「エシェロン」と盗聴法「刑事弁護」No.24(2000年)掲載 国家間の諜報活動は、今や通信技術の粋を集めたものとなっている。もっぱら軍事問題として捉えられてきたそうした諜報活動が、もしも一般の市民のプライバシーにまで及んでいるとしたら。各国の盗聴法の進展やインターネットの普及などにも大きな影響が出てくるかもしれない。 国家間の諜報網「エシェロン」に詳しい英国のジャーナリスト、ダンカン・キャンベルがインターネットでの市民運動を支援するNGO、JCA-NETの招きで来日し、講演した。 「エシェロン」とは何か暗号名「エシェロン」で呼ばれる仕組みは、世界的な規模で展開されている信号諜報活動の一部である。そうした信号諜報活動全般を推進しているのは、主に米国と英国であり、そこにカナダ、オーストラリア、ニュージーランドを加えた英語圏5カ国が現在の中心となっている。英米協約と呼ばれるこの秘密協定には、実は日本を含む非英語圏諸国も部分的に関与している。そして、各国が相互に監視しあうような形で信号諜報活動がおこなわれているのである。中でも中心的な役割を果たしているとされるのは、米国の国家安全保障局(NSA)であり、米国空軍や海軍の情報機関も任務遂行に関わっている。また、日本の三沢基地は、アジア地域最大のエシェロン基地として知られている。 信号諜報活動の中でも、「エシェロン」は衛星を使った通信を地上基地で傍受するという、大規模な傍受活動をおこなうものとして知られている。通信衛星のインテルサットを介しておこなわれる通信を地上のパラボナアンテナで傍受し、その中から必要な情報を取り出すための辞書データベースを作り上げる。世界中に張り巡らされた傍受基地同士のネットワークといってもよい。それが「エシェロン」の姿である。音声通信の解析はまだ十分ではないものの、文書通信に関しては、すでのほとんどの重要通信を記録し、データベース化しているといわれている。 数年前にニュージーランドの基地に潜入したテレビ番組がエシェロン基地の内部を捉えた映像がある。そこに映っていたのは、完全に自動制御され、24時間体制で衛星監視活動を続ける基地の姿だった。そして基地内にはインテルサット衛星の運転マニュアルが置かれていた。 「エシェロン」の影響エシェロンは、冷戦構造の時代の産物である。当初は、明らかに東側陣営の軍事施設の様子、外交情報などが標的だった。しかし、現在では、軍事目的以外に、経済関係の情報収集のためにも用いられている。米国が、信号諜報活動で得た情報によって各国でおこなわれる入札状況に一定程度介入していることは、米国自身によっても確認されている。国家安全保障局(NSA)の歴代長官も、こうした活動をおこなっていることをさまざまな機会に表明している。また、日本の外交情報や欧州各国の政府関係の情報など、この諜報活動ネットワークがターゲットにしている範囲は広い。今や、友好国の情報をお互いに探り合うといった状況も生まれている。 欧州議会は、エシェロンが欧州の外交政策にとって脅威となっているという認識から、これまで二回の報告書を審議している。今回来日したダンカン・キャンベルはその二番目の報告書「諜報能力-2000」を執筆した当の本人である。今年、それを受けて欧州議会内にエシェロン調査のための専門委員会が組織された。 特に最近、問題となっているのは、エシェロンが単に軍事情報だけでなく、民間の通常の通信内容をも標的にしはじめたという点である。この民間の通常の通信内容という中には、商取引や交渉の通信なども含まれる。もっといえば、衛星通信を使ってやり取りされる情報は、すべて一度は解析され、辞書データベースに入れ込まれると考えてよい。そうなると、一般市民の日常の交信なども、検索可能な状態に置かれ、場合によっては暴露されてしまうということにもなりかねない。まさにプライバシーが裸にされた状態に置かれることになる。 この点は、米国国内でも問題となっており、米国議会の諜報委員会が調査に乗り出したほか、米国自由人権協会(ACLU)なども、懸念を表明している。エシェロンを主導する米国国家安全保障局(NSA)は、事実上、エシェロンによる諜報活動について、議会からも、また裁判所からも拘束されていない。 一方で、いくつかの証拠から、エシェロンに限らず信号諜報活動では民間人や非政府団体(NGO)なども調査のターゲットにされているということが指摘されている。アムネスティや国際赤十字、有力企業などの活動が諜報機関によってモニターされているという話は有名だし、当局は否定しているものの、故ダイアナ妃が、生前監視対象とされていたというようなセンセーショナルな報道もあった。エシェロンは、こうした各諜報機関の情報の結節点となっているともいわれている。 エシェロンと盗聴法一般に盗聴法でいう盗聴行為というのは、どこの国でも、法的に規制された範囲内で、令状等により、特定の対象者の通信を一時的に盗聴するというものである。つまり、一般的には違法とされる盗聴行為の中で、一定の要件を満たした場合のみ、例外として許容される、という構成をとっている。 それに対して、エシェロンをはじめとする諜報活動は、そもそも最初から合法性を担保していない。極秘裏に、あらゆるデータを傍受する。この点、合法性を要件とする一般の盗聴法における盗聴行為とは明らかに視点を異にする。 また、ターゲットとなる対象も、盗聴法では特定されているが、諜報活動では、関係し得るもの全部、と幅広い。特に辞書データベースを用いているエシェロンのシステムなどの場合は、まずあらゆるデータがデータベースに入れ込まれるのが原則である。入れ込む段階で選別する必要はない。 そのように、根本的に異なっている盗聴法とエシェロンだが、最近のインターネットの発達に伴い、新たな問題が発生してきている。つまり、インターネット上で盗聴をおこなおうとする場合は、結果的にサーバを通過する全データを一時的にどこかに蓄積し、その中から検索システムで選別しなければならないという問題である。そうなると、電子メールなどについていえば、あらゆるデータをまずどこかにデータベースとして蓄積し、そこから必要なデータを取り出すという、まさにエシェロンの辞書データベースと同じ構造がとられることになる。 実際、そのような立法が最近英国でおこなわれた。捜査権限法(RIP)というのがそれで、そこでは、個人の商取引情報も含めてすべての電子メール情報が捜査機関の手に落ちることが認められてしまっている。まさに「ミニ」エシェロンといえよう。 そうなると、商取引のクレジット番号等のあらゆる情報も含めて、捜査機関は入手できることになる。だが、それでは顧客情報の安全性も確保できなくなり、顧客の信用を得られないという反論が企業側からも出されている。 また、米国の「カーニボー」と呼ばれるシステムでも、捜査機関がインターネット上を流れるあらゆるデータを入手できるようになっている。プライバシー侵害性を憂慮する米国自由人権協会(ACLU)からは、このシステムに対する反対声明があがっている。 こうした状況を踏まえた上で、現在の日本の盗聴法を見てみると、インターネット上の情報の扱いについては同じような危険があることがわかる。それだけでなく、場合によっては、そのようにして収集されたデータが、エシェロンなどのシステムを通じて得られたデータと統合されて、さらに大きな諜報ネットワークに発展する危険性すら払拭し得ない。そうなれば、全世界的な諜報網の中に、我々自身の個人情報が流出していくという事態すら想定できてしまうのである。 盗聴法は、多くの問題を抱えながら8月15日に施行された。野党から提出されていた盗聴法廃止法案は廃案となった。ほぼ同時期に英国の捜査権限法(RIP)も議会を通過した。どうやら、急速に世界的な動きがこの分野ではじまったのではないか、と思わせるものがある。 参考文献:エシェロンの全貌については、以下を参照。
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