国境を越える国境政策 II「反テロ」を口実に広がる差別的な国境政策「世界」6月号(2006年6月) 世界を席捲する「反テロ」の旗今国会で入管法の改訂が決まった。16歳以上の外国人が日本に入国する際に指紋情報を採取することと、「テロリスト」の容疑があると疑われる滞在者に対して法務大臣の裁量で退去強制手続きがとれる、というのがその内容である。ともに、海外からの「テロリスト」に対する取締り強化のための措置であるとして説明されている。実際、政府は、指紋採取については1年半以内の施行、「外国人テロリスト等の退去強制事由に関する規定の整備」については6月13日から即時施行するとしている。 このあからさまな「反テロ」法は、しかし、実効的な「テロリスト対策」というよりは、「反テロ」を口実として人権を制限する措置を拡大しようとする国際的な傾向の一翼を成している。 9.11以降、世界の人権状況は一変したと言われる。大国によって「力による正義」が振りかざされ、それが振り下ろされる先は「テロリスト」だという主張が、国際政治の場を駆け巡っている。各国とも、「テロリズム」に対抗するためにあらゆる資源動員が正当化され、その結果、本来資源が振り向けられるべき、世界各地で貧困や政治的不安に苦しんでいる人びとが置き去りにされている。* まさに「反テロ戦争」の戦争状態である。しかも、この「戦争」には、打倒するべき明確な「敵」がいるわけではない。絶え間ない戦闘が続き、その終結の見通しは立っていなない。結局、戦争遂行にともなう非常時の権利制限に期間が設定されず、超法規的状況が延々と継続し、常態化するという構図が描かれ始めている。 **
このような状況が、「人権を守る」、という世紀を超えた国際的な歩みをないがしろにするものだということは論を待たないだろう。20世紀の後半から、あらゆる人びとの努力の結果積み重ねられてきた「人権」が、「戦争」の旗印の下に、国家の意図に押さえ込まれようとしている。しかし、重大なのは、この「戦争」が国境の枠にとどまるものではないことである。 実は9.11以前から、各国は自国の国境を越えた「取締り」を模索してきた。国連犯罪防止会議などが提唱している国際的な捜査共助体制の構築などはその典型だし、刑事司法の国際化というスローガンの下で進行した「国連越境犯罪防止条約」は、各国の犯罪カタログの共有までもその目的としている。安全の確保を理由として、各国の刑事司法が協働体制を構築するなか、軍事力の動員まで可能にしたのが、9.11以後の体制であるといえよう。 軍事力が関わることにより格段にスピードアップしたこの全世界的な治安維持体制は、各国の国境線をその防波堤として措定している。水際で不安要素の流入を防ぐという旧来の発想に基づくものだが、実際には、この国境線は世界的な監視ネットワークの端末としての意味をもってくる。世界規模で起こる人の移動を各チェックポイントで管理し、動静を個人レベルで把握するのである。一国だけの犯罪歴の情報などは、複数国にまたがる移動をしている以上、意味をもたないので、あらゆる個人情報が、この際集められることになる。入国管理の情報は、少なくとも国家間移動を把握する上では、まず最初にチェックできる情報だということになる。 そうした情報を元に移動状況を的確に把握するためには、膨大な数の個人情報のデータベースを各国間で共有することが必要になる。まさにそれこそが、捜査情報共助という名目で現在世界規模で進められている試みである。グローバリゼーションの下で人の移動が拡大すると同時に、国境管理の名目でその管理もまたグローバル化しようとしているのである。* 国境管理に発動された措置のしわ寄せは、十分予想されることだが、難民や移住者の権利に押し寄せてくる。移住者に対する過酷な取り扱いは、まず受入国側の基準が厳しくなるとともに、移住者一般に対する取締りを強化させることになる。場合によっては、恣意的な身柄収容が増加する状況も見られる。 また現在、米国は、「テロリスト」の容疑をかけた人びとを、拷問することが可能な海外の秘密収容所に秘密裏に移送するという施策を行っている。* これは、一種の拷問の「外注」であり、「テロリスト」容疑をかけられた人に対しては、あらゆる超法規的措置が動員されていることの一つの証左でもある。事実、米当局は、「テロリスト」容疑者は、「一般の刑事被告人にはあたらず、一方で、正規の戦闘員ではないので、戦争捕虜の扱いも受けない」として、あらゆる権利保障の機会を否定するような主張を繰り返している。このときターゲットとなっている人びとの多くが移住者であるという点は、一種の人種差別的取り扱いではないかと思わせるに十分である。
