Racak(ラチャク)村「虐殺報道」検証(14)

ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証

ペンは剣より酷い「発表報道」の典型

1999.7.2

1999.6.28.mail再録。

 日本の警察発表が間違っていた事例も多いのですが、それだからといって、いわゆる「国際社会」ことアメリカ様の同盟国で、日本国内で起きた事件についての日本の警察発表のすべてを、まるで無視するか、真っ向から疑って掛り、揚げ足取りの材料としてしか扱わないような報道が行われたら、いかな対米従属の腰抜け日本人でも、やはり、怒るでしょう。

 しかも、そのような報道を根拠にして、しかるべき調査もせずに、いわゆる「国際社会」が、日本では少数民族への「集団虐殺」が行われたと断定し、「人道的介入」と称する空爆方針を決定したとすれば、これはもう、日本列島挙げての阿鼻叫喚となるでしょう。

 これと同じことを、ユーゴスラヴィア連邦共和国、またはセルビア共和国は、ラチャク村事件を決定的なきっかけとして、報道され、それを口実にして、目茶苦茶な攻撃を受けたのです。

 しかも、この問題の報道では、日本の大中小メディアのほとんどが、ご同様でした。

 日本のメディア、またはマスコミ業界には、何かと言うと、「ペンは剣より強し」などと粋がる向きが多いのですが、この西洋かぶれの格言は、どうやら、その本来の起源からみると、意味が逆転してしまった誤訳の典型らしいのです。最初のラテン語の格言では、「ペンは剣より酷い」だったというのです。古代の貴族社会という時代背景を考えれば、悪口を書き立てられて名誉を傷付けられるよりも、いっそのこと剣で突き刺されて死ぬ方がましだと言う意味だったのでしょう。

 この格言の出典を調べようと思いつつ、もう、かれこれ10年以上も経ってしまったのですが、それを私が知ったのは、いわゆるメディア専門家の共著の本でしたから、その本の内容の全体の評価は別として、この「ラテン語の格言」説には、大いに信憑性ありと感じています。

 私は、ラチャク村「虐殺」を、KLA掃討作戦の死体を民間人の死体だと偽った「デッチ上げだ」と判断していますが、その判断に立つと、全欧安保協力機構(OSCE)のコソボ検証団の団長で元外交官のアメリカ人、ウォーカーの、検死も何もなしの「虐殺」発表を、そのまま報道したメディアは、ペンとして「酷い」だけではなくて、「剣」をも呼び込んだのですから、二重に酷いと言わざるを得ません。

 テレヴィの映像報道が先行したので、「デモクラシーではなくてテレクラシーの時代」などとぼやく新聞記者もいますが、これは責任逃れで、新聞も同じような報道をしていますから、同罪です。

 その意味で、いわゆる「時系列」に、日本における「虐殺説」と「演出説」の新聞報道経過を、洗い直してみましょう。本当はテレヴィについても行いたいのですが、日本では、いまだに、テレヴィ報道状況の情報公開が行われていませんので、それは指摘に止めざるを得ません。以下、発行部数上位3紙の第1報に関して、いくつかの点検項目を設定して、その特徴を見てみます。

 1999.1.17.『読売新聞』「コソボ住民40人虐殺/セルビア側関与か」
 【ウイーン16日】

 1999.1.17.『朝日新聞』「コソボ南部/住民虐殺か/40遺体発見」
 【ローマ16日】

 1999.1.17.『毎日新聞』「コソボで40遺体発見/セルビア当局が虐殺の可能性」
 【ウイーン16日】

 以上、すべて、現地ではなくて、NATO加盟国の首都からの発信です。

 1999.1.17.『読売新聞』「コソボ検証団」「KLA」「セルビア警察」とありますが、その情報を得た通信社の名はありません

 1999.1.17.『朝日新聞』「ユーゴスラビアからの報道」「ロイター通信」とありますが、「検証団」の発表だけで、セルビア側の反論への言及はありません。

 1999.1.17.『毎日新聞』「検証団」発表の情報のみで、その情報を得た通信社の名はありません。

 1999.1.15.「検証団員が銃撃され負傷/コソボ、解放軍の15人死亡」
 【ベオグラード15日】

 1999.1.16.「アルバニア系の40遺体発見/セルビア当局が虐殺か」
 【ベオグラード16日】

 1999.1.17.「NATO総長が虐殺を非難」
 【ブリュッセル17日】

 1999.1.17.「コソボの虐殺現場で戦闘/ユーゴ軍部隊も導入か」
 【ラチャク17日】

 以上のように、現地には事件発生後、2日目の17日に駆け付けた『共同通信』の、この日までの配信記事には、セルビア当局の発表が、まったく載っていません。すべて、前述のような「全欧安保協力機構(OSCE)のコソボ検証団の団長で元外交官のアメリカ人、ウォーカー」の発表か、NATO当局の発表そのままです。何のためにベオグラードに特派されていたのかという疑問を覚えるのは、「酷い」でしょうか。

 1999.1.24.『読売新聞』「コソボ虐殺“演出説”/仏紙報道」
 【パリ23日】

 1999.1.29.『朝日新聞』「ラチャク村の『虐殺』事件/真偽めぐり論争/欧米メディア」
 【ローマ23日】

 上記の『朝日新聞』は、「仏紙報道」よりも、それとは真っ逆様の『ワシントン・ポスト』報道が中心です。『毎日新聞』と『共同通信』は、「演出説」を、まったく報道しませんでした。以上の全社とも、パリ支局があります。私は、昨年1月、別途、ガロディ裁判の傍聴に行った際、それらの全支局を回って、状況を説明したことがあります。それらのパリ支局の一番最初の仕事は、フランスの新聞に目を通すことです。見のがすはずのない重要記事なのですが、一体、どうなっていたのでしょうか。

 ここで重要な問題は、まず、『ル・フィガロ』と『ル・モンド』の2人の記者が、事件発生当時のラチャク村にいたのだということです。それ以外にAPの記者もいて、その情報も、フランスで報道されています。『ル・モンド』の記者から得た情報を載せている『リベラシオン』の記事には、「OSCEの専門家」による「殺戮現場の修正が行われた」という「最初の判定」が載っています。それは「コソボ検証団の団長で元外交官のアメリカ人、ウォーカー」の発表とは食い違うのです。

 以上の「仏紙報道」は、1999.1.20以後、22.まで、『ル・フィガロ』では2日間で2頁余り、『ル・モンド』と『リベラシオン』では、それぞれ半頁以上を使った大記事となっています。

 現地に、事件当時に、実際に取材に入っていた記者が、署名入りで書いた記事を無視し、NATO当局の発表だけを報道する新聞、これは完全に御用新聞です。放送で「演出説」を報じた例は聞かないので、これも御用報道です。

 この他にも、送れて現地に入り、アルバニア系住民の案内で、死体を見て、「虐殺だと確信した」などと語る日本人の「フリー」もいますが、これにはもう、呆れる以外にありませんでした。以上のような日本の報道状況は、『読売新聞』「コソボ虐殺“演出説”/仏紙報道」【パリ23日】を唯一の例外として、すべて、「マスコミ関係者が一番マスコミれる」という“新日本”「格言」そのままの実態です。

 特に、まるで素人が、死体を見ただけで死因を「確信」できるようなら、殺人課の老練コロンボ刑事も、検死官も、皆、失業してしまいます。かつて「戦争を知らない子供たちよ!」という歌詞の歌が流行ったことがありますが、「ペンは剣より酷い『発表報道』」の恐ろしさを知らないのも、困ったものです。

以上。


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