『偽イスラエル政治神話』(13)

第2章:二〇世紀の諸神話

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第2節:ニュルンベルグの正義の神話 1

訳注1:ロバート・H・ジャクソンの当時の前歴は、元司法長官・最高裁判事であった。

 一九四五年八月八日、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアの指導者たちがロンドンに集まり、《ヨーロッパ枢軸諸国の戦争犯罪人の訴追と処罰に関する協定》に署名し、その処理を適切に行うべく《国際軍事裁判所》(協定付属条例I条a項)を創設した。

 犯罪については、表題IIの6条で定められている。

1……“平和に対する罪”は、戦争を引き起こした責任がある者に関するものである。

2……“戦争犯罪”は、戦争に関する法と慣習の侵害に対するものである。

3……“人道に対する罪”は、基本的に民間人に対するものである。

[勝者のみによって構成された軍事裁判所]

 このような形式の裁判権の構成については、すでに様々な意見が出されている。

1……勝者のみによって構成されており、その結果として敗者が犯した犯罪のみを取り扱うことになるから、国際裁判所ではない[原注1]。

 ………一九四六年七月二六日に法廷を主宰したアメリカを代表する首席検察官、ロバート・H・ジャクソン[元司法長官・連邦最高裁判事]の発言には、以上の意見を認めるかのような、正確な理由が、つぎのように含まれていた。

《同盟国はいまだに手続き上はドイツと戦争状態にある。 ……ここは軍事裁判所であり、この裁判所は、同盟国による戦争行為の継続を象徴している》

原注1:この裁判所の裁判官席が、中立、または植民地化された国々の代表、すなわち、五〇〇年間にわたって、ヒトラーが加えたよりも過酷な白人の支配を耐え忍んでいたアジアまたはアメリカのインデアン、アフリカの黒人、アジア人によって占められたと想像してみてほしい。

2……それゆえに、国際軍事裁判所は例外的な裁判所として戦争行為の最後の段階を構成しており、その原理からして、勝利者の側のすべての責任、およびそれに従って、勝利者の側の戦争を引き起こした責任をも、法廷から締め出してしまった。

 法廷からは事前に、誰が最初の原因を作ったかという問題が締め出された。ニュルンベルグ裁判では、ヴェルサイユ条約と、この条約の結果のすべて、特に、破産と、なかんずく失業の増大に、ヒトラーのような人物がドイツ国民の多数派の支持を得て権力の座に昇るのを許した原因があったのではないかという疑問については、それを解明しようという意見は出なかった[原注1]。この条約は、たとえば一九一八年の敗戦国ドイツに、当時すでに“正義”を名乗る最も強力な法の下、賠償金の名目で一三二〇億マルクの金(一六五〇億フランの金に相当)の支払い義務を課したのだが、この時期のドイツの国家総資産の見積もりは、金に換算して二三六〇億マルクだった。

原注1:一九一九年、著名な経済学者、ジョージ・メイナード・ケインズ卿は、《このような条約の結果として、二〇年以内に新たな戦争が始まるだろう》と語っていた。

 ドイツ経済は崩壊し、ドイツ人は、破産、貨幣価値の破壊によって、絶望の淵に沈んだ。とりわけ失業の増大が、ヒトラーに、その悲惨と屈辱をもたらしたヴェルサイユ条約の撤廃という重要な公約を掲げる最も明快な根拠を与え、彼が権力の座に昇るのを許したのである。

 このことを分かりやすく示すのは、二つの異なる期間における失業と“国家社会主義党”の成功の上昇振りの並行的比較である。

  I.1924年~1930年

日付 得票数 議席数 失業者数
924.5.4 1,918,000 6.6 32 320,711
924.12.7 908,000 3 14 282,645
928.5.20 810,000 2 12 269,443

