Political Criminology

<資料>批判的犯罪学
−マルクス、ポストモダン、フェミニズム

Vold, Bernard and Snipesによる1990年台後半の批判的犯罪学の紹介

批判的犯罪学
−マルクス、ポストモダン、フェミニズム

以下に訳出するのは、Vold, Bernard and Snipes "Theoretical Criminology" 4th edition,Oxford University Press 1998Chapter 16 "Critical Criminology"の章である。

もとより、現在「統合理論(Integrated Theory)」を標榜し、むしろ伝統的犯罪学の陣営に属すると自認するBernardとSnipesによるマルクス主義犯罪学、フェミニスト犯罪学、ポストモダン犯罪学の紹介には、誤解や一方的な決め付けではないかと思われるふしもあるし、記述の抜けも多い。筆者たち自身、総合的な紹介ではなく、理論状況の一断面を示しているに過ぎないものと付言してもいる。

ただ、本書はSiegel"Criminology"Williams III and McShane"Criminological Theory"Beirne and Messerschmidt"Criminology"などと並んで、米国の理論犯罪学における代表的な体系書の一つとされている。そのような位置づけを考慮した上で、伝統的な犯罪学理論の陣営による批判的犯罪学の諸潮流の一般的理解というものを分析する材料としては意味があるものと考え、以下のように訳出したものである。

なお、本章の一部は、原著の第三版(日本語訳平野龍一、岩井弘融監訳「犯罪学・理論的考察」東京大学出版会)とも重なるが、細かい修正等もあるので、別途訳出した。なお、原著にある注は、原則的に省略した。また、現在刊行されている第5版以降とも多少異なるので注意が必要である。

なお本稿は、早稲田大学法学研究科内でおこなわれた「犯罪学理論研究会」にて発表したものである。

1999年11月 寺中 誠



批判的犯罪学

「批判的犯罪学」という名称は、「発展、拡大しつつある、ある一連の視点の包括的総称」として用いられてきている。その視点とは、「調査課題から価値を分離することは不可能だという主張と、持たざる人々の側に立つような進歩的な政策課題を促進する必要性という二点に、特徴づけられる」。本章では、姿を現しつつあるこうした視点のうち、三つを取り上げる。マルクス主義犯罪学、ポストモダン犯罪学そしてフェミニスト犯罪学である。

こうした視点は、前章で扱った葛藤(闘争)理論と同じく、権力の不平等が、犯罪の問題の原因となっているという見方を共有している。しかし、上記の三つのアプローチは、葛藤(闘争)理論よりもさらに進んで、社会の中での権力の源泉についてそれぞれ具体的な主張をおこなっている。マルクス主義は権力は生産手段の所有者にあるとし、ポストモダン犯罪学は、それは言語制度の統制にあるとする。そしてフェミニスト犯罪学は権力は男性中心主義にあるとする。したがって、これらのアプローチはいずれも、こうした権力構造が変わらない限り、犯罪問題は解決され得ないと、暗に考えている。これらのアプローチは、深層における根本的な社会変革をともなう政治過程と結びついているという点で、いずれも「ラディカル(急進的)」である。

これら三つの理論は、要約することが難しい。それには二つの理由がある。まず、上記三つの分野の理論化は、極めて複雑だということが挙げられる。そのため、同じ分野の中でも理論家ごとに意見の対立が深刻である。二番目の理由としては、理論家たちは、自分たちの考察が進むに連れて、しばしば理論的な立場を変えることがあり得るということがある。そのため、ある時にある立場をとったある理論家が、そのすぐ後には、また別の立場をとっているということもある。したがって、いくつかの主要なテーマについて概説するにとどめ、たくさんの重要な主張を脇に置かざるを得ないだろう。


マルクス主義とマルクス主義犯罪学

カール・マルクス(1818-1883)は、産業革命によって引き起こされた大規模な社会変動の直後の状況の中で執筆活動をおこなった。人の一生ほどの期間(大体1760年〜1840年にあたる)の間に、それまで一千年にわたって続いてきた世界が、突如変化したのである。マルクスは、こうした根本的な変化が起きたのはなぜだったのか、その後に何がやってくるのかを説明しようとした。彼の理論は経済的な発展を社会的、政治的、歴史的な変化に関係づけたが、犯罪の問題に関してはさしたる重要な関わりを持たなかった。

マルクスがその理論の中で提示した中心的な葛藤(闘争)は、物質的な生産力と生産の社会関係との間の葛藤(闘争)である。彼の理論もこれに依拠していた。この「生産力」というのは、一般に商品を生み出す社会の能力(可能性)のことを指す。ここには技術的な設備やそれを使うための知識、技能、組織などが含まれる。生産の社会関係、すなわち「生産関係」とは、人と人の関係のことを指す。ここには、生産力によって生産された商品がどのように配布されるかを決定する所有関係などが含まれる。つまり、誰が何を得るかという問題である。

生産力の発展は、歴史を通じて比較的連続している。というのは、これは技術や技能その他の発達の中にあるからである。しかしながら生産の社会関係のほうは、特定の形式で固まったまま、長い間変化しない傾向がある。最初に登場したときには、生産関係は生産力の発達を拡大する。しかし、時が経つにしたがって、生産関係は生産力と次第に合わなくなり、生産力がそれ以上に発達するのを阻害しはじめる。そしてある時点に来ると、社会関係は突如、暴力的に変化し、新たな社会関係が打ち立てられて物質的な生産力を再び拡大する。

マルクスは、この一般モデルを、ちょうどそのころにヨーロッパ社会で起こった大きな変化を説明するのに使った。封建主義の社会関係が最初に登場したとき、それは生産力のそれ以上の発展のために必要だったという意味で「進歩的」だった。しかし千年の時を経て、生産力は飛躍的に発展したにもかかわらず、社会関係のほうは、まったくといってよいほど変化しなかった。その時点で、封建主義という社会関係は、生産力のそれ以上の発達を阻害していたのである。産業革命という大規模な変化は、生産関係の突然かつ暴力的な再編を反映したものだったのである。新たに登場した社会関係、すなわち「ブルジョア資本主義」は、生産力のその後の発展にとって必要なものだったという意味で「進歩的」なものだった。

当時終結したばかりの暴力的で突如として起こった社会的な変化の原因を分析した上で、マルクスは、今度は自分のその理論を用いて次に何が起こるのかを予測した。生産力は資本主義体制下でも発展を続けるだろう、だが社会関係はこのままで固まってしまう。ちょうど封建主義の時代にそうだったように。生産力の発展が進むにつれ、資本主義の社会関係は、生産力のその後の発展を助ける方向ではなく、ますます阻害するほうに働くようになるだろう。マルクスは、ついには、資本主義の社会関係が突然、暴力的に再編され、社会主義にとってかわられるであろう、と予測した。

