国境を越える国境政策 I新たな差別社会を生む「入管法改訂」「世界」2006年6月号(2006年6月) グローバリゼーションは、人の移動も加速すると言われている。事実、経済的な格差による人の移動は現代社会の大きな特徴である。しかし、一方では、現在でも移住を目的とした人の移動は地球の全人口の2%程度にとどまっているとの指摘がある。*1 これらからすると、経済的格差を理由とするような移動は、極めて限られた階層に集中している、という図式が浮かび上がる。
結局、一部の階層に集中している人口移動をもとに、「グローバリゼーション下の移民」が各国で問題視されている。グローバリゼーションによって国境概念が薄らぎ、既存の価値観が大きく変容すると言われて久しいが、そうした見方は一部を誇張しているにすぎないのかもしれない。 移民の管理が治安対策にとって重要だという認識は、実は古くからある固定観念である。犯罪学の歴史の中では、犯罪行動とは中心文化と異なった文化の所産であるという認識や、異なった移民集団の相克が犯罪行動として表れるといった説明がなされてきた。そうした作業仮説により、現実の犯罪行動への対策を講じようとしたのである。 現実に移住者が多くを占める地域での高犯罪率などを説明できるように見えたため、こうした主張は一時的には有力だった。しかし、研究が進むにつれ、実際には移民というような要素よりも、経済的格差や社会的地位などとの相関のほうがはるかに高いことが判明した。*2 つまり、移民の事実よりも、貧困層に置かれ、社会的な資源へのアクセスが限られているという要素のほうが、犯罪に陥る危険性との相関が高いという結果が出たのである。
こうした科学的根拠を踏まえれば、海外からの流入者を治安対策を理由として統制しようとするのは、理由としては薄弱である。最近、治安対策を主な理由として世界各国で海外からの移民の流入を統制しようという動きがあるが、これはむしろ、地球規模で移住をせざるを得なくなった階層に対して、治安対策を口実として、象徴的な取締りを実施しているものと考えるべきだろう。ここでシンボル的に利用されている「犯罪」イメージとは「テロリズム」であると考えられるが、これは現実の犯罪行動とは必ずしも一致しない。移住者がかかわる犯罪の多くは結局は一般の犯罪であり、「テロリスト」が海外からの流入者であることはむしろ稀である。外国人=「テロリスト」イメージとは、宗教や民族、文化といった色合いで塗り込められた、差別的な統制言語だと考えるべきであろう。 まさにそうした背景があった上で、「反テロ」を理由とした入国管理政策が世界的に広がっている。ここで槍玉であげられる宗教や民族、文化といった要素は、結局世界的規模での移住者階層を形成する人びとを指すものということになる。かつて、こうした階層の人びとを表現するものは「貧困」であった。しかし今や「テロリズム」がそれにとって替ったと指摘される。*3 これまでも、特に東西冷戦期、入管法制は「テロリズム」とセットになって語られたことがある。現在生み出されている状況は、この「冷戦構造」が恒常的な危機として、世界を再び席捲している姿なのかもしれない。
しかし、ここで重要なのは、こうした管理体制が、一種の差別状況を生んでいるということである。危険な「外国人」を特定し、それを社会の中から排除しようとするのは差別=排外主義に他ならない。それが科学としての装いをまとっているように見えるだけで、その実態は単なる差別政策に過ぎないのである。こうした現代の差別政策を評して、「ハイパー・ゲットー」*4 *5 と呼ぶ論者もいる。それでは、その「ハイパー・ゲットー」の実態はどうなのだろうか。
米国入管法制における個人特定米国は2004年9月にUS-VISIT(The United States Visitor and Immigration Status Indicator Technology)という制度を導入した。これは、原則的にすべての外国人渡航者に対して入国時に指紋をとり、顔写真を撮影するという巨大な生体情報データベースである。こうした情報を機械的に照合し、米国に入国した外国人を追跡できる制度とする、というのが当初の狙いであった。この情報は連邦検察局(FBI)の情報などとも照合され、入国管理という本来の目的を超えて、際限のない個人識別用のツールとして利用される道を開いている。 しかしながら、幸いなことに、US-VISITは、まだそこまでの「効果」を発揮してはいない。まず、膨大な量の個人情報を照合可能なデータとして適正に管理すること自体に、予想外の費用がかかっている。US-VISITを執行しているのは国土安全保障省だが、会計検査院(GAO)はこのデータ照合に伴うエラーを十分にはカバーできていないとして、制度設計自体を批判している。エラーには、まず登録時のデータエラーがある。ここで生体情報が認識されなかったり、機械が検知できないなどのエラーが発生した場合の復旧手段が問題となる。さらに重大なのは、照合時のエラーであり、読み込みの結果が登録されているデータと照合できない場合、あるいは別人と照合されてしまったような場合のエラーに、どのように対処するかが大きな問題となる。会計検査院の報告では、こうした照合時のエラーが36%に上るという結果すら出ている。*6
