無犯罪都市の試み〜環境犯罪学の検討〜 (PDF版) 1995年11月8日 はじめに犯罪学が登場した19世紀は、「都市と犯罪」の世紀、「累犯」の世紀ということができる。 ●公式の説明(犯罪学の教科書的説明): 経済的変動、政治的革新などを受けて、多くの労働者人口が都市に流入した結果、都市の犯罪問題が深刻化した。そこから実証主義犯罪学が生まれる。 ●フーコー「規律と監視」などに見られる視点: 都市を中心に、犯罪統制を理由とした中央集権的監視装置を構築することで、大規模な支配体制を構築した。犯罪学はそのための手法を提供するために生まれた。 (cf.牧人司祭型権力、パノプチコン) Bottomsも、環境犯罪学は犯罪の研究と同じくらい古いと述べ、その淵源をゲリーやケトレー(仏)、メイヒュー(英:1862)らによる初期の犯罪統計調査に求めている。 社会原因論の流れとよどみ犯罪学の黎明期に生じた二つの系列(生物学派、社会学派)のうち社会学派は、犯罪の原因(決定的要素〜主な要素の一つ)を社会に求めた。より具体的には「貧困」に求めた。 その帰結としての三つの可能性:
●フェリの犯罪社会学 フェリ「犯罪社会学」:犯罪者個人のレベルで社会的・経済的・政治的ファクターの重要性を指摘。多元因子論。「素質と環境の積としての犯罪」の概念の提示。 cf.メツガーのKrT=aeP.ptUの犯罪公式 ●フランス環境学派 ラカッサーニュ:「社会環境は犯罪人の培養基である。微生物は犯罪人に相当する。それを発酵させるのが社会である」。環境一元論。タルドの模倣論(Trickle-down)。 ●環境原因のさまざま 犯罪学黎明期において考えられていた環境原因としては、社会環境のほか、自然環境がある。温度、天候、季節、地理特性、経済状態、戦争、家族の道徳形成機能、学校社会、職場、婚姻など、他にも多くの要素が考慮の対象となっている。
初期犯罪社会学は、国家の政策として、こうした原因と考えられるものに対して、最大限効果的に直接介入しようとした。 →生活への介入、教育への介入、文化への介入。(A、B) ●ボンジェおよび初期マルクス主義犯罪学 マルクス:犯罪の定義やそれにともなう国家介入を捉えるに際して根本的な発想の転換 階級闘争:従来の犯罪は資本家階級による労働者階級の搾取を正当化し統制する手段。(森林伐採法の記述など) ◎ボンジェ(ベルギー)やコラヤンニ(イタリア) 「犯罪とは資本制社会が生み出した支配の道具である」と捉える立場。その帰結は、経済制度の根本的変革であり、革命であり、国家による介入の全面否定。また同時に社会主義革命達成の際は、犯罪が根絶されるという見方も共有する。 初期マルクス主義犯罪学「社会が変われば犯罪の意味も変わる」(Cのアプローチ) ●ソビエト20年代の挑戦 「無犯罪社会」実現への実験(1922〜1930) 「社会主義の無矛盾性」のゆえに社会主義社会では本質的に犯罪は存在せず、ただ「資本主義の残滓」が階級闘争の標的となるのみ。→「階級敵」へのあらゆる対抗手段の動員 資本主義的犯罪の重罰化 ルンペン・プロレタリアートの資本主義的寄生性を教育手段により除去する。(教育主義) 生産手段の管理と生活手段の計画経済化(5ヵ年計画・国家等への所有権の集中) cf.20年代の諸挑戦は、結果として30年代のスターリンによる粛正のあらしの中で頓挫。1980年代後半からのペレストロイカは、一面としてこの20年代の動きを継承している。ただしこれもソビエト崩壊によって頓挫。 ソビエト=上記のA、B、Cの要素をすべて含む、初期犯罪社会学の帰結としての総合的実験。 cf.この要素は他の社会主義国家にも継承された。社会主義社会の全体主義化。(中国、旧東欧諸国、朝鮮民主主義人民共和国、ポルポト政権などさまざまな態様) ●犯罪の常態性仮説の発展:ゲリー・ケトレー・フェリ・デュルケーム 初期犯罪社会学の社会原因探究の「よどみ」としての常態性仮説。 ・一定量の犯罪が一定の社会に存在する。 ・デュルケームのアノミー論 ・犯罪正常説(社会学的方法の基準) 犯罪対策は社会統合を害する程の犯罪行為の問題ではなく、多くは、こうした一定量の犯罪をどう取り扱うかという規範設定の問題=犯罪社会学の社会原因論からの解放 都市論の変容と犯罪学の対応●シカゴ学派における都市論(初期) トマス、パーク、バージェス、ワースらによるシカゴ学派の創設 シカゴ学派による都市: パークの都市論: バージェスの同心円理論:
ワース: ●初期都市論の帰結としてのシカゴ・プロジェクト ショウとマッケイによる研究(1930年代) →犯罪学理論への影響:セリン「文化葛藤論」サザランド「分化的接触理論」 ・生活史記述の手法によりコミュニティやその成員の生活を調査 ・非行少年居住区のマッピング。→人間生態学、都市生態学 * Bottomsによれば環境犯罪学の創始