マルクスは、なぜ彼がこうした過程が起きると考えたのかを、かなり具体的に説明している。資本主義の論理は「適者生存」であり、「適者」は「それより適さない者」を食ってしまう。この過程で、所有は、どんどん少数の手に集中し、それに応じてより多くの人が自分自身のために働く代わりに、賃金労働者となっていく。同時に、商業と工業の分野での機械化が進むことによって、必要となる労働者数が減り、大勢の仕事が十分にない者や失業者が増大する。職を求める労働者が増えるため、職を持っている者に支払われる賃金は低くなる。というのは、より低い賃金で働こうという他の者との取り替えがきいてしまうからだ。

長い目で見れば、これは資本主義社会が二つの葛藤(闘争)し合う集団に二極化していくことを意味している。一方の集団は、競争者たちを食うことで、社会の中のますます大きな富の分配を手に入れる人々である。まさにマルクスがいったように「一人の資本家は、常に多数の人を殺す」のである。そのため、時間が経つほどにこの集団の人数は減っていくことになるだろう。この集団内でも他に食われてしまう人々が出てくるにつれて、減れば減るほど、どんどん金持ちになっていくのである。もう一方の集団は、被雇用者や失業者である賃金労働者たちである。こちらは時間が経つほどに増大していく。しかし機械化の進展により失業者が増えると、実賃金は減る傾向にある。というのは労働力の供給が需要をしのぐからである。増えれば増えるほど、こちらはどんどん貧乏になっていく。

そこでマルクスは次にように主張した。資本主義社会が、二つの集団に二極化していくのは避け難い傾向である。一方は、人数が減るとともにどんどん金持ちになり、もう一方は人数が増えるにしたがって、ますます貧乏になっていく。この分裂にいたる傾向こそ、マルクスが資本主義の「矛盾」と呼んだものである。そしてこの分裂が激しくなればなるほど、生産力のこれ以上の発展に対する一層大きな阻害要因となっていく。生産関係の革命的な再編は、どこかの時点で必然的なものとなるだろう。この将来の再編とは、マルクスによれば、生産手段の集団的所有を確立することであり、資本主義を苦しめる過剰生産と不況との循環を止めるために中央集権的な計画を制度化することである。

マルクスは、犯罪の問題やそれと経済体制との関係を詳細には論じなかった。しかし、いくつかの断片の中で、この問題に触れてはいる。ハーストはマルクスの犯罪についての考えは堕落の概念を中心としていたと主張している。マルクスは、人間の本性にとって、生活の上でも労働の上でも生産的であることが本質的でなければならないと信じていた。しかし工業化された資本主義社会では失業者や、十分な雇用を確保できない人々が大勢いる。こうした人々は生産的でないが故に、堕落し、さまざまな形態の犯罪や悪徳に手を染めることになる。マルクスは、彼らをルンペンプロレタリアートと呼んだ。

別の断片では、マルクスは、その当時支配的だった古典派の哲学を批判した。この哲学は、すべての人は公共の利益のために、自由かつ平等に社会契約に参加している。法は、この一般意思の合意を代表しているのだ、とするものである。マルクスは、この見解が、社会における富の不平等な配分が権力の不平等を生んだという事実を無視していると断じた。富のない者は、社会契約を結ぶだけの権力を持たない。それに対して富を手にする者は、自分たちの利害を代弁するよう、社会契約をコントロールすることができるのである。そこでマルクスは、犯罪は公共の利益を故意に害する行為だとは見ずに、「孤立した個人が、支配的な状況に対しておこなう闘争」であるとした。これは、時に「根源的反抗」のテーゼと呼ばれる。犯罪とは支配的な社会秩序に対する反乱の「根源的な」形態であり、ゆくゆくは意識された革命へと発展するかもしれないものだということを暗に示しているからである。

初期のマルクス主義犯罪学者であるウィレム・ボンガーは、1916年に発行されたその著「犯罪性と経済状況」の中で、広範囲の射程を持つ犯罪の理論を提唱した。ボンガーは資本主義経済体制は、あらゆる人々を貪欲、かつ利己的にし、他人の福祉を考えずに自らの利益のみを追求するようにあおっていると主張した。犯罪は下層階級に集中する。これは、司法制度が貧しい人々の貪欲さを犯罪化しながら、金持ちに対してはその私利私欲からくる要求を推し進めるための合法的な機会を与えているからである。社会主義社会では、犯罪は究極的に根絶されるであろう。社会主義社会では、社会全体の福祉への関心を促進し、金持ちを利するような法的な偏向を取り去るからである。ボンガーは、このように主張した。

1920年代半ば頃以降、マルクス主義犯罪学は、事実上英語圏からは消え失せた。それが再び現れたのは1960年代末、当時の急進的な社会的風潮との関係で取り上げられた。この時のマルクス主義犯罪学の諸理論は、犯罪者を、マルクスの言う「根源的反抗」テーゼにもとづいて描こうとした。つまり、犯罪に従事する犯罪者は、資本主義経済体制への反乱を無意識的な形態でおこなったのだ、というのである。また、彼らは刑事司法制度に対する「道具主義的」な傾向も持っていた。たとえば、刑法の制定や執行は、他の集団を犠牲にして自らの利益を追求しようと企む、統一された単一の支配階級の「道具」にしか過ぎないというような見方である。

犯罪や犯罪者に関するこのような単純な見方は、マルクスの思想の誤解にもとづいているとして、他のマルクス主義者たちから批判された。たとえば、ブロックとチャンブリスは、初期のマルクス主義犯罪学理論が「支配階級」の概念を統一された単一のエリート集団として単純に描写したこと、法の制定と執行が支配階級の利害のみを反映しているとしたこと、そして犯罪行為を抑圧や搾取といった状態に対する政治的な応答であると主張したこと、などを批判した。また、グリーンバーグも同じような批判を展開した上で、これらの理論は犯罪の定義をめぐる議論の中で広く得られた合意を無視していること、持たざる人々はしばしば他の持たざる人々による犯罪の被害者となるため、刑法の執行には利害関係があるということ、社会主義社会では犯罪が根絶されるというのは非現実的な期待であること、などを指摘した。グリーンバーグは後に、これらの理論は、犯罪の本質に関する真に学問的な主張というよりも、まず第一義的には、1960年代から70年代にかけての新左翼の政治運動と連動した政治的な宣言だったとしている。1970年代はじめの新左翼運動の崩壊とともに、「政治的な主張を維持した左翼たちは、長期的な防御体制にはいった」。社会組織化の流れに入った者もいれば、より広い社会過程の理解のためにマルクス主義理論を深化させようとした者もいた。そして、「1970年代半ばまでに、マルクス主義的犯罪学という流れがはっきりと形を取りはじめた」とグリーンバーグは締めくくる。この新しい、より厳密なマルクス主義犯罪学は、犯罪行為や犯罪政策を、みずからがその中で生起する、特定の社会の経済体制と結び付けようとした。また、第一義的に歴史的、文化交差的な研究に依拠する。というのは、そうした研究によってのみ、異なった経済体制を持つ社会相互を比較することができるからである。