  II.1930年~1933年

日付 得票数 議席数 失業者数
930.4.14 6,407,000 18.3 107 1,061,570
932.7.31 13,779,000 37.3 230 5,392,245
932.11.6 11,737,000 33.1 196 5,355,428
933.3.5 17,265,800 43.7 288 5,598,855

 つぎの問題点は、その後、ドイツの国会において絶対的多数を占めたヒトラーとその政治的同盟者たちが、再軍備政策の資金を、ドル、ポンド、フランの持ち主たちから得ていたことである。ヒトラーの政党の“宣伝の中心的資金”の供給源がドイツの銀行、シュライダーだったことに止まらず、再軍備資金のほとんどはアメリカ、イギリス、フランスの財閥からの融資であった。

 確実な例を挙げると、アメリカの化学産業、デュポン・ドゥ・ヌムールの借款団とイギリスの財閥、帝国化学産業は、ドイツのIGファルベンに補助金を出し、共同で世界市場に火薬を供給していた。ニューヨークのディロン銀行は、ドイツの鉄鋼財閥、連合鋼鉄製作所に補助金を出していた。その他のドイツ企業も、モルガン[財閥]やロックフェラー[財閥]などから補助金を得ていた。

 このように、ポンドもドルも、ヒトラー政権を支える陰謀に参加していたのである。

 フランスでも、一九三四年以来のドイツ向けの鉄鉱石輸出量に関するポール・ラフォン上院議員の質問に応えて、大蔵大臣が、つぎのように答弁していた。

《一九三四、一九三五、一九三六、一九三七年のドイツ向けに輸出された鉄鉱石(税関統計)の量は、左記の表に記載された通りである。》

年度 量(50キログラム単位)
1934 17,060,916
1935 58,616,111
1936 77,931,756
1937 71,329,234

(『フランス共和国公報』38・5・26)

 しかし、デュポン・ドゥ・ヌムール、ディロン、モルガン、ロックフェラー、フランソワ・ドゥ・ヴァンデルなどの財閥の重役たちは、“平和に対する陰謀”という題名が付いた起訴状の項目に関して、まったく何の質問も受けなかった。

 特記事項……アメリカは戦争中に約一三五、〇〇〇トンの毒ガスを製造した。ドイツは七〇、〇〇〇トン、大英帝国は四〇、〇〇〇トン、日本は七、五〇〇トンであった。

[憎しみに満ちた毒舌の応酬は双方ともに良い勝負]

 ヒトラーと主要なナチの指導者たちが、共産主義とユダヤ人に対して呪いの言葉を発した件は、何度も引用された。

 特に引用されるのは、ヒトラーが過去を振り返る『我が闘争』の2巻である。ヒトラーは、“正当防衛の権利”と題する15章で、第一次世界大戦でイギリスが最初に行った毒ガス戦にふれて、つぎのように語っている。

《戦争の最初または途中で、我がドイツのあらゆる階層とあらゆる職業からなる何万人もの最良の働き手たちが最前線で酷い目に会ったが、もしも、それと同様に、一万二千か一万五千人のヘブライの破壊分子どもに一度でも毒ガスを吸わすことができたのであれば、百万の人々の犠牲も無駄ではなかった。反対に、これらの一万二千かそこらのゴロツキどもを、適当な時に厄介払いしていたならば、未来ある百万人の善良で勇敢なドイツ人の命を救うことができたかもしれない》

 ヒトラーは、一九三九年一年三〇日の国会演説でも、つぎのように語っていた。

《もしも、ヨーロッパ内外のユダヤ人の国際金融財閥が、またもや諸民族を世界戦争に投げ込むならば、その結果は、世界中のボルシェヴィキ化や、それにともなうユダヤ主義の勝利ではなくて、ヨーロッパのユダヤ人の根絶(Vernichtung)となる。……なぜなら、ユダヤ人以外の諸民族が無防備なまま、彼らのプロパガンダに身を委ねる時代は終わったからだ。ドイツの国家社会主義者とイタリアのファッシストは、今や、これまで数多くの民族が本能的な疑問を覚えながらも、自分たち自身に科学的に説明し切れなかった世界中のできごとと、それをめぐる様々な要因の相互関係について、いつでも必要な時に、事態解明を可能にする研究機関を持つに至った。

