ナチス〈ホロコースト〉をめぐる真実とは?
イスラエル建国・パレスチナ占領の根拠は?
電網木村書店 Web無料公開 2000.1.7
訳者はしがき-1.
本書の歴史的背景は非常に複雑であり、その上に強い感情的な問題をはらんでいる。巻末の「訳者解説」に加えて、冒頭から出番を求めた理由は、この複雑さ、感情問題、および本書そのものの非常に特殊な構成にある。
私自身も何も調べずに「明らか」と断定
まず最初に正直に、私自身に関する告白をしておこう。
拙著『アウシュヴィッツの争点』(96)に続いて執筆した『読売新聞・歴史検証』(97)には、旧著『読売新聞・日本テレビグループ研究』(79)を改訂増補した部分が多い。旧著をパラパラめくって見た際、まったく忘れていた記述に気付いて、いささか青ざめた。第六代読売新聞社長の正力松太郎がA級戦犯に指名された決定打は、労組が主導権を握る読売新聞の記事、「熱狂的なナチ崇拝者、本社民主化闘争、迷夢深し正力氏」だった。
私は、その時代背景について、「当時は、ナチのアウシュヴィッツなどの大虐殺が明らかになり、ニュルンベルグで国際軍事裁判がはじまったばかりだった」と書いていた。私は、自分では何も調べずに「明らか」としていた。当時は、いわゆるホロコーストに疑いを挟む説があるなどとは、まったく思ってもみなかったのである。
弁解がましいが、古代哲学以来の「人間機械論」に立つと、「疑い」情報入力なしには疑う思考は働かない。その意味で、一九九五年二月号の「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事による『マルコポーロ』廃刊事件以後に関する限り、日本の知識人の科学的な思考能力は、問われざるを得ない。
本来、「すべてを疑え」が科学的思考の原則である。私自身が疑いを抱き始めた経過は、すでに『アウシュヴィッツの争点』に記した。ここでは本書との関わり方を記す。
1.本書翻訳出版への経過
本書は、フランスで実質的な発売禁止の目に会っている。世俗的な最大の問題点は「ホロコースト見直し論」にあるが、日本でそれが一般に知られるようになったのは、『マルコポーロ』廃刊事件以後である。
私自身は、それ以前の『噂の真相』一九九四年九月号に、「イスラエル建国の最大の理由とされた『ホロコースト』」そのものと同時に、ドイツの実情への疑惑をも指摘する短文を寄稿していた。ドイツからは、その当時、ホロコーストの実在性を疑う議論を禁止するための刑法の強化が伝えられていたのである。締め括りの小見出しは、本書でも詳しく紹介される「シオニストとナチの共生関係」であり、最後の一節は、つぎのようになっていた。
「もしも、『ホロコーストはなかった』という趣旨の『発言そのものの禁止』という立法の真の目的が、このようなシオニズムの歴史的事実の隠蔽にあるとしたら、それはそれでまた、もうひとつの怖い話でないか」
この私の記事に関しては、何ら公然たる抗議の声は起きなかった。以後、私は、単行本に取り掛かった。『「ガス室」神話検証』の仮題で出版社と契約を交わして草稿を打ち上げ、一九九四年の暮れにはアメリカとポーランド、特にアウシュヴィッツ周辺への、確認のための海外取材を終えた。
翌年早々、校正ゲラの初稿が出た段階で、『マルコポーロ』廃刊事件の火蓋が切られた。
『マルコポーロ』廃刊事件の経過
攻撃の対象となった「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事には、私の『噂の真相』記事のような「イスラエル建国」や「シオニストとナチの共生関係」への疑問が含まれていなかった。政治的背景は徐々に出していくつもりだったとも聞くが、私は、この構えを「二の矢をたばさむ」の誤りと批判した。何といっても相手の獲物が大きいのである。最初に急所を外したら、大暴れされるに決まっている。その上に、最初に執筆意図を誤解されると、後々まで祟る。
もちろん、だからといって、言論の自由の無視が許せないのは当然のことである。
一応の経過を整理しておくと、問題の記事を掲載した同誌の一九九五年二月号が発売されたのは、一月一七日。同月二〇日には駐日イスラエル大使館が抗議し、続いて二四日、花田紀凱編集長の下に、アメリカから電話情報が入った。本書で詳しく紹介される「シオニスト・ロビー」の中でも最悪の部類、サイモン・ウィゼンタール・センターが、ワシントンの日本大使館に抗議文を送ったというのである。