このより厳密なマルクス主義犯罪学の中で、刑事司法に対する「道具主義的」な見方は、より複雑な「構造主義的」な見方に取って代わられている。このほうが、アルチュセールたちによって発展させられたマルクスの理論との整合性が強い。この見方では、国家の第一義的な機能は、資本家の短期的な利益のために直接働くことではなくて、資本主義の社会関係が長期的に維持されるよう保障することである。そのため、資本主義社会の崩壊に結びつくような社会的条件が起きるのを防ぐため、様々な時期にそれぞれ異なった利益のために働くことが要求される。したがって、刑法の制定や執行といった問題も含め、どのような具体的課題に関してであれ、国家の行為は、生産手段の所有者の利益を離れた、別の利益のために働く可能性がある。にもかかわらず、生産手段の所有者は依然として支配階級として描かれ得る。組織化された国家は、長期的に見れば、やはり彼らのために働いているのだし、彼らは、他の集団に比べて、格段の政治権力を持っている。そして、国家を、短期的にも自分たちの利益のために働かせることができるほど、不釣り合いに大きな力を持っているのである。

さらに付け加えるならば、犯罪行為をこうした「根源的反抗」で説明するやり方は、マルクス主義理論の文脈によって立つ数多くの説明に道を譲っている。そうした説明は、もっと伝統的な犯罪学理論に見られる説明とも類似しているが、ただ一つ、基礎的な概念を、政治経済システムとそれが変化する場である歴史的過程についてのより広い見方に結び付けているという点が違っている。例えばグリーンバーグは、階級に基礎を置く非行理論を提唱したが、これはいわゆる緊張理論による非行の説明と類似している。しかし、緊張理論は「階級」を親の経済的、職業的な地位として捉えているのに対して、グリーンバーグは伝統的なマルクス主義者の視点を用いて、階級は生産手段への関係の観点から決定されるべきだとした。少年は生産手段との関係で言えば、独特の位置にいる。彼らは経済的な生産活動からは排除されているが、将来の生産活動を担うべく、長い訓練に従事するよう要求されている。いわば、少年は彼ら自身でひとつの階級を成していると捉えることができる。この階級に属する者は多くの特殊な緊張と結びついている。労働市場から排除されているということは、彼らは自分たちの仲間集団で価値があるとされているようなレジャー活動に必要な金を稼げないということだし、そうなれば必要な資金を得るために盗みを働くことにもなる。同時に、多くの若者は、学校で否定的な経験や傷ついた経験を持っていることから、敵意を持った攻撃的な反応をする。最後に、若者たちの中には、我々の文化の中で大人の男性について望まれるような地位を得ることに対する根深い切望を持つ者がいる。そうした若者は、犯罪によって獲得できる、もうひとつの別の地位構造を作り上げてしまう。グリーンバーグは、非行を減少させようとする計画は、資本主義の経済体制を変えるというより広い変化を伴わなければ、ほとんど効果がないだろうと結論づけた。しかしながら、その後、彼は自分の結論がやや悲観論に過ぎたかもしれないと言っている。そして非行が少ないスイスでの徒弟見習の制度に言及し、こうした制度にはいくばくかの影響力があるかもしれないとした。

グリーンバーグの理論は犯罪や非行を生み出す特別な緊張を説明したが、資本主義社会における犯罪を、社会統制の崩壊という観点から説明した理論もある。たとえばフリードリクスは、法秩序の効果は、それがどの程度「正統」であるとみなされるかに大きく依存していると主張した。そして彼は、アメリカの社会が、正統性の危機にあることが広く指摘されているとした。それは、統治機構や指導者たちへの信頼が際立って衰えていることや、そうした制度がよってたっている基本的な価値に人々が幻滅していること、そうした制度の効果がないといった認識といったことなどがしめすところである。そのような状況下では、犯罪や暴動、革命活動といったさまざまなタイプの違法行為が増えるのが一般である。国家としては、こうした行為に対して、ますます強制的で抑圧的な手段で対応をせざるを得なくなる。しかし、長期的に見れば、こうした対応は危機を悪化させる結果となる。したがって、こうした正統性の危機というのは、一種の「矛盾」である。資本主義の基本的な構造の仕組を変えない限り、危機は解消できないという意味で。

上述したようなマルクス主義的な見方では、緊張理論や統制(コントロール)理論に見られるようなものと類似した原因論的説明を使用しているが、最も一般的なマルクス主義犯罪学の見方は、犯罪行為を学習されたものとして捉える伝統的な犯罪学の理論に類似している。そうしたマルクス主義的な理論は、犯罪行為を、資本主義の社会関係が作り上げた状況と対峙する、合理的な個人の合理的な反応として捉えている。こうした見方は、一般的かつ長期的に見れば、個人は自分たちの経済的利害に合致するように思考し、行動するという、マルクス主義理論の一般的な見方とも整合性がある。

そのような犯罪行動の説明をした人々の中にゴードンがいる。彼は資本主義社会の経済的な心許なさに焦点をあてた。ゴードンは、犯罪とは単に貧しい人々、低賃金の賤業に甘んじ、恒常的に失業や仕事が十分にないという状況に直面する人々が金を儲けるやり方だと主張した。そのような犯罪が暴力的な傾向を持つのは、強い権力を持つ集団と違って、貧しい人々の場合はもっと洗練されたやり方、たとえば銃ではなくペンを使ってというようなやり方で金を掠め取る手段を持っていないからというだけなのだ。

ゴードンは、組織犯罪もまた同じように、違法な商品やサービスへの需要を抱え込むような経済状態に対する合理的な反応であったと主張した。この種のビジネスは、貧しい人々が金を得る手段として取り得るものだ。そして貧しい人々は、他の合法的な形態でおこなわれるビジネスをほとんど取り得ないのだ。チャンブリスも、シアトルの組織犯罪についての大規模な分析をする際に同じような見方をした。チャンブリスの主張はこうだ。そうした商品やサービスのほとんどはかつては合法だった。それが、さまざまな歴史的理由から非合法とされてしまった。だがそれへの需要は消えなかったのだ、と。また彼は次のようにも指摘した。我々の政治システムの中では、政治家には選挙に出るための資金を作らなければならないという強い要求がある。そのため、同時に、上記のような非合法な商品やサービスを禁止する法律を強化したりするための条件を統制することになる。このことから、政治家と組織犯罪の大物たちとの間に、一種の連携を形成する強い動因が生じる。そしてチャンブリスは、このような連携がシアトルの組織犯罪の核心部分に見られたと指摘した。チャンブリスはこうした犯罪を根絶するための改革の可能性についてかなり悲観的であって、非犯罪化が助けにはなるだろうというくらいしか言っていない。しかしながら、これまでの改革は、主要部分にいる人の首をすげかえるだけで、そうした組織犯罪を増加させるまず第一の理由である、非合法商品やサービスへの需要とか、政治家が金を必要とすることといった、基本的な政治経済的な力に関して何もしなかった、と彼は言っている。つまり、新たな「改革」が起こっても、人々は同じ政治経済的な力に反応し、自分たちがその地位から追放した汚れた政治家たちがやっていたのと同じ類のことをやることになってしまったのである。

