現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1997年の発言

◆一年後に、ペルー大使公邸占拠事件を顧みる:天皇問題に即して

◆防衛情報誌「セキュリタリアン」の役割

◆血腥い物語:船戸与一著『午後の行商人』(講談社)を読む

◆現実にある政治的・思想的対立軸をなきものにする言動

◆『戦争の悲しみ』とバオ・ニンの悲しみ

◆過去のラーゲリと現在の強制収容所

◆武力「決着」後のペルーを見る五つの視点

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過去のラーゲリと現在の強制収容所 
「派兵チェック」57号(1997年6月15日号)掲載
太田昌国 


 スターリン時代の実相が、私たちの世代にくっきりと明らかになったのは、まず1950年代末に埴谷雄高の文学的政治論を通して、そして60年代半ばには菊地昌典の膨大な実証研究を通してであった。

今年に入って、埴谷が死霊たちの世界に移行し、今度は菊地の訃報に接すると、私などはあらためてスターリン時代とは何であったのかということを否応なくふりかえらざるを得ない日々をおくった。

 そんな或る日、ジャック・ロッシの話を聞いた。来日し東京で講演会が開かれたのである。彼の著作は昨年立て続けに2冊翻訳・出版された。『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』(染谷茂校閲、内村剛介監修、梶浦智吉・麻田恭一訳、恩雅堂出版)と『さまざまな生の断片ーーソ連強制収容所の20年』(外川継男訳、成文社)の2冊であるが、それを読むと、「数奇なる運命」をたどった人生、としか言いようがない歴史を、今年88歳になったこの人は生きてきたことがわかる。

 1909年、フランスに生まれた。親の関係で幼い頃からヨーロッパ各地を転々とした。16歳で非合法のポーランド共産党に入党、以後各国の学校でさまざまな学問や語学を学んだ。

29年ソ連に入り、以後コミンテルン(第3インターナショナル)に配属され赤軍大学で講義したり、10カ国語を操るという才能を見込まれて、ヨーロッパ各国、中国、アフリカ諸国へ派遣された。「スパイとして地下活動に従事していた」と、講演の時にジャック・ロッシは自ら言った。

37年10月、内戦下のスペインに、共和国派のために送信機を持ち込んだロッシは、突然モスクワに召喚され、そのまま監獄に収監された。いわれなき罪に問われ、以後24年に及ぶラーゲリ生活を過ごした。61年に釈放され、64年にはようやくポーランドへの帰国を許された。ワルシャワの大学で教鞭をとりながら、彼はラーゲリの実態を明らかにすることをライフワークと定める。

「フランスの若いコミュニストである」自分は、ロシアのコミュニストこそが「世界のいたるところにマルクス・レーニン主義の炎をもたらす、『純粋で』、『ほんものの』コミュニストだ」と思い、「光栄あるこの事業に参加することをとても誇りにしていた」。だが、他ならぬその「友」こそが、「虚偽、不公正、失望、屈辱、挑発、傲慢、堕落、偽善、そして飢えと寒さと恐怖に満ち、垢にまみれた」生を、自分に課したのだーーという思いを込めて。

 収容所生活が12年を経た頃のことだった。監獄のコミッサールは「『東洋の猿』と一緒に閉じ込めることで、(フランス人である)私を侮辱し、罰したつもりだった」。こうして49年、ラーゲリ内で内村剛介などの日本人と出会った。それが、長い歳月を経た後になっても、上記の2冊の著書が日本語に翻訳されたり、今回来日したりという交流に繋がったものらしい。

 私(たち)は、内村剛介のごく初期の著作からも、スターリン時代の何たるかについて、多くのことを学んだ。その独特の文体や歴史や文学に関わる独自の解釈の方法も、私は嫌いではなかった。

だが『ロシア無頼』(高木書房、1980年)を読んでから、内村への関心は失った。彼が展開してきたスターリン主義やレーニン主義への正当なる批判が、いつのまにか〈ソ連=脅威論、日本=危機論〉へとすすみ、狭隘な日本ナショナリズムに収斂していくさまが、そこには見られたからだ。内村は、いまや、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同人にもその名を連ねていて、あの〈複雑な〉個性すらがたどった「単純なる日本回帰」のあり方を考えると、そぞろ侘しい思いがよぎる。

 ロッシの著作は、内村さえもが落ち込んだその種の〈単純さ〉の陥穽を免れているように思えた。私たちがソルジェニーツィンの膨大な著作を手にできる現在、これに何を付け加えることがあろうかというほどに、ラーゲリに関する量としての情報はあふれている。

だが、簡潔な記述のようでいて精緻をきわめた『事典』の註解と、収容所での残酷な出来事を語りながらやさしさとユーモアをすら感じさせる『断片』の叙述とは、読む者にどこか希望を残してくれる、希有な書であるという感想をいだいていた。


 今回の講演の時にも彼は「スターリン主義にも共産主義にも異議は申し立てぬ」と語った。「〈人類を救う〉という初心、いま思えばその過剰な自意識をもった自分自身を顧みること」が肝要であり、「社会的公正を求めるというユートピア主義者の魅惑的な夢が、人間の本性はあるがままのものでしかないがゆえに、失敗した」過程を考えぬきたいとの気持ちを吐露した。

「力弱き者の立場に立ち、体制を批判することは、確かに必要なことだが、いかなる体制であれ、その悪に対して暴力によって立ち向かうな」というのが、彼があくまで強調したい点のようだった。強制収容所にまで行き着いたスターリン主義=レーニン主義が孕む問題の根源を、〈暴力の行使〉にのみ封じ込めてよいかという問題は残るのだろうが、全体としてロッシの情熱的な語り口には、私が本から得ていた思いを裏切らないものがあった。


 ところで、産経新聞朝刊(6月6日付)にソウルの黒田勝弘記者の記事が大きく載った。韓国で「暴力化すすむ学生運動」が「一般市民のリンチ殺人」にまで行き着き、その「北朝鮮支持」の路線のせいもあって社会的に孤立化してきた、という趣旨のものである。

この記事の真偽のほどは今後も見きわめていきたいが、この記事を読んだ直後に私はロッシの講演を聞いた。

北朝鮮のことを思えば、強制収容所問題は現在の問題だということをあらためて自覚しながら、私はロッシの話に耳を傾けた。「北朝鮮民主化/研究・情報誌」の副題をもつ『RENK』12号(97年4月)を読むと、北朝鮮に対して純粋に好意的だった韓国の運動圏にも変化の兆しが見られるという。

ささやかであれ、地殻は変動していることに希望を託したいものだと思う。 

(1997年6月8日記)

 
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