早くも翌日の一月二五日には、一般向けに報道され、テレビ朝日の『モーニングショー』の話題にもなり、いわゆる総ジャーナリズム状況の大騒ぎが始まった。翌二六日には、同誌の二月号に広告(実は空きが出て無料広告)を載せていたフォルクスワーゲンが、以後の広告出稿を停止(実は以後一年、出稿予定なし)を発表した。二七日、金曜日、文芸春秋の役員会で廃刊が決定された。
文芸春秋が廃刊決定を発表したのは、一月三〇日の月曜日である。その二日前の土曜日に、私は、文芸春秋の重役の一人と会う機会があった。ゲッソリやつれて、風邪まで引き、この話題については、もう御免という顔付きだった。
その間の事情については、いずれ稿を改めて論じたい。拙著の方は、この状況下では、『「ガス室」神話検証』と銘打つのは刺激が強すぎるし、下手をすれば広告や取り次ぎの拒否という目を見る心配もあるという出版社の意見もあって、題名も中立的な『アウシュヴィッツの争点』とし、かなり手を加え、最初の予定よりも三か月遅れの六月に出版した。
フランスにおける本書の出版情報の伝わり方
私の心を「ホロコースト見直し論」へと突き動かしていた危機感の正体は、この年の内に日本軍[自衛隊]のゴラン高原出兵計画として公式発表され、翌年から実行された。
私自身は、湾岸戦争への日本の荷担を告発する平和訴訟以来の当然の継続として、カンプチアへの日本軍出兵反対の訴訟に引き続き、三つ目の平和訴訟、ゴラン高原出兵を違憲として告発する訴訟の原告団にも加わったが、世間一般の関心は、湾岸戦争の戦費問題の時とは段違いに薄れていた。
翌年五月になって、フランスにおける本書の出版情報が、非常に歪んだ形で伝えられはじめた。歪み方の基本的な特徴は、本書の内容そのものではなくて、本書の出版から生じた玉突き現象の一つとしての「アベ・ピエール神父」問題という側面からの取り上げ方である。
毎日新聞(96・5・1夕刊)の見出しは、「仏『国民的神父』がナチスの大量虐殺否定?/カトリック教会『遺憾』」となっていた。朝日新聞(96・5・8)の方は、「『フランスの良心』がユダヤ人大虐殺に疑義/『タブー視せずに探求を』発言に非難の大合唱」であった。
右の毎日新聞記事から荒筋だけを引用すると、二人は、つぎのような関係である。
「ガロディ氏は同著作の出版後、ユダヤ人団体から告発されたが、その際、知人であるピエール神父に支持を要請。神父はそれに応えて暴力によるイスラエル建国を非難、著作を支持する書簡を送った」
毎日新聞(96・5・31)によると、ピエール神父は、その後、「5月初めから仏を離れ、北イタリア、パドバの修道院で生活している」。
雑誌『世界』「パリ通信」を一読して愕然
以後の報道には見るべきものがなかった。私は、本書の運命が気掛かりで仕方なかったが、これだけ話題になったのだから、誰かが翻訳出版してくれるだろうと期待していた。
ところが、日本の高級雑誌として自他ともに許す『世界』(96・9&10)に、「パリ通信/ピエール神父の孤独/ホロコースト、ヴァチカン、イスラエル」と題する長文の連載記事が現われ、一読して愕然とした。
この記事は、現地の「パリ」発を強調しているものの、予備知識のある私の目には、一見しただけで、日本でも簡単に入手できるフランス語新聞の横文字を、縦に直しただけということが明々白々のシロモノだった。本書の訳題を『イスラエル政治の創設神話』としていたが、これは先の朝日新聞記事の場合と、まったく同じである。「創設神話」という言葉も初耳だが、本書の比重は、現在も進行中の極右政治を支える「現代神話」にあるのだから、意味が違ってくる。私の方は、とりあえずの直訳風仮題を『イスラエルの政策の基礎をなす諸神話』とした。
また、本書の記述で明らかなように、現地の報道は、本書と著者のガロディに対して敵意に満ちているから、そのまま訳せば、非難がましい記事になるのは当然である。記事全体への詳しい批判は、稿を改めて行う予定だが、とりあえず、『世界』(96・9)掲載の(上)から、ごく一部だけ引用すると、つぎのような具合である。
「ガロディの本をだした出版社というのも、かねて戦闘的なネガショニストどもの著書を出してきた本屋として知られます」「[注](2)……一九七〇年代になると、ユダヤ人の虐殺計画もガス室もなかったとする全面否定のネガショニズムが登場します。それはフランスにおける極右の政治勢力の台頭とほぼ足なみをそろえています」
