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国境を超える国境政策 IIIUS-VISIT導入と「テロ」対策が示すもの「世界」2008年2月号(2008年2月) 日本に入国する特別永住者を除く16歳以上のすべての外国人から指紋と顔写真を記録する新入管法の制度が2007年11月20日付けで導入された。政府はこれを「テロ対策」の要と位置づけ、これで日本はより安全になったと宣伝している。 この新制度は、入管法の改訂案が昨年の通常国会に提出され、採択されたことを受けて施行されたものである。しかし、当初より、相当性および妥当性の観点から、効果が不明確な割に、経済的、社会的なコストが大きすぎるのでは、と指摘されていた。その背景には、これとほぼ同様のシステムがすでに米国で導入され、その実効性に疑問が提起されていたことが挙げられる。日本は、米国に次いで二番目に同種システムを導入することになったわけだが、これを効果的な「テロ対策」であると断じるその見識については、今一度仔細に検討する必要があるだろう。 この制度では、日本に入国する外国人に対して、空港などで左右の手からニ指の指紋情報を読み取り、顔写真とともにデータベース化する。これらの情報を元に過去の記録と照合し、合致した場合には入国を拒否することができる。今回の改訂と合わせ、入管法には、いわゆる「テロリスト」との容疑があれば、司法審査の手続なしに法務大臣が退去強制を命じることができる略式手続も設けられた。したがって、入国時に「テロリスト」リストとの指紋等の照合ができれば、正確に「テロリスト」を国外に排除できるという論理である。 しかし、この論理はもともと成り立ち得ない。この制度が前提としていることが事実とそぐわないからである。まず、世界中に「テロリスト」の指紋情報のリストというものは存在しない。これには複数の理由がある。まず何をもって「テロリスト」と認定するかは、国際的な合意は存在していない。九・一一以降の「反テロ戦争」のかけ声を考えると奇妙なことだが、いわゆる「テロ」に言及している国際条約などでも「テロ」の概念について共通の理解はない。したがって、世界中が合意できる「テロリスト」のリスト自体、作ることは大変難しい。各国がそれぞれの思惑の中で「テロリスト」を指定してしまうからである。 また、現実的にも、そのようなレッテルを貼られた立場で各国の当局と緊張関係を強いられる人びとの指紋情報が、公の情報として使用可能な状態にある可能性は極めて低い。万が一あったとしても、その情報の信憑性は限りなく低く、照合に耐え得る情報とはなり得ていない。 さらに根本的な問題として、「テロリスト」を外国人に限定する論理的な理由は全くない。国境を封鎖したり、外国人を排除すれば「テロ」を防ぐことができる、というのは全く根拠を欠いた幻想である。よしんば「テロ」が危険で排除されるべき行為だとしても、その危険性において同国の国籍を持っている人と外国人との間に違いはない。「テロリスト」=外国人という思い込みは、犯罪者=外国人という思い込みと同じく、「国民」の統合性を再確認できる便利な機会であるため政策的にも多用されがちであるが、実際にはそのような対応関係にはない。外国人犯罪が増えているから治安がより悪化した、というような「体感治安」は、統計的にはそうした関連性が否定されているばかりでなく、むしろそれ自体が外国人に対する排外主義の使い古された表現の一つである。同様に、「テロリスト」は外国人である、という思い込みも、排外主義の別の表現にほかならない。 こうした様ざまな問題に加えて、日本には指紋押捺に関する特殊な歴史的事情がある。永住者や特別永住者となった人びとにも外国人登録証更新の際に指紋押捺を求めていた制度が、数多くの反対にあって廃止されたのである。 指紋は、もともと犯罪者管理や植民地管理のための手法として19世紀末に開発された。日本は、それを監獄の管理や警察の捜査に比較的初期の頃から利用していたのである。そこには、植民地支配としての意味も込められていた。それが、戦後の指紋押捺制度につながっていくのである。 この制度は、永住者や特別永住者を犯罪者扱いするということで、強い反発を生んだ。そしてようやく二〇〇〇年に全面的に廃止されたのである。