Racak(ラチャク)村「虐殺報道」検証(17)

ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証

ラチャク「虐殺」発表者ウォーカーの正体(後編)

1999.7.23

1999.7.19.mail再録。

 先に送った情報の後半です。論評は最後に短く付け加えます。


ラチャクのアイロニー

あのウォーカーが虐殺を非難するとは(後半)

ドン・ノース
訳:萩谷良(翻訳業)

 コソボでは、より人権擁護派らしい意見をさも自分の専売のようにしているウォーカーは、公の場でも私的な場でも中米での自分の外交実績に言及している。イェズス会士殺害を隠蔽したことについては、「そんなことをまた非難されるのはまっぴら御免だ」と語った(ワシントンポスト1999.1.23)。

 国務省で彼の同僚にあたるある人物は、ウォーカーが80年代の中米における残虐行為をつよく批判しなかったことを悔やんでおり、コソボでその失敗の埋め合わせをしようとしているのだと言う。この同僚は、ウォーカーが中米戦争当時は経歴の半ばであり、将来を考えたのだが、いまは60代に入って、退職も間近なので、政府の政策に逆らうことも躊躇しなくなったのだと言う。

 コソボでは、昨年秋にユーゴ政府とアルバニア系独立派との間に停戦協定が結ばれた。セルビア側の民間人を巻き込んだ焦土作戦が、NATOの圧力で停止されたのが昨年10月だった。

 しかしNATOにとって、一部の外交官がテロリストと呼ぶKLAを保護する役割も愉快なものではなかった。KLAもまた停戦協定に違反し、真摯に和平協定を結ぶ努力をしなかったのである。

 NATOはラチャク村事件の報復として空爆を行うとユーゴ政府を脅しているが、西側外交官はNATOがKLAのための空軍になってしまうことを好まない。米国の外交官でさえ、あるロイター電で、KLAが停戦を無視していると発言し、こう語っている。

「彼らは乱暴で、人を馬鹿にした態度をとり、非協力的だ。セルビアに対してばかりか、アルバニア系人に対してすら、ぎょっとするほど粗暴だ」

 KLAは、冬の間も、--NATOが望んでいたように--大人しくはしていなかった。さっさと、物資を補給し、武装を整えると、コソボの戦略的要地を支配するため、新たに戦闘を起こしたのだ。

「彼らは自分たちを何様だと思っているのだろう」

 と、西側のある外交官はロイターの取材に語った。

「戦場で何もしなくても、彼らを邪魔する人間に対しては、彼らは信じがたいほど尊大だ」

 西側はKLAについて矛盾した態度をとったが、ウォーカーはラチャクの事件について裏で政治的取引をしようとはしなかった。彼が虐殺を非難したことで、NATOとミロシェビッチの対立は激しくなった。

 セルビア政府は、ウォーカーを好ましからざる人物と宣告し、彼の退去を要求した。

「貴殿は検事と判事の役割を同時に務めている」

 と、ミラン・ミルティノビッチ首相は語った。このときミルティノビッチらセルビア政府高官が語った、ラチャクの死体は戦闘で死んだKLAのものだという言葉は、80年代の冷頑政権が中米での虐殺事件について語った言葉を彷彿させる。

 ウォーカーはその地位を退こうとしなかった。そこで、NATOの空爆の可能性に、セルビア側が後退した。しかし、アルバニア系イスラム教徒への迫害は続いた。

 イスラムの伝統では、死者は速やかに埋葬することとされているが、セルビアはそれを無視した。セルビア警察は、悲嘆にくれるラチャク村民が死者の埋葬の用意をしているさなかに、再び村を襲い、迫撃砲と機関銃の砲火を浴びせながら進撃した。

 村民とジャーナリストとOSCE検証団は退却した。警察は、40人の死衣に包まれた遺体が並べられているモスクにどかどかと入り込み、遺体をトラックに積んで、プリシュティナに持ち去って、検屍を行った。

 懐疑的な向きによると、セルビア側は、犠牲者は戦闘で死亡した人達であり、アルバニアのゲリラが遺体の一部を切断してセルビア側に不利な悪宣伝をしているのだと言うために、この検屍の所見を利用しているのだと見る。しかし、OSCEの検証団はすでに、セルビア警察が残虐行為を行ったという結論を出している。

