Political Criminology

人権改善の姿勢を見せない政府に批判

国連自由権規約委員会の第5回日本審査を振り返る

月刊「部落解放」2009年6月号(615号)*


自由権規約とは何か

国際人権規約として知られる条約のうち、主に自由権に関する規定を集めたものが「市民的政治的権利に関する国際規約」である。この条約の締約国には、5年に一回、この条約にもとづいて設置されている機関である自由権規約委員会からの審査を受ける義務がある。政府から提出された報告書にもとづいて、各国から選出された人権の専門家18人によって構成される委員会が、条約の趣旨や要請事項を各締約国がどのように履行しているかを審査するのである。

自由権規約委員会は、その活動に関して国連の人権高等弁務官事務所の支援を受けているため、その名称に「国連」の名前が冠せられる。しかし、委員会を構成しているのは人権分野の研究者などの専門家であり、各選出国の政府からは独立した立場で行動している。

審査の対象は政府が提出した報告書であるが、委員会は審査に際し、他の有益な情報源にあたりつつ、政府報告書の妥当性を検証する。その最も重要な情報源となるのが、さまざまなNGOが提出する「オルタナティブ報告書」である。各NGOは、それぞれが活動している分野に関連して、政府報告書の記載内容を別の立場から分析し、批判的な情報を集め、委員会に提出することができる。こうしたNGOからの情報提供を受けて、委員は当該国の人権状況の実態把握につとめるのである。

NGOの情報が重要な役割を果たす手続きであることから、NGOには会議へのオブザーバ参加が認められている。したがって、審議自体は公開で行われる。また、事前にNGOと委員との意見交換の場などを設けることもできる。

委員会は審議の後、「総括所見」と呼ばれる文書を採択する。この文書には、審査対象国に対する勧告が述べられており、国内的にどのような改善措置を講じるべきかについて委員会としての意見がまとめられている。膨大な情報を整理した上での意見であり、具体的かつ実際的な勧告内容となっているのが大きな特徴である。

勧告を受けた政府は、条約履行の改善に向けた措置を講じることが求められる。実際、これまでにも多くの勧告が出され、徐々にではあるが政府が対応して改善が見られる点がある。政府としても、国際的に求められる改善策の優先順位が明らかになることから、将来を見据えた人権政策を考える上では、大変有益な制度であると言えよう。

第5回審査に向けて

日本はこの自由権規約の締約国になった1979年以来、委員会による審査を過去4回受けている。5回目となった今回の審査は、1998年の前回第4回審査から10年を経た2008年の10月ジュネーブの国連欧州本部で行われた。本来5年に一回であるべき審査が、10年ぶりの審査となってしまったのは、日本政府による委員会に対する報告書提出が大幅に遅れたためである。この報告書提出の期限を守らないことに対しては、委員会から過去再三にわたって日本政府に対して注意喚起がなされていた。

実は特に2000年台の半ばのこの時期、日本政府は多くの条約機関に対する報告書提出を怠っており、人権条約履行義務に違背する態度が目立っていた。これには、いくつかの理由があると考えられるが、自由権規約の過去の審査との関係でいえば、過去の審査で政府報告書が徹底的に批判された経緯と無関係ではなかっただろうと思われる。特に1998年の第四回審査では、日本政府は委員会からかなり厳しい勧告を受けていた。したがって、日本がそれに対してどのような改善策をとるのか、という点について国際的な注目が集まっていたし、日本政府もそれを意識していたはずである。さらに拷問等禁止条約に基づく初回報告が名古屋刑務所での受刑者死亡事件を機に行刑改革が注目されたことを背景に、大幅に報告書提出が遅れたことなども影響していたとみられる。

2008年春の会期で、日本の報告書審査に向けた質問リストが公表された。質問リストは、委員会が審査の際にどのような点を重点的に検討するのかを示す文書であり、事実上、審査の議題案となっている。今回のリストでも、委員会は日本政府に対し、かなり詳細にわたる質問を出しており、前回、前々回の審査に引き続いた、委員会による日本の人権状況に対する関心の高さをうかがわせた。

実はこれまでの審査および勧告を見ると、日本の人権状況が国際的にどう見られているかをうかがい知ることができる。日本は、女性差別や少数者差別の問題など特定の問題に対する批判はあるものの、一般的には国際的な人権水準と軌を一つにしていると認識されることが多いようだが、委員会がこれまでに出している意見は、特に刑事司法の分野など、国際的な水準からあまりに外れた状態にあるとして強い不満と批判が集中している。特に、人権が根本的に理解されていないのではないか、という批判も根強く寄せられている。前回の審査でもその点が厳しく問いただされたのであるが、今回の質問リストでも、そうした点に対する質問が多く寄せられ、委員会が日本の人権状況について着目しているポイントが示された。