後日ブロックとともに出した本の中で、チャンブリスは、さまざまなタイプの犯罪を、それが起きた社会の政治経済システムに関連させた上で、彼のいくつかの主張を一般化している。ブロックとチャンブリスは、あらゆる政治経済システムというものは矛盾を抱えており、それは社会の根本的な構造を変えない限り解決されないと主張した。社会の中の犯罪は、こうした矛盾に対する本質的に合理的な反応である。犯罪統制政策一般の問題は、症状に対処しようとすることばかりに気をとられて、まず何よりもそうした、症状が生まれた基本的な政治経済的な力を変えよう、とはしないことである。

マルクス主義犯罪学者たちは、犯罪に関する「根源的反抗」の理論や、刑事司法の「道具主義的」な見方を排し、犯罪行為やそれに対する刑事司法が取り得る反応についてより実際的なアプローチをとろうとした。「左派現実主義」と呼ばれるこうした犯罪学者たちは、次のことを認識している。つまり犯罪は労働者階級の人々に対して深刻な問題を起こすものであり、刑事司法機関は、こうした問題に対して、資本主義の経済体制が転覆されないとしても、やはり対処していくことができる。その結果、この流れに属する犯罪学者たちは、主流派犯罪学者(リベラル派をそう呼ぶならばということだが)の出しているものとそう変わらない、様々な政策的な提案をおこなっている。取締の改善、ホワイトカラー犯罪者の起訴、刑務所改革、街娼行為を犯罪化せずに規制すること、薬物問題に対する長期的な戦略として、市中心部における主要な衛生、住宅、教育といったニーズに取り組むことなどである。


ポストモダニズムとポストモダン犯罪学

モダニズム(近代主義)は、本書の以前の章で述べたような、世界に対する「自然主義的」アプローチに連なるものである。この「自然主義的」なアプローチのひとつは、科学を、世界を予測し統制することに向けられた客観的プロセスと見る見方である。前述したように、その意味で、ほとんどの犯罪学は「モダニズム的」、「自然主義的」なものである。

ポストモダニズムは、モダニズム的ないし自然主義的なアプローチを拒否する。それは次のような主張による。すべての思考や知識は言語によって媒介される。そしてその言語自体、決して中立的な媒体ではない。人々がそれに気づいているかどうかは別にして、言語は常にある種の見方を特権的に扱い、他を貶める。たとえば、モダニズムは「科学的」な思考を特権的に扱い、それが他の思考方法に比べて優れて妥当性があり、客観性があるとした。それとは対照的に、ポストモダニストたちは、科学的思考に優越的な地位は与えない。その妥当性において科学的思考は他の思考よりも優れてもいないし劣ってもいないとする。ポストモダニストたちは、ある程度、科学的思考を攻撃することさえある。というのは、ポストモダニストたちは特権的地位にある見方を「脱構築」しようと試みる、すなわち、科学的思考の見方が正当化され、他の見方が貶められるような方法を基礎づけている暗黙の想定や根拠抜きの断定を見出そうと試みるからである。同時に、ポストモダニストたちは貶められてきた見方を捜し出し、それをもっと目に見える形にし、正当化しようとする。その最終的な目標はある考えを捨て去って別のものに置き換えるというほど単純なものではなく、様々な文法が全部一斉に正当性を持ち、様々な見方が、どれが優れていてどれが劣っているのかといったことを考えることなしに、一種千差万別に存在しているという状況を生み出すことである。

シュワルツとフリードリクスは、ポストモダニズムはそれ自体、要約することが困難であると指摘した。「ポストモダンの考え方の種類はほぼ無限に近いように思える」からである。それに加えて、シュワルツはポストモダニズムの陣営に属する人々の書き方が難解であるとも指摘した。そうした文献を何度も読んだ後でさえ「彼らがいったい何を言っているのかはさっぱり分からない」と言っている。この二つの問題は、そもそもポストモダニズムそのものに関係する。ポストモダニズムは、線形的な思考過程、原因と結果に関する言明、演繹的論法、客観的分析、その他科学的思考の基準となっているものがもはや他の思考形態よりも優れて妥当であるわけではないとするのである。したがって、ポストモダン的な思考を、なんらかの論理的で、首尾一貫した、体系だったやり方で一定要約しようとする場合は、ポストモダンそのものに矛盾することになる。それにもかかわらず、自己矛盾的な性質を承知の上で、そのように要約してみようとしたポストモダン理論家たちもいたことはいた。

ポストモダズムの中心的な見方は、モダニズム一般、特に科学が、解放にではなく、圧制を強めることへと導いたとするものである。

「(ポストモダニズムは)モダニティ(近代)がもはや解放を呼ぶものではなく、むしろ服従、圧制、抑圧のための力となったと主張する。この主張は社会科学自身にも向けられる。社会科学もまた近代の所産である。ポストモダニストたちは、発展というリベラルな観念にも、解放というラディカルな期待にも幻滅した。モダニズムの力、たとえば産業主義などは、この世界における暴力の範囲を拡張し、増幅させた。より悪いことには、ポストモダニズム批評によれば、そうした暴力への反応形態は、裁判所システムや取締のための官僚制といった主に合理的な機関を通じておこなわれており、専門家やエキスパートに多くを負っていた。そのような対応は、新しいかもしれないがやはり同じように致命的な支配を単に再生産するものでしかない、とポストモダニズム批評は指摘する。」(Schwartz and Friedrichs, "Postmodern Thought and Criminological Discontent" Criminology 32(2) 1994)

ポストモダニズム的な対応は、社会の中の支配構造を暴き、それによってより大きな解放を達成しようとするものである。支配の主たる源泉は、ポストモダニストたちによれば、言語システムの統制にある。これは、言語が思考を構造化する、すなわち何らかの意味を伝えようとして人々が使う単語や言い回しなどが中立なものではなく、そうした言語を使う人々がそれを意識しているいないにかかわらず、世界の支配的な見方を支援するものだからである。

