『偽イスラエル政治神話』(8)

第1章 神学的な諸神話

電網木村書店 Web無料公開 2000.2.4

第2節 “選ばれた民”の神話

政治的シオニズムの統一主義者の読み方

 この“選ばれた民”の神話は、いかなる歴史的根拠もない信仰であるが、これをもとにして旧約聖書とともに一神教が生まれた。これとは真反対に目立つのは、聖書それ自体の二人の主要な編纂者、エボバ信者とエロヒム信者のいずれも、一神教信者ではないということである。彼らはただ、ヘブライの神の他の神に対する優越性と、他の神への"嫉妬"を言明しているだけである(『出エジプト記』20章2~5節)。モアブ人の神カモシュ(『士師記』6章24節および『列王紀』下17章27節)は、“その他の神”(『サムエル記』上27章19節)として知られている。

 全キリスト教会訳の聖書では、つぎの点を注で強調している。

《非常に長い間、イスラエルでは異国の神の存在とその力を人々が信じていた。》

 一神教の正しさが主張されるようになったのは、流浪以後であり、特に、予言者によってでしかない。出エジプトの場合の《あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない》(『出エジプト記』20章3節)という形式の神の言葉は、他の神を否定してエホバのみへの服従を求めることに対して不満を抱く人々に向けて発せられたのである。『申命記』6章14節でも同じように、《あなたがたは他の神々に従ってはならない》と繰り返している。だが、エホバはまた、《わたしは神であって、ほかに神はない》(『イザヤ書』45章22節)とも語っている。このように議論の余地がない一神教の断言がなされたのは、紀元前6世紀の後半(前五五〇~五三九の間)になってからである。

[近東文化の長期間にわたる果実としての一神教]

 一神教は、メソポタミアやエジプトなどの、近東の偉大な文化の長期間にわたる熟成の影響を受けて実った果実である。

 すでに前8世紀には、ファラオのアケナートンが、すべての神殿から“神”という単語の複数形を削除させた。彼の“太陽への賛歌”は、『詩篇』一〇四篇と、ほとんど同じである。バビロニアの宗教は一神教に傾いていた。マルドゥーク神に関して、歴史家のオルブライトは、つぎのように、その変身の過程を指摘する。

《数多い違う神々が唯一の神の表われ方でしかなかったのだと認識した時、……いずれかの一神教に到達する一歩手前まで来たのである》(オルブライト『近東の宗教』)

『バビロニア創世詩篇』(前11世紀)には、その“最後の歩み”の証拠が刻まれている。

《もしも人々が神々ごとに別にされたら、われわれは、われわれ一人一人が別の名前を名乗っているのと同じように、たとえば彼が、わが神となる》

 この宗教は、内面的に高い水準を達成しており、「正義」の人が悩む場面が表われる。

《私は知恵ある主を称えたい。……私の神は私を見捨てた。……私は主の如くに気取っていたが、今は行き詰まってしまった。……毎日のように私は鳩のようにうめく。私の頬を涙が焦がす。それでもなお、祈りは私に知恵を与える。生贄を捧げるのは私に課せられた掟だ。私は神に仕えてきたと信じる。しかし、神秘の極みにある神の摂理は、いかにすれば理解できるのだろうか?

 マルドゥークのほかに、だれが蘇生の導き手たり得るか? 彼がその初めての粘土をかたどった人々よ、マルドゥークの栄光を称えて歌え》(同前)

 これはまさしく旧約聖書のヨブの類型だが、そのヨブよりも数世紀前のものである。悩める正義の人に似た類型は、神に罰せられて主の手で地上に連れ戻されたダニエル(ヘブライの聖書のダニエルではない)であり、ラス・シャムラのウガリ期の聖句に刻まれている。それは“カナン人の聖書”とでも呼べるもので、ヘブライの聖書よりも古い。なぜならば、エゼキエルは、ヨブと並べてダニエルにふれているからである(『エゼキエル書』14章14および20節)。

