貧困の統制からハイパーゲットーへヴァカン「貧困という監獄」によせて監獄人権センターニュースレター58号(2009年4月) はじめに経済政策という角度から犯罪と刑罰の問題を捉えようとする試みは、これまでも主に1970年代以降、犯罪学の基本文献の中で何度となく触れられてきた。しかし、多くの場合、そのような捉え方が実際の刑事政策の中で効果的に援用されることは少なかったと言えるだろう。むしろ、伝統的かつ「実証主義」という看板を表に掲げようとしていた刑事政策、犯罪学は、経済的な格差をむしろ前提としつつ、その中で貧困層に対する統制を意識的に強めていったといって過言ではない。実際、伝統的な実証主義は、政策批判を強める理論に対しては、それが政治的、イデオロギー的な側面を強く持ちすぎているとして反発を強め、「正統」の牙城の閉鎖性をますます強めていったのである。 フランス出身で米国で活躍するロイック・ヴァカンが1999年に著した「貧困という監獄ーグローバル化と刑罰国家の到来」(*1) は、米国と欧州の反応を題材として、こうした刑事政策上の一種の対立構造を分析した作品である。ブルデュー派社会学の主唱者として知られる著者は、最近とみに貧困の問題を犯罪と刑罰をめぐる政策との絡みあいから分析しようとする傾向を強く押し出している。そこには、1970年代から世界を席巻してきた新自由主義が、どのような政策的手段を駆使して社会統制プログラムを成立させたのか、という問題意識がある。「貧困という監獄」は、詳細な分析を開陳する研究書というよりは、ブルデュー社会学の立場から、現代の犯罪と刑罰のダイナミックスを読み解き、それら一連の問題の理解のための見取り図を示した、一種の解説書のようなものと言えばよいだろうか。実際、ヴァカンは、これ以降、このテーマに基づく詳細かつ重要な研究論文を執筆しているが、この「貧困という監獄」に示された道筋は、彼のそうした後続研究を方向付けている。 貧困と犯罪原因論貧困は、古くから犯罪の温床だと見られてきた。貧困が犯罪者を生み、そこから社会やコミュニティの頽廃が生じるというのが一般的な理解だった。監獄に収容されている囚人たちが一様に貧しい人びとだというのも、こうした理解に拍車をかける根拠となっている。そこで、近代の刑事政策は、監獄の機能の一つとして、貧困層をより良く処遇するという役割を期待する、としたのである。 貧しさの中で犯罪に陥った人びとをどのように救い出すか、という文脈が改善・社会復帰思想の発展に結びついたのは、19世紀以来、刑事政策を主導してきた有名な定式「最良の刑事政策は最良の社会政策である」(フランツ・フォン・リスト)(*2)という理解があったからでもある。主に貧困層に代表される「危険階級」が日常生活を過ごす環境が犯罪生活とも言える状況を生みだしており、福祉的視点に立った社会政策を総動員することで、そのような生活を支える経済社会構造にメスを入れるべきだという捉え方である。衛生面の問題から、医療、生活インフラの整備、最終的には都市計画にまで拡大していく大規模な介入政策(パターナリズム)が背景となり、社会病理としての犯罪への国家規模での対応策が講じられる。近代の刑事政策の一つの流れは、そのような国家的プロジェクトとしての方向性を持っているのである。 しかし、もう一方には、別の理解の仕方がある。刑罰はたしかに犯罪に対する闘争手段として位置づけられるが、必ずしも犯罪があるから刑罰が必要だというばかりではなく、手段である刑罰のほうが、それ自身が統制すべき犯罪を作り出しているというのである。監獄に収容されている人びとが一様に貧しいのは、そもそも、貧しい人びとに対する統制手段として刑罰が利用されているからだ、という考えである。マルクスや、初期の社会学的犯罪学の提唱者の一人であるボンガーをはじめ、刑罰や社会統制を実質的には貧困層に対する抑圧手段だと定義づける論理がこれにあたる。(*3) 後者の考えでは、刑罰をめぐる政策は、より大きな外在的な要因によって刑罰が手段として利用されている場面であるということになる。それは、論者の立場によって、資本主義的な抑圧であったり、利益集団同士の葛藤であったりと、さまざまな社会関係に根ざす問題として理解されてきた。 自己コントロール理論ヴァカンや「排除型社会」(Exclusive Society)(*4)などを著わしているジョック・ヤングなどをはじめとする論者は、最近の欧米での刑罰政策を、刑罰と福祉の名の下に貧困層を囲い込む新自由主義の政策の一環として捉えている。