山田が息ごむ。「王文林こと千歳弥輔には少なくとも弓畠耕一と対決して事実を告白させたい、という動機がある。千歳はもしかしたらまだ日本にいるんじゃないですか」

「出入国管理局に頼んで、関係者の動きを洗ってみましょう」と冴子。「でも、捕虜収容所の話は敗戦直後でしょ。本当に私が生れる前のことよ。四十年以上も前から機会を狙い続けていた、ということになるのかしら」

「それと、そういう話を北園の息子である北園和久が知っていたのか、ということもあるでしょう。事実なら、親の仇ということですからね。こちらの方が動機としては、さらに強力ですよ」と絹川。

「禄朗はどうでしょう。知らされたでしょううか」と小山田。

「ウウーム。……仮にも血のつながる父親のことですからね。一寸耳には入れにくいかったのではないでょうか」と絹川。

「しかし、李英財の話では大衆的な歴史学習でこの事実が語られているんですよ」と智樹。「李英財は奈美の耳には入れない様にしていたようですが、外で聞いてしまうのは止めようがないでしょ。禄朗の方が若いから外の情報を知る機会は多かったでしょうね」

「それで実は……」と小山田が腰を浮かし掛ける。「私の方でも北園夫妻の調査結果を報告しなければならないのですが、もう一つ情報待ちなのと、これから別の会議を控えていまして、……申し訳ないんですが、また明朝……」

「分りました」と冴子。「皆さん、よろしければ」

 

「なんでいきなり編集局長から呼び付けられるんだ」

 とつぶやきながら、長崎記者は大日本新聞社編集局の重役用応接室のドアを開けた。中には編集局長と次長がいたが、次長は長崎の顔を見るなり何やら飲込み顔でうなずいて座を外した。

「おっ、長崎君。忙しいのに済まん、済まん」

 新聞社の編集局長は現場の記者出身でなければ勤まらない。新聞記者には特有の職種意識が強くて、記者経験がないものは異端分子として排除してしまう。それだけ閉鎖的な職業なのである。大日本新聞の編集局長、高柳健作も、現場の雰囲気が自分の身体から薄れないように、極力記者風のやくざっぽい態度を維持しようと努力していた。

「早速だが、君が追ってる奥多摩の事件のことなんだ。君に挨拶せずに原稿をボツにしたそうで、……誤解があるといけないので来て貰ったわけだ。デスクも部長も直接いい出し憎くなっているらしい。君が怒っているんじゃないかと心配してるんだな」

「別に怒ったりなんかしていませんよ。ただ、納得がいかない事件なんで、一応追ってますが」

「君の気持ちは分るが、君に記事変更の挨拶が行かなかったのは現場の手違いだ。ここだけの話だが、今の所は捜査上の秘密ということで了解して欲しい。責任は私が負う。取材については、関係各所に誤解が生ずるので中止して欲しい。分って貰えるかな」

〈関係各所か〉と長崎は心の内で思った。〈厚生省の態度も怪しかった。データベースには西谷禄朗の記録がなかった。どうしてだ〉……しかし、口からでた言葉は逆だった。

「編集局長からそこまでいわれたら、仕方ありませんね。諦めます。でも、事情が変わった時には私にやらせて下さいよ」

「それは当然だよ」

 編集局長から一応の言質を取っておいて、その場は、おとなしく引き下がった。

 取材の壁の厚さはすでに分っていた。当りを付けた劉玉貴の名を出しても、親子関係の情報は一切漏らしてくれない。その後の消息は不明という返事が返ってくるだけであった。背後に何か深い秘密が隠されているのではないか、という疑いがなおさら深まってくる。

 しかも、〈この際なんで編集局長が直接……〉と思う。

 裏がある証拠だ。ますます自分の疑問の正しさに対する確信が強まる。

 到底、独自取材を打切る気にはなれなかった。


(4-7) 第四章 過去帳の女 7