そこでポストモダニストたちは、意味やアイデンティティ、真理、正義、権力、知識といったものの創出における人間的な作用と言語との関係を調べる。こうした研究は、意図や意味がどのように構築されたかを調べるための方法である「ディスクール分析」を通じておこなわれる。その著者によって使用された言語に内包される価値や前提に特に注意が払われる。ディスクール分析は、語られたものや書かれたものの意味を理解するために、その書き手や語り手の社会的な地位を考慮する。例えば、弁護士が、「弁護士として」語ったことを十分に理解するためには、歴史的に位置づけられ、社会の中で構造化された立場である「弁護士たること」について、いくらかのことを知っておく必要がある。犯罪や刑事司法の中には、その他にもたくさんの「推論的な主語的な地位」があり、それらはそれぞれの言語システムと関係している。例えば、警察、少年ギャングの構成員、薬物の売人、矯正職員、組織犯罪の首領、企業犯罪者や政治犯罪者、裁判所職員、万引き犯人、武装強盗、そして犯罪学者ですらもそのうちにあげられる。

ポストモダン犯罪学者たちは次のように主張する。こうした「推論的な主語的な地位」を装ったとたん、もはや語ることばは現実を十分には表現せず、より大きな制度や組織の現実をある程度表現してしまう。人々のことばが一種現実から離れてしまうことから、そうした人々は「脱中心化された」とされる。つまり、人々は自分たちのことばが表すことそのままであることはなく、常にその言語システムが期待したり求めたりすることに一種傾きがちなのである。

例えば、強姦された女性は起こったことを検察官に話さなければならない。そして検察官はその話を法廷用の言語、つまり「法律語」、に再構築し、再編する。その女性は法廷で証言するかもしれない。しかし彼女の証言は、法廷で受け入れられる言語システムから逸脱することはできない。逸脱すれば被告人を有罪とする機会が危うくなるだろう。仮に被告人が有罪になった場合でも、強姦された女性は深く落ち込み不満足な気分で法廷を去ることだろう。彼女の話は十分には伝えられなかったし、彼女の現実は十分には共有されなかった。彼女の痛みは決して十分には認識されなかったのである。裁判所システムの言語は被害者に対する支配の形式を表現し制度化する。そのことは、被害者たちが裁判所に満足しないということが実にしばしば見られるというひとつの理由でもある。

似たような話は犯罪をおこなったと訴えられた被告人にもあてはまる。刑事弁護を担当する弁護士は、日常的に、弁論を構築する中で被告人の話を「法律語」に包み直し、再構築している。弁護士がこういう作業をするのは、こうしないと法廷で勝てないからである。しかし、被告人の話の全体の意味は、通常、こういった過程で失われてしまう。経験の少ない被告人だと、法廷で語られる話があまりに実際に起きた話と違うので、反論してしまうかもしれない。しかし、より経験豊富な被告人は、これがゲームのやり方だということを知っている。仮に被告人が勝って、無罪になったとしても、依然として儀礼主義的な供儀がとりおこなわれ、そこでは裁判所の現実が被告人の現実を支配するのである。したがって、どちらが「勝つ」かに関わらず、裁判所の言語は、社会制度により個人が支配されることを表現し、制度化するのである。

また別のポストモダン分析は、公的な言語が刑事司法手続に関わる人々を支配しており、そうした人々自身、そうしたシステムが排斥的で疎外的であり、抑圧的だと感じているという筋道を示した。この種の研究には法律に詳しい被収容者や、911番通報に対応する警察官、刑事裁判での女性弁護士のものなどがある。それぞれの場合とも、現実についての一方の見方(つまり、囚人や警察、女性弁護士の見方)がもう一方の裁判所や刑務所システムの言語にとって替わられ、そのために現状を追認し正統化しているのである。

ポストモダン犯罪学者らは、現在の状態では、ディスクールは支配的な場合(例えば、医学や法律、科学の言語の場合)か、あるいは対抗的な場合(例えば、刑務所の囚人の言語のような場合)のどちらかになっていると捉える。ポストモダニズムの目標は、多くのさまざまなディスクールが正統なものとして認識される状態へと移行することである。そのための方法の一つとして、「置換ディスクール」を作り上げるということがある。これは、言語自体が人々に真の声をもっと語らせるようにし、他の人々の真の声についても継続的に意識したままでいるようにさせるものである。その目標は、より大きな総括的な状態であり、コミュニケーションの多様化であり、多元的な文化である。こうした目標を達成するために、ポストモダン犯罪学者たちは注意深く、犯罪行為の定義を構築する中でともすれば排除されてしまいがちな見方に耳を傾けようとする。そして、オルタナティブなディスクールが市民を世の支配的な発話パターンから解放するような社会を作り出すことは、犯罪を減少させるプロジェクトにおいてすべての市民が果たす役割を正統化するだろうと結論づける。その結果、社会全体の人々の多様性をより尊重するものとなるだろう。最終的には、犯罪者が他の人々を被害者化することも減るし、社会全体の機関によって犯罪者に公的な処罰が下されることも少なくなる。

ポストモダン犯罪学は、これまでの葛藤理論やマルクス主義理論では無視されてきた、社会の中における権力と支配の基盤を暴露する。しかしながら、この理論は「好意的な相対主義」や「共同態による礼賛」に向かう傾向がある。これは初期の単純なマルクス主義的な犯罪観を彷彿とさせるものである。特に、犯罪者が他の人々を被害者にすることを「好意的に評価」し、「礼賛する」という点で。これは、その後の左派現実主義のような、犯罪とは現実的な社会問題であり、現実的な刑事司法政策によって取り組まれなければならないとする立場とは対立する。しかし、ペピンスキーは、強制的な社会政策は問題を続かせてしまうだけだとして、次のように言っている。

犯罪は暴力である。刑罰もまた暴力である。戦争もまた同じである。戦争に行く人は暴力が役立つと信じている。同じように犯罪者もまた、そして犯罪者を罰してほしいと思う人々もそのように考えている。これらの人々が暴力が役立つと信じているのは、支配が必要だとも信じているからである。神とか自然の知恵、科学的真理といったものに近い誰かは、わがままな部下を規律に従わせなければならない。さもなくば社会秩序はめちゃくちゃになるだろう、と。

同じようなことをクイニィも言っている。

...この国の刑事司法システムは、暴力の上に築かれている。暴力は暴力によって、悪は悪によって克服されるということを前提にするシステムである。この原理は、残念なことにわが犯罪学の多くでも支配的である。刑事司法システムが戦争機械と道徳的には等価だと認識してみよう。そうすると一方への反抗は、もう一方への反抗ともなることに気づく。この反抗は、それが反抗している当の暴力によってではなく、思いやりや愛によっておこなわれなければならない。

最終的に、これらの犯罪学者たちは刑罰の暴力は、犯罪の暴力を増加させ、続かせることしかできないという結論に達している。犯罪学者や一般大衆が暴力が効果があるとか、価値があるとか考えることをあきらめないかぎり、犯罪者たちに、同じように暴力をあきらめさせることは合理的に期待できないのである。


