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現実にある政治的・思想的対立軸をなきものにする言動 |
沖縄の反基地闘争に連帯し、新ガイドライン・有事立法に反対する実行委員会機関誌「追い風・向い風」第3号(1997年11月20日)掲載 |
太田昌国 |
朝日新聞は一〇月一日から四日にかけての夕刊紙面で「有事の前景/新ガイドラインを考える」という連載記事を掲載した。島田雅彦、橋爪大三郎、松本健一、ノーマ・フィールドの四人にインタビューをして構成したものである。
島田はともかく、橋爪と松本は、現実を「現実であるがゆえに」肯定するという彼ら特有のスタイルの発言に終始している。とりわけ無惨な物言いをしているのは松本で、今回の指針は「アメリカはこれだけしかできない、日本もこれはやれと、ある意味で双務的な意義付けに変わった」とか「湾岸戦争以来、『国民を守るのは国家である』という考えが国民の間に広がっている」とか、全体的な文脈を外して、松本の論理に都合のいいように解釈している。いまさら松本の言動を云々するのは、実は空しい。
だが、井上光晴が死んでも、谷川雁が死んでも、丸山真男が死んでも、埴谷雄高が死んでも、いかにもそれらの死者たちのメッセージを生き残っている者に伝えるのが自分の使命であるかのようにふるまう松本は、現実にある政治的・思想的対立軸をなきものにする意図をもってその言論活動をしているように、私には思える。なぜなら松本は、時と場を選んでは次のような意見を公言する人物である。「(戦争犯罪に関する)度重なる謝罪に日本人は耐えきれなくなって『止むを得ず』韓国に対する怒りが爆発する。
かつて昭和一六年一二月八日に、止むを得ずアメリカに対して大東亜戦争を始めた心理の道筋に似てくるんじゃないか」(『諸君』一九九二年四月号)。これは、藤岡某や小林某らが軍隊慰安婦問題に関わって大声を挙げるはるか以前になされた、「止むを得ぬ過去の出来事」として慰安婦問題を水に流そうとした「先駆的な」発言である。
上に挙げた死者たちが関わった戦後民主主義や新左翼の思想と行動を批判的に捉え返す作業は私たちにとっても必然的な課題だが、それは松本が根本的に依拠している排外的なナショナリズムとは、明確に対決する場で試みられるべきことである。
彼は、その隠しようもない分岐線を限りなくあいまいにする言動を「戦略的に」展開しているように思える。朝日紙上における、日米間の防衛協力新指針に関する松本の意見にも、そのような本質が透けて見える。
四人のなかでもっとも示唆的だったのはノーマ・フィールドの意見だった。曰く、日米両国間の防衛協力に関する新しい指針が発表された時、ニューヨークタイムズは五面で扱ったが、隣の面の韓国大統領選挙の記事のほうがはるかに大きかった。
CNNなどのテレビでこのニュースが報じられたことは確認できなかった。つねづねアメリカ社会の国際性のなさを痛感しているが、今回はとくに影が薄く、米国民の認知度は低い。
日本にとっては国の枠組みを変えるほどの重要な問題だが、米国からすれば日本は視野にはいっていない。日米関係のこの非対称性をおさえるべきだという趣旨の発言であった。「他国にはない責任をもつ」と為政者が慢り高ぶる国の内部から、「(この国には)国際性がない」という意見が出ているのは、注目すべきことだと思う。
別な視点から、もうひとつの意見に触れる。湾岸戦争以来幾度もその意見を見聞きしたが、私が一度も感心したことのなかった朝日新聞編集委員・田岡俊次が、めずらしくも部分的に同意できる分析を行なっている。
「国家総動員もどきの『指針』実施の法整備はできるのか」(『論座』一二月号)においてである。外交・防衛官僚が担当省庁(とりわけ運輸、厚生、自治など)に相談せずにおこなった合意事項を実施するには法整備が不可欠だが、それが難航しているうちに国際情勢が変わるかもしれぬと論じている点である。
米国政府がいざという時にいかに変わり身が早いかということは、米中国交回復の過程を思い返してもわかる。一九九四年、米国がいわゆる「核疑惑」に絡んで北朝鮮に対する経済制裁や核施設攻撃の素振りを見せながら、元大統領カーター/キム・イルソン会談やKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の発足へと進んだ過程を思い起してもいい。
実態なき「脅威」に怯えて有事立法などをつくろうとする動きには、東アジアの情勢を冷静に分析しようとする「国際性」のかけらもないと言える。
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