これを受けて、日本政府も質問に対する回答案を用意した。また、NGO報告書を提出した各団体も、個別に追加情報を提供した。日本の報告書審査は特にNGOからの活発な情報提供があったことが知られており、多くの論点についてさまざまなNGOがこれまでの国際的な議論などを踏まえつつ、質の高い報告書を提出していた。これらを合わせ、2008年10月15日と16日の両日、ジュネーブでの審査が行われたのである。

ジュネーブでの審議状況

審査を受ける日本政府は、外務省の上田人権人道大使、志野人権人道課長をはじめとして、各省庁からの代表30人弱を擁する大代表団を出席させていた。条約履行に関する対外的な折衝の所管は外務省だが、実際の業務を所管するのは各省庁ということになるため、日本政府はこのような代表団構成をとっている。しかし、各省庁は対外的な折衝を本務としているわけではないため、会議で通常使用される言語(主に英語や西語、仏語など国連公用語)ではなく、日本語での発言が多くを占めた。これは、国際条約の履行状況について対話をおこなう際の文化的な障壁の一つともいえる。そもそもの条約の趣旨を理解しそれに対する回答を行うという意識を持つよりも、むしろ自分たちの母語により自分たちの制度の説明に終始しがちになる態度を形成させやすい。まさにそれが日本の人権状況に対して、以前から委員会からの批判が集中している点でもある。日本政府としては、各省庁間の意識のずれを解消するためにも、各省庁についても常に国際的な議論に主体的に参加するよう、組織的な体制を整えるべきだと思う。

一方で、オブザーバーとして参加したNGOのメンバーは、約60人ほどであった。日本からは、日本弁護士連合会が16人を参加させたほか、20人ほどが参加した団体を含め十数団体がそれぞれのロビー活動担当者を日本から送り、さらにアムネスティや国際人権連盟など国際的なNGOもその代表を送った。これほど多くのNGOが参加するというのはあまり他の国の審査では例がない。それだけ日本のNGOの関心が高いともいえるかもしれないが、これは裏返せば、政府とNGOとの間で十分な建設的協議がふだんから行われていないことの反映でもある。実際、審査に先立って行われるはずの、政府省庁とNGOとの間の協議は、今回については、日程が折り合わず開催されなかった。もちろん、開催されたとしても実質的な話し合いに入れないまま、単なる言いっぱなしの会になりがちであることは否めないものの、そうした機会すら持ち得なかったことは、委員会が以前の会合で指摘していた政府とNGOとの継続的な対話の確保という趣旨が、ほとんど顧みられていないという批判を受けても仕方がない状況である。

本審査に先立ち、委員会メンバーはNGOとの非公式協議の機会を持って情報を確認する。これは、委員とNGOとが、直に話ができる数少ない機会である。委員はここでNGOからの生の情報に触れることで、政府報告書を検証するための視点と根拠を見出すのである。非公式協議の場を通じて、委員もNGOに対して情報提供を要請し、それを受けたNGO側も必要な資料を整理、確認し、委員に口頭ないし文書で説明する。場合によっては、時差がある日本に電話などで連絡を取り合うこともある。審査の会場では、個別に委員にアプローチすることは禁止されている。そのため、審査がはじまる前までの時間で、委員に対する情報提供をおこなうのである。

そうして迎えた本審査だったが、政府代表団が示した質問リストへの回答は、以前からの委員会の批判をほとんど考慮していないものだった。政府の回答は現行制度の説明に終始し、条約の条文にすらほとんど触れず、規約実施の意思については言及しなかった。国内制度の適正性を一方的に主張するのみで、将来的な改善措置やその見込みに触れることすらなかった。これは、日本の反応に注目していた委員をはじめ、国際的なNGOを大きく落胆させた。条約審査が本来持っている、締約国の人権状況の改善に向けた努力を促すという機能が全く無視されたわけである。