 バルカンの血みどろの反目の歴史を研究してきた外国の消息通の中には、ラチャクでのセルビアの残虐行為は、この地域の何世紀にもわたる醜い民族主義的抗争の歴史の中では、珍しくもないことだと言う。

 だが、セルビア人の多くは自分たちの政府が近年多くの蛮行を行ってきたということを、ボスニア東部のスレブレニツァ陥落時の7000人のイスラム教徒の殺戮も含め、否定する。セルビアのメディアは、よく、セルビア軍のしわざとされる残虐事件について、わざとらしい説明をする。昨年秋コソボで、セルビア警察の弾丸で3カ月の赤ん坊が死んだときには、セルビアのテレビは、アルバニア軍がゴム人形を置いて、人をかついでいるのだと言い張った。

 そんなことを外国人ジャーナリストは聞く耳を持たないが、セルビア国民はそれで納得する。ベオグラードの独立メディアセンターによると、セルビア人の95%が、国家のプロパガンダを受け入れているという。セルビア政府は、政府の方針に逆らった独立ジャーナリストを非難することにも成功した。国内の反体制派がこの国の軍事行動を批判したときにも、それを反逆罪で告訴している。

 この点もまたじつに皮肉なのだが、ウォーカーをはじめ冷頑政権高官が中央アメリカでの戦争犯罪の証拠を否認したときにとった戦術も、ミロシェビッチ政権と同じなのだ。彼らはまず非難されている事実を否定するか、自分たちの行為を正当化しようとした。つぎに、米国のジャーナリストを非難し、彼らは愛国心が足りないと言う。

 だが、一部の戦争行為は普遍的に残虐なものと認められており、犯罪者たちが犯罪事実を被い隠そうとも、彼らの汚れとなるのである。ちょうど中米でのエル・モソーテをはじめとするキリングフィールドの多くが、ニューヨークタイムズ特派員レイモンド・ボナーが80年代の米国政策の「弱点と欺瞞」と呼んだものの証しだったように、ラチャク村は、セルビアの残虐行為を示す最新の合言葉となった。

 ウォーカーは、声高にラチャクの蛮行を非難しながら、中米での政治的殺戮に無言の支持を与えたことを悔やんでいるかもしれない。だが私は、ピーター・マリンがベトナムとの合意の中で述べた道徳的ジレンマを思い出すのだ。

「全ての人間、全ての国はともに、道徳の領域では二度試される。第一は、自分たちが何をしているかによって、次には、自分のしたことをどう扱うかによって。有罪の状態というのは、いわば第二のチャンスを意味する。人々は、あたかも一種の恩寵によるかのように、自分自身が死者に負っていると考えるものを生きている人々に対して返済するチャンスを与えられる」

[ピーター・マリン:米国の著作家。ホームレス、若者、ベトナム復員兵など、現代の米国社会で無視・抑圧されている人達を擁護する主張で知られる]


 以上の記事は、インターネットのIf-Magazineのサイトから取った同誌1月27日付のもの。筆者ドン・ノースは、記者・ニュースキャスター、ノーススター・プロダクション社長で、東南アジア(特にベトナム)、中東、中米に戦地特派員として派遣された経歴をもち、1967年のテト攻勢の報道で海外記者クラブ賞を受賞するなどの活躍で知られる。


 以上で全編終り。

 この記事は、当方既報のラチャク村『虐殺』報道そのものへの疑惑については、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』と最終的な見解を異にする。「セルビア側」の主張を紹介してはいるものの、『ル・フィガロ』『ル・モンド』『リベラシオン』などの、疑惑提出記事の存在を知らなかったようであり、その点にも不満が残る

 しかし、事件後直ちにアメリカの足元で、キーパーソンの過去の「実績」が暴かれ始め、さらにはKLA(コソボ解放軍)の実態についても、「アルバニア系人に対してすら、ぎょっとするほど粗暴だ」などという「米国の外交官」の批判的発言を記録されていたことは、大いに注目に値する。

以上。


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