移住者、難民の身柄の取り扱いは、本来「テロリスト」の問題とは関係がない。しかしながら、各国がこぞって、「テロリスト」対策の名の下に移住者、難民の権利を侵害しつつあるのは、一方で旧来型の「ネーション=ステイト」(国民=国家)のきしみが表れていると理解することもできる。 それでは、具体的にはどのような移住者・難民政策の変化が起こっているのだろうか。 オーストラリアの難民選別政策2006年4月13日、オーストラリア移民相が提出した移民法改正案は、船舶でオーストラリアに到着するすべての庇護希望者を不法入国とし、域外にある収容センターに送るとしている。 難民としての庇護を希望する人びとに対するオーストラリア政府の取り扱いは、実はこれまでも深刻な懸案事項である。特に船舶で来豪する人びと(いわゆる「ボートピープル」)に対する差別的取り扱いが問題で、過去には、域外のナウル島に庇護希望者の子どもを収容し、国際的な非難を受けて子どもたちの身柄拘束を解いたという事件も起きている。オーストラリア政府は、そうした人びとに対して難民条約に定められた庇護義務を果たしていない。 また、9.11の直前の2001年8月、ノルウェーの貨物船M.v.タンパがインド洋のオーストラリア領クリスマス島付近で遭難したインドネシア漁船から430人以上の人びとを救助した。中には負傷していた人びともいたが、オーストラリア当局は430人の領内への入国を拒否した。そのほとんどがアフガニスタン人庇護希望者だった。 これら庇護希望者たちは、太平洋上の島、ナウル島(ナウル共和国)とマヌス島に域外申請手続きのため移送された。オーストラリアがこれらの国に二国間援助を申し出た後の措置である。この措置は「パシフィック・ソリューション」と呼ばれた。最終的にこの措置を受けた人びとの数は1547人にも上った。国際的な非難が高まる中、その多くが難民として認定され、現在オーストラリアに居住している。しかし、難民認定を受けたあとも、依然としてナウル島に収容されたままのイラク人が二人いる。 過去から続くオーストラリア政府の対応を見る限り、入国管理の段階で、移住者を排除し、難民に対してすら保護の義務を果たさない状況は、今回提案されている改訂案により、さらに強化されるのではないか、と懸念されている。 その後に起こったアフガン戦争、イラク戦争を先取りするかのようなこうした措置は、国際情勢が一時的な事件によって左右されたというより、より大きな継続的政策に主導されていることを示唆している。「反テロ」という旗印自体が、必ずしも字義通りのものではなく、あらかじめターゲットが定まっているような印象も受ける。国境政策は、まさにその表れなのではないかと考えられる。 英国および欧州諸国の国境管理オーストラリアで見られた域外施設での水際作戦は、EUへの地域統合が進む欧州では、よりあからさまな措置を生んでいる。 EU内での自由な往来を確保するシェンゲン条約により、域内の国境線があまり意味を成さなくなったため、欧州では域内に入る段階を厳しく管理しようとしている。2003年、英国政府は英国に入国した庇護希望者を、EU加盟諸国に隣接する国ぐにの乗り継ぎ審査施設に移送するという提案をした。EUも同様の行動計画を策定した。両案とも、国際法上合法性に問題があるとして、実現していない。 しかし、2005年7月7日のロンドンでの同時多発爆破事件を経験した英国は、それを契機として「2000年反テロ法」に規定された広範な「テロリズム」概念を援用することによって、令状なし逮捕、接見交通権の制限、警察留置場への長期収容など、事実上の「裏の刑事司法手続」を生みだしている。特に、2001年反テロ、犯罪、安全法」(ATCSA)の第四部に規定されているように、英国からの退去強制ができない外国籍の人を当局が「テロリスト容疑者」と認定した場合、その人物は起訴も裁判もないまま、無期限の身柄収容に置かれ得る。。