なぜか地検八王子支部の別件呼出しを受け
門前演説後に本件の再調査を迫る
2000.11.4
またしても、「次回」の予定が予定は未定にして決定にあらず、変更となった。以下の偶発の事態を弁解に使う。
これをしも歴史の必然の流れの中の偶発事と言うべきか。週末の土日を除く週日のみで数えると実質は4日の間に、本件こと、武蔵野市税金横領事件と密接に関わり合う現象が重なった。時間的な順序では逆になるが、11.15(水)地検八王子支部の門前演説の目玉商品を先に報告する。
最高検公判部長が大怪我の横転事故で運転者の飲酒検査なし?
私は、地検八王子支部と略称するが、正確に記すと実に長い官庁名である。手元に物的証拠の公用葉書があるから、日時も正確に報告できる。活字で印刷済みの葉書に、日時、用件として「……の件」、内線番号、調室の階と号の数字、検察官名が、手書きで追加されている。
文面は、「お尋ねしたいことがありますから、下記の日時に当庁においでください」、で始まる。東京地方検察庁八王子支部八王子区検察庁の担当者、内藤検察官が、11月10日の日付で出したものである。「下記の日時」は11月15日の午後3時であるが、葉書に記される以前に、内藤検察官が私に電話をしてきた。私の都合で決めた日時である。
武蔵野市の税金横領事件の不祥隠しに関して、私は、地検八王子支部前でも演説したいと思っていた。まさに渡りに舟である。駅前での通行人相手の場合とは違って、演説を聞かせたい相手はビルの中で動かない、または動けないのだから、長い話を続けることができる。話の論理的な組み立ての訓練にもなる。2時間前に到着して、ゆっくり準備し、バッチリやってやろうと張り切っていたら、午前中に電話を受けた当日の昼飯前、その11月10日が発売日の『噂の真相』が届いた。昼飯後にパラパラめくっていたら、何と、以下のような絶好の演説ネタが入っていた。
『噂の真相』(2000.12)
「うわさの真相/マスコミが書けなかった情報を満載したコラム」東京地検幹部の不祥事隠しが発覚!
ゴルフ帰りの大事故を隠蔽工作
「東京地検幹部が事故」。10月7日、こんなベタ記事が産経新聞朝刊社会面の片隅に載った。記事は《東京地検の現職幹部が運転する乗用車が神奈川県内で単独事故を起こし、同乗していた最高検の佐々木茂夫・公判部長が首にけがを負って入院》などと報じていた。が、発生日時は、記事が掲載された1ヵ月前の9月10日。つまり検察は1ヵ月近くもこの事実を隠蔽していたのだ。地検関係者が語る。
「『東京地検の現職幹部』というのは次期特捜部長就任が確実視されていた岩村修二。岩村と佐々木はこの日、法務省会計課長の伊藤鉄夫らとゴルフに出掛け、事故はその帰り道に起こった。運転席には岩村、助手席には伊藤、そして後部座席に佐々木らが乗っていたんだが、岩村は制限時速を50キロオーバーで走行。車を横転させ、佐々木は首に大ケガを負った。ゴルフ帰りなら飲酒運転の可能性も充分考えられるのに、神奈川県警も相手が検事というだけでビビって、検査しなかったそうだ」
自損事故とはいえ、これだけ大きな事故を起こせば、立派な不祥事だ。が、検察は岩村を処分するどころか、事故を隠蔽しようとしたというから呆れ返る。地検関係者が続ける。
「通常、検事がケガや病気で入院した場合、『事務取扱』の辞令を出さすのだが、検祭は事故を隠蔽するために、この辞令を出さなかった。当然、ケガで入院した佐々木の後任の人事も発令されず、公判部長の席は約1ヵ月にわたって空席になっていた。では、この1ヵ月間、最高検の誰が、公判部長の決裁印を押していたのか? 今回の隠蔽工作は、検察上層部の責任問題に発展することは間違いない」
だが、この不祥事を隠蔽しようとしていたのは検察だけではないという。地検関係者がさらに続ける。
「読売や毎日など複数の地検詰め記者は事故の2週間後にはこの情報を掴んでいたが、検察に恩を売るために書かなかったんだ。遅れて気づいた産経が慌てて記事にしたところ、特ダネになってしまった(笑)」
産経の“スクーブ”で事件が明るみに出た後、岩村は辞表を提出したというが、コトは岩村一人を処分すればいいという類いの話では無さそうだ。こと「不祥事の隠蔽」においては所詮、警察も検察も同じ穴のムジナ、ということのようである。
ウワッー!
