インターネット雑誌 “I.eye.愛” (aiaiai!)

『憎まれ愚痴』2月号

2000.2.4(金)発行:50号

目次


特別寄稿・西岡昌紀

「ホロコースト」の内容は二転三転している

 アンネ・フランクが死んだこの収容所(ベルゲン=ベルゼン収容所)に関する限り、「ホロコ-スト」に関する「定説」側の歴史家も、そこに「ガス室」が無かった事は認めていると言う事なのです。
 ところが、戦後間も無い頃、或る歴史家は、その同じベルゲン=ベルゼン収容所について、こんな「歴史」を書いていたのです。
 ---ベルゼンでは、クレーマー[西岡注:同収容所司令官]が、子供たちが母親から引き離され、生きたまま焼かれるのを眺める間、オ-ケストラにウィ-ン風の音楽を彼の為に弾かせ続けた。ガス室で、毎日、何千人もの人々が殺されていたのである。⇒全文を読む


緊急連載:『週刊ポスト』Bashing反撃
『偽イスラエル政治神話』Web無料公開

第1章:神学的な諸神話
(7) 第1節:約束の神話/約束の土地か、征服した土地か?

 イツァク・ラビンを暗殺したイガール・アミールは、不良少年でも狂人でもなくて、シオニストの教育の純粋な産物である。法師の息子で、テル・アヴィヴ近郊のバル・イランにある宗教大学の優秀な学生だった。タルムード学派の教えに導かれ、ゴラン高原の精鋭部隊の兵士となり、書棚には、数か月前にヘブロンの族長の墓で二七人のアラブ人を殺したバルーフ・ゴールドスタインの伝記を並べていた。彼はおそらく、イスラエルの国営テレヴィが組んだ大規模な特集報道で、“エイヤル”(イスラエルの戦士)グループが、政治的シオニズムの祖、テオドール・ヘルツルの墓の上で、〈アラブ人に"約束の土地"ユダヤとサマリア(現在パレスチナ)を譲るものはだれであろうとも処刑せよ〉と宣誓する有様を見たであろう。⇒全文を読む

(8) 第2節:選ばれた民の神話

 この種の、旧制度の下における屈従からの神による人間の解放という経験は、まったく異なる民族にも見られる。長期の流浪の例としては、“メキシコ”の部族、アズテクの場合、一三世紀に、一世紀ほどの苦難を経て、神の導きで渓谷に到着した。神は、それまでまったく道筋のなかった所に道を開いた。アフリカのカイダラの場合にも、同じような発端の解放の旅の物語がある。遊牧もしくは流浪の部族の定住は、すべての民族、特に中東において、神による約束の土地の贈物に結び付けられている。⇒全文を読む

(9) 第3節:ヨシュアの神話・民族浄化

 土地を取り上げる方法に関しての決定版は、ラビンが占領地の将軍だった時に発した命令、《インティファーダの石を投げる者の骨を砕け!》、である。
 これらはイスラエルの『タルムード』教育の反作用なのだろうか? サブラとシャティラの虐殺[レバノン侵略で起きた事件]の直接の責任者の一人を権力の座に押し上げるに当たって、ラファエル・エイタン将軍は、《現存のユダヤ人植民地のさらなる強化》を要求したのである。
 同じ確信に励まされて、アメリカから来た植民者でキリヤット・アルバ(ヨルダンの西側)に住む医師、バルーフ・ゴールドスタインは、族長の墓所で祈りを捧げていたパレスチナ人を自動小銃で掃射し、二七名を殺し、五〇名を傷つけた。バルーフ・ゴールドスタインは、アリエル・シャロンを名付け親とする統一主義者の集団の一員だった。シャロンは、彼の庇護下にサブラとシャティラの虐殺が犯されたにもかかわらず、その犯罪への報奨として昇進を受け、占領地内の“入植地”を発展させる任務を持つ住宅建設大臣となった。⇒全文を読む

第2章:20世紀の諸神話
(10) 第1節:シオニストによる反ナチズム運動の神話1.