さらに執筆者、または現地紙の訳出者の藤村信(東京新聞記者のペンネーム)は、この[注](2)で「ネガショニズムの代表はロベール・フォリソン教授」だと記している。
フォーリソンと私とは、何度も国際電話で話したり、ファックス通信、航空便で情報を交換している仲である。この問題に関するフォーリソンの数多い論文のいくつかを読み、拙著でも引用している。フォーリソンとその仲間たちは、本書にも出てくる「リヴィジョニズム」を自称しており、「ネガショニズム」という悪口用に発明された造語を嫌っている。「リヴィジョニズム」を私は、「見直し論」と訳している。拙著でも詳しく紹介したが、フォーリソン自身は、また、自分の基本姿勢を、つぎのように宣言している。
「私に対しての、ナチズムだとする攻撃、仄めかしのすべてを中傷と見なす」
「この欺瞞の基本的な犠牲者はドイツ人(ただしドイツの支配者ではない)およびすべてのパレスチナ人である」
「文は人なり」とも言う。フォーリソン自身は、私の知る限りでは、政治的な党派とは無縁、または一線を画しているようだが、思想的には、「極右」とはほど遠い。むしろ左翼の人物である。フォーリソンは、この問題に気付く以前に、古文書鑑定の専門家として博士号を取得していた大学教授である。見直し論者たちの論議の中でも非常に厳密な批判を展開している。一言で言えば理論的原則に厳しい人物である。
たとえば本書の著者、ガロディは、哲学者でもあるが政治家でもあり、共産党の幹部だったのにプロテスタントからカトリック、今ではイスラム教徒になっている。友人のアベ・ピエールは、いわずもがなの宗教家である。フォーリソンは、私への手紙の中で二人について論評し、彼ら二人の言動を前向きに評価しつつも、「ファナチック」(熱狂的信仰者)と注釈してきた。私自身は、徹底した唯物論者の積もりだから、むしろ、フォーリソンの見解に近い感想を抱いている。
もともと、フォーリソンが、ホロコースト見直し論を知ったのは、「見直し論の父」と呼ばれる故ポール・ラッシニエ(一九〇六~一九六七)の著作を通じてなのである。
ラッシニエについては、『世界』(96・9)の記事自体が、不正確ながらも、「レジスタンスの闘士で、ドイツ軍に逮捕されて、ブヘンヴァルトとドーラの強制収容所で捕虜生活を送り、戦後は社会党の活動家であった」と記している。正確には、戦前に共産党から社会党に移って、戦前にもベルフォル地方支部の支部長、戦後は社会党選出の国会議員だったのである。
フォーリソンに電話をして聞くだけでも、これくらいの事情は、すぐに分かったはずだ。それなのに、藤村信は「パリ通信」と称しながら、フォーリソン、ガロディ、ピエール神父らの個人に関する取材をまるでせずに、「極右の政治勢力の台頭とほぼ足なみをそろえて」登場したかのように描き出しているのである。
現実の歴史は、そんなに単純なものでははない。歴史の奥襞には、まだまだ複雑な試行錯誤が潜んでいるはずなのである。たとえば、ラッシニエ、ガロディ、ピエールの三人には、レジスタンス、ユダヤ人救出、戦後の国会議員という共通項がある。ガロディとピエールは同年、ラッシニエは六歳上で故人である。私自身は、本書の作業を終えたら、無い袖を振ってフランスに飛び、この三人が織り成した戦前・戦中・戦後史を追跡したいと願っている。
とりあえず私は、フォーリソンに頼んで、本書の底本となる改訂版を送ってもらった。案の定、藤村は、「ピエール神父の孤独」の基本的な原因となった本書に、まるで目を通していない。これは証拠上、確信を持って断言できる。連載の(上)では(1)から(2)、(下)では(1)から(6)までの注を付し、一部の引用文献の頁数を記している。ところが、(下)の方で「ガロディはその著書のなかで」「語ります」として、いかにも原著を直接引用しているかのように、たったの四行分、括弧を付けている部分に関しては、それがない。
孫引きのごまかしが歴然の上に、論旨がまるで的外れである。だらだらと聖書の説明で紙面を潰したのち、「二十世紀における民族根絶と三千年むかしの聖絶伝承との間に因果を求めるのは、歴史的にも誤った、見当外れの方法です。ピエール神父がガロディの学識をこのようなところにもとめたとすれば、まさに踏みちがえです」とばかりに、大上段に振りかぶって切り捨てようとする。