フェミニズムおよびフェミニスト犯罪学

マルクス主義やポストモダンがそうであるように、フェミニズムもまた、極めて広範な適用領域を持った社会の理論化である。犯罪学の領域にも適用されるが、それが主たる視点であるというわけではない。ポストモダニズムがそうであるように、フェミニズムやフェミニスト犯罪学には多くの異流がある。その異流内部でも、お互いに同意できない点や、意味が微妙に違うといったことがある。ここではフェミニスト犯罪学を概観し、それがどのようなものなのか、その主要なテーマは何かといったことを追うだけにとどめたい。

犯罪学の中で最初にされたフェミニズムの主張は、女性犯罪者について取り上げた多くの論点が、伝統的犯罪学の中でほとんど無視されたり、ひどく歪められたりしている、という批判だった。例えば、伝統的犯罪学理論は、女性の犯罪行動の説明をほとんどできなかった。伝統的犯罪学の中でこの問題を取り上げた数少ない理論は、ステレオタイプに満ちた女性イメージに依存した単純なものだった。そしてほとんどの犯罪学理論はこの問題を、どんなやり方であれ、まったく取り上げなかった。さらに、ほとんどの犯罪学理論は、実質的にジェンダー中立的だった、つまり、男性に対するのと同じように女性に対して理論を適用し、男性と女性との間の犯罪との関わりの違いについては説明しなかったのである。大多数の犯罪をおこなうのは男性であるというような、犯罪のジェンダー的性格が指摘された際、伝統的犯罪学の諸理論は、女性に備わっていると考えられている属性に焦点をあてようとした。そうした属性は、女性が劣っているということを暗にほのめかすものであり、社会全体の中での男性への従属性を再強化しようとするようなものである。伝統的犯罪学の諸理論はまた、刑事司法制度の中で女性が男性とは異なった取り扱いを受けていることを取り上げなかった。例えば、性犯罪で訴えられた女性犯罪者は、同じような犯罪で訴えられた男性よりもよりひどく取り扱われるのがしばしばである。一方で、暴力犯罪で訴えられた女性犯罪者は、男性犯罪者よりもしばしば寛大に扱われる。こうした取り扱いの違いは公式犯罪統計にも違いとなって表れる。性犯罪の率は高く、暴力犯罪の率は低くなる。その結果、犯罪学理論による女性の犯罪性の説明に対して影響するのである。最後に、「女性の解放」の一環として女性が社会全体の中で果たす新たな役割が犯罪行動への女性の関わり方にどのような影響をもたらすのかについて、現存している犯罪学理論はどれも、議論していない。

伝統的犯罪学が持つこうした多くの問題を指摘した批判の後、1975年、次の二冊の女性と犯罪とを論じた本が出版された。「犯罪の中の姉妹たち:新たな女性犯罪者の登場」の中でフレダ・アドラーは、女性たちが家庭に縛られた伝統的な社会的役割から離れ、それまでほとんど男性のみの社会だった競争市場に出ていくにつれて、女性たちはより攻撃的、競争的になっていった、と主張した。アドラーは、本質的に、女性たちが男性的な性質を身につけたと判断している。それは、女性たちが、男性たちがいつも直面している闘いに参加したためである。それと同じような変化が犯罪者の間でも起きていると彼女は見るのである。犯罪者の間でも、「同じような数の強い意思を持った女性たちが、中心的な犯罪の世界に足を踏み入れている」。そこで、「銃や刃物や頭を使って、男性のような暴力や攻撃もできる、完全な人間として自己を確立しようとする女性が増えている」と彼女は主張したのである。

同じ年、リタ・ジェイムズ・サイモンが「女性と犯罪」という本を出した。サイモンもまた女性によっておこなわれた最近の犯罪のタイプや量の変化を問題にしたが、その理由はそれまで男性的な性質といわれていたものを女性たちが身につけたからではないと主張した。むしろ家庭に縛り付けられた伝統的な社会的役割から離れることで、女性たちには、犯罪をおこなういろいろな機会が増えたのだ、と。これは、特に経済的な犯罪やホワイトカラー犯罪をおこなう機会について妥当する。そうした犯罪では、信用される立場で他人の金に触れることができることが必要だからである。

アドラーの理論もサイモンの理論もともに、女性の伝統的な役割からの解放は女性による犯罪を増加させるだろうと主張した。この二つの理論の主な違いは、こうした新たな女性犯罪者たちがおこなうであろう犯罪のタイプに関する予測にあった。アドラーの理論では、そうした犯罪の多くは暴力犯罪であろうとした。対してサイモンの理論は、ほとんどは財産犯罪やホワイトカラー犯罪が占めるだろうとした。後におこなわれた調査の結果では、サイモンの機会理論のほうが妥当性が高いということが検証されたものの、全体的には、そうした「新しい女性犯罪者」が存在するといった証拠はほとんど出なかったのである。さらに、シンプソンは次のように言っている。上記のような理論は両方とも他の、フェミニズムに属さない犯罪学者にも多大な興味を抱かせ、ある意味ではフェミニスト犯罪学の運動を後退させたともいえる。上記理論のようなフェミニスト犯罪学は「女性の生活と経験を形成する物質的、構造的な諸力」から目をそらさせ、そうした諸力がどのようにして女性の生活を形成するのかという、より広い視野に立った諸問題を無視したからである。このため、他のフェミニスト犯罪学者たちは、上記の理論のいずれもフェミニスト犯罪学として扱うべきではないと主張している。

アドラーとサイモンの研究の後、犯罪に従事する女性に関しての犯罪学的な研究は飛躍的に拡大した。その多くは、過去の理論で扱われてこなかったギャップを埋めたり、歪曲されたことなどを是正するという意味で、伝統的犯罪学自体の一部として扱うこともできる。その意味で、こうした動きは後にいわゆる「リベラルフェミニズム」と呼ばれるようになった動きの一環でもある。フェミニズムの中でも、この種の流れは基本的に既存の社会構造の枠の中で活動し、その中で女性の問題に注目を向けさせ、女性の権利を促進させ、女性の機会を拡大させ、社会の中での女性の役割を変革しようとした。

しかし、その後すぐ、いわゆる「批判的」フェミニズムの流れがいくつか登場してくる。これらはリベラルなフェミニズムの活動がおこなわれている社会構造そのものに対して直接挑戦する。こうした流れは、女性がどのように社会の中で従属的な立場を占めざるを得なくなったか、そして社会自体がどのように変革されるべきか、というより根本的な問題を取り上げた。この流れに属する最初の動きは「ラディカルフェミニズム」と呼ばれるもので、その中心的な概念は「家父長制=男性中心主義」である。この概念は、もともと、マックス・ウェーバーのような社会学者たちによって封建主義体制のもとでの社会関係を示すために用いられていたものを、ケイト・ミレットが1970年に、男性が女性を支配する社会組織を示す概念として復活させたものである。ミレットは男性中心主義こそはあらゆる社会の支配の根本的な形態の最たるものだと主張した。男性中心主義は、性役割の社会化や「中核的ジェンダーアイデンティティ」を創り出すことで、設定され維持されている。この「中核的ジェンダーアイデンティティ」とは、それを通じて、男性女性双方とも、さまざまな場面で男性のほうが女性よりも優れていると考えてしまうようなものである。このようなジェンダーアイデンティティにもとづき、家庭内のように個人間の相互作用において男性は女性を支配しようとする。ここから、男性支配は社会全体の制度や組織に拡大していく。男性の権力は個人間の関係にもとづくものであることから、この種のフェミニズムに属する人々は「個人的であることは政治的であることだ」と結論づけた。