こうした態度に対し、各委員からは強い不満と鋭い批判が次々と浴びせられた。「もしも、ここをやり過ごして、国に帰ったらこれまで通りやろうと考えているのだったら、お互いにとって時間の無駄だからもう終わりにしよう」と痛烈な批判を浴びせた委員もいた。特に、日本の死刑制度、代用監獄の問題を含む取調べ制度、刑務所の処遇をめぐっては、委員との厳しい応酬があった。捜査取り調べが警察の身柄拘束下でおこなわれていることや、取り調べに弁護人が立ち会えないことについては、国際的な基準に明らかに反している、というのは前回の審査でも指摘された点である。しかし、日本政府は、根本的な改善策を一切とっておらず、そればかりか、日本独特の事情があるためにこうした体制が必要なのだと説明した。そして「捜査官と被疑者の間の信頼関係が形成されており、それが後の改善・社会復帰にも資する」という主張を述べたのである。

さすがに、この説明は、規約が前提とする無罪推定の原則をまったく理解していない、と各委員から大きな驚きをもって迎えられた。。捜査機関が実質的に裁判を先取りして有罪を決めつけてしまっており、公正な刑事手続きの原則がまったく守られていないという極めて強い批判が寄せられた。

これまでの多くの冤罪事件は、代用監獄と密室での取り調べの結果である。そのような問題があるからこそ、その防止のための保障措置を規約が求めているのである。にもかかわらず、それを一顧だにせず、根拠を示さずに否定し、論点をすり替える日本政府の主張は通用するはずがない。しかし、日本政府当局の態度を見る限り、日本政府には、こうした問題を防止するという発想は全く存在せず、捜査の必要性があれば、あらゆる取調べは正当化される、と思いこんでいるようである。しかし、実は、日本の刑事訴訟法は、捜査目的による勾留を認めていない。勾留を捜査取り調べの手段として当たり前のように位置づける日本政府の主張は、そもそも、そのような意識を持っている段階ですでに規約、国内法に反しているのである。

刑事司法の分野で、批判が集中した点のもうひとつは、死刑制度である。世論調査での支持を根拠に死刑制度の正当化を図る政府に対しては、委員会は「世論を拠り所に人権侵害を正当化するのは、そもそも人権という問題を理解していないということに他ならない」と厳しく批判した。自由権規約は、明示的には死刑廃止を規定していない。むしろ規約第6条に死刑制度を前提とした規定を置いていることから、死刑制度を認めていると理解している向きもある。しかし今回の審査で委員会は、当局が死刑廃止に向けた方向性をとらない限り、規約第6条違反になるという認識を示した。さらに、「代用監獄のような制度を持っているのであれば、なおのこと、死刑判決に対して必要的に上訴がされる手続きを講じるべきだ」という指摘もあった。これは、捜査取り調べの際の身柄拘束などを考えれば、司法手続きに対する絶望から十分な審理を経ないままに死刑判決が確定してしまう現行制度には重大な欠陥があるという認識に立っている。日本の刑事司法にまつわる複数の問題点が、相互に関係して問題を引き起こしているという批判である。

世論を拠り所にして国内でのやり方の正当化を図ろうという日本政府の態度は、他にも、代用監獄制度と婚外子差別の問題の際に用いられた。「世論が(是正に)必ずしも賛成していない」という主張である。もしもそのような言い訳を許すなら、社会的に異論が存在する制度改革はほとんど不可能になる。委員会は「それを変えさせるのが政府の責任だであり、世論に頼るのは無責任な態度だ」と強く批判した。

勧告の内容

10月末、この審査の結果を受けて総括所見が委員会から発表された。これは、日本政府に対する具体的な改善勧告となっており、今後の日本の人権状況の改善のための見取り図を提供している。死刑や取り調べの問題、差別の問題とともに、今回、はじめて「慰安婦」問題も取り上げられ、政府による公式の謝罪、賠償と加害者処罰が求められた。「慰安婦」問題が取り上げられた背景には、日本が度重なる国際社会からの批判に応えないまま、戦後補償を切り捨て、教科書などから記述を削除させていることなどへの危機感もあった。そして、被害者たちが高齢のため、次々と命を落としていることが、緊急性があると認められて強い勧告が出たものである。

今回の勧告の採択の直前の10月28日、日本政府は二人の死刑を執行した。委員会に当てつけるかのように行われた死刑執行は、国際的な礼節にかける行為である以上に、国際社会の批判への反発という意図を示すために人命をもてあそんでいるという批判が当てはまる。当然だが、勧告は日本政府にとって、大変に厳しいものとなった。

まず、委員会は、これに先立つ以前の審査の際の勧告がほとんど実施されていないことを強く非難した。つまり、日本は、改善策をとる替わりに、反発して何もしなかったと理解されたのである。再三にわたって改善を勧告された婚外子差別の問題に関しても、日本政府は、ほぼ10年以上にわたって一切の改善措置を放置している。総括所見の冒頭で、過去のすべての勧告の履行を日本に対して求めたのは、政府が何らの行動もとらないことへの不満の表れである。

