Political Criminology

犯罪学理論の流れに関する一考察

〜政治的な言説としての犯罪学理論〜

pdfPDF版) 1998年


  1. 19世紀的支配様式の申し子としての" Homo Criminalis"
  2. 米国実証主義犯罪学の政策主導的側面
  3. Labeling Theoryの政治性
  4. Radical Criminologyの理論的障壁(未完)
    • Schwendingersの定義の革新性と問題点
    • CPTEDと" Fear of Crime"
    • 左派急進主義の分裂
    • 環境犯罪学の展開

    参考文献表

序:

近代犯罪学は刑罰=国家権力が発動する場面に対して、ストーリーを提供する(貧困、欠損家庭、無職、素質他)。このストーリーにもとづいて各種の政策がとられることになる。

作業仮説:各種政策を支えるために個別のストーリーが援用される
(「ストーリー」を通じての支配=近代犯罪学)


I. 19世紀的支配様式の申し子としての" Homo Criminalis"

●C.Lombrosoとは何者だったのか?

「科学としての犯罪学はC.Lombrosoに始まると通説はいう。しかし、この主張は「犯罪学における神話」である。理由は、(1)Lombroso以前にも犯罪現象の重要な研究があったこと、(2)Lombrosoの立場は、主として生物学であり、社会学的アプローチはこれに対抗して展開されたこと、(3)Lombrosoの学説は結局否定されたこと、である。それにもかかわらず、Lombrosoは犯罪社会学を含めた今日の犯罪学に対して、関心方向を主として「犯罪の原因」に限定し、実証主義を方法論とした点で決定的な影響を与えた。

(小野坂:石田他編「犯罪学」1977所収:下線引用者)

「これは単なる思いつきではなく、霊感がひらめいたのである。その頭蓋骨を見て、燃える大空の下の平原のように、突然すべてが明るく照らし出され、犯罪者の本性の問題が解決したように思えた。原始人や下等動物の持つ残忍な本能が先祖帰りをした犯罪者に再現される。解剖学的に表わせば犯罪者や未開人、そしてサルに見られるような特徴、すなわち大きな顎、高い頬骨、目の上の突起、掌を横断する猿線、極度に大きい眼窩、把手上の耳などである。痛みには無感覚で、非常に目線が鋭く、入れ墨をし、過度の怠け癖があり、飲めや歌えの大騒ぎが好きで、自分のためなら悪事でも切望する。犠牲者の命を絶つばかりでなく、死体を切り裂き、肉を引き裂き、血を飲むことを好む。」

(1911年版の「犯罪人論」序文よりTaylor, Walton &Young: New Criminologyが引用したものをStephen J Gould: The Mismeasure of Manが再引用。鈴木・森脇訳を参照)

現在は、一部の例外的な説を除いてロンブローゾによる犯罪現象の説明は受け入れられていないし継承されてもいない(少なくとも公式には)。にも関わらず、なぜロンブローゾは、近代犯罪学の祖として仰がれるのか?

国際犯罪人類学会(1885年〜1911年:第4回までロンブローゾ、第5回以降はフェリ)

ロンブローゾ、フェリ、ガロファロが中心となった国際的な犯罪科学研究活動の先駆。フランス環境学派のラカッサーニュやタルド、トピナールらによるロンブローゾ攻撃の舞台でもあった。1911年から1937年の第1回国際犯罪学会まで、そして戦争中の中断、と20世紀初頭には国際的な学術活動に何度かの断絶が生じている。

犯罪学(Criminologie)ということばは、トピナール(1879年)に始まるとされている。ロンブローゾには「犯罪学」という用語の創始者としての地位はない。また、近代犯罪学の源流と呼ばれる研究は、19世紀前半から、いくつも指摘されている。

「19世紀後半の犯罪学的研究は、ゲリー、ケトレーの犯罪統計研究や、ロンブローゾの犯罪人研究に典型がある。前者は個別犯罪行為については、なお自由意思による非決定論を留保し大量現象としての犯罪のみを科学的研究の対象にしたが、後者のイタリア実証主義は個別の人間についても決定論をとった。この後者の理論的枠組みが前者の延長線上に展開された犯罪の社会的、環境的要因の研究をも取り込む形で、今日につながる犯罪行動の研究となる。」

(吉岡:刑事政策の基本問題、1990年)

    ロンブローゾの功績とされるもの:
  • 犯罪学の創始者 →「犯罪学」という語の創始者ではない
  • 生来性犯罪人/犯罪人類学の創始者 →継承されていない、競争者も有力
  • 研究手法の開始者としての姿 →研究手法は主に骨相学、身体測定
  • 実証主義犯罪学の伝統のはじまり →QuetletやGuerryが先行