こうした都市中心部に居住する人々の経済状態と犯罪との関係よりも、実は都市空間の経済的機能分布や都市空間に付随するモラルの多様性などのファクターの方が大きな意味を持つ。伝統的な単一のモラルに属していた、家族、教会、コミュニティなどは、モラルのコントロール機能を失い、統合性を喪失する。(Bottoms〜Finestone1976) → ショウとマッケイの社会解体論 ●コーヘンの「非行サブカルチャー論」とクロワード&オーリンの「分化的機会構造論」 サザランド「分化的接触理論」(DA)=犯罪学習説(どう犯罪をするか?) マートン「アノミー論」=合法的手段→中産階級的価値(何故犯罪に走るか?) 「葛藤理論」系列 両説の統合: 非行サブカルチャー論: 分化的機会構造論: ●青少年動員計画(MFY)の興亡
シカゴ計画:社会福祉資源の再土着化(コミュニティ復元計画)
国立精神衛生研究所 1962年のMFY事業団の設立→米国連邦政府の非行対策モデル →「Economic Opportunity Law」(1964)へ移行(全国規模での介入) 大統領諮問委員会報告「自由社会における犯罪の挑戦」公刊(1967) 貧困への戦いを正当化し、公私を問わずあらゆる機関が青少年問題に介入するよう提言 ↓介入によって国家への批判を醸成する ●シカゴ学派都市論の変容と新都市社会学の系譜 社会構成理論:都市生活の特徴を都市を構成している人々の属性によって説明 「人口・密度・異質性」の初期シカゴ学派を批判→経済的条件、生活状態、流動性の強調 都市研究の対象としてのアーバニズムを、理論的には否定。 「都市経済が低賃金労働者を必要としており住宅市場が居住地選択を制限する」(ガンス) 都市生態学の動き:同心円モデルからセクターモデルへ 社会構造を構成する次元によって、同心円モデル、セクターモデルが個別的に妥当する コミュニティ存続論:バージェスの追試により「空間に準拠するコミュニティ」シンボルとして存続するコミュニティ像を提案(ハンター)→場面を限定したコミュニティの登場 旧来の全的、密着的なコミュニティから、シンボリックなコミュニティへ その集合としての都市社会 →文化生態学(ファイアレイ) ◎新都市社会学(カステル):「都市の危機」への回答(都市問題: 1977 ) 「都市の危機」の背景:
都市イデオロギー批判:
両者ともに都市イデオロギー(都市に関する疑似観念化)を生んでいる。都市をそれ自体として研究しており、後期資本制の枠の中で理解せず、国家による都市の資源に対する介入・支配を隠蔽する。 集合的消費:住民のコミュニティ資源への接近と分配、労働力の再生産
空間から区別された「都市的なるもの」
カステル:介入する国家の相対的自律性(cf.プーランツァス) ●ラベリング論以降の政治批判的犯罪学と都市(Left Realismの登場)
ラベリング理論以降、犯罪学は原因論から離れ、刑事司法過程の検討の必要性をアピール。それに対する保守的犯罪学からの応答=コントロール理論等。 「Broken windows」(J.Q.Wilson&Kelling) 「捨てられたガラクタ。雑草はおい茂り、窓は壊されている。親はわめく子どもをしかるのを止め、つけあがった子どもはますますわめく。家族の姿は消え、独り者が住みつく。角の店の前に若い連中がたむろっている。店の親父が出てきてあっちへ行けといい、連中はイヤだという。またもめ事だ。ごみ箱はあふれている。雑貨屋の前には酔っ払いがいる。結局酔って座り込み、路上で寝はじめる。歩いている人には物乞いがたかっている。」 ラベリング以降、急進的犯罪学が刑事司法分析、イデオロギー批判に向かった結果、現実の社会に対する適応力を失ったのではないか、と「Left realism」を提唱。80年代。 J.Young:「Taking crime seriously」(DworkinのTaking Rights Seriouslyのもじり) R.Matthews:「Broken windows」のイメージに対抗する分析と批判 粗暴状況→インフォーマルコントロールの弱体化→犯罪増→犯罪への恐怖増という図式自体への批判。だが粗暴状況と犯罪には(統計上)直接の関係がない。「犯罪への恐怖」(fear of crime)を宣伝するがためのイメージ操作。 Left realismの主な着眼点はfear of crimeの沈静化