 ユダヤ人はまだ、いくつかの国家で、これまでと同様に彼らが独占権を握る新聞、映画、ラディオ・プロバガンダ、劇場、文学、その他の手段に守られながら、人々を悩ます作戦を継続できるだろう。しかし、ユダヤ人が、またもや何百万もの人々を彼らにとって全面的に不条理な紛争に投げ込むことに成功するとしても、またそれがユダヤ人の利益になろうとも、ひとり我がドイツにおいては、数年の内にユダヤ主義の完全な打倒(restlos erlegen)を可能にした事態解明作業の有効性を発表するに至るであろう》(ニュルンベルグ裁判記録)

 一九四一年一月三〇日、ヒトラーはヨーロッパのすべてのユダヤ人に向けて、彼らの《全面戦争に関する役割は終わる》と語った。翌一九四二年一月三〇日の演説では、戦争が《ヨーロッパのユダヤ主義の絶滅》をもたらすと宣言した。

 ニュルンベルグ国際軍事裁判所が発行したヒトラーの政策の書証には、同じような内容のものが溢れている。たとえば、つぎのようなものである。

《しかし、彼ら、世界の資金と金融システムを握る国際的陰謀家どもが、またもやヨーロッパの諸民族を切り取り勝手に取り扱うならば、この殺人的な紛争の真の責任者たる彼ら、ユダヤ人(Das Judentum!)こそが勘定を払うべきであり、私は、その考え方に、いささかの疑問を差し挟むことも許さなかった!

 私は、誰に対しても、その行為によって、ヨーロッパのアリアン民族の何百万人もの子供が飢えて死に、何百万人もの大人が危険にさらされ、何千人もの妻と子供が自分の住む町で爆弾を浴びて焼かれ、押し潰されるならば、その行為の責任者を待つ運命に関して、いささかのあいまいさも許さなかった。もしも、それがより人情味のある方法でなされるべきだとしても、犯罪者は、その罪を償わなくてはならない》

 ヒトラーは“影響”の破壊を語り、ヒムラーはより直接的に人間の破壊を語る。たとえば、ヒムラーが一九四三年一一月一六日にヴァイマールで海軍の司令官たちを相手に行った演説の中に、つぎのような部分がある。

《何時であろうと、どこにいようと、私は町の中で、パルチザンとユダヤ人の政治委員に向かっての進軍を命じ、その後、順序通りに、パルチザンと政治委員の妻と子供を差別なく殺す命令を下さなければならない》

 遅くとも一九四四年五月五日に、彼は、ゾントフェンで将軍たちを相手にして、つぎのように付け加えている。

《このようなアジア[ロシアなどへの軽蔑の意味]との紛争では、ヨーロッパの過去の戦争におけるような勝負の規則や戦い方の作法は、いかにそれに親しみを覚え、それがわれわれの気持ちに合っていようとも、忘れる習慣を身に付けなければならない》

 この野蛮さは、不幸なことに、一方の陣営だけに限られたものではなかった。

 一九四〇年九月四日、ヒトラーは、「スポルトパラス」ト(Sportpalast)[運動宮殿。壮大なオリンピック・スタジアムの固有名詞化]で宣言した。

《もしもイギリスの爆撃機が三千または四千キログラムの爆弾を落としたらならば、われわれは、その仕返しに、一万五千、二万、三万、四万キログラム、いや、それ以上を、たった一晩で落としてやる。》

 これは、「ルフトヴァッフェ」(Luftwaffe)[空軍。ドイツのという意味のドイツ語の使用]による戦略爆撃の可能性についての極端な誇張でしかないが、両陣営の民族の間の憎しみが、どれほどの度合で上昇するものかを示している。