●犯罪学黎明期における「社会主義」の優位

実証主義の源流として指摘されるのはGuerry(仏)Quetlet(ベルギー)の統計的手法。(ただし、彼らに対する評価の復権は米国1930年代まで下る。)古典派では対処できなかった「危険階級」に対する対策とともに発展した。

「フーコーは、1820年代にフランスで起こった実証主義犯罪学は、新たな刑事政策を正当化するような公式の総合的なディスクールが必要となった状況への計算された対応だった、と指摘している。だが、この指摘は実証主義犯罪学と刑事政策とが同じ目的のもとに生まれたということを、アプリオリに前提としている。.... 実証主義犯罪学がたとえ国家とその実践から生まれたものだとしても、国家とか階級の利害が直接表れたものだということまではできないだろう。」(P.Beirne: Inventing Criminology,1993)

1820〜30年代にかけて、フランスでは監獄制度の改編作業が進められた。これは当時増加していた累犯に対応するためのものであると指摘されるが、その累犯の数や率は、やはり同時期(1825年頃)に開始された司法行政一般報告の編纂から割り出されている。QuetletやGuerryらの調査もこの数値にしたがっている。(P.Deyon: Le Temps de Prison、邦訳:福井訳、監獄の時代、1982)

こうした貧困層=危険階級=犯罪者層に対する働きかけとして生まれたのが近代犯罪学。このそれぞれの層が、「犯罪との闘争」における攻撃の目標となる。

  • 貧困 → 社会政策の重視、社会主義革命、統制国家
  • 危険階級 → 階級闘争理論の応用(Bongerなど)、ファシズム的排外主義(Ferri)
  • 犯罪者層 → 同定のためのツールとしての犯罪学(Lombroso)

ソビエト刑事政策/犯罪学は上記の要素をすべてあわせ持ち、イデオロギーで統一。

●植民地支配のツールとしての犯罪学

身体測定と「累犯者」の発見

19世紀には、ガロの骨相学をはじめとして、人間を骨のレベルで究明しようとする傾向が顕著である。統計的手法で有名なQuetletもLombrosoへと引き継がれる頭蓋調査をおこなっている(P.Beirne:Inventing Criminology)。Lombrosoが自説補強のために援用した調査手法は、もっぱら頭蓋測定および身体測定であった。フランスのベルティオンによる累犯者識別法は、こうした身体測定をうお、個々の犯罪者の同定に使用するものだった。これにより、犯罪者情報(データベース)の管理が可能になり、累犯者という存在が再び意味を持ってくる。

「拙著の図版に示されているごとく犯罪者は特別な人間類型なのであります。....しかし、野蛮人や未開人には犯罪者型人間がいないといわれています。たしかにこれらの人の大部分は犯罪者の表情をしていて、その表情をかえることはできないのです。しかも犯罪者の顔立ちはアビシニア人にそっくりです。それでは、かつては犯罪者だった未開人はどうやって通常人になることができたのでしょう。....さて生来性犯罪者の実在を証明する最後の証拠をあげておきますと、子ども自身が犯罪をおこなう事実があります。...」ロンブローゾによる第4回犯罪人類学会での報告から。

(P.Darmon: Medecins et Assasins A La Belle Epoque,
医者と殺人者、鈴木秀治訳)

ロンブローゾは、犯罪原因の特定よりは、むしろ運命論的アプローチを支持していた。その中で隔世遺伝や、犯罪者=未開人説、犯罪者=子ども説などを唱えている。

(Gould: Ontogeny and Phylogeny、1977、邦訳:個体発生と系統発生、1987)

植民地政策における分類による支配

植民地政策の中で、犯罪学がどのように使用されたかの例は、英領インドのCriminal Tribe Actに端的に表れている。19世紀末の英領インドで、特定のカーストの成員たちを識別するための身体測定を含む大規模調査がおこなわれた(1856年の司法委員会レポートでの要請)。そして、Born Criminalとしての犯罪集団「Criminal Tribe」なるカーストの存在が指摘され、Criminal Tribe Actという立法措置が講じられた(1871年〜1947年)。生まれながらに犯罪をすべくカースト制度によって決定されている、というレッテルが張られたのである。こうしたCriminal Tribeとして認定された階層は、独立直後には、ウッタル・プラデーシュ州だけでも人口の40%に上ったといわれる。