イヤッホー!
この事件報道に関する独自取材もしたし、それも面白いのだが、別途とする。「武蔵野市の不祥隠し」に加えて、このところ、烏の泣かぬ日はあっても警察の不祥事隠しが報道されない日はない。こういう台詞は、すでに武蔵野市内の演説で発表済みだったが、その2者と「グル」の関係の検察当局に関しては、今ひとつ目新しいネタが不足していたのである。これでバッチリ。搦め手から攻めるのが、戦国の習いである。
演説に使った器材は、先のメガホンではなくて、各段に性能の良いドラム缶の愛称の大型ラジカセであるが、その入手経過や、電車で運搬の苦労などは別途とする。
「別件で調査」か、検事のデスクで直接資料を渡し再調査を要求
「お尋ねしたいこと」の「用件」の項目には、手書きで「平成10年10月17日の件」とあった。2年以上も前の件である。
私が暴行を受けて告訴した事件であるが、簡単に言うと、この日、私が、自転車で市営の水泳プール(水槽と書くのも何だから仕方なしにカタカナ語使用)に向かっていた際、交差点で私の後部を走っていた大型トラックが、いきなり、最大の音量で警笛を鳴らした。私は、かなり前から、自転車が車道を走る権利を、断固、守り抜く決意を固めている。十分な車間距離があるのに自転車を脅かす阿呆に対しては、「馬鹿!」と大声で怒鳴り付けたり、場合によっては、その車の真ん前に出て、謝罪するまでは追い抜けないようにしてやる。まさに命懸けだが、これまで怪我したことはない。
ところが、この日の相手は、短気そのもので、私を追い抜いてから蛇行運転を繰り返し、自転車の走行を妨害した。仕方なしに歩道に上がったが、相手は前の方で停って、窓から顔を出して、待ち構えている。日課の水泳の開始時間は決まっているし、阿呆を相手にするのは時間の無駄である。すり抜けようとしたら、運転席の横の足場の上から飛び掛かってきた。横から飛び掛かられた私は、集合住宅の門の中に突き飛ばされた。
しかし、そこは日頃の鍛練の成果、咄嗟の無意識の動作である。右手はブレーキを引き絞り、左手は折からの小雨で差していた傘を真ん前に突き出した姿勢で、門の壁に衝突し、パッと左に飛び下りることができたから、軽い打撲症で済んだ。しかし、下手をすれば、頭からのけ反って、脳天を割っているかもしれない。自転車は無事だったが、傘の骨が折れた。一応、ナンバーを記憶し、武蔵野警察署に届け、告訴状を書かせ、署名した。
その告訴状が、2年も放置されていたので、その件を演説で何度も使った。「警察は市民の訴えなら放置する。尻をひっぱたかなければ働かない腐敗警察と、武蔵野市長は談合の上、云々……」などと、何度も大声で、しゃべり捲ってやった。だから、その眠っていた告訴状が送検されたのであろう。私は、その上に、「別件で参考人を調べる」例を知っているから、その意図ではないにしても、調べさせるように、利用する気になった。
その経過も、内藤検察官に詳しく話した。内藤は支部の検察官だから、当然、若い。私から見れば、子供の年頃である。空威張りはしなかった。「調べ中」の模様については、別途、記したい。途中で何度も電話が入って、内藤は「調べ中」などと返事をし、相手は何者か分からないが後で会う約束をしていた。それでも私の「調べ中」の時間は2時間を超え、5時の退庁時間を過ぎた。住民監査請求の際の資料を全部、最初に渡してあったが、最後に、バッチリ、本件こと、武蔵野市税金横領事件の問題点を要約説明し、鋭く再調査を迫ったのである。内藤は実に真面目に聞いていた。
私は、ついでに、司法試験合格者の人数制限など、目下の司法制度改革の問題点にも触れ、上記の記事の不祥事隠しをも含めた検察批判ばかりか、特権官僚制度全体などへの批判をも展開し、別れ際には、「あなたは、これからの人だから」、などと励ました。こんなことをやったのは、もしかすると、私が初めてかもしれない。
以上、長くなり過ぎたので、次回に続ける。
以上で(その20)終わり。(その21)に続く。
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