データベースの運用においてはそもそもエラーの発生は不可避であるが、エラーの多さはさらに深刻な事態を引き起こす。特に利便性を売り物にしている場合には、エラーにより迅速な処理が阻害されるし、正確性に問題があるのならば誤判定への対策が必要となる。何よりも、エラーに伴い、深刻なプライバシー侵害が発生する上に、それの復旧が容易ではない。国際的に影響力を持つプライバシーガイドラインだけでも、OECDガイドラインからEUの指令まで各種に及んでおり、US-VISITはこれの重大な違反である、とも指摘されている。日本政府もまた、US-VISITが導入された際には、日本国籍者の情報について、永続的にデータベースに取り入れることに対しては異を唱えている。米国内のプライバシー情報に関するNGOも、こぞって懸念を寄せている。*7
生体情報による個人特定の正確性と相当性米国では、生体情報による個人特定について、その正確性に疑問が呈され、人権上も許されるかという批判がなされたが、指紋情報による個体識別を歴史的に維持してきたのは、実は日本である。19世紀欧州で試験的に開発された個体識別の手法を大規模に導入したのは、20世紀初頭の日本政府であり、これは20世紀初め世界各地でおこなわれた個人識別への試みと軌を一にするものであった。 個体識別は、犯罪人類学の成果を元に、犯罪者を正常群から識別する際に使用された。インドではいわゆる「クリミナル・トライブ(犯罪性カースト)」を識別する際に、個体識別手法が用いられ、それを基礎として「クリミナル・トライブ」法が立法された。この政策の性格については、クリミナル・トライブとは何らかの実体を持った社会集団というよりも、「植民地政府により、統制、管理される必要があると考えられた『異常な』現地人のメタファーである」と指摘されている。*8
日本でも、犯罪者層を一般社会から分離する目的で、指紋識別が導入された。その結果、現在最大の指紋データベースを保持しているのは警察である。ただし、個体識別では、異常群と正常群とをともに同一の指標で分類する必要がある。指紋データは、個体識別に際して最も特定性が強い指標として採用された。したがって、本来、犯罪者のみではなく、あらゆる人間の指紋情報を集積することが理想形ということになる。 指紋識別は、当初マイクロフィルムなどによる手作業の照合作業に頼っていたが、デジタル情報の普及により、画像データへの変換を伴うデジタル照合技術が導入される。しかし、ここでも登録時と照合時のエラーが発生し得る。登録時のエラーは、指紋情報の精度によって影響される。また、照合時のエラーが起きた場合には、他の証拠による証明を必要とすることになる。 巨大な指紋データベースを保持する日本では、この生体情報の管理が大きな問題になる。指紋情報を含む犯歴情報の管理に関しては、特にその取り扱いのための規程が設けられており、個人情報の保護に特に配慮が示されている。*9 しかし、犯罪捜査に用いられる生体指標については、具体的な法的規制が十分には講じられていない。その結果、犯罪捜査目的であれば、ほとんど無制限に警察の指紋情報との照合がおこなえる体制にある。
こうした状況下にある日本で、2006年4月現在、入国管理法の改訂が問題となっている。ここでは海外からの渡航者から指紋情報を集め、データベースに登録の上、場合によっては「テロリスト」情報と照合する予定であると国会で説明されている。従来の国境管理の形式をとりながら、まさに「テロ対策」を意図しているものだが、国境管理を強化したからといって国内の「テロ」活動を防止する手段にはならない。 入国時に指紋や顔写真などの個人識別情報の提供を義務付けられているのは永住者と16歳未満を除くすべての外国人で、データは相当期間保管され、不法滞在者の摘発や一般の犯罪捜査にも利用されるとされている。さらに、これと対になっているのが、「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金提供等に関する法律」に規定された犯罪行為の「予備」や「実行を容易にする行為」のおそれがあれば、法務大臣の裁量によって退去強制できるとした改訂部分である。「外国人」を治安上の不安要因として恣意的に排除することが可能になる。 「外国人」を治安対策のターゲットにすること自体、重大な差別である。現実の国境に代わって、デジタル情報化された「国境」概念によって、新たな管理型「国民国家」が生み出されようとしている。移住という手段を講じるしかない一部の階層が、現在のグローバリゼーションの下での地球規模での人の移動を生み出していると考えるならば、そこで導入されている「治安対策」に名を借りた統制管理の体制が目指しているのは、おのずとそうした階層の人びとの排除である。この人びとは、差別の体制を支える存在として、国民国家の中で「危険分子」と見られ、それを口実として管理体制が構築される。しかし、これは実は、「国民」をも巻き込んだ統合的な管理体制につながるのである。 国境の概念が薄らいだ、と象徴的には口にされながら、昔ながらの国境維持や犯罪への対策が「外国人」に対する差別の口実となって再び表れ出ている。地球規模で広まっている国境管理のネットワークは、新たな差別社会の拡大を予感させるものである。これまで地球社会は、差別の拡大によって大量の人権侵害を生み出してきた。新たな差別社会が、新たな大規模人権侵害を生み出さないよう、厳しい目が必要である。
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