 これに応じて一九四二年に、週刊誌『ニューヨーカー』の編集長で、“著述家戦争委員会”の筆頭格、半官の文壇代表の立場にあったクリフトン・ファディマンが、著述家たちに、《ナチの指導者に対してだけではなく、ドイツ人全体に対する激しい怒りをかき立てる》ように頼んだ。

 この提案は論争を呼んだが、ファディマンは固執した。

《ドイツ人に分からせるための唯一の方法は殺すことだ。それでもなお彼らは分からないのではないかと思う》

 一九四二年四月に、デ・サレスの本、『明日を作る』を褒めながら、ファディマンは、自分の人種主義的概念を発展させて、つぎのように記した。

《現在のナチの侵略は無頼漢の集団の仕業というよりも、むしろ、ドイツ人に深く埋めこまれている本能の根本的な表現である。ヒトラーは、彼自身よりもはるかに強大な力の化身である。彼が説教する邪教は二千年の歴史を持っている。その邪教とは何か? アルミニウス[前1世紀にローマの支配に反乱を起こして3軍団2万人を全滅させたゲルマンの族長]とともに始まる西欧文明への反乱以外の何物でもない。……この戦争の次元は、このように考えると非常に明瞭になる。……》

 彼は、つぎのようなヘミングウェイの提案にも賛同した。

《唯一の根本的な解決(the only ultimate settlement)は外科的な意味で、ナチを不毛化することである》

 彼は、ナチと他のドイツ人を区別したドロシイ・トムソンを笑い者にした。

 彼の意見は世間とかけ離れたものではなかった。ヒトラーの「スポルトパラスト」での演説のあとで、ロンドンの『デイリー・ヘラルド』紙に載った記事では、牧師のC・W・ウィップが、つぎのように宣言している。

《合い言葉は“彼らを一掃せよ”でなければならない。そのために、われわれの科学の粋を尽くして新型の、さらに恐るべき爆弾を発明すべきである。……福音を説く牧師は、そういう感情に従わないだろうが、私は率直に言う。もしも可能ならドイツを地図から抹殺したい。ドイツ人は悪魔の人種であり、ヨーロッパの永遠の災いの基である》

 幸いなことにイギリスでは、こういう常軌を逸した行き過ぎに対して、抗議の声があがった。イギリス人がドイツ人と比べて文化の高さで必ずしも優るわけではないが、それでもなお、血に飢えた指導者や憎しみと死の狩人によって、混乱させられることはなかった。

 一九三四年一月、シオニスト指導者のヴラジミール・ジャボチンスキーは、ユダヤ人の新聞『ナーシャ・レッシ』[われわれの権利]紙上で、つぎのように宣言していた。

《われわれユダヤ人の利益を守るためには、ドイツを永久的に滅ぼす必要がある。全体としてのドイツ人が、われわれにとっての危険を代表しているからだ》

 チャーチルはまた彼なりに、一九四〇年五月一六日、ポール・レイノードに向かって、つぎのような本音を明かしていた。

《われわれはドイツを飢えさせる。われわれは彼らの町を破壊する。われわれは彼らの作物と森を焼き払う》(ポール・レイノード『九か月の政府勤め』)

 一九四二年には、イギリスの大臣で紛れもない憎しみの伝道者、ヴァンシタート卿が、イギリス空軍の爆撃の恐ろしさを正当化するために、こう語った。

《唯一の善いドイツ人は死んだドイツ人だ。だから、われわれは彼らに爆弾を降り注ぐのだ》

 一九四四年一月、ウィンストン・チャーチルは、参謀総長のヘイスティングス・イメイ将軍に四頁のメモを渡したが、そこには、つぎのような計画の提案が記されていた。

《私は、あなたが極めて真剣に、この窒息性ガスの問題を熟考することを願う。……

 馬鹿気た話だが、前の戦争では皆がこれ(窒息性ガス)を使い、道徳家や教会からの何の抗議もなかったというのに、今では皆が、この問題の議論に道徳性を持ち出す。その一方、当時は無防備都市への爆撃はタブーと見なされていたのに、今では誰もが当然のことのようにやっている。女のスカートの長さと同じで、単なる流行の問題でしかないのだ。……