しかし、今回の新制度の導入により十年を経ずして復活を果たしたことになる。新制度では、特別永住者はとりあえず対象から除かれたものの、永住者はやはり対象であり、そうした人びとが日本への再入国時に指紋情報をとられることになる。 この指紋情報の採取を拒んだ場合はどうなるか。入国時に採取を拒めば退去強制の手続がとられることになり、その場合には十指の指紋が強制的に採取される。つまり指紋情報をとられないようにする手段は事実上閉ざされているのである。これでは、観光や商用目的で日本にやってくる人びとを含め、一般的に日本への足は遠のくことになるだろう。 このように強制的に指紋情報を収集することで、実際に何が行われているのか。制度施行後の報道を見る限り、過去の入管記録との照合により、偽造パスポートなどの不法入国者がいくらか入国を拒否されたと言われている。しかし、いわゆる「テロリスト」容疑による入国拒否はまだ知られていない。 米国がすでに導入している日本と類似したシステム「US-VISIT」は、もともと合法的な入国者の出入を監視することが前提だった。陸地で隣国と接する米国では、膨大な量の不法入国者を監視することは事実上不可能であり、また移民の追い出しは経済的にも米国の底辺労働者市場を崩壊させてしまう危険性を孕んでいる。 その一方で、合法的な入国者の出入国を、指紋情報などで特定しつつ、危険人物リストに掲載されている人物を特定して入国を拒否したのである。この危険人物リストは、極めて多くの不正確な情報を含め膨大な量の個人情報が集積されており、いわゆる「テロリスト」のデータとはとてもいえない。ただ、社会的な運動や活動での著名人、反体制派であるとみなされた人びとなどがリストアップされており、様ざまな人びとが米国を訪れようとして入国を拒否されたと言われている。この危険人物リストに掲載されているかどうかは、本人には分からず、また削除手続もないため、不正確な情報がそのまま残り、恣意的に運用されていると言われる。マンデラ元南アフリカ共和国大統領もこのリストに名前が掲載されていた一人だと言われている。(詳細) 万が一照合段階でのエラーで、偶然弾かれてしまった人はどうなるか。ここでは法的な是正手続は用意されていない。危険人物リストは膨大な量の名前が入っているため、こうした照合ミスがたびたび発生したとされる。しかし、それを是正し得たのか、あるいは間違えたまま誤って拒否したケースがどれくらいあるのか。不服申立ができない以上、定かな情報はわからないままである。 このように入国の際の危険人物リストとの照合が過熱する一方で、出国記録との照合システムは出来上がっていない。また、US-VISITが使用可能な国境ポイントも、全ての国境ポイントをカバーしているわけではない。さらに、米国政府は効果を宣伝しようとしているものの、「テロリスト」発見に効果を発揮したという明白なケースはいまだにない。こうした否定的な要素を分析する中、果たして投下されたコストに見合うだけの効果が期待できるのかという観点から、米国のシステムに対しては政府部内からも疑問の声があがっている。米国政府の独立した監査機関である行政監査院(GAO)は、US-VISITが、思うように対費用効果を上げておらず、さらに膨大な予算を食いかねないと指摘している。それだけでなく、観光業界などでも、このシステムがかえって経済的損失を拡大させたして鋭い批判が集まっている。 それでは、こうした一連の否定的側面がありながら、なぜ日本は制度を新たに導入しようとしているのだろうか。政府の主張によれば、それはG8などで合意された「反テロ対策」の一環であるということになる。 G8は、一部の政府が事実上作り上げた一方的な仕組みであって、何らかの国際的な公式の手続を構成するものではない。しかし、大国間の合意を形成することによって、事実上、国際的な動きの先取りをおこなってきている。そのようなG8において、過去どのような合意がこうした件について行われ、実行されてきたのか。 まず、犯罪対策、「テロ」対策に特化したテーマとして、G8諸国が形成したリヨン・グループ(G8国際組織犯罪対策上級専門家会合)が存在する。これは、G8各国の法執行機関の主だったメンバーが集まり、「国際犯罪対策」のために検討するもので、1995年に、リヨンG8に先立って形成された。