そうした判断の根拠となる証拠は開示されず、諜報活動による情報を根拠にするとされている。ちなみに、「退去強制ができない」とは、退去先で拷問や虐待を受ける可能性があるため、ということであり、本来難民としての保護を受ける権利を持つ人びとのことを指している。英国が誰を「テロリスト」と考えているかを考察する上で、きわめて興味深い。 「テロリスト容疑者」の認定を受けた人は、それに対する異議を入国管理不服申立特別委員会に対して提起できる。この異議申し立て手続きは、英国政府によれば入管手続に関わる行政手続であり、刑事手続きではないとされている。しかし、「テロリスト容疑者」認定は内相の職権で行われ、その性格から考えれば、その認定にしたがってATCSAの手続きが進行する以上、刑事手続きにあたると考えるのが妥当である。 実際にATCSA第4部に基づいて逮捕拘禁された外国籍の人びとは16人に上るとみられている。いずれも3年以上厳戒刑務所に拘禁され、期限の定めのないまま、場合によっては隔離状態で、精神的、身体的虐待を受けている。 他の欧州諸国でも、庇護希望者に対する厳しい取り扱いが進行している模様である。例えば、最近、イタリアとリビアがリビア国内に3つの施設を設置する合意書に署名したが、これは船舶で入国しようとする庇護希望者と移民の審査をする目的だと考えられている。しかし、この施設の真の目的についてイタリア政府は公表していない。UNHCRの2006年報告書では、先進諸国に難民が入国した水準が近年著しく減少していると述べている。 日本の入管法改訂と各国政策との関係今回日本で導入されることになった、指紋を利用した生体認証は、国境政策をそのまま、「反テロ」に利用しようとする試みだが、この流れは各国の傾向とも一致している。 まず、英国と同じような、「テロリスト容疑」を理由とした退去強制手続がある。英国でも基本的には退去強制となり、無期限の身柄拘束は、退去強制が許されない、つまり本来は難民にあたるような場合の例外措置である。日本の場合は、難民ないし難民申請中でも、退去強制手続を発動させる余地を生じさせた。無期限の身柄拘束については、日本の場合、実際には現行制度でも無期限で入管収容施設に収容が可能であり、問題はより大きい。「テロリスト容疑」をかけられた場合、拷問を受ける可能性があっても、送還されるおそれがある。さらに米国による秘密移送の措置にも利用される危険性もある。 一方で、指紋情報の収集は、国際刑事警察機構(インターポール)の情報などと照合され、巨大な個人情報データベースを構築する試みに加担することになるだろう。特に、米国はすでにUS-VISITと呼ばれる同様のシステムを稼動させており、あらゆる外国籍入国者に対して顔写真と指紋情報の提供を義務付けている。今回日本が導入しようと計画しているシステムは、実際の運用をこのUS-VISITを扱っている企業に委託することが想定されており、もし実現すれば、日米の巨大な指紋情報データベースが一企業に集められることになる。 これが「テロリスト」情報として利用可能なのか、という点は一概には断定できない。手配されている「テロリスト」が指紋を残しているとは考えにくいし、偽造の可能性もある。指紋情報を指標として照合ができる犯歴データベースには限りがあり、通常そこには、「テロリスト」は含まれていない。顔写真や名前による照合については、変装等に対処できない。したがって、指紋情報等の採取は、「テロリスト」照合にはまったく直結しない。何より、「テロリスト」を海外からの入国者と断定している点には、まったく根拠がない。 したがって、今回の措置は、グローバリゼーション下での人の移動を総合的に管理するための措置であると素直に読むべきであろう。 問題は、こうした外国人に対する管理が、グローバルに差別を拡大させていくという点である。すでに各国の「反テロ」が、具体的には主にどういう人びとをターゲットにしてきたのかは見てきたとおりである。世界規模で、人種主義や民族差別を助長する動きを、「反テロ」政策は生み出している。それはかえって、世界の安全を危機に陥れる措置だろう。 かつて、世界は「人権」を再統合の旗印とした。それは一定の効果をおさめていた。「反テロ」はそれを再び混沌の中に陥れてしまう、危険な旗印だと言えないだろうか。 |
|