「Criminal Tribeは、植民地政府により、統制、管理される必要があると考えられた“異常な”現地人のメタファーである。そして、彼らの犯罪性を言い立てるために作り出されたことばは、そのまま彼らの教化のためにも用いられた。統制権力は、彼らを農村に定住させる方向で用いられ、こうした定住性促進こそが、改善・正常化のプロセスと捉えられた。こうした方向性は結局失敗に終わり、定住化促進という側面よりも罰としての農作業の方が強調されるようになる。これは、地主たちが課していた高利や収穫の失敗といった要素の側面が大きいのだが、当時一般には、定住化を強要された人々が農作業のつらさに耐えようとしないからだと説明され、結局Criminal Tribeの犯罪性を再強化する方向で用いられたのだった。」

(Sanjay Nigam: Disciplining and Policing the " criminals by birth", The Indian Economic and Social History Review,1990


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II. 米国実証主義犯罪学の政策主導的側面

●なぜ1930年代の米国に主流が移ったのか?

犯罪学説史上のもう一つの謎:犯罪人類学会の解散後、米国犯罪学が隆盛するまでの間に断絶がある。

  • シカゴ学派による犯罪研究:Thomasの「社会解体論」、都市社会学などを中心とする。「犯罪」は主な研究の対象の一つだったが、「犯罪学」というまとまりをもった研究の方向性まではなかった。
  • Shaw&McKeyのシカゴ研究:生態学的調査としてQuetletやGuerryを復権。シカゴプロジェクトとの連動という、政策=調査一体型の研究活動。(官学共同)

Edwin Sutherlandの登場

E.Sutherlandのシカゴ大学での主な関係者は、Small, Thomas, Henderson, G.H.Meadなど。1932年Michael-Adler Report “Crime, Law and Social Science”が出版され、Sutherlandはこれに対する批判論文を執筆。米国での犯罪学研究機関の必要性を提示。

「1. これまでの犯罪学の研究は無駄だった。2. それは犯罪学者が科学に関して無知だったから。3. 現在おこなわれているような犯罪学の研究手法を止め、他の分野から研究者を引っ張ってくるべきだ。」この論争後、彼はシカゴ大学にうつり犯罪学講座を担当することになる。1939年のCriminology第3版で、SutherlandはDifferential Association(DA)の理論を提示する。(Gaylord&Galliher: The Criminology of Edwin Sutherland,1988)

Michael-Adler Reportという政策的配慮にもとづく犯罪学振興策が存在し、それに対してシカゴの伝統を受けていたSutherlandが反応する。そして個々の犯罪対策とそれを正当化する犯罪学理論との連動が犯罪学研究の一つの型となる。→実証主義犯罪学。

実証主義という概念自体が、19世紀犯罪学よりも政策的な色合いを帯びている。

(利用される犯罪学から、政策に積極的に関与する犯罪学へ)

●E.SutherlandとR.K.Merton

DA理論の構成

後にAkersらにより社会学習理論に発展させられたDA理論とそれに続く理論群を、HirschiらはCultural Devianceの諸理論と捉えている。いずれにしろ、その内容は、SutherlandとCressyによって整理され、以下の9の命題に集約されている。

  1. 犯罪行動は学習される。
  2. 犯罪行動はコミュニケーションの過程で他の人との相互作用の中で学習される。
  3. 犯罪行動学習の主要部分は親密な私的集団内でおこなわれる。映画や新聞等のインパーソナルなコミュニケーションの機関はあまり重要な役割を果たさない。
  4. 犯罪行動の学習は、a.犯罪行動の技術の学習、b.動機、衝動、合理化、態度などの学習、を含む。
  5. 特殊な方向への動機や衝動は、法律を好ましいものと考えるかどうかによって異なって学習される。
  6. 人は、法律に違反することをよしとする考え(規範)が違反を好ましくないとする考え(規範)を上回ったときに犯罪者となる。人が犯罪者となるのは犯罪的な文化と接触し、非犯罪的な文化から隔絶されるからである。
  7. 分化的接触は頻度、期間、接触の早さ、強度の点で異なる。
  8. 犯罪的行為類型や非犯罪的行為類型との接触による犯罪行動学習過程は、他のすべての学習にあるメカニズムを含む。単なる模倣ではない。
  9. 犯罪行動は一般的な欲望や価値観の表現であるが、犯罪でない行動もその点では同じである。犯罪行動は、欲望や価値観からは説明できない。