それより以前、1980年代から1990年代前半までは、各国は国際組織犯罪に議論の焦点を定めており、リヨン・グループも、その名の示すとおり、もともとは組織犯罪を主なターゲットにしていた。しかし、1994年の国連開発計画の人間の安全保障報告書などで「テロ」対策に焦点があたったことにも表れている通り、国際組織犯罪対策は、次第に「テロ」対策をも視野に入れるようになっていく。 リヨン・グループ自身は、1996年のリヨン・サミットにおいて、「国際組織犯罪に対する40の勧告」を採択。ついで、やはりG8によって設立された機関であるFATF(金融活動作業部会)が「マネーローンダリンングに対する40の勧告」をあげる。さらに、G8の内務閣僚級会合が「ITハイテク犯罪対策の原則」を採択する。こうした一連の動きには、その後「反テロ対策」に統合されていくG8の犯罪対策の流れが表現されている。しかし、これらの動きが一気に「反テロ」の旗印の下に統合されるのは、やはり2001年の9月11日の事件以降の傾向である。それ以降は、ほとんどすべての国際レベルで語られる犯罪対策が「テロ」への言及を含むようになっていく。 当初「組織犯罪」を対象にしていた諸立法が、9.11を境に「テロ対策」に傾斜するのは、実は偶然に9.11が起きたから、というだけの結果ではない。米国は、1980年代の組織犯罪対策が中心だった時期でさえ、近隣諸国に対し、安全保障上の紛争介入と犯罪対策とをしばしば混同して用いていた。いや、コロンビアの麻薬戦争やパナマ侵攻など、場合によっては、むしろ犯罪、治安対策は、紛争介入の理由とすらされたのである。1990年代初頭には、米国の安全保障政策に「低強度紛争」の概念が導入され、平時における治安維持を理由とした武力介入に、正式に根拠が与えられた。ここでは、米国の治安問題の解決のために必然的に武力介入が正当化され、「戦争」概念が拡大されていたのである。その観点からすれば、9.11後の「反テロ戦争」は、まさにこうした武力介入の必然的な延長線上にあると言える。だとすれば、9.11とは、米国が自分たちの治安対策=安全保障政策という構図を、世界の構図と使用としたきっかけだったと言えるだろう。 米国も欧州も、そして日本も、2000年頃を境にして、治安政策が大きく入管政策にまで拡大することになっている。単なる治安対策という題目ではなく、国際法で禁止されているはずの「戦争」が持ち得る政策的な影響力は、戦時の措置の例外性にある。例外状態であれば、通常は禁止される武力行使も許されるし、必要とされる司法手続きも簡略化し得る。それが最も力を発揮する場面として、入管政策は選ばれたのである。つまり、既存の組織的権利保障手続ではなく、例外性を利用して司法審査を避けたり、略式で済ませることができる緊急時立法や行政手続に傾斜しようとする意図。これが、入国管理政策へと各国の反テロ対策が流れた主たる理由である。 こうした各国政権の態度が「外国人」を特別視、危険視し、排外主義をあおり、排除型の社会を形成するものであることは論を待たないだろう。国内における不安や不満を外に振り向けて武力介入につなげつつ、国内では外国人をターゲットとして攻撃対象を明確させ、不安を増幅させる。入管政策に治安管理や安全保障的側面を入れるということは、社会全体を社会的排除が進行する不安のスパイラルに放り込むことに他ならない。「テロ」を口実として、国民統合ではなく、人びとそれぞれが持つ排除思考が加速するのである。それが、「外国人」という「生贄」を得て自立的な活動を開始しているのが、現代型社会だと言うこともできるだろう。 各国の入管政策が採用し始めている施策には、こうした危険がつきまとっている。「テロ」という用語さえ用いれば正当化されてしまうかのような意識は極めて危険である。その名の下に何が進行しており、実際に自分たちがどのようなリスクを支払っているのかを確認しなければ、そもそも何も始められないのが道理である。何らかの政策を行なう際には、証拠に基づく(エビデンス・ベース)テストが必要である。今回の新入管政策の導入に際して、果たしてどのようなエビデンスを求めたのか。当局は、それに対する説明責任を厳しく求められるべきだろう。 |
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