箝口令と隠蔽越工作は厳然たる事実
1999.12.17.mail再録。
武蔵野オンバー、木村愛二です。
この不祥事に関して、もう1つの新聞報道を紹介します。ただし私は、こういう場合の実名報道には反対なので、実名の部分はHと書き換えます。
『産経新聞』(1999.8.31)
武蔵野市横領事件
元納税課職員を逮捕
東京都武蔵野市の元職員が市民税などを着服していた事件で警視庁捜査2課と武蔵野署は30日、業務上横領の疑いで住所不定、元同市納税課主事、H容疑者(49)を逮捕した。
調べによると、H容疑者は平成7年8月下旬から昨年3月下旬にかけ、8回にわたって武蔵野市の納税者6人の自宅を訪ね、市民税や都民税と延滞金の名目で徴収した現金計約170万円を着服した疑い。
着服した現金は、消費者金融への返済やギャンブルに充てていたという。
今年5月中旬、市民から市側に「納税したのに差押え通知がきた」と抗議があったことから犯行が発覚、市が警視庁に告訴した。
H容疑者は5年4月から昨年4月まで納税課に在籍、今年4月に依願退職するあまで保険年金課にいたが、この間も、徴税に従事しており、警視庁はさらに余罪があるとみて裏付け捜査を急いでいる。
前回紹介した『日本経済新聞』(1999.7.2)の記事では「約2,000万円」だった金額が、何と、1桁以下の「約170万円」に減っています。あれよ、あれよ、の事態です。議会の市長答弁では、「平成7年8月下旬から一昨年3月」までの2人についてのみ告訴」となっていますから、記事自体が不正確なのですが、その不正確な記事が出た基本的原因は、市当局の「隠蔽工作」にあります。
「隠蔽工作」の第1点は、情報の秘匿です。市当局は、議会で何度質問されても、具体的な金額と領収(着服)の日時を明らかにしないのです。私は、市役所内を徘徊する独自捜査、この連続記事執筆、インターネット発信と同時に、議会の傍聴席からも野党の追及に声援を送り、議員個々人にも、インターネット発信の事実を連呼しながら直接要請し、超党派で真相究明に努力するよう求めました。それが効果を発揮したか否かは歴史が明らかにするところですが、少なくとも昨日、1999.12.16.市議会の最終本会議に、下記の決議が「21民主」と「むさしの市民の党」の共同提案により上程され、下記の採決結果となりました。
税金横領事件の真相究明に関する決議
7月に議会に報告された元市職員による税金横領事件については、7月の臨時議会で「職員の綱紀粛正に関する決議」が可決され、現金事故防止対策がまとめられたものの、いまだ事件の全容解明には至っていない。
とりわけ、市長が横領の被害者への督促状・催告書。差し押さえ通知の送付年月日や差し押さえ状況についての答弁を一貫して避けようとしていることは、市民並びに議会の疑問と批判の解消にはほど遠いものと、言わざるを得ない。
よって武蔵野市議会は、税金横領事件の真相究明を求める声にこたえ、市政に対する信頼を回復するためにも、市長に対し、不祥事件に関するあらゆる事実について速やかに情報公開を行うことを求める。
以上、決議する。
平成11年12月16日武蔵野市議会
採決結果:
賛成:「21民主」(7)「むさしの市民の党」(3)「日本共産党」(3)合計13票
反対:「自由民主クラブ」(7)「市民クラブ」(4)「公明党」(3)「社会民主党」(2)合計16票(議長は自由民主クラブで採決に加わらず)
つまり、否決。
しかし、決議案の上程は無駄ではなかったと評価します。起案者の「むさしの市民の党」に対しては、いわば天敵の「日本共産党」さえ、しかも、私の取材に対してさえ、ぶつぶつ言いながらも、「賛成」に回りました。
反対に回った「社会民主党」についても、本日、旧知の「たき美代子」の媛に直接電話取材したところ、「真相究明に反対したのではない。むさしの市民の党が作成した案では、その独自の主張の『隠していたのではないか』の論拠としての『年月日』のみにこだわり、『被害金額』を明記していないことなどの不備があるので、反対討論でその主旨を述べた。その後、反対に回った各派と一緒に市長に会い、早期に真相を明らかにするよう求めた」とのことでした。
つまり、「社会民主党」は、その言葉通りに解釈すると、「被害金額の明確化」に関しては、より積極的ということになります。明白な市長派の「自由民主クラブ」と「市民クラブ」、怪しげなコウモリ「公明党」も、一応、格好だけは一緒に市長に会って、「早期に真相を明らかにするよう求めた」というのですから、少し面白くなってきました。
さて、「隠蔽工作」の第2点ですが、これは構造を理解しやすくするための初歩的な指摘です。市長の説明によると、5月17日に差し押さえ通知を受けた市民から連絡があって犯行が発覚したというのですが、野党議員は、7月1日の議会で行政報告が行われるまで、何も知らされていませんでした。つまり、約1か月半の期間、箝口令が敷かれ、隠蔽越工作が行われたことは、厳然たる事実なのです。当たり前のことですが、ごく小人数にしか明らかにされず、それが漏れなかったという構造は、その期間を前に延ばしても、同じなのです。つまり、それ以前の何か月かの期間についても、箝口令に基づく隠蔽工作は可能だったのです。
次回(その4)の発信は、きたる12月20日、午前11時20分からの東京地裁八王子支部における刑事公判の傍聴以後になります。乞う、ご期待!
以上で(その3)終わり。(その4)に続く。
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