ミレットが問題の根をジェンダー化された性役割への社会化に置いたのに対し、マルクス主義フェミニストたちはラディカルフェミニズムを伝統的なマルクス主義に結びつけ、男性が支配することの問題の根は男性が経済的生産手段を所有し、統制しているという事実にあるとした。すなわち、マルクス主義フェミニズムは、男性中心主義を資本主義の経済構造に結び付けた。これは結果的に、男性が経済を統制し、女性は男性に奉仕し、自分たち自身を男性の性的需要に供するという「労働における性分業」となる。一般的なマルクス主義犯罪学と同じように、マルクス主義フェミニストは次のように主張する。刑事司法システムはこうした資本主義的−男性中心主義的システムを脅かす行為を犯罪とした。そのため、女性たちの行為で犯罪とされたものは、第一義的に、(女性が男性の経済的支配を脅かした場合は)財産犯、または(女性が女性の身体やセクシュアリティに対する男性の支配を脅かした場合は)性犯罪の形態をとることになる。一般のマルクス主義と同じように、刑法に関して「道具主義的」な見解をとるフェミニスト犯罪学者もいる。法を男性による抑圧の直接的な手段と考えるのである。一方で、より複雑な「構造的」見解をとる人々もいる。法が男性中心主義のシステムを長期的に維持するための全般的なやり方を見ようとするのである。このマルクス主義的フェミニストの見解で、女性の犯罪性のもうひとつの根源とされているのは、このように制限的な社会的役割に絡めとられてしまうがために女性たちが持つ怒りや憤りといったものである。

最後に登場したのは、社会主義的フェミニズムである。社会的役割と経済的生産に焦点をあてる点は維持しつつも、頑迷なマルクス主義的な枠組みは取り払った。特に、生殖上存在する性の自然な違いを強調する。この違いが社会全体における男性と女性との関係の基礎となっている。バースコントロール導入以前は、女性たちは今よりもはるかに、男性に比べて自分たちの生理に左右されていた。月経、妊娠、出産、授乳、更年期などはどれも、生身の身体の問題として、生き残る上で、女性を男性により依存させていた。妊娠、出産、授乳といった女性の生物学的役割のために、女性は育児において中心的な責任を担うことになり、そのために長期間にわたる膨大な手間が必要となった。これが最終的に「労働における性分業」と呼ばれるものにつながる。男性は外で働き、女性は家庭内で働く。そのことで、女性に対する男性の支配と統制の基礎を成すのである。したがって、平等社会実現のための鍵は、女性による経済的生産手段の所有にあるのではなく、女性たちが、自分たちの身体や生殖機能を、自分たち自身で支配し統制することにある。それが実現できたあかつきには、社会全体の中で自分たちにふさわしい場所を見つけることができるだろう。

メッサーシュミットは、それに加えてまた別の主張をしている。ラディカルフェミニストもマルクス主義フェミニストも、最初にミレットが主張したジェンダー化された性役割という問題について、長年にわたって、それを男性と男性性の「本質的」特徴の問題に帰属させようとする傾向があった。つまり、ラディカルフェミニストは、男性はいくつかの特徴について性役割を社会化しているのではなく、そもそも本来的に支配的かつ暴力的なものが男性の中にあるのだ、と主張している。だから社会化の理論として出発したはずのものが、男性と女性との生物学的な違いが男性中心主義の基礎であるとする「本質主義」の理論になってしまう。こうした「本質主義」は、ゆくゆくは「本質的に女性的」とされたあらゆる特徴を賛美し、「本質的に男性的」とされたあらゆる特徴を非難するということにつながる。メッサーシュミットは根本的な問題は性役割の社会化そのものにあり、男性の攻撃性などという生物学的な主張は明らかに誤っていると主張する。それを受けて彼は、男性がどのようにして暴力や支配を生む役割に社会化されていくのかを論じる社会構造理論を生み出した。これは社会主義的フェミニズムとも一致するものである。

リベラルフェミニズム、そしてラディカルフェミニズム、マルクス主義的フェミニズム、社会主義的フェミニズムなどは、フェミニズム全体の中の別々の流れとして広く意識されている。しかし、それ以外にも、しばしば言及されるいくつかの流れがある。その中にポストモダンフェミニズムがある。例えばスマートは、言説(=ディスクール)がどのようにしてある種の女性たちを「犯罪者の女性」として区別するのかを論じる。しかし、その他のフェミニストたちはポストモダニズムを拒否する。フェミニズムは、科学的客観性の基準にもとづく近代主義的(モダン)な作業だとするのである。

全面的にポストモダニズムに基づいているかどうかは別にして、フェミニストの多くがフェミニズムの中で、ポストモダニズムと同じような「好意的な相対主義」の立場をとっている。つまり、こうした論者たちは多くの様々なフェミニストの主張を正統なものとして認識し好意的に評価する。そして、そうした様々な主張を分析し、整理しそして最終的にはどれか一つを取り上げるといったことを避けている。一方、多くのフェミニストがフェミニストの思考は「男性支配的」な思考よりも優れているとしている。そうした「男性支配的」思考は偏見に満ちており、歪曲され、客観性に欠けている。それは、そうした見方が男性支配を肯定することから来ているからだ、と。しかし、ポストモダニズムからいえば、ある特定の視点を特権的なものとしたり、けなしたりすることはないのであり、ポストモダニズムそれ自体から考えても、「男性支配的」思考はフェミニストの思考と同じように正統であるであろう。その意味で、フェミニズムとポストモダニズムとを結び付けるのは困難であろう。

明らかに、フェミニスト犯罪学は伝統的犯罪学に存在していた多くの穴を埋めたし多くの歪んだ視点も是正した。しかしながら、そうした役割を果たす上では、フェミニスト犯罪学は、伝統的犯罪学自体の巨大な企ての中にみずからを位置づけることになる。それならば、より大きな観点からの疑問として、伝統的犯罪学の流れとは異なる、それとは互換性のないような、定義可能で別の流れとしての「フェミニズム的思考」があるかどうかということが問題になってくる。現在、フェミニスト犯罪学者たちが向かおうとしているのは、こうしたより巨大でより複雑な問題である。

