ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証
仏紙疑惑報道をN.Y.国際行動センターも感知
1999.8.6
1999.8.4.mail再録。
1999.7.28.:2日後に迫った7.31.開催予定の「NATOを裁く独立国際戦争犯罪法廷」を目前に控えて、同法廷を主催する国際行動センター(International Action Center。略称iac)の本部事務所を訪問しました。
ああ、しかし、その道筋の、わが熟年・非武装・無抵抗主義の通信情報歩兵の、気なげなる財布ペタンコ、右手には某ヨドバシの半端もの一掃セールで求めしヴィデオカメラ・セット入り安物バッグ、左手には三脚、背中にはパソコン・セット一式入り背嚢(地元スーパー1000円バーゲンのデイパック)を担いでの平和的行軍は、聞きしに勝るニューヨークの夏のド暑さのド真ん中のこととて、ド汗ダラダラ、1ドル50セントのジュース、何本もがぶがぶ、それでもなおフラフラ歩きの道中膝栗毛でした。この暑さでは、悪餓鬼ならずとも、下町の子供たちが水道の消火栓を壊して水を浴びたくなるのは、無理もありません。
そこで、ふと、涼しい山道ではなくて炎熱のアスファルト鋪装道路なれど、夏目漱石を見習って「歩きながら考えた」ったのは、なぜにして、この、気温ばかりか飛行機代までもが高い夏休み期間の法廷開催なのか、でした。答えは実に簡単で、「ユーゴ戦争が春から初夏に掛けて遂行されたから」、これ以外の理由はあり得ないのでありまして、先方も別途、法廷を準備中のこととて、秋まで待つわけにはいかないのですから、この時期の法廷開催を余儀無くしたNATOへの怒りが、1ドル50セントをひねり出す度に、いや増しに増すのでした。
目指す事務所の有り様は、外側も内側もヴィデオ撮影もしてきました。かなり古そうですが、大きなビルの2階の1室で、法廷終了後には、そこで打ち上げのレセプションが開かれました。
優に100人は入れる広いメイン・フロアーの周囲に、受付、自主ヴィデオ制作、Peoples Mediaの器材倉庫や、事務部門のデスクの小部屋などが配され、作業部門にはパソコンが、ずらりと並んでいます。わが訪問の当日には約30人のヴォランティアが、パソコンを操作したり、中央の大テーブルで資料入れの袋を作ったり、急がしそうに法廷の準備に励んでいました。それでも皆が、手を休めて、次々と嬉しそうに握手を求めてきました。
フロア全体の広さは、私が永年所属していた民放労連の本部事務所の3倍ぐらい、現在、末端組合員として所属している出版労連の本部事務所と同規模ですから、別に驚くことはないと、無理して胸を張りたいところですが、それは胸違い、いや、筋違いでしょう。従来から日本の労働組合の最大の欠陥として、国際問題への取り組みの弱さが指摘され続けていました。しかも、しかるべき比較の対象は、市民運動の方なのですから、ここはやはり、謙虚に、さすがヤンキー、反主流でも、やることはデカイと、高く評価して見習うべきところでしょう。
NATOを裁く独立国際戦争犯罪法廷そのもののについての全体的な報告は、別途、稿を改めます。ここでは、細部の事情は省いて、いきなり、Racak村「虐殺」事件に突き進みます。
事務的な詳しい話に対応してくれたのは、日本でも、各種mailで英文が流れ、少なくとも本誌がすでに日本語訳を紹介した国際法廷の参加呼び掛け声明の最後に、責任者として名前が記されていたサラ・スローン(Sara Sloan)さんでした。しかし、私が、もしやと恐れていたような、ペラペラ捲し立てる大柄の精力的な、恐いオバサンではなくて、小柄の物静かな優しい女性でした。ああ、よかった!
Racak「虐殺」への疑惑に関して、遥々持参したフランス紙、『ル・フィガロ』(1999.1.20/21)、『ル・モンド』(1999.1.21)、『リベラシオン』(1999.1.22)のコピーを見せると、「実物を見るのは初めてだが、ホームページで発表した」と言います。これには一面安心、一面残念、やはり一応は、これだけデカデカと報道されていた疑惑を、日本でならいざ知らず、「国際行動センター」を名乗る組織が、キャッチできなかったはずがないのでした。
サラさんが、静かにパソコンに向い、コピーしてくれた5頁のURL:
http://www.iacenter.org/racak.htm
記事はパリ発、ダイアナ・ジョンストンによる「報道批評」(Press Review)で、題は、「フランスのメディア"ラチャク虐殺"に疑問符」
(The "Racak Massacre" Questioned by French Media)
となっています。内容は、上記『ル・フィガロ』『ル・モンド』記事の英語訳に加えて、フランスではテレヴィ報道もあったことが記されており、同時に、それらが、OSCE(全欧州安全保障機構)のコソボ停戦監視団の団長、「ウォーカー他のメンバーに対する強烈な反発」(strong irritation)を示唆するドイツでの報道と一致する(coinsides)としています。これにより、出典資料の範囲が広がったことになりますが、上記『リベラシオン』記事への言及はありませんでした。
以上(その19)。次回に続く。