そして、そのような政策が、いかにして貧困層、すなわち潜在的犯罪者層に属する人びとの個人的属性に問題の原因を帰着させようとしているかを論証している。19世紀の犯罪学誕生の時期の議論に戻ったかのような錯覚に陥ってしまう最近の犯罪対策論の背後には、いわば、犯罪学における「自己責任論」の台頭が潜んでいるのである。 1960年代、社会的な絆の強さによって行為が統制されると主張する統制理論(Control Theory)を提唱したハーシーは、1990年以降、ゴッドフレッドソンとともに新たに自己コントロール理論(Self Control Theory)を提唱する(*5)。犯罪を「自己利益の追求によりおこなわれる暴力の行使ないし詐欺行為」と定義し、こうした犯罪行為に陥る者を自己統制が弱い者であると位置づけ、そのような傾向が醸成されるのは幼年期であるため、早期の厳格な教育が効果的であるとの仮説を提示したものである。社会的な要因の複合体としての犯罪を捉えるそれまでの犯罪学の方向性から、むしろ本人の自己コントロール能力へと関心をシフトさせることにより、犯罪行為に陥るのはその当該個人に問題があるからなのだと結論づけることになる。 1990年台から2000年台にかけて最も引用数の多い犯罪学理論と言われる自己コントロール理論の登場は、刑罰を用いた社会統制にますます傾斜を強めようとしていた現在の時代状況を反映したものである。自己コントロール理論を必要とした現代の状況とは、端的に指摘すれば、貧困層を監獄に収容するためのロックアップ政策と、社会自体を監獄化し、監視下に置くという監視社会化の進展である。そしてこれらは、ともに米英の刑事政策を基本として展開されたのである。 ロックアップ政策の拡大と刑罰の社会化米国が監獄社会に転換していく様は、数値に明確に表れている。1925年から1973年までは、人口10万人あたりの受刑者比は、せいぜい110から120程度にとどまっており、多少のぶれはあるものの、30%の幅を超えないままで推移していた。しかしその後の四半世紀を経て、1998年には452と、ほぼ4倍に跳ね上がっている。一時的な増加というレベルを超えて、恒常的な爆発傾向を示しているのである(*6)。現在では、およそ200万人に上る成人が収容されており、毎年5万人から8万人の新入受刑者がいると言われ、すでに人口10万人当たりの受刑者人口比は645を超えるとすらされている。実数で見ても、カリフォルニア一州で、1977年には2万人だった収容者数が、1998年には16万人にまで上っている(*7)。 こうした受刑者数の増加は、明らかに政策的に導かれたものである。レーガン政権などによって促進された厳罰化政策(Tough on Crime)が登場したのにはいくつかの理由があるが、まずは当時における犯罪数の増加が挙げられるのが通例である。この時期の犯罪数の増加は、実際には連邦予算の法執行機関に対する増額と技術革新、そして何よりも人口の増加と急激な都市化、その中で培われた「犯罪が増加している」という感覚に依り立っていた、と指摘される(*8)。それに加えて、改善・社会復帰処遇に対する効果への疑問の声が上がり、ヴァン・デン・ハーグなどをはじめとする「適正応報」(Just Desert)主義の登場(*9)などとも相まって、刑務所内の受刑者処遇に対する悲観論が主流を占めるにいたる。 エリック・シュロッサー(*10)やアンジェラ・デイビス(*11)らは、当時から続く厳罰化傾向を持続的な政策として組み立てるための資源を提供したものを「刑務所産業複合体(Prison Industrial Complex)」と呼んでいる。民間刑務所などの存在がこれにあたるが、ニルス・クリスティ(*12)などがたびたび指摘するように、産業複合体と化した施設は、自らの生産性を維持し、持続させるために、利用者、すなわち収容対象者の供給体制を構築する必要に迫られることになる。したがって、刑務所産業複合体は、増え続ける犯罪を前提にした支配構造を樹立する手段として作り上げられるというのである。 刑務所産業複合体は、主に施設内の処遇に焦点を当てているが、実際には、それと同時に社会内処遇に対するアプローチも進展する。保護観察(プロべーションやパロールなど)の効果が疑問視され、ここでも悲観論が登場してくると、その後に、社会内での監視システムの強化の議論が展開されることになる。追跡装置や監視カメラなどの導入が論じられ、そこから登場するのが、生活社会そのものを物理的に統制しようとする環境犯罪学であり、ゼロ・トレランス政策である。 