 一九三九年九月五日、イギリスとフランスのドイツに対する宣戦布告の二日後、ユダヤ機関の議長、ハイム・ヴァイツマン氏は、イギリス女王陛下の首相、チェンバレン氏に対して、《われわれユダヤ人は、大英帝国の側に立ち、民主主義のために戦う》と伝える手紙を手交した。具体的には、《ユダヤ人の代表たちは、直ちに、あらゆる人員、技術、物資、能力を提供する協定に署名する用意がある》と記すこの手紙は、一九三九年九月八日号の『ジューイッシュ・クロニクル』に再録され、ユダヤ人社会のドイツに対する公式の宣戦布告の役割を果たした。この結果、すべてのドイツのユダヤ人が、《ドイツと交戦状態にある民族の管轄に属するもの》として、集中収容所に収容される問題を生じたが、それはアメリカ人が自国籍の日系人を、日本と交戦状態に入ったからという理由で収容したのと同様の処置であった。⇒全文を読む

(11) 同上2.取り引き相手のナチを救ったシオニスト

 《もしもカストナーが裁判に掛けられたなら、その審議の場で暴露される事実によって、統治機構全体が国民の目の前で崩壊する危機を招くだろう》
 暴露されると危険を招く事実とは、カストナーの行動が彼の独断によるものではなくて、まさしくその審議が行われていた時期に閣僚の椅子を占めていた別のシオニストの指導者との、同意の下に行われたという経過であった。カストナーの発言と醜聞の破裂を避ける唯一の場面転換は、カストナーが姿を消すことだった。彼は実際に都合良く、裁判所の階段の上で暗殺されて死に、その後、政府が最高裁に、彼の名誉回復の請求を行った。この請求は認められた。⇒全文を読む

(12) 同上3.公式の歴史家による歴史のごまかし

 バウアーの本の狙いは、基本的な真実を覆い隠すことにある。基本的な真実とは、すなわち、ヒトラーの支配の下でのシオニストの指導者たちの中心的な最優先課題が、ナチの地獄からユダヤ人を救い出すことにではなくて、テオドール・ヘルツルが創始した政治的シオニズムの計画にもとづく強力な“ユダヤ人国家”の建設にしかなかったということなのである。この計画は、以上の意図に基づく以上、あらゆる談合において、資本、もしくは“役に立つ人材”、すなわち、技術的または軍事的能力を伴う人材の移民の「選抜」を追及し、最も困窮した部類の老人、資力のない移住者、収容所での虐待で病気になった者や、お荷物になるだけで要塞建設の助けにならない人々は相手にしなかったのである。
 バウアーの本の主要な論点の第二は、ヒトラーの戦争について、《これはユダヤ人に対する戦争である》(同書)と信じこませることにある。ヒトラーの真の目的は、なによりもまず共産主義との戦争にあり、そのために東部戦線に彼の強力な軍隊の精鋭を振り向け、その一方でアメリカと同じくイギリスとの間に“分離平和”を実現し、最後には両面作戦なしにヨーロッパ全体への支配権の確保を狙っていたのだが、その事実は、つぎのような文脈で否定されてしまう。⇒全文を読む

(13) 第2節:ニュルンベルグの正義の神話1.

 《この裁判所は同盟国による戦争行為の継続を象徴する》
 以上に挙げた内、一つとしてニュルンベルグで告発されたものはないし、その有様は、それを隠していた各国の元首たちについての状態と良い勝負だった。
 同じく、二〇万人の民間人が犠牲となったドレスデンの爆撃は、ソ連軍がすでに目標を超過達成していた状況下に行われ、何らの軍事的理由もなかったにもかかわらず、イギリスとアメリカの責任者は誰も告発されなかった。
 同じく、三〇万人の民間人が犠牲となった広島と長崎への黙示録的な原爆投下は、天皇がすでに降伏を決定していた状況下に行われた。この場合にも、やはり、何らの軍事的必要性もなかったにもかかわらず、その罪を犯したトルーマンは告発されなかった。
 同じく、ベリアもスターリンも、たとえば彼らは、何千人ものポーランド将校をカチンの森で虐殺しながら、その罪をドイツ人になすりつけていたのだが、やはり、まったく告発されなかった。 ⇒全文を読む