(コントロール理論との親和性を持つ環境犯罪学への一定の返答と受容) 環境犯罪学の登場●シカゴ学派の系譜と環境犯罪学 西村春夫(1995)による整理 ◎守山正(1993)による整理 「社会」モデルと「状況」モデルとの対立(社会復帰モデルと正義モデルに対応) 状況的犯罪予防:犯罪動機は状況的要因に左右される。人に対する働きかけを含まない。 機会減少論(opporunity reduction):但し「機会」の語に統一的な理解はない
具体例として対バンダリズム用公衆電話機、対自動車盗用ハンドル固定器、防犯都市構想としての犯罪=死角のない団地設計:産業界をも巻き込んだ環境変更プロジェクト。 他の理論的根拠としてrational choice*の存在。 *潜在的犯罪者は合理的選択をおこなうという前提:犯罪誘発的状況の有無、報酬の有無、検挙・逮捕のリスクの有無をチェックする。(cf.ゲームの理論=抑止刑論) ・個人主義に機軸をおく生活様式の中で、一方でその市民的自由に制限を加えていく状況的犯罪予防は矛盾を含んでいる。(守山) 「社会」モデル:人と人との相互作用をともない、教育や福祉といった人間的営為による 規範・学習の価値の学習、遵法精神の涵養による犯罪予防 伝統的モデル(児童プロジェクト等) →第3のモデルとしてのコミュニティモデルの提起:community policying等 ●環境設計としての防犯都市構想とコミュニティ・オーガナイゼーション 防犯都市構想:「犯罪のない街づくり」として横断的に研究が進められている。また、SECOMなどの民間警備会社による自宅警報装置の普及も始まる。
上記のような施策は、しかし、犯罪への不安(fear of crime)の除去を目的としており、中流居住区ないし銀行やプラント、空港といった重要施設を中心として考慮されている。 コミュニティ・オーガナイゼーション: コミュニティ・オーガナイザーと地域住民とによる地域結合の再生。少年非行の対策論としては伝統的系譜に属する(ロス、副田ら)。都市空間の再配置と利用性の向上は上記に加えて(空間利用の支援)と(防犯活動への地域住民の参加)を促進する。 C.R.Jeffery:Crime Prevention through Environmental Design(CPTED)の4要素 日本でも「都市犯罪防止のための環境設計基準の研究」の基本コンセプトとなる。 ●英国内務省の状況的犯罪対策に関する告示 英国内務省犯罪予防課(Home Office Crime Prevention Unit)の創設 Situational crime prevention (状況的犯罪予防):居住空間だけでなく学校や公共施設を含む空間に対して環境設計による犯罪予防を適用する。物理的空間を超えて人間環境をも「環境」として働きかける。 犯罪の領域性、監視性に加え、「機会」を中心概念にすえ、被害対象物の強化ないし除去、犯罪手段の撤去、報酬の縮小、公の監視と地域住民による自然な監視、人混みの分岐、居住人口の調整までをもコントロールの対象とする。 現在、英国内務省の告示として、状況的犯罪予防の手法がまとめられている。 ◎ストックホルム・プロジェクト Community Policyingと学校プロジェクトの融合(Wikstromの主導による) Brantingham夫妻による環境犯罪学からの生態学的エリア分けを利用しつつ、ストックホルム全市を対象とした、調査・活動プロジェクト(1988〜90) 調査プロジェクトの進行にしたがって可能な資源を利用した活動プロジェクトを実施 調査ターゲットとして、学校を取り上げ、その生徒の背景を分析 Wikstromによる都市環境下での犯罪のバリエーションの説明概念図
●環境犯罪学 Brantingham夫妻による命名:Environmental Criminology 犯罪の領域分布についての仮説:犯罪行為の態様によって発生地区が異なる。 Wikstromは上記調査の結果、犯罪態様別で分布が異なることを証明した。(シカゴ調査の結論への重大な変更) Brantinghamによる仮想的領域分布と機会との関係図 犯罪への機会の大小、また犯罪者の行動範囲により、犯罪態様は各々異なる分布を示す。 Multiple victimisation:世帯による犯罪被害にあう確率が著しく違う。極端に被害にあいやすい世帯というものが存在している。→その世帯特有の条件とは? 可能性としては、「機会が特別に多くなる構造がある」「同一人の犯行である」 「初犯者による情報で次の事件が起きる」などがある。→空間的要素の変更 さらに犯罪が住居市場の変動に及ぼす影響の分析 ・社会的コントロール理論との親和性 J.Q.Wilsonの"Broken Window"との共通性。犯罪は当該地域判断のバロメーター。 将来に向けた環境犯罪学の可能性(Bottoms) 都市ー田舎の対立項はすでに、都市による増殖的支配によって意味がなくなっている。 