ゼロ・トレランス政策からハイパーゲットーへ「貧困という監獄」の中でも触れられているニューヨークのジュリアーニ市長によるゼロ・トレランス政策は、一般に「割れ窓理論」(Broken Windows)の成功例として紹介される。そもそものはじまりは、一定地域に居住する人びとの生活態度に問題があるとして、そこに監視の目を向けようというものだった。この理論の主唱者の一人ウィルソンは、「割れ窓」を次のように表現する。 「捨てられたガラクタ。雑草はおい茂り、窓は壊されている。親はわめく子どもをしかるのを止め、つけあがった子どもはますますわめく。家族の姿は消え、独り者が住みつく。角の店の前に若い連中がたむろっている。店の親父が出てきてあっちへ行けといい、連中はイヤだという。またもめ事だ。ごみ箱はあふれている。雑貨屋の前には酔っ払いがいる。結局酔って座り込み、路上で寝はじめる。歩いている人には物乞いがたかっている。」(*13) ゼロ・トレランスがターゲットにしたこうした状況は、監視体制の強化によって回避できると考えられた。すなわち対象地区における制服警官の巡回強化などである。さらに近隣からの「自然な監視」状態が生みだされることで、そのコミュニティ全体が安全になる、というのが割れ窓理論の前提としている理解である。(*14) しかし、犯罪多発地域にはさらに膨大な他のファクターが関係している。犯罪多発地域の分析としては、割れ窓理論ではあまりにも不十分である。実際、ゼロ・トレランス政策は、警察当局などによる宣伝にも関わらず、必ずしも成功したわけではないことがすでに広く知られている。(*15) ただ、このゼロ・トレランスにしろ、あるいはより広く環境犯罪学一般にしろ、共通の前提を掲げていることは注意に値する。すなわち、こうした政策は社会環境などにおける物理的な措置に重点が置かれており、犯罪行為をする犯罪者自体に対する措置を含まないということである。したがって、ある地域からの犯罪を除去できても、別の地域でそのような行為が起こることは関心の範囲外ということになる。そして、基本的には対象地域における犯罪数は減ることが前提である。 そのような前提に立っているにも関わらず、実際のゼロ・トレランス政策や環境犯罪学では、その地域にいる人びとに対する監視措置が強化されることにより、逮捕者が増え、施設収容者が増えるという逆の現象に直面することになる。こうした現象は、一つには貧困層が居住している地区としての「ゲットー」に対する差別構造が促進されるために起こる。刑事政策が貧困層に対する直接的、物理的な施策を強化し、自己コントロール理論などによって貧困層が潜在的犯罪者層として捉えられるようになったことにより、新たな差別的刑事政策が、それなりの理論的根拠を備えて復活したのである。レーガン政権が「犯罪との戦争」と呼んだ、1970年代以降の厳罰化政策の結果、かつて克服されたと考えられていた人種差別政策が、再び表れてきた、とヴァカンたちは指摘している(*16)。 ヴァカンは従来のゲットー論から展開して、現実的な社会的基盤から離れて、差別構造だけが独り歩きしはじめる状況を「ハイパーゲットー」と呼んでいる。まさに、このハイパーゲットーこそが、最近の欧米の政策を主導しているということができる。ハイパー化したゲットーは、現実の根拠を持たない分、イメージの拡大再生産の中で増殖する危険性がある。特にこれが頻繁に見られるのは、外国人や移住者との関係である(*17)。 「犯罪との戦争」を受ける形で展開されている2001年以降の「テロとの戦争」では、主に外国人移住者に対する差別政策がより強められている。ヴァカンが指摘したハイパーゲットーは、今や貧困層に対する施策を超えてより大きな政策の流れに従いつつ、各国で起こっている移住者に対する排外主義となって牙をむいているのである(*18)。 おわりにこのように見てみると、欧米で見られたというさまざまな施策の流れや現在の状況は、現代の日本社会を取り巻く情勢、そこでとられている政策とほとんどが一致している。だとすれば、ヴァカンや他の論者たちの指摘を踏まえながら、現在の日本で進行しつつある厳罰化ポピュリズム、民営化論議や規制緩和、テロ対策の名の下での監視体制、監視社会化、そして入国管理および外国人管理の政策の流れなどに、これまで以上に注意を向ける必要がある。 新自由主義という用語によって必ずしも問題が解決するわけではないが、刑事政策や犯罪学をより大きな政策の文脈から見直すという試みの重要性には疑いがないように思われる。
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