G.Vold&T.Bernard&J.Snipes "Theoretical Criminology" 4th ed.1998

DA理論は犯罪は学習されるものという理解で統一され、情動障害や人格的特性などの条件が犯罪の原因とみなされることに反対したとされる。しかし、実際は、この理論はいくつかの要素が折り合わさったものである。単に学習理論のみで記述されたものではなく、法的な定義付けの問題なども視野に含んでいる。

「DA理論が、9つの命題すべてを含むものなのかは議論がある。特に6つめの命題“違法行為を好ましいとする定義づけが、違法行為を好ましくないとする定義づけを上回ったときに、人は非行をおこなう”が、それまでの学習理論とは違ったスタンスで説明されており、それまでの5つの命題との整合性を欠いている。つまりそれまで、学習という過程を犯罪の動機形成に用いていたにも関わらず、この第6命題はそれ以外の“違法行為を好ましいとする定義づけ“という要素のみで、犯罪行為にいたる十分条件としてしまっている。そこで第6命題は次のように読み替える。"犯罪行為は、準拠集団との相互作用の中で、犯罪的規範がそれに対応する対抗規範よりも強かった場合、学習の過程において、犯罪的な動機付け、態度、技術といった必要十分条件を備えた場合におこなわれる"。これは集合論にもとづくDA理論そのものの姿である。」

(DeFleur&Quinney, Reforumulation of Differential Association Theory, 1966)

犯罪行動への学習過程に注目しながら、結局違法行為を導く規範とその対抗規範の問題に関心が集約されてしまっている。→犯罪・非行になぜ走るのか、という動機付けの問題を解決できない。

Mertonによるデュルケームの復権

当時コロンビア大学にいたMertonは、Sutherlandとは違ったアプローチで逸脱の研究をおこなった。この流れは、その後「緊張(strain)」に着目した理論と捉えられることになる。Strain Theoryはもっぱら行為者の動機形成に関心を集中した。

Mertonは、この種の動機形成を説明するためにデュルケームの理論を再評価し、そこから独自の「アノミー論」を生み出す。

    デュルケームの犯罪学理論への影響
  • 実証主義的統計処理(自殺論)
  • 犯罪正常説(社会学的方法の基準)
    初期実証主義に対する批判として登場。タルドとの論争
  • アノミー論(社会分業論)
    • アノミー状態における「逸脱」の規範設定機能→ラベリング理論へ
    • 社会的紐帯の強調→ボンド理論へ

Mertonによるアノミー状態の理解

「社会構造ないし文化構造の諸要素のうち、主に二つの要素に焦点をあてよう。最初のものは、社会の構成員一般ないしその一部に対して開かれた、文化的に定義づけられた目標、目的、利益である。...第二の要素は、こうした目標への到達手段を、定義し、合法化し、統制するものである。すべての社会集団は様々な形でこうした目標と到達手段を持っている。これら二つの要素が相互に関連せず、手段が自己目的化したり、目標への到達手段が取り得ない状態となると、デュルケームのいうアノミーとなる。」

(R.K.Merton: Social Structure and Anomie, American Sociological Review 3,1938)

犯罪への動機づけについての構造的なパターンを提示。ここからSutherlandの限界に対するAlternativesが次々と提起される。

Sub-Culture理論(Cohen)Differential Opportunity Theory(Cloward&Ohlin)
最大規模の犯罪防止計画としてのMFY(Mobilization for Youth)の理論面としての機会構造論。反面、この活動は米国公民権運動に母体を提供した。

DA理論とアノミー論を中心とする米国犯罪学の潮流は、このように明白な政策的方向性を持った上で、生み出され、発展させられ、また検討された。具体的な犯罪対策への方向性を持った上で犯罪学理論が「選ばれた」とも言えよう。


III. Labling Theoryの政治性

●Labeling Theoryの理論史的役割

実証主義犯罪学が、極めて政治的(Pro-Government)なものとなったために、その批判勢力として登場。立場設定からすれば、二つの要素が見える。

  • Pro-Governmentへの反省から、実証主義犯罪学の保守性を批判する。
    別の体制イデオロギーへの傾倒(Anti-Government)
  • Pro-Governmentへの反省から、「負け犬」の側に立つことを主張。
    A.W.Gouldner“The Sociologist as Partisan”1968によるBecker批判。
    福祉国家に依拠するLabeling論の党派性を批判。観察者の問題を含めた客観性を考える。

Labeling論自体は、LabelingとかStigmaとかいう単語を使用している説の総称にすぎないが、実証主義犯罪学が前提としてきた公的機関による介入という手段を研究対象としてクローズアップすることで、実証すべき対象自体を相対化した。したがって、一方では観察者自身の立場設定がゆらぎ、理論としての統一を失った。