(14) 同上2.法律の皮を被った化け物/恣意的な訴訟手続き

 [六百万人という数字の証言者はイギリスのスパイ]
 この数字は、ニュルンベルグ裁判所によって公式化され、それ以後、あるいは活字、あるいは音声による報道、文学、映画、学校で使われる教科書に至るまでの経路を通じて広められ、世論操作に役立ち続けてきた。
 ところが、この数字を支える証言は、たったの二つしかなかった。一つはホェトル証言であり、もう一つはヴィスリツェニー証言である。⇒全文を読む

(15) 同上3.a.書証

 [イスラエル中央文書館も「絶滅命令書はない」]
一九六八年に、オルガ・ヴォルムセル=ミゴット夫人は、つぎのように記している。
 《アウシュヴィッツのガスによる絶滅の明瞭な命令が存在しないのと同様に、一九四四年の中止命令も存在しない》。彼女はさらに正確を期す。《ニュルンベルグ裁判でも、その継続の裁判でも、クラクフでのホェス裁判でも、イスラエルでのアイヒマン裁判でも、収容所司令官裁判でも、一九六六年一一月から一九七五年八月までに行われたフランクフルト(第二次アウシュヴィッツ)裁判でも、一九四四年一一月二二日付けでガスによるユダヤ人絶滅終了を命ずるヒムラーの署名入りの有名な命令書、すなわち“最終的解決”の中止に関する命令書は、提出されなかった》(『ナチ収容所囚人システム』68)⇒全文を読む

(16) 同上4.ヴァンゼー会議の書証(1942.1.20)

 ヒトラーは、スターリングラード以後、戦争の最後の二年間、窮地に追い込まれていた。同盟軍の爆撃によって、彼の軍需産業の拠点は破壊され、輸送網は寸断されていた。
 彼は、工場を空にしても新兵を動員せねばならず、戦争遂行への致命的な強迫観念に駆られながら、捕虜やユダヤ人を絶滅するどころか、逆に、彼らを工場の作業台に並ばせ、非人道的な条件の下で働かせなければならなかった。[絶滅論者の]ポリアコフでさえも、彼の著書『憎悪の日読祈祷書』の中で、この気違いじみた矛盾を強調している。
 《彼らをたとえば、一時的な居留地に囲い込んで重労働に従事させる方が、より経済的である》⇒全文を読む

(17) 同上5.b.証言

 [死体・検死報告・凶器なし。証言の検証も不可能]
《私は、戦後の一七か月、アメリカの軍事裁判判事としてダッハウで暮らしたが、ダッハウにはガス室がなかったと証言できる。訪問者たちには火葬場の焼却炉を見せてガス室だと説明しているが、そのやり方は誤りである。ドイツのどの集中収容所にも同様に、ガス室はなかった。アウシュヴィッツにはガス室があるという話は聞いたが、アウシュヴィッツはロシアの占領地域に入っていて、ロシアはわれわれの訪問を許さなかった。……そういう状況の下で、何百万人ものユダヤ人が殺されたというプロパガンダの古い神話が使われたのだ。私は、戦争が終わってから六年後のドイツとオーストリアで暮らした経験に誓って、多数のユダヤ人が死んだことは確かだが、その数は決して百万という数字には達していないと証言できるし、この問題に関しては他の誰よりも私自身に語る資格があると信じている》(カトリックの週刊紙『アワー・サンデー・ヴィジター』〈59・6・14〉に掲載されたピンターの手紙)⇒全文を読む