ところが、これこそまさに「見当外れ」そのものであり、「踏みちがえ」の典型である。本書の四七頁以下の「ヨシュアの神話・民族浄化」の節に明記されているように、著者は、「この時代遅れな神話」が現在のイスラエル国家の「政策を正当化するための口実として」使われ、「過去の神話の悪用」が行われているからこそ、さかのぼって問い直しているのである。
さらには「言論」の尊重という観点から見ると、最大の問題点は、本書で詳しく論じられている一九九〇年制定の「ゲーソ=ファビウス法」の犯罪性の軽視であり、本書への実質発売禁止処置の無視である。私は、これが核心的な重点だと信ずるのだが、藤村は(上)の[注](1)で簡単にふれているだけであり、自分の意見を表明していない。いかにも、「やむを得ない」処置といわんばかりの説明ぶりである。
藤村個人と『世界』編集部の「踏みちがえ」を、あえて善意に解釈すると、おそらく、自分が正義の味方だと思い込み、これぞ悪魔を相手取る戦いだとばかりに、手当たり次第、非難の材料をかき集めた積もりなのだろうが、フランス大革命期のジャコバン党も、パリの街頭で、そういう錯覚の下にギロチンの刃を落下させ、以後、一世紀にわたる政治反動と世界中の帝国主義的分割戦争への下地を用意した。しかも、それと軌を一にする愚挙は、ソ連と中国で繰り返されたばかりなのである。
執筆者や編集者の主観的意図はどうあれ、結果責任ということがある。客観的には軽率、怠慢、傲慢と言う他ない。編集者にも、調査不足、予断と偏見の批判を加えざるを得ない。警察発表鵜呑みの冤罪報道そのままである。世間に与える結果は、「極右」批判の正反対で、「極右」のシオニストが支配する侵略国家イスラエルの支持活動になってしまうのだから、滑稽では済まされない。むしろ犯罪的ですらある。
この種の業界では、「ペンは剣より強し」などと粋がる向きが多いが、この元のラテン語の格言は、「ペンは剣よりむごし」だったのである。現代日本に合わせて解釈を加えれば、自衛隊と称する軍隊よりも、はるかに影響力の強いマスコミ業界による権力犯罪である。『世界』ですらが、この程度なのだから、あとは押して知るべしである。
九冊の訳書がある著者でも敬遠する出版界
一番決定的な反論は、本書自身の内容そのものである。だから、ぜひとも早く日本語版を出してもらいたいと願って、一応、これまでにガロディの本を出したことのある出版社に問い合わせてみた。ところが、案の定というべきか、どこの返事も否定的だった。
そのほかにも、火中の栗を拾う勇士は皆無、その種のドン・キホーテ型の時代遅れ、または時代に先駆け過ぎは、どうやら私自身以外にないようだと、見極めを付けざるを得ない状況が多々あった。そこで、まずは翻訳権の確保も必要だから、こちらはフォーリソンと相談の上で、直接、著者本人に手紙を出して快諾を得た。出版の方は、かねてからこの問題に関心を寄せていた「れんが書房」の鈴木誠社長が引き受けてくれた。
残るは翻訳者の確保である。心当たりの友人の一人が、一応の事情を知りつつ、最初は気軽に引き受けて読んでくれた。だが、やはり、通読した上で、詳しい内容と世間の対応を詳しく知ると、これは都合が悪いという。
残念だが仕方がない。これも自分でやるしかない。文法が嫌いで、フランス語の原書を数冊ほど通読し、趣味のシャンソンを数十曲を覚えた程度の、おぼつかない知識しかない。これまでにも何度かフランス語の文献から引用したことはあるが、通読で大体の見当を付けて、重要な所だけを精密に辞書を引き引き訳したのが実情である。しかし、探せば立派な辞書も文法書もある。
わずかな強みは、この問題の資料と論理を、かなりの程度知っていることである。だから、ヒエログリフの解読に比較すれば楽な仕事だなどと、諸肌脱いで座り込んだ森の石松が、吉良上野介にでも挑戦する心境で、覚悟を決めて取り掛かった。
そうでもしなければ、並み居る日本人の「外国通」の高級新聞記者や高級編集者、名門大学教授連中を、当面はほとんど敵に回して、高級雑誌、『世界』の記事の批判を展開することなどは、到底不可能だからである。しかも、もしかすると、この峠越えにさえ成功すれば、国際的なシオニスト・ロビーの手薄な弱い環ともいえる日本の世論は、意外にも変えやすいのかもしれない。世界にも響かせるための進軍の道が、あとは下り坂だけという虫の良い期待がないわけでもない。
(文中、敬称はすべて略させていただきます。)
(2) 訳者はしがき-2.に続く。