現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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『戦争の悲しみ』とバオ・ニンの悲しみ
「派兵チェック」62号(1997年11月15日)掲載
太田昌国 


 ヴェトナムの作家バオ・ニンの『戦争の悲しみ』(井川一久訳、めるくまーる社刊)は読ませる。ヴェトナムへの侵略戦争に参加して帰国した米軍兵士のなかには、精神的な戦争後遺症に罹った人びとが多かったことはよく知られている。

それが麻薬の常用や暴力犯罪の多発と深く関連していることも、周知の事実だ。「猛虎軍団」の異名で鳴らした韓国軍のヴェトナム帰還兵にしても、「最強の人殺し軍団」としてヴェトナムの山野を経巡った後「(ドルを)一儲けして」帰国してみると、彼らを見つめる祖国の人びとの目は意外に厳しく、思い起される戦争の悪夢もあいまって精神的に崩壊していく者も出たことは、夙に1972年、ファン ソギョンが描いていたとおりだ(中上健次編『韓国現代短篇小説』所収「駱駝の目玉」、新潮社刊)。

 だが、米軍とたたかったヴェトナムの兵士の内面が私たちの前に明かされることは、長いことなかった。

彼らは、米国からすれば「狂気の戦争マシーン」であり、ヴェトナムのたたかいに心を寄せていた私たちからすれば「正義と解放の旗手」であったが、戦後のヴェトナム内部からの表現も、ひたすら後者のイメージでその英雄的な人物像を描くことに終始していたものらしい。

1991年に刊行されたバオ・ニンのこの作品は、ドイモイ(刷新)路線で検閲が緩和された状況を背景に、抗米戦争をたたかう北ヴェトナム軍の「実像」を、今までとは比べものにならないくらい自由に描いた。つまり、あの北ヴェトナム軍にも、掠奪、無用な暴力行為、レイプ、買春行為など、通常の軍隊が傲然と行なってきた(いる)行為が現実に見られたことを。

 作品は、当然にも軍と在郷軍人会の不興をかい、初版の2000部が売り切れて後は再版されず、ヴェトナムでは現在は品切れという。訳者である井川の解説によれば、ヴェトナム軍機関紙『クァンドイニャンザン』は、「ヴェトナム国民の愛国精神を弱め、人民軍の名誉ある歴史に泥を塗る作品」だとして激しい非難を繰り返しているらしい。

 ところで、私はこの作品から、近年の私の問題関心を深めていくうえでの、きわめて大きな示唆を得ていた。ある歴史段階での、避けることのできない必然的な闘争(ヴェトナムの場合で言えば、1960年代から70年代にかけての抗米戦争)が「人民軍」ないし「革命軍」による軍事闘争=戦争としてたたかわれた際の、軍隊および戦争の内実をより具体的に知ること、そしてその先に、人民軍と言い革命軍と言っても、所詮は非民主主義的な存在以外のものではありえない「軍隊」の自己解体の展望をえがくこと。

もし私たちが、ある状況の下で「もっともよくたたかった者」に対して、後になって石を投げる形に陥らずにこの課題に取り組むことができるならば、地に堕ちた「解放」や「革命」のイメージを改めるひとつのよすがになるのだがというのが、このかんの私の一貫した関心であった。


 この問題意識からすれば、井川の解説に私は異論を持った。彼は言う。「この小説に登場する兵士たちは、人間的弱点をたっぷり持ち合わせているが、その弱点は他者を傷つけるようなものではない。米軍やサイゴン政府軍とは違って、彼らはわが身を犠牲にしても非戦闘員の命を守ろうとし、傷ついた敵兵や投降した敵兵には決して危害を加えない。彼らは戦いの場に投げ込まれた自他の運命に泣きながら戦うのだ。

この人民軍の兵士像は、ヴェトナムやカンボジアでの私の見聞とも一致する。この軍隊に関する限り、私は女子供や老人の殺傷、レイプ、金品掠奪、捕虜虐待などの悪業を、ただの噂としても一度も耳にしたことがない。嘆きを知る軍隊。

暴力と血を嫌う軍隊。まさにそれだからこそ、嘆きを知らぬ敵、暴力と血を好む敵と、最も激しく勇猛に戦う軍隊。『戦争の悲しみ』に描かれているのは、そういう史上まれにみる『人間の軍隊』である。その意味では、この小説は一種の人民軍賛歌ですらある」。 

 この評言は、ひいきのひき倒しの典型のように思える。バオ・ニンの「悲しみ」は、私の考えでは、もっと深い地点に錨を降ろしていて、このような綺麗事の評価では済ますことのできなくなったと作家自身が考えた、戦後15年目の1990年を迎えて、彼はあの戦争の全体像を、ヴェトナムの軍人や文学官僚がもはや許容できないと考えるギリギリの地点で描こうとしたのだと思う。

当時の人民軍のたたかいが不可避的なものであったことを認めることと、いまになってそのたたかいの内実を批判的な視点も込めて捉え返すこととは、論理的な矛盾なく両立する。「かつてもっともよくたたかった人民軍」という評価を維持したまま、そこに随伴していた負の側面にこそ注目して、軍隊解体という未来社会のイメージを描き、そのために努力することも両立する。

 井川はせっかくの作品を翻訳・紹介しながら、あらずもがなの解説で、私たちの意識を「ヴェトナム解放」の1975年の時点に引き摺り戻そうとしているかに見える。

これでは、日米防衛協力の新方針をめぐって「軍隊を平和創造の中に位置づけることが、日本の課題だ」などと、頓珍漢なことを臆面もなく言う松本健一(10月3日付け朝日新聞夕刊)ふう の言論とたたかうことはできない。

 ところで『正論』12月号に「『戦争の悲しみ』の不運」と題する大川均の文章が掲載されている。井川の翻訳は原作からかけ離れた改竄に近い部分が多く、それは原作では北ヴェトナム軍の行為とされているものを、周辺の住民にしたりどこかの男たちのしわざにしている点に集中的に表れているというものである。

真偽のほどは、いまの私には不明だが、良い作品だけにより完成された形で作品に接したい思いはつよくのこる。両者の論争が真摯に行なわれ、問題点がすみやかに明らかにされてほしいものだ。

(1997年11月3日記) 

 
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