 これらのたとえ話の精神的な意義は、いかなる歴史的実証にも依存する必要がない。

 これは、たとえば、抑圧にたいする抵抗と解放との、絶妙なたとえ話の場合についても言えることであって、その典型が出エジプトの物語である。

 ミルセア・エリアードによれば、《葦の海を渡る話は歴史的なできごととは考えられない》(『信仰と宗教的概念の歴史』)のだが、それは重要なことではないし、ヘブライ人の全体に関わる問題ではなくて、一部の脱走者の集団だけのことである。その一方で意義が深いのは、エジプトからの脱出が、これだけの雄大な物語に展開され、復活祭の儀式と関連する“装置”として据えられ、……蘇り、エホバ信仰の神聖な歴史に統合されたことである(同前)。

 紀元前六二一年以来、出エジプトの儀式は実際に、カナン人の農業の儀式である春の復活祭、アドニスの蘇生の祝いの場で行われた。こうして出エジプトは、神によって圧制から救われた一民族の再生の基礎的な一幕となったのである。

[異なる民族にも見られる人間解放の神話]

 この種の、旧制度の下における屈従からの神による人間の解放という経験は、まったく異なる民族にも見られる。長期の流浪の例としては、“メキシコ”の部族、アズテクの場合、一三世紀に、一世紀ほどの苦難を経て、神の導きで渓谷に到着した。神は、それまでまったく道筋のなかった所に道を開いた。アフリカのカイダラの場合にも、同じような発端の解放の旅の物語がある。遊牧もしくは流浪の部族の定住は、すべての民族、特に中東において、神による約束の土地の贈物に結び付けられている。

 神話は、人類の人間的教化および神性付与への道の時代を画している。大洪水の場合には、神が人類の罪を罰し、その後に創造を再開するのであるが、メソポタミアのギルガメシュからマヤのポポル・ヴフにいたるまで、およそあらゆる文明に同様の例がある(同前)。

 神への賛歌は、あらゆる宗教に生まれるものであり、インカの場合には、母なる女神または主なる神、パチャママの名誉の詩篇がある。

《ウィラコチャ、命の源、常に身近な神。……神は語ることで造る! 男よあれ! 女よあれ! ウィラコチャ、輝く主、命を与え、死を与える神。……あなたは創造物を再生し、日夜、創造物を守り、その仕上げが可能なように、……正しい道を歩むように導く》

 人種中心主義的な偏見による妨げさえ取り払えば、人々は、これらの聖句、すなわち、それぞれの民族にとっての“旧約聖書”を、人生の意味の発見の瞬間に関する一つの神学的反省として、探求することができる。

 その後、イエスの人生と発言に関する伝言が、真の普遍救済の立場を確保するに至った。普遍救済の思想は、その根底において、すべての人間の、神聖で、束縛されずにいた頃の、あるいは逆に専制的な伝統によって抑圧を受けたりした頃の、人生の経験に根差している。イエスの人生そのものと、あえて高位高官の支えに拠らずに、貧しい人々の希望として語った「神の王国」についての根本的で新鮮な見解は、人々がそれを完成して約束された勝利を迎えるまで、唯一生き続けるものであり、いかなる歴史的図式の利益にもとづいても消し去り得ないものとなっている。

 私がここで、近東の宗教を、ヘブライ人が形成したものを含む一神教を育んだという意味で取り上げたのは、決して、それが時代的に古いからではない。

 他の西洋ではない文化では、一神教に向けての歩みは、さらに古代からのものであった。

 たとえばインドの場合には、『ヴェーダ』に、つぎのような章句がある。

《賢者は、「唯一の存在」に一つ名前しか与えない》(『リグ・ヴェーダの賛歌』3章7節)

 ヴリハスパチは語る。

《彼はわが父、すべての神を含む》(同3章18節)

《われらが父なる「彼」は、すべての存在を生み、すべてを含む。唯一の神、彼は他の神を造る。すべての存在するものは、彼を導き手と認める。……そなたは、すべてを造った「彼」を知っている。彼は、そなたの内面にいる彼と同じなのだ》(同11章11節)

《彼の名は多いが彼は「唯一」なのだ》

 これらの聖句は、前一六世紀から六世紀にかけて継続して作られたものであり、(S・J・)モンカニン神父は、『ヴェーダ』の内側に身を置く先見的な努力を通して、『ヴェーダ』を《完璧な儀式上の詩》(ジュール・モンカニン『インドの神秘学、キリスト教の秘伝』)だと評している。


(9)第1章第3節:ヨシュアの神話・民族浄化