(18) 同上6.ユダヤ人絶滅の口頭命令告白を撤回した将軍

 ヒトラーの犯罪に関する批判的歴史研究に対しての、この沈黙、この迫害、この言論抑圧は、まったくの名誉毀損の嘘で固めた口実の上に安住している。ヒトラーの数限りない犯罪を、ユダヤ人に対してだけでなく、彼に敗北を喫させたドイツやスラヴ諸民族の共産主義者などの、すべての彼の敵に対しても同様に行われたものとして説明することは、いささかも彼の残虐行為の暴露をごまかそうという意図によるものではない。それなのに、彼らは、“見直し論”と名乗る批判的な歴史研究に対して、“ヒトラーの犯罪の無実または軽減の主張”だという反対理由を、組み立てているのである!
 ナチの犯罪の説明は、ユダヤ人だけに対する大規模なポグロムに矮小化してはならないのであって、ファッシズムに反対する戦いにおける何千万もの死者の問題でなければならない。ファッシズムとは、すなわち、差別と人種的憎悪を煽る“人種主義”なのである!⇒全文を読む


長編連載記事「ガス室の嘘」ポーランド「本丸」陥落か?

●連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態 (その25) 紙背貫徹で読むポ ランド本丸陥落寸前状況

 ポーランド人は長い間、あの極右「偽」イスラエルを支配する政治的シオニストが、アウシュヴィッツ収容所跡を、あたかもかつての日本の靖国神社のように利用し、修学旅行の「偽」イスラエルの子供たちに愛国心を叩き込むべく、イスラエル国家を斉唱させながら、行進して入場させる風景を、永年、苦々しくは思いつつも、東西冷戦のはざまの小国ゆえの悲しさ、ただただ耐え抜いてきたのでした。
 しかしついにここでも決起が始まったのです。ポーランド人から見れば、戦勝大国による猿芝居、ニュルンベルグ裁判の「判決」と称する「大嘘」が覆えるのは、実は、これで二度目になるのです。一度目は「カチンの森のポーランド人将校大虐殺」でした。ニュルンベルグ裁判では、この大虐殺がナチスドイツの仕業として判定されていました。しかし、その判決の直後から、あれはソ連の仕業だという主張が、何と、ニュルンベルグ裁判の主導権を握っていたアメリカで、議会の調査委員会の名で発表されていました。いわゆる「冷戦」状況下でのことでした。 ⇒全文を読む

●連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態 (その26) 承前:5年前のポーランド訪問の際の「予感」

 「真実を語る口は沢山ある。残留がすくない理由は、シラミの消毒の場合とちがって、人を殺す場合は短時間だったからとも考えられる」
 わたしは、この答えにたいして内心あきれながらも、仕方なしにほほえんで、やはり照れ笑いのような表情をうかべるピペルの顔をしばし見つめた。この答えは、決してピペル一人がとっさに思いついた逃げ口上ではないと感じた。博物館だけの判断でもない。東西冷戦の壁がくずれたとはいえ、否も応もなく地理的にドイツとロシアにはさまれ、アメリカやイスラエルの思惑を気にせずにはいられないポーランドの、まさに歴史的宿命としかいいようのない悲哀が、ピペルの照れ笑いの背後に透けて見えるような気がした。⇒全文を読む

●連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態 (その27) ニュルンベルグの誤審「カチンの森」虐殺事件

 同盟国の調査委員の報告に証拠価値を認めるニュルンベルグ裁判所規則[21条]の効能で、カチンの森で一万一千名のポーランド将校が虐殺された事件に関しても、それをドイツの犯行だと告発するソ連の報告が、一九四五年八月八日、勝利者たちによって異論の余地のない“真正な証拠”として採用された(ニュルンベルグ裁判記録)。
 ソ連の検事総長、ルデンコ将軍が、《異議の提出はないと信ずる》(同前)と公言できたのも、ニュルンベルグ裁判所規則21条あればこそである。
 ところが一九九〇年四月一三日、世界中の新聞が、カチンの犯罪はベリアの命令の下にソ連当局によって行われたものと報じた。⇒全文を読む


新連載:なぜホロコースト見直し論か?

