現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1997年の発言

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◆防衛情報誌「セキュリタリアン」の役割

◆血腥い物語:船戸与一著『午後の行商人』(講談社)を読む

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血腥い物語:船戸与一著『午後の行商人』(講談社)を読む 
「週刊読書人」1997年12月5日号掲載
太田昌国 


 メキシコ自治大学に留学している香月哲夫。経済学の研究を放棄し、写真家になろうとしてメキシコ南部の辺境地域を旅行している。酒場からの帰り道、追剥ぎに襲われ金品を奪われるが、その場を毒蜘蛛、タランチュラを名乗る老行商人に助けられる。タランチュラの不思議な存在感に関心をもった哲夫は強引に頼みこみ、写真を撮る目的で行商の旅へ同行する。行く先はチアパス州。

そこは先住民族が武装蜂起して、政府軍や地主の私兵と対峙しているさなかの地域だ。だが、タランチュラは単なる行商人ではなかった。彼の娘は二三年前、ゲレーロ州で活動していた反政府ゲリラの若い指導者の許婚であったが、反ゲリラの八人の男に凌辱され殺害されていた。

タランチュラは八人の男を追って、ひとりふたりと見つけだし、血まみれの復讐を果たしている最中だったのだ。さて、復讐劇への同伴という、とんでもないものを「抱え込まされる」羽目になった、現代日本のありふれた若者・哲夫は、その過程でどう変貌していくのか?

 船戸与一の血腥い物語『午後の行商人』は、こんなふうに展開する。チアパス州の先住民族蜂起は、現実に一九九四年初頭以来メキシコで起こっている事態である。船戸はすでに昨年、「幾たびもサパタ」という題で、現地取材に基づいてこの蜂起を取り上げたことがある(それは、今年小学館から刊行された『国家と犯罪』に収められた)。

新しい社会運動としての性格を十分に兼ね備えているサパティスタ民族解放軍の思想と行動の魅力は、このルポルタージュの中で余すところなく描きだされた。

もちろん、今回のフィクションにあっては、現実にあまりに拘泥することで想像力が縛られることを当然にも警戒したのであろう、サパティスタの動向はあくまでも遠景としてのみ扱われている。

それでも、たとえばキューバ革命に関する知識を求めてサパティスタが接触してくることを待望する、キューバ帰りの知識人をさりげなく配しておいて、「外国から何らかの影響を受けとると世間に受け取られるような動きは絶対にせん」から、彼への接触はないだろうとタランチュラに語らせるなど、肝心な点でリアリティを害なわせないための仕掛けは、いくつか工夫されていて、作品に安定感を与えている。

 船戸の想像力がもっともよく発揮されているのは、やはり現実のものであった七〇年代ゲレーロ州のゲリラ闘争をも「遠景」として描きこみ、サパティスタの現在へと繋げた点にあるように思える。

これによって、作品は、ひろくメキシコ現代史の流れの中で展開するという、得がたい性格をもつに至った。船戸の最初のフィクションである『非合法員』(一九七九年)以来、どの作品にあっても彼が決して疎かにしない方法論のひとつである。つまり、船戸の作品に登場する、さまざまな形で海外へとドロップアウトする日本人青年たちは、わが身に起こる「荒唐無稽」にさえ見える物語を、その地域の現代史との格闘を通して生きぬかなければならないのだ。 

 香月哲夫は、学生時代の恋人に言わせれば、「ふつうの、やさしい」現代日本の青年のひとりである。サパティスタの蜂起についても知ってはいたが、特別な関心をもっていたわけでは、ない。タランチュラにはたしかに助けられはしたが、だからといって、「私怨」に基づく彼の復讐殺人に協力しなければならないほどの借りではない。

だが「成りゆきでわけのわからないままおかしな方向に突き進んでしまう」うちに、モラトリアム期を生きていたこの青年の内部では、確実な変化が進行する。「敵」を前にカラシニコフ銃の引鉄を引く際まで自分を追い込むためであるかのように、彼はブルゾンのポケットから旅券を取り出して灯油液につける。「燃えていく、燃えていく、ぼくがぼくであることを証明するちっちゃな文書が。旅券全体が炎を発しながら身を捩じった。燃えてしまえ、燃えてしまえ、日本人の証しなんか」。

 こうして殺人犯としてメキシコの法廷に立たされる哲夫は、名前や国籍を問う判事に対して「忘れた」と答え、「じぶんの名まえや国籍にはいまはもう興味はない。ほんとうに忘れてしまった。名まえや国籍とは無関係にじぶんの罪はどんなことだったのかを判断して欲しい」と述べるに至るのである。

 香月哲夫の人物像を、このように造形したことには、日本の現実に対する作者の苛立ちが窺える。そして私は、船戸のその苛立ちに共感をおぼえる。私はこの作品を、サッカー試合をめぐって「フランスへ行こう」という大合唱が聞こえる日々に読み進めた。哲夫と同じ世代の若者が多くを占めるのであろう、現実の「サポーター」なる者たちは、東京・国立競技場におけるウズベキスタン・チームの選手紹介や国歌の演奏になるとブーイングを行ない、君が代は熱唱した。

マレーシアにおけるイラン・チームの入場の際には「ゴーホーム」とか「帰れ」と叫び、自分たちが陣取る座席の前の通路で観戦しようとする外国人を「どけ」と排除した。

腰に大きな日章旗を巻いてシンガポール行きの臨時特別機に乗りこむ若者の姿までなら、無理をしてでも「無邪気」と解釈しておこうと思いかけていた私は、そこに潜んでいる、他者に対する底知れぬ悪意と、日本とシンガポール、マレーシアの近代関係史に対する無知を思って、浅慮を恥じた。

さるニュース番組でスポーツを担当する、どこにでもいそうな、悪気のなさそうな若い女性記者は、競技の行なわれるジョホールバルからの中継で「犯罪の巣窟と言われる街」と表現し、東京のスタジオにいる、分別のありそうな男のキャスターは、それを咎めさえしなかった。

こんな日本の「現実」の只中に差し出されたフィクション『午後の行商人』において、主人公・哲夫の精神の遍歴に作者が込めた寓意の意図は、もはや明らかであるように思われる。

 先に私はこの作品を「血腥い」と形容した。しかしこの血腥さは、よくあるようには、読者をして、不快にさせたりたじろがせたりする性格のものではないように思える。まるで、座頭市の映画やサム・ペキンパーの映画を観た後のように、一種爽快な気分を残してくれるもののようだ。

それは、「暴力はいけない」という、偽善的な一般論では見えてこない地点の世界が、血と殺しを通して赤裸々に描かれるからだ。その暴力が集団や組織によって発動されているのならば、私たちの心は動かされないだろう。私たちが、現実にそのような行動にまで至ることは稀だとしても、「私怨」に基づく個人的な「復讐」には観念的に共感できる余地があるからこそ、この種の小説は読者に迎え入れられる可能性をもつのだと言える。 

(1997年11月24日記)

 
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