識者評論「人権委員会設置法案」権力監視機関として検討を法務省外局は趣旨に反する東京経済大客員教授 寺中誠 人権侵害とはもともと、国家が個人の権利を侵害することを念頭に置いた考え方である。 行政権は、刑務所や拘置所への収監、法執行や行政手続きをする際の権利制限など、個人の権利と緊張関係に立つ。多くは法律に基づく一応の根拠を持っている。 「過剰な人権侵害が明らかになれば、裁判所で違法と判断されるはずだ」と思われるかもしれない。だが実際には、法という目の粗い網では、具体的な事象に対応しきれない。何と言っても裁判は手間と時間がかかる。 人権に関わる問題について、裁判の欠点を補うために、各国が設けているのが国内人権機関(人権救済機関)である。その主たる機能は、行政機関や学校、病院などで起きる制度的な問題と公権力による権利侵害を監視することだ。被害者に寄り添い、その救済に向けた支援機関となる。しかし、日本にはまだない。 国際的には、国内人権機関として認められるための基準があり、「パリ原則」と呼ばれる。国連をはじめとする国際機関は何度となく、パリ原則にのっとった機関の設置を日本に求めてきた。 2002年に国会提出された人権擁護法案、また現在、政府が検討中の人権委員会設置法案は、パリ原則に沿う国内人権機関の新設を目指したはずだった。ところが両法案は、国の制度としての人権侵害を監視する機関ではなく、もっぱら私人同士の違法行為に対処する機関を構想している。本来の目的を見失っていると言わざるを得ない。 両法案とも、この機関を法務省の外局として設置しようとしている。しかし刑務所や拘置所、刑罰、入国管理など、権利制限の著しい法執行を担っている法務省は、この機関により監視されるべき第一の対象である。その外局とすることは、国内人権機関の趣旨に真っ向から対立する。 また各種の条約をはじめ、国際的な人権基準に照らして国内の制度を批判しつつ、具体的な事案の解決に当たらなければならないのに、行政機関として同省の下に置かれれば、国際的な人権基準による判断ができない。 法案はそもそも、対象となる人権侵害を条約などに基づいて定めてはいない。これでは、公職にある者が公然と「閉経後の女性は死ね」と発言しても、「ユダヤ人を抹殺せよ」と扇動しても、措置を採り得ない。 国内人権機関は取り締まって処罰するための機関ではない。刑罰のような強い措置を科すものでもない。現実的な解決策に向かって、被害者とともに努力していく存在である。制度の改善が必要ならば、自由な立場で積極的に提案し推進していく。そのためには、政府からの真の独立性が保障されないと機能しない。 しかも法案には、地方の事務を既存の法務局長に委任できるとの条項がある。これでは外局としての独立性すら確保できない。 現在の法案は、本来の趣旨を著しく曲げたものであり、これに依拠し、期待することはできない。政府、与野党はパリ原則に立ち返り、行政機関ではなく、権力監視機関としての国内人権機関の設置に向け再検討するべきである。 岩手日報2012年5月8日 その他 |
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