ダリーとチェスネイ・リンドは、この点に関して次のような主張をしている。「犯罪の理論の上での、男性と女性の位置というものは、(中略)理論構築をしたり調査をしたりする男性と女性の位置と分けて考えられるべきではない。」つまり、二人のいうところでは男性と女性の犯罪学者には違いがあり、その違いが犯罪学者たちが取り上げる問題のタイプ、構築する諸理論のタイプ、おこなう調査などのタイプの違いにも関係しているのである。

ダリーとチェスネイ・リンドは、犯罪学においては、ジェンダーと犯罪の問題は、二つの形式のうちのいずれかをとってきていると指摘する。まず、generalizability(一般化可能性)問題は、男性の犯罪行動を説明する伝統的犯罪学の理論が、女性の犯罪行動を説明する上で一般化できるものかどうかという問題に焦点をあてる。一方、gender ratio(ジェンダー比)問題は、女性がなぜ、犯罪行動に従事しにくく、男性は従事しやすいのか、という問題に焦点をあてる。一般化可能性の問題は、主に男性の犯罪学者たちによって主張されてきた。ダリーとチェスナイ・リンドは、ここでまた、これは知的にみても専門的にみても、犯罪学の領域に入ろうとする女性の犯罪学者たちにとって、「安全な」道であるとする。なぜなら、このやり方は「先行する諸理論を修正するだけの、飼い慣らされたフェミニズム」のみを使用するためである。しかしながら、このアプローチの問題は、一般化可能性の調査というものは、まったく混合してしまっており、伝統的な男性指向の犯罪学理論は女性の犯罪性を説明するのに限られた価値しか持ち得ない、ということにある。これはそうした理論がよって立つ理論的な概念が「男性的な経験によってあまりに深く刻み込まれているため」女性の犯罪に適用した場合には「あまりに限定的か少なくとも誤解を与えるようなものになってしまう」ためかもしれない。

ジェンダーと犯罪を検討したほとんどすべての女性犯罪学者たちが、一般化可能性問題に反対し、ジェンダー比問題を取り上げている。女性犯罪学者たちの研究が進められる際には、観察や聞き取り調査が用いられる傾向が強く、理論面において「全般的な主張に対しては、それは不確かなものであるとして不快感を表わしていた」。それに対して、ジェンダー比を取り上げた男性の犯罪学者たちは、大胆に壮大な理論的主張をおこなっていた。そして数量的なデータの統計的分析などの経験的調査をおこなおうとしていた。ダリーとチェスネイ・リンドは、次のように言う。

「(女性犯罪学者たちは、)テクスチャや社会的文脈、ケースヒストリーなどを提供することに関心があった。要するに、青年期や成人の女性たちがどのようにして犯罪に従事するようになるかについて、適切なポートレートを出すことに関心があったのである。このような、ジェンダーによる違いは、女性の犯罪をその独自の関係性の中で理解するための必要性に対する感覚と関係している。ちょうど過去の犯罪学者たちが、男性の犯罪について、そのようにしたのと同じように。」

このような女性の犯罪学者たちの問題は、「全般的で壮大な理論的主張やハイテクな統計的分析は、むしろ専門家たちによってより高く評価される」ということにある。したがって女性たちは、「ケーススタディに過ぎないと軽んじられたり、十分に理論的ではないと相手にされなくなる」といった危険を冒すことになったのである。


批判的犯罪学理論の評価

今やマルクス主義に立脚した社会のほとんどが崩壊した。これは明らかに、マルクス主義に基礎を置く経済体制には致命的欠陥があるということを示唆している。しかしながら、マルクス主義社会が崩壊した後から生まれた新たな諸国家は、資本主義体制を再建するにつれて、犯罪の大量増加を経験している。このことから、資本主義と犯罪との間には何らかの関係があるというマルクス主義の主張にも一定の妥当性があるといえるかもしれない。少なくとも、犯罪学者たちは、旧社会主義諸国で最近起こっている事柄を検討し、資本主義がいくつかの犯罪のタイプやレベルと、因果的関係があるかどうかについて研究することだろう。もしも(政治)経済と犯罪率との間に関係があるとするならば、それは次のような理由によるのかもしれない。つまり、我々が第八章で前に述べたように、資本主義は高レベルの経済的不平等とつながる傾向があり、資本主義経済システムそのものというよりは、そうした不平等こそが犯罪を引き起こすのである。

ポストモダン犯罪学は、マルクス主義犯罪学と多くの部分で類似点がある。ただし、注意を経済的な生産から、言語的な生産へと移している。ポストモダニストは、支配関係を生む上での言語の利用に対して注意を向ける。このことは一般的にいって、また特に犯罪の研究についても、多大な利点があるように思える。それに加えて、排他的、拒絶的ではなく、包括的で受容的な「置換ディスクール」の発展は、十分に考慮に値する貢献を犯罪学に対しておこなったといえるだろうし、また犯罪の減少策ともなり得るだろう。

しかしながら、ポストモダニストは「好意的な相対主義」の立場をとり、あらゆる観点を平等に取り上げ、科学的なディスクールも他の言語より特に妥当性があるわけではないとして取り扱う。この点はほとんどの犯罪学者たちにとって、かなり行き過ぎたものといえるだろう。ほとんどの犯罪学者たちは、実際上の難しさがいろいろあるとはいえ、科学的なプロセスの基礎に妥当性を見出すことに執着しているからである。実際、犯罪学者たちはポストモダン犯罪学をも科学的な見地から見ようとするだろう。ポストモダン犯罪学の基本的な主張の一つは、暴力は暴力を生む、したがって、現在われわれが持っている暴力的な刑事司法政策は、われわれの社会の中での犯罪者たちによる暴力を増加させるだけだというものである。この点は、結局、経験的な主張であり、科学的な調査によって検証し得る。つまり、さまざまな州や国家における刑事司法政策の暴力をそうした州や国家の犯罪率と比較してみることができる。もしもポストモダニストたちが正しいとすれば、刑事司法政策の暴力と暴力的な犯罪との間には明らかな関係があるはずである。

もしも万が一、犯罪学者たちが、どのような思考にも科学的な思考と平等な正統性があるという主張に同意しないとしても、さらなる検討に値する、少なくとも、あるもう一つの別の思考があるということには彼らとしても同意することだろう。フェミンな(女性型の)思考である。科学的な思考は典型的な男性型の思考である。線形であり、合理的であり、すばやく結論を出すものであり、確実であり、客観的である。「フェミン」な思考というのは、ゆっくりとした、直感的で曲線的で反復的、そしてより不確かなものである。ちょうどダリーとチェスネイ-リンドが報告した、女性の犯罪学者たちが犯罪学のジェンダー比問題に対するアプローチとしてとったものと類似している。ひょっとすると犯罪学は「好意的な相対主義」を十分に採用し、これまでフェミンな犯罪学のアプローチとされてきたものを包含していかなくてはいけないのかもしれない。

Home | Profile | Mail | PGP

    Autopoiesis and Law Internet as Rights Lecture



    NGO

    アムネスティ・インターナショナル日本




teramako