(その1)投稿を妨害する憲法違反のインターネット・ストーカー

 私は、「ガス室の嘘」を追及することが、今の今、パレスチナの解放勢力を含むアラブ諸国との和平協議で、超々スーパーパワーのアメリカの軍事力を背景に、違法不当な占領を継続しながら、あくまでも居座りを続けようとするイスラエルこと「偽イスラエル」の指導者、政治的シオニストの謀略を打ち破る最良の平和的手段であると考えています。起こり得る誤解の数々を恐れずに、断固、論戦を展開してきました。その段階の1つとして、『週刊金曜日』による私に対するバッシング連載記事を、誹謗中傷として提訴した事件がありますが、以下、その判決に対する私の見解の一部を、若干増補して再録し、その後に、一言します。⇒全文を読む


ユーゴ侵略戦争特集『週刊プレイボーイ』連載記事

(総括編1.)クリントンが作り上げた"空爆"の実態

(総括編2.最終回)「空爆」は世界に何をもたらしたか?

 今回で『週刊プレイボーイ』のユーゴ戦争連載は終了となるが、この間、Web雑誌『憎まれ愚痴』で百本ほどのユーゴ戦争特集を執筆し続けた私でさえも、主に日本の若者を読者対象とするこの「ヘアも掲載」の週刊誌が、総計で15回もの連載の力作を続け得るとは予想していなかった。
 この最終回では、ロシアの年末年始にかけての政変、エリツィンの辞任、チェチェン攻撃で支持率を高めつつあるプーチン首相の大統領への道、などの事態急変の裏の裏を解明してくれるかのような、実に興味深い情報と分析が示されている。多くの読者が驚くのは、このところアメリカが「テロリスト」として指名手配の筆頭に挙げ続けているオサマ・ビン・ラディンが、実は陰でアメリカ秘密情報筋と繋がっているとの観測であろう。
 ともかく、ユーゴ戦争は、ベルリンの壁崩潰、湾岸戦争などの継続として見る時、初めて、その歴史的意味が理解できるのである。
『週刊プレイボーイ』(1999.11.21/28) 《迷走のアメリカ》総括編・最終回 「空爆」は世界になにをもたらしたのか? イラクもユーゴも結局、なにひとつ問題は解決していないのではないか…。 クリントン政権の〈戦略なき世界支配〉を総括する!
ミロシェビッチ暗殺チームの真の雇い主 ロシアで台頭する反アメリカ勢力 カスピ海周辺の天然資源をめぐる戦い
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長編連載記事

●連載:仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記 (その27) 土地開発公社監査請求に的外れ却下決定

 武蔵野市の土地開発公社を通ずる土地購入の監査請求は、却下決定となりました。予想通りの「争点はぐらかし」却下で、土地開発公社は「特別法人であり、普通地方公共団体とは異なる」とする点は、最高裁こと実質は「最低」裁の違法判例に添うものですが、実に面白いのは、「監査請求日以前の一年間に市がその土地を公社から取得した」ことのみを審査したことなのです。
 監査決定通知の方の文章のような「監査請求日以前の一年間」つまり、1997年から1998年の土地取得については、何らの監査請求もしていないのです。
 この監査結果についての詳しい論評は後日として、とりあえず広く参考に供します。⇒全文を読む


緊急集中連載:武蔵野版『不祥事隠し』独自捜査シリーズ

(その4) 市民「ネタ貧」で平気な「ボキャ貧」反市長派?

 市民は傍聴できますが、本来ならば市民こぞって真相解明を求める運動を展開すべき事態なのに、下記『むさしの市民の党ニュース』のように「昨年の選挙結果がわずか2000票差の接戦」で現職市長、土屋正忠義の彦3選を脅かした桜井国俊の彦は4月から沖縄大学教授に転出、地元に骨を埋める覚悟無しを露呈。推薦母体「よくする会」は解散、「流れを変える会」に衣替え、やや小カリスマ的事務局長の弁護士・高木一彦の彦は4年前の第1回桜井国俊の彦落選後と同様に事務局長の座を放棄し、目下、事務局長回り持ちの事実上開店休業状態。⇒全文を読む