しかしながら犯罪率においては両者には厳然とした違いがある。環境犯罪学は、これまでの都市の研究をもとに、田舎をも含めた全体社会への説明を開始するべき。 上記の点については、都市生活の態様が現在変わりつつあることを認識すべき。 また地域に絶大な影響力を持つファクター(地方企業など)を考慮する必要。 ●左派犯罪学におけるMulti Agency Interventionと環境調整 Left Realismと並ぶ左派犯罪学の潮流であるAbolitionismの立場から Multi Agency intervention:刑罰を廃止し、あらゆる社会資源を利用しつつ、国家の直接介入を原則的に拒否しつつ犯罪予防を達成しようとする。→コミュニティ利用の可能性 上述のLeft realismも国家の直接介入を避けた上で、限られた資源を集中的にとうかすることを提言する。(環境犯罪学の一部受容、但しコントロール理論には対決) 環境犯罪学の意味の検討●カント的道徳法則からの解放者としての状況倫理 カントの社会哲学=普遍的法則としての道徳法則(cf.最後の死刑囚の挿話) これに対して、状況倫理(contextual ethic)は異なるパースペクティブを提供する。 状況に対して対話的に関わる:
(フレッチャー)=状況の中で「愛」を規範とする決断行為=倫理的行動 現代キリスト教神学の倫理の系譜としての「解放の神学」 ◎ボンヘッファーの倫理(究極以前のことがら) Dietrich Bonhoeffer(1943年にゲシュタポに拘束され後死刑執行) ヒットラー暗殺事件への一歩=ボンヘッファーの「倫理」 ・責任を負う生活の構造: 現実への即応性、他者のための責任、罪責の告白と引き受け、決断の冒険 (暗殺という行為は正当化されるべきものではなく、単独での責任を負う行為) ・究極のものと究極以前のもの: 究極のもの(超自然的なもの)の光の下で究極以前のもの(自然や文化)があり、しばしば究極以前のものは、究極のものにより否定されるないし聖化されるという従来の神学の基本構造を覆し、究極以前のものの重要性に光を当てる。究極以前のものは究極のものへの道を指し示すものであり、その意味で確保されなければならない。 →これが「解放の神学」などの理論的基盤となっている。 ●防犯都市の倫理と無秩序都市の論理 国家の倫理:国家は都市犯罪の状況に介入すべきか?−状況倫理の場合 状況への即応性という点で、正当化される可能性。ただし、都市問題に対する国家の論理を検証する必要がある。 ・無秩序都市(社会解体)を前提とする状況の認識→コミュニティ再建への資源投入 ・但し防犯都市構想の採用された理由は不安除去であり、対象も中流地域に限られている。 環境犯罪学は、都市のあらゆる資源の効率的な動員によって介入を促進するが、その都市が無秩序都市であるという前提は、この場合確立してはいない。 社会資源として数えられる新型コミュニティないし民間の倫理:(解放の神学) ・ソーシャルワーカーの倫理としての都市型コミュニティの中での犯罪・非行予防活動はかつてのMFYへの道を切り開き、行動を社会運動化する。←国家の介入との対決 ●新コミュニティ(ネットワーク・コミュニティ)論からの批判 ハンターや文化生態学のシンボリックコミュニティ論=地縁による地域社会の成立 ネットワーク型コミュニティ:空間に必ずしも拘束されない。 テレコミュニケーション、職場関係の家庭への影響など、居住地とは異質なコミュニティの存在。新しい都市型コミュニティ(最近コンピュータ通信の普及ではずみがつく) コミュニティ崩壊を前提としていた立論に修正を迫る。またコミュニティオーガナイゼーションの実施不能な分野への国家、社会の過度の介入を批判する。 ●新都市社会学による批判 ・集合的消費材の不均等な配分によって、住宅市場の高騰などが演出される。これがさらなる富の不均衡を生み、犯罪・非行地帯を出現させる。(都市の危機の拡大再生産) ・環境犯罪学にもとづく施策により、犯罪被害の転移が起き、社会的弱者の層へと、これまで以上に犯罪被害が集中する。それによってますます貧富の生活様式の差が拡大する。 ・環境犯罪学が提案する手段の適用によって、都市の監視装置化が進行し、都市における階級関係の発露としての都市社会運動が国家の介入を受けやすくなり、結果として統制国家を出現せしめる。(集合的消費の管理に向かう国家の統制のエネルギーが増大する) さいごに環境犯罪学は、社会原因を離れ、個人的負因をも捨て去り、犯罪の実行を可能にする「機会」のコントロールとコミュニティ資源の効果的利用を提言する。
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