ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証
『ワシントン・ポスト』(1999.1.28)
1999.6.25
1999.6.20.mail再録。
別途、先に、『朝日新聞』(1999.1.29)記事「ラチャク村の『虐殺』事件/真偽めぐり論争/欧米メディア」(http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-24-asa.html)を送りましたが、その元になったのが、以下、萩谷良(翻訳業)さんの抄訳で送る『ワシントン・ポスト』記事です。
「電話の傍受」(盗聴)とか、度重なるKLA掃討作戦の結果、「廃村」(ghosty place)になっていたはずの村に「住民」がいたり、「射撃用意の命令が聞こえたので、全力で逃げ」た「生存者」がいたり、フォーサイスもかくやのドラマチックな展開振りですが、最後の方の「フィンランド法医学検証団が現地入り。鑑定結果は上記の証言と何等矛盾しなかったと、西側高官は言っている」という部分は、これも先に送った『共同通信』(http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-25-kyo.html)の「虐殺かどうかを断定できなかったとする最終調査結果」と矛盾します。
次回には、「自称名探偵」こと私自身の「Racak検証(13):食い違う報告の問題点整理と推理」を送りますが、皆様も、ぜひ、この同時進行の国際版『藪の中』物語の細部を、比較検討してみて下さい。
虐殺の真相隠蔽図るセルビア
電話盗聴で露になったコソボ報復の陰謀
ワシントンポスト(1999.1.28)
ラチャク発1999.1.27.
抄訳:萩谷良
ラチャク村事件は、ユーゴ政府高官の命令で起こり、これら高官は事後にその隠蔽を図った。西側政府はユーゴ政府高官(ユーゴ副首相ニコラ・サイノビッチとコソボのセルビア内務省将軍スレテン・ルキッチ)の電話を傍受して、このことを知った。両名は、1月8日にラチャク付近で3人のユーゴ兵士が殺されたことから、政府軍に1月15日にはラチャク村への攻撃を強化し、虐殺の犯人と見られるアルバニア系人ゲリラを探し出すよう命令した。
45人のアルバニア系住民の遺体は、政府軍が退却した直後に、村はずれの丘の斜面で、住民と国際視察団により発見された。
ラチャク村は戦闘当時、住民のいない廃村状況だった。
15日の戦闘中に、サイノビッチがルキッチに電話。殺害人数を訊ね、ルキッチは22人と答えた。その翌日以降の電話で、両名は国際社会の反応について懸念を語り、事件を政府軍とKLAの戦闘の結果に見せかけることを相談した。サイノビッチはコソボ/マケドニア国境を閉鎖し、ルイーズ・アーバー国連戦争犯罪調査団長の入国を妨害することを提案。また、17日に治安部隊が第2の攻撃をかけてラチャクを奪取し、遺体を取り戻すことも考えた。第3案として、事件が政府軍以外の独立した集団の犯行であり、その集団は政府軍が村を出て行ったときに村民を襲撃したというふうに見せかけるということも考えたが、ルキッチにそれは不可能だと退けられた。
事件直後、ユーゴ政府スポークスマンが、丘で見つかった死体はKLAの制服を着ていたと発表したが、16日に現地入りした国際査察団とジャーナリストは、遺体はみな平服だったと発表した。その後、ユーゴ政府は、死者の一部は戦闘に偶然巻き込まれたか、KLAが国際社会を挑発するために故意に殺した一般人だと発表。これに対し、生存者と現地にいた外交筋と反政府軍が、街(town)の中では襲撃の速い時間帯にはほとんど射撃がなかったこと、最も多くの死者の出た午後1時前後の時間帯には戦闘は行われていなかったことを証言。少なくとも23人の遺体が発見された溝の付近にはKLAは展開していなかったこと、その付近の樹木には銃弾の痕跡がないことも証言された。
殺害の1週間後にフィンランド法医学検証団が現地入り。鑑定結果は上記の証言と何等矛盾しなかったと、西側高官は言っている。
また別の情報筋によると、遺体の傷の状況から見て、この人たちは「辱められ」たのちに、数方向からの射撃を受けて殺されたという。今日(27日)に、40の遺体の最後のものが検屍される。
KLAのこの地域での司令官であるシュクリ・ブヤによると、ラチャクは反政府軍の巣窟になっていたが、彼らは15日の早朝に政府軍の攻撃を受けて丘のほうに逃げてしまっており、村に戻ることは不可能だった。村民が17日に査察団と報道陣に語ったところでは、殺された人々の多くは、最後に生きているのを見かけたときは治安部隊に捕らえられていた。治安部隊は多くが黒いスキー・マスクをつけていたが、生存者によると、地域の警察官と制服を着たセルビアの民間人が混ざっているのが認められた。
生存者、イムリ・ヤクピさんとレム・シャバニさんは、治安部隊が、村から人々を2団にまとめて追い立て、人数を29人と確認したあと、上へ連れていけという命令を受け、次に射撃用意の命令が聞こえたので、全力で逃げてきたという。
以上。
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