 私は、窒息性ガスを使用するために、どれだけの費用が必要かを冷静に研究してほしいのだ。……われわれは、馬鹿気た原則で手を縛られているべきではない。……

 われわれは、ルールや、その他のドイツの都市を、この方法で溺れさせ、大部分の住民が常時治療を必要とするようにすることができる。

 ……とりあえず、数週間または数か月後、私はあなたに、ドイツを窒息性ガスで溺れさせる命令を出すだろうが、やる時には徹底的にやらなければならない。それまでに、この問題の冷静な研究を、そこらで右往左往している制服を着た興ざめのする御幣担ぎのメダカの群れにではなくて、まともな判断力のある連中にやってほしいのだ》(『アメリカの遺産』85・8/9)

 チャーチルも、スターリンも、トルーマンも、戦争犯罪人として被告席には座ったことはなかった。

 ニュルンベルグ裁判所は、さらに恥ずべき犯罪を煽った著者たちを、被告として告発していない。その内から、特に熱狂的な二つの事例だけを紹介しておこう。一九四二年には、これこそ本物の意味での“ジェノサイド”を煽る本、アメリカのユダヤ人、テオドール・カウフマン著、「Germany must perish」『ドイツ人は消滅すべきだ』が発表された。その主要な主張はこうだ。

《ドイツ人は、反ナチであろうと共産主義者であろうと、たとえユダヤ人が好きであろうとも、生きる価値がない》。

 カウフマンの結論はこうだ。

《戦後に二万人の医者を動員して、一日に一人で二五人づつのドイツ人の男女に不毛化手術を行えば、三か月で子供を作れるドイツ人が一人もいなくなり、以後、六〇年でドイツ人種は完全に絶滅する》

 この本は、反ユダヤ主義を養う上で格好の拾い物だった。ヒトラーは、すべてのラディオ放送局で、この本の抜粋を読み上げさせた。もう一つの同じ扱いを受けた本は、一九四四年に発表されたソ連の作家、イリア・エレンブルグの著書、『赤軍への訴え』である。

《殺せ! 殺せ! ドイツ人の中には、生きている者の中にも、これから生まれてくる者の中にも、無実の者はいない! 同志スターリンの命令を実行し、穴に隠れた野獣のファシストを、撃滅し続けろ! ドイツ女の高慢さを、暴力で打ち砕け! 彼らを正当な戦利品として取り扱え! 奪え! 殺せ! 殺せ! 勇敢な赤軍の兵士たちよ、君達の止むに止まれぬ攻撃によって》([ナチス・ドイツの]デーニッツ提督著『一〇年と二〇日』の引用による)

 以上に挙げた内、一つとしてニュルンベルグで告発されたものはないし、その有様は、それを隠していた各国の元首たちについての状態と良い勝負だった。

 同じく、二〇万人の民間人が犠牲となったドレスデンの爆撃は、ソ連軍がすでに目標を超過達成していた状況下に行われ、何らの軍事的理由もなかったにもかかわらず、イギリスとアメリカの責任者は誰も告発されなかった。

 同じく、三〇万人の民間人が犠牲となった広島と長崎への黙示録的な原爆投下は、天皇がすでに降伏を決定していた状況下に行われた。この場合にも、やはり、何らの軍事的必要性もなかったにもかかわらず、その罪を犯したトルーマンは告発されなかった。

 同じく、ベリアもスターリンも、たとえば彼らは、何千人ものポーランド将校をカチンの森で虐殺しながら、その罪をドイツ人になすりつけていたのだが、やはり、まったく告発されなかった。

以上で(その13)終り。(その14)に続く。


(14)2.法律の皮を被った化け物/恣意的な訴訟手続き