『煉獄のパスワード』(2-3)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第二章 花崗岩の砦 3

「アメリカのような司法制度だったら、当然、あらゆる司法経歴の資料がすべて公開されるでしょうね」

 鶴田は、いかにも弁護士らしい口調で語っていた。

 浅黒い細面の生真面目な顔に眉根を寄せている。年の頃は四十歳前後であろうか。一面識もない訪問者の達哉なのに、訪問の理由をひとこと言っただけで、それまで書き続けていた裁判用の罫線入りの原稿用紙をサッと脇へ押し退けた。わがことのように熱心に説明してくれる。

「陸軍時代の法務将校としての経歴は当然です。軍法会議で担当した法務資料については、場合によって内容のチェックがあるかもしれませんが、議会の法務委員会ぐらいでは公開されたでしょうね。アメリカでは、大統領が最高裁判事に任命しようとする候補は、上院の過半数の支持を必要とします。反対党はあらゆる資料を提出させて、些細な判例上の問題点まで徹底的に追及します。日本では事実上、総理大臣の一方的な指名ですから、まったく事情が違います。もっとも、それだからアメリカの裁判所が本当に民主的かどうかは、また別の問題ですが……」

 鶴田は、全日本法曹民主化協議会の事務局長である。丁度、最高裁判事の国民審査運動の資料作りなどをしているところだった。達哉は友人のつてを辿って、一番詳しそうな弁護士をと捜したのだが、その点では間違いはなかった。

 全日本法曹民主化協議会という名前だけは大きいが、独自の事務所はない。鶴田が所属する新橋法律事務所が、そのまま連絡先になっていた。達哉は、電話で教えられた通りに、新橋駅の烏森口を出て、いまだに戦後のマーケット風のままの商店街を抜け、小さな雑居ビルに辿りついた。見上げると、ビルの規模とは不似合いな程に大きな看板が出ていた。事務所は三階である。エレベーターがないので階段を登ると、二階から三階にかけて、書店の名前入りのダンボール箱がぎっしりと並んでいた。事務所のフロアは、机が六個入るのがやっとの狭さであった。壁は本棚がギッシリだった。

「これが今度出来たばかりの『全裁判官経歴一覧』です。加盟団体には二割引きで五千六百円にしています」

 のっけにそういわれたので、達哉は、あの階段のダンボール箱の中身がこの本だったのかと気付き、早速買い求めた。話を聞きにきたのだから、当然の礼儀でもある。

「個人ですから、割引かなくても結構です」

「いえ、構いません。書店のシステムの手前、そうしているだけです。出来るだけ多くの人に知っていただくのが目的ですから」

 鶴田の話は、この経歴一覧作りの苦労から始まって、最高裁判事の国民審査の裏話に及んでいた。

「日本の裁判所は、……国民に知られていません。最高裁の判事の顔を写真ででも見た記憶のある人は、一パーセントにも満たないんじゃないでしょうか。任命された後で、新聞にインタビュー記事などがでますが、読んだ記憶がありますか」

「ええ、時々ですが。もっとも、私は裁判にいささか関心のある方でしょうけれど、……」

「ところが国民審査の投票は、×印を付けない限り、信任の扱いになってしまいます。ほとんどの投票者は、分らないから白紙のまま投票箱に入れているんです。それがどうして信任だといえますか。この国民審査法は、憲法の本文を裏切る詐欺行為以外のなにものでもありませんよ。マクリンという人がいまして、十七世紀のイギリスの俳優兼劇作家だそうですが、〈法律は奇術の一種である〉という警句を残しています。まさに、その典型ですね。われわれは従来から、少なくとも投票場で棄権をしても良いということをきちんと説明をしろと要求しているんですが、簡単な掲示をするだけで、それを張る位置も見逃しやすい所が多いんです。あなたは掲示をご覧になったことがありますか」「はい。必ず。私は一応、いつも全員×印を付けることにしていますが、……。

 達哉もタジタジであった。

〈これだから弁護士は苦手なんだ。おれの方が質問をしにきたのに、逆に説教をされてしまう〉

 だからといって達哉も黙ってはいない。この問題についても自分の意見をいう気になった。

「あれはしかし、いくら説明されても、国民審査の投票用紙だけを受取らないとか、そのまま持って帰れるという雰囲気ではありませんね。投票所に入るといきなり、ハイッ、こちらが衆議院選挙、ハイッ、こちらが最高裁って、パッ、パッと渡されるでしょ。まわり一杯には選挙管理委員のオジサンやオバサンがいて、ジロジロ眺めているわけでしょ。私らのみたいなすれっからしでも落着かない場所ですよ。ましてや、最高裁とは無縁の普通の選挙民には、早く外へ出たいという気分しかなくなってしまうんじゃないですか」

「アハハハッ……。そうかもしれませんね」

 内心には、いささかのぼやきがあったものの、成果は充分に挙がっていた。弓畠耕一の戦争中の身分は、この『全裁判官経歴一覧』によると、陸軍法務官であった。二年間で見習士官から大尉へのスピード出世である。

「ポツダム特進でしょうね」

 と達哉がつぶやくと、鶴田は、

「何ですか、それは」

 と聞き返してきた。

〈やはり、まだ若いな〉。達哉は〈こちらも一本取れた〉と内心満足しながら、その説明をした。

 達哉の先輩には、酔うと決まって、〈おれはポツダム兵曹だ〉といい出す業界記者がいた。それで知ったのだが、八月十日のポツダム宣言受託通告以後、軍は一斉にお手盛り階級特進をやってのけた。退職金や軍人年金を引上げるためである。弓畠耕一の大尉もこのケースであろうが、なにも隠すことはないはずだ。〈ポツダム兵曹〉殿は、それが唯一の自慢種なのである。大尉なら、なおさら立派な軍歴である。

 しかし、紳士録や人事興信録の類いも、智樹がヒミコで打出したデータベースと同じで、この記載がなかった。鶴田たちは、そういう状況を不満に思い、法律関係の専門誌の記事まで調べて、最高裁の判事全員の詳しい経歴一覧表を作っていた。

「最高裁は長官が元陸軍法務大尉で、判事に元海軍法務大尉とか中尉が合せて六人もいました。海軍が多いのは、前の首相の下浜さんが元海軍主計中尉だったのと関係がありそうです。六人すべて下浜首相の任命です」

 この経歴調査の直接のきっかけは、下浜首相が任命するメンバーへの反発だったという。いわゆるタカ派が続々登場するので、調べてみたら〈海軍〉閥の状況だったのである。

「三権分立は言葉だけのものになっています。これでは完全に政権党の別動隊ですよ」

「弓畠長官も下浜首相が任命したのですか」

「いいえ。その後の平上首相です。平上首相の就任と同時に判事に任命、翌年には長官です。最高裁では事務局のトップの事務総長をやってますし、東京高裁長官からの昇格ですから、スピード出世も不自然ではありませんが、……」「やはり、政権との関係もあると、……そういう意味ですか」

「まあ、……決め手はありませんけどね」

 鶴田の顔が、やや赤らみ、普通の人間の顔になった。

 いