インターネット週刊誌 “I.eye.愛” (aiaiai!)

『憎まれ愚痴』

1999.6.25.(金)発行:ユーゴ空爆状況下の特別・26号

目次


時事論説:「1寸の虫の5分の毒針」
ユーゴ航空戦争緊急特集(6)

Ramsey Clark国際戦争犯罪法廷の呼び掛け

 ラムゼー・クラーク元米国司法長官が、国際戦争犯罪法廷のための調査委員会を設置します。クラークは国際行動委員会の委員長です。調査委員会は、米国とNATOがユーゴスラビアに対する爆撃において行った、平和に対する犯罪、人道に対する犯罪、および戦争犯罪を調査することの一環として、犯罪の目撃、直接の、および専門家による証言、ビデオ画像、写真、文書資料、その他の証拠を収集するため、公聴会を数次にわたり開催します。⇒全文を読む

Racak検証(10):『ル・モンド』(1999.1.21)記事 ラチャクの死者はほんとうに虐殺されたのか 抄訳:萩谷良(翻訳家)

 彼らが、朝10時、警察の装甲車のあとについて、村に入ったときには、村は無人だった。道を歩いているあいだ、村を見下ろす丘陵の林に隠れたKLAの弾丸が飛んできた。この銃撃の応酬は、激しさは変化したが、警察が村にいる間じゅう続いた。戦闘は主にその林の中で行われていた。明け方のセルビア側の最初の砲撃のときに村から逃げ出したアルバニア系人が、林で、裏からまわったセルビア警察隊と衝突したのである。KLAは挟み撃ちにされた。
 警察隊が特に激しく攻めたのはKLAの陣地だった。ラチャクの村民はほぼ全員が、1998年夏の攻撃のときに逃げてしまっており、ごく例外的にしか戻ってきた者はいない。⇒全文を読む

Racak検証(11):『リベラシオン』(1999.1.22)記事 殺戮のあと場所を移された遺体  抄訳:萩谷良(翻訳家)

 この『リベラション』記事には、「ル・モンドのシャトレ記者」の名も出てきますが、前日の日付の『ル・モンド』記事(本シリーズ10)とは、別の角度からの検証になっています。特に興味深いのは、冒頭部分です。「村民虐殺」の一方的な発表をした全欧安保協力機構(OSCE)が、「最初の判定」で、「殺戮現場の修正が行われた」としていると言うのです。⇒全文を読む

Racak検証(12):『ワシントン・ポスト』(1999.1.28)記事 虐殺の真相隠蔽図るセルビア 電話盗聴で露になったコソボ報復の陰謀 抄訳:萩谷良(翻訳家)

 ラチャク村事件は、ユーゴ政府高官の命令で起こり、これら高官は事後にその隠蔽を図った。西側政府はユーゴ政府高官(ユーゴ副首相ニコラ・サイノビッチとコソボのセルビア内務省将軍スレテン・ルキッチ)の電話を傍受して、このことを知った。両名は、1月8日にラチャク付近で3人のユーゴ兵士が殺されたことから、政府軍に1月15日にはラチャク村への攻撃を強化し、虐殺の犯人と見られるアルバニア系人ゲリラを探し出すよう命令した。⇒全文を読む

ユーゴ「虐殺」報道他の裏話

1.KLA掃討作戦を「虐殺」と報道操作 空爆までの掃討作戦は警察によるものでしたが、空爆以後には、それと呼応する一斉蜂起の用意をしていたKLAに対して、ユーゴ連邦軍が本格的な掃討作戦を展開し、アルバニア国境を越える追撃戦によって、「地上戦勝利」を果たしています。この方のKLA戦死者の数は、さらに増えているでしょう。春から初夏に向かう時期ですから、死体は埋葬しなければ疫病の流行を招きかねません。そういう仮墓地を、今、掘りくり返しては、「虐殺」と発表しているだけのことです。
2.ロシア軍の「先んずれば人を制す」作戦成功の裏話 海兵隊をギリシャに上陸させて、ギリシャからマケドニアに入る予定が、3日ほど上陸を待たされたのです。なぜかというと、ABCのニュース・コメンテーター、ポール・ハーヴェイの表現では、「ギリシャはNATOに加盟しているが、戦闘的(militantly)に、我々の空爆に反対している」からです。⇒全文を読む


長篇連載記事

●連載:本多勝一"噂の真相"同時進行版 (その26) 短評:『週刊金曜日』の言論詐欺

 まるで目を通す気になりませんでしたが、丁寧に読んで質問してくる方から聞くと、どうやら、編集部による本文とは違う見出しの付け方、実に卑劣な判決文からの恣意的引用が行われているようなので、その点のみ、とりあえず指摘し、『週刊金曜日』の言論詐欺を告発して置きます。⇒全文を読む