勧告はしばしば極めて厳しい表現を用いている。「日本は自白に頼るのではなく、もっと近代的、科学的な証拠に基づいた捜査取り調べをおこなうべきだ」と勧告されたが、ここには、現在の日本の捜査取り調べは、前近代的であり、非科学的である、と断じる委員会の強い憤りが示されている。一年後のフォローアップが義務付けられた勧告は、いずれも刑事司法分野の問題である。死刑について、第一審での確定を避けるための必要的上訴制度の導入、恩赦、再審手続きについて実質的に可能性を開くこと、代用監獄の廃止および捜査取り調べの録音録画や時間制限、昼夜間独居を強制されるような処遇形態の改善といった項目がそれである。日本の刑事司法が国際基準とかけ離れていることを如実に物語っている。

死刑に関する勧告では、「世論の如何にかかわらず、死刑廃止が望ましいということを、必要に応じて一般社会に向けて説明すべき」責任が政府にあると指摘した。これは、規約6条から一歩踏み込んだ内容であり、死刑の適用を制限する傾向にある現在の世界の中でただ一国、逆に死刑適用を増加させている日本に対する強い懸念である。

表現の自由に対する不当な制限について、日本では立川の反戦ビラ事件が最高裁で無罪の主張が退けられた。しかし、委員会はそうした事件に対して重大な懸念を示し、表現の自由を含む規約上の人権に対する制限は規約が予定するものに限るべきだと勧告して、日本が曖昧な「公共の福祉」の概念を恣意的に用いて制限を乱発していることを批判した。

差別の問題に関しては、新たに外国人無年金者に対する措置、性的指向にかかわる社会的な差別が放置されていること、婚外子差別の放置、先住民族の権利、民族的少数者の教育の機会などについての勧告がおこなわれたほか、女性差別の撤廃について、職場でのパート職員の待遇などとの関連で、さまざまな角度からの批判が寄せられた。そして、政府が示している改善案が、何ら具体性を伴っていないものにとどまっていることが批判された。まったく進んでいない国内人権擁護機関の設置、個人通報選択議定書への加入、裁判所や法曹に対する人権教育の実施、規約の趣旨の徹底などについても厳しい意見が出された。

このように、委員会が今回出した総括所見に示されているのは、今後、日本の人権状況をどのように改善しなければならないのかという、総合的な計画である。しかも、NGOからの情報を反映させつつ、詳細に事実関係を調べ上げた結果に基づいており、政策論としても、また運動論としても、極めて有益である。

これからの道

日本の今後の見通しを示す、こうした重要な勧告が出されたにも関わらず、11月初旬に政府省庁と議員、NGOが集った意見交換会では、政府は、勧告の履行の予定について審査の際におこなったのと同じ国内制度の説明に終始した。また、各省庁とも、はたして十分に勧告の内容を理解しているのか疑わしい状況が散見された。特に死刑に関しては、廃止の方針を示すよう勧告されているにも関わらず、行政府として立法府の判断を問うことすらなく、検討するつもりがないと言いきった。本来の行政権の逸脱ともとれるこうした状況は、国際社会からの声があったとしても、日本の状況に変化をもたらすのは容易ではないことを痛感させる。

そもそも、日本政府には、行政府、立法府、司法府を通じて、こうした国際的な機関からの意見を理解し、考慮する態度が形成されていない。そのようなものが形成されないまま、いたずらに「外圧」に対する反発だけを強めているように見える。そこにはいささかも、建設的な意思が見いだせない。まずは立法府が、勧告を理解し、実際の改善計画の立案に着手することが重要ではないかと考える。

今回の総括所見の第33段落には、この勧告を日本国内において周知徹底することが要請されている。日本政府は、まず、今回の勧告を、法曹三者および法執行官全員、また人権政策にかかわる全員に配布し、常時携行させる方策を取るべきである。その上で、実際の改善策の検討をそれぞれの部署において、早急に開始するべきである。

* 本原稿の一部を「部落解放増刊号:人権キーワード2009」に掲載したほか、子どもの権利部分を若干加筆して「子どもの権利研究(17)」(2010.8)に再録、さらに類似(自由権規約委員会での審査について)の内容を、「IMADR通信」「CPRニュースレター」「アムネスティ・ニュースレター」に掲載している。

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