Labeling理論は、実証主義批判という意味とともに、象徴的相互作用論や、マクロレベルでの犯罪定義の問題、観察者の立場設定を犯罪学理論の範囲に採りいれるといった要素を持っていた。


●日本への紹介のされ方

labeling論の日本への紹介は、何人かの研究者によって積極的におこなわれた。

「人を犯罪者、非行者と見、そのように扱うことがラベリングである。さらにこの理論では、そのように扱い、本人もそのように思うことが、彼をますます犯罪者らしくすることを自己充足的予言として理論化している。....犯罪非行理論としてのラベリング理論は犯罪者、非行者の生成と、犯罪、非行生活の深まりをラベルづけに象徴される社会対応という相互作用的社会過程から分析する理論である。」

(西村春夫:ラベリング論、犯罪・非行と人間社会、1982)

「第一にラベリング理論は犯罪、非行の原因論の中で位置づけられなければならない。....第二に、対応はラベルを貼る側と貼られる側、別の言い方で言えば、社会と犯罪者の相互作用から見られるということである。」(西村春夫:ラベリング、小川古稀、1977)

西村の紹介は、Labeling論の立場設定の問題を外し、原因論の系統の中にそれを位置づけた。こうした傾向が、実務家のLabeling論理解に大きく影響する。Criminal Careerの別語としてLabelingを使用する場合すら見受けられる。そこでは本来Labeling論が持っていた実証主義批判の意味も、犯罪定義への関心や観察者の立場の再検討といった視点は失われ、「逸脱ラベルの付与が逸脱者を生み出す」という命題に集約される独立変数の一つとして扱うにとどまっている。特に実務家らを中心に、Anomie論などとLabeling論を並行使用する状況すら見られる。

西村に限らず、多くの日本の実務家が、Labeling理論の受容に際して、このような縮小理解を示したことについて、宝月誠(1996)は「理論の「差異」や「インタレストな社会学」を求める心性」が推進力となったためと指摘する。しかし、より突っ込んでいえば、米国でもLabeling理論が矮小化され、「実証主義的」に批判された(W.Gove ed."The Labeling of Deviance" 1980等)のと同様に、Labeling理論が持っていた政策そのものを視野に入れようとする態度は、やはり政策的には日本の実務担当らには歓迎されなかったと見るべきだろう。そうした観点からは、Labeling理論の積極的な意味は、不介入主義を導く理論という点にしかなかった。

しかし、逆にいえば、Labeling理論を取り巻くこうした状況こそが、Labeling理論に「反実証主義」、「反政策主導」という政治的な性格を付与する反作用を生んだとも言える。



IV. Radical Criminologyの理論的障壁

  • - Schwendingersの定義の革新性と問題点
  • - CPTEDと" Fear of Crime"
  • - 左派急進主義の分裂
  • - 環境犯罪学の展開

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参考文献:

    (本文中に引用したものや犯罪学関連の教科書、解説書などは除く)
  • ピエール・ダルモン、鈴木秀治訳「医者と犯罪者」新評論 1992(1989)
  • グールド、鈴木善次、森脇靖子訳「人間の測りまちがい」河出書房新社1989(1981)
  • グールド、仁木帝都、渡辺政隆訳「個体発生と系統発生」工作舎 1987(1977)
  • G.タルド、稲葉三千男訳「世論と群衆」未来社 1964(1901)
  • ピエール・デイヨン、福井憲彦訳「監獄の時代」新評論 1982(1975)
  • 徳岡秀雄「少年司法政策の社会学」東京大学出版会1993
  • 吉岡一男「ラベリング論の諸相と犯罪学の課題」成文堂 1991
  • 宝月誠「逸脱理論における実証主義支配」、「20世紀社会学理論の検証」有信堂(1996)
  • Wayne Morrison “Theoretical Criminology” Cavendish, 1995
  • Piers Beirne “Inventing Criminology” State University of NY, 1993
  • Taylor, Walton and Young ”The New Criminology” RKP, 1973
  • Gaylord&Galliher “The Criminology of Edwin Sutherland” Transaction, 1988
  • Sanjay Nigam “Disciplining and Policing the ‘criminal by birth’” The Indian Economic and Social History Review, 27.2-3, 1990
  • M. De Fleur & R. Quinney “A Reformulation of Sutherland’s Differential Association Theory and a Strategy for Empirical Verification” The Journal of Research in Crime and Delinquency Vol.3 Jan. 1966
  • R.K.Merton ”Social Structure and Anomie”, American Sociological Review 3,1938

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