Political Criminology

共謀罪法案は政府が主張するような「条約刑法」ではない

マスコミ市民449号(2006年6月)


 今国会で審議されている共謀罪法案は、政府の趣旨説明では、現在国内に立法事実が存在しているというわけではなく、条約にもとづく措置であるとされている。この条約とは、国連越境犯罪防止条約であり、日本は署名をおこない批准の意思を示した段階にある。

 日本では、拷問等禁止条約の場合のように、条約に加入する際に国内法整備をせず、既存法令でカバーできるとした場合や、国際刑事裁判所規程のように、国内法整備ができていないことを理由としてなかなか加入していない場合などがあり、条約と国内法整備の問題は必ずしも一貫していない。そうした中、この共謀罪については素早い国内法整備が先行したという点は、実に注目に値する。

 この条約刑法は、それ自体、大きな問題を抱えている。国際的な人権保障措置というアプローチとは異質な攻撃型の条約であり、その執行自体が人権侵害を起こしかねない性質のものである。しかし、今回の国内法の改正は、それすらも超えた過剰なものとなっている。

 共謀罪は、犯罪の実行にまで至らなくても、当該犯罪の実行について「共謀」に参加しただけで、処罰の対象にできる。その犯罪が、最終的に実行されたか、されなかったかは問わない。したがって、処罰対象である犯罪とされる可能性のある行為の相談に加わった時点で、犯罪が成立してしまう。

 これにより、犯罪として処罰すべき行為が大幅に拡大している。主犯の実行行為がたとえ未遂となり、主犯が刑の減免を受けるような場合でも、相談に加わった人びとの共謀は、それとは別途処罰する余地さえ残っている。

 条約が国内法整備を要求している項目は、条約の3条に規定されている。すなわち、「重大な犯罪」であるところの「組織犯罪集団への参加罪」、「資金洗浄罪」、「汚職」、「司法破壊罪」、およびその他の「重大な犯罪」であり、犯罪組織が関与し、その行為が越境的な性質を持つ場合、である。

 実は、共謀罪法案は、これらの要素に必ずしも合致していない。

 まず「重大な犯罪」については、条約2条(b)項に規定があるが、「最長4年以上の刑で処罰される可能性のある行為」という定義である。ちなみに「最長」という言い回しは、不定期刑のような場合を想定しているものであり、「法定刑の上限」という意味ではない。条約審議の段階では、他の定義も検討されたが、最終的には刑期を基準とする方式がとられた。しかし、この「4年以上の刑で処罰される可能性」というのは、日本のように法定刑に大きな幅を持たせている立法形式を想定しているものではない。要は越境的性質を持つ「重大な犯罪」を定義するために刑期を基準にしているに過ぎないのである。

 日本では、たとえば窃盗罪であっても、条文に規定された法定刑の上限は10年である。しかし、実際には、量刑相場などが影響する余地はきわめて広く、4年以上の刑になるケースは極めて限られる。にもかかわらず、共謀罪法案は長期4年以上の法定刑を持つ罪種すべてを「重大な犯罪」として対象犯罪にしようというのである。実際の処罰の可能性と大幅にかけ離れた、法定刑の形式的な規定だけによって定義した場合、現在の共謀罪の規定方法では処罰範囲の恣意的な拡大が起こる。実際、与党提案の原案では実に619もの罪種が対象犯罪となっている。

 越境的性質を持つ「重大な犯罪」を特定するのであれば、たとえ刑期を根拠にするにせよ、本来この2条(b)は、法定刑のような「形式」ではなく、「実際に処罰される可能性」に鑑みて考慮されなければならない。原案の処罰範囲はその点でも、不当に広すぎる。

 そもそも、この共謀罪法案が主張された背景は、条約5条の「組織犯罪集団への参加罪」をどのように立法化するかということにあった。ここでは、犯罪の実行行為とは別に、共謀行為に「参加」したこと自体を処罰する法が必要であるとなっている。この「参加」をカバーするために導入されているのが「共謀」行為の概念である。条約本文では「共謀」の語は、6条の資金洗浄罪に一度登場するだけであり、全体にわたるものではない。

 英米法では、「共謀」をもってこの「参加」を規制することが可能であるという判断から、すでにあった「共謀」概念を援用することになった。一方で、諸外国では犯罪組織集団への「参加」自体を規制する立法形式もある。条約5条が予定している「参加」を、619もの罪種を包括して「共謀」罪として立法するのは、条約の予定外の立法だといって差し付かえない。同条約自体、攻撃型の条約であるため、そうした立法を禁止することを目的とはしていない。しかし、処罰範囲を大幅に拡大し、結果的に国際人権基準を侵犯する可能性を生むのは、国際基準に則った措置とはいえない。

 条約34条2項には、条約5条、6条、8条、23条の国内立法化にあたっては「越境性」とは独立しておこなうべき、とされている。まさに越境性をめぐっての条約の中に規定されたこの異質な条文は、しかし、そもそもの条約1条にある越境犯罪組織集団の取り締まり、という目的から理解されなければならない。実は、34条2項が指摘しているのは、越境犯罪集団がおこなう犯罪が、国内犯の場合であっても処罰を可能にしていなければならない、ということに過ぎない。ここで規定されているのは、上述した「組織犯罪集団への参加罪」、「資金洗浄罪」、「汚職」、「司法破壊罪」の四つだが、少なくとも、汚職や司法破壊はすでに、国内犯として犯罪化されている。逆に資金洗浄は、そもそも越境的なものでなければ行為自体が成立しにくい。したがって条約5条の「組織犯罪集団への参加罪」だけが問題となる。

 条約5条は、たしかに犯罪組織を越境性のあるものに限定していない。条約が予定している「重大な犯罪」を実行しようとする組織という定義を規定するのみである。しかし、この「重大な犯罪」とはそれ自体が越境性のある概念だということは上述したとおりである。したがって、越境的に実行される「重大な犯罪」に関わる犯罪組織を、国内外を問わずに処罰できるようにする、というのが、この34条2項の意味である。与党原案は再三にわたって、34条2項と5条の存在のゆえに、越境犯罪組織に限定することが条約上できないと主張するが、そのような立法事実はない。越境的に重大な犯罪を実行しようとする国内外の組織への処罰が規定されていれば、これらの条文の要請は満たしているのである。条約5条3項では、国外犯規定との関係で国内の犯罪組織が関与していることを処罰条件にしている場合は、その国内犯罪組織を決める際の規定で条約2条の「重大な犯罪」をすべてカバーしている必要があると述べているが、これは、「重大な犯罪」という概念が、上述のとおり越境性のある犯罪を指しているということの影響である。

 このように、共謀罪法案として提出された与党原案は、法制審議会での議論の際も含めて、条約とは無関係に、極めて広範な処罰範囲の拡大を目指したものである。そもそも「共謀」を処罰すること自体、この条約が本当に要請している行為ですらない。条約の目的の達成よりも、国内法の処罰範囲を拡大するだけの案となっている原案は、あまりにも問題が多いというべきだろう。

 以上、今回の共謀罪法案が「国際的要請」というところからいかに離れたものか、という点を概観した。しかし、一方でこれが一般の市民運動に与える影響は計り知れない。市民やメディアが声を上げるということそのものが、「共謀」の語の下に規制される道を開くからである。たとえば、法定刑の上限で適用犯罪を規定するやり方でいえば、単に法改正で法定刑の上限をあげるだけで、どのような犯罪も共謀罪の対象にできてしまう。また、何らかの抗議行動をおこなおうとする会議に参加しただけで、共謀罪で捜査や取調べを受けるという危険がある。これでは、通常の会議も含めて、市民運動が行っているような集会などへの参加が抑制される。

 本来、国際刑事法の上で「共謀」への関与の責任が問われなければならないのは、深刻な人権侵害の指示をした為政者などであったはずである。こうした政府部内の「共謀」への対処はおざなりなまま、正常な市民活動のほうが「共謀」の名の下に犯罪化されようとしている。これでは天地が逆だというほかはない。

 政府は、「共謀罪」は、正常な市民活動を処罰するものではない、と繰り返し説明しているが、立法は明文で形式的な保障措置があってはじめて意味を持つものである。当局の解釈次第で、ある団体が「正常」であるかそうでないかを判断できるような余地を残してはならない。

 真の意味での国際協力を世界に向けて示すためにも、ここはまず共謀罪を撤回し、むしろ政府部内、為政者の側が、自ら衿を正すべきである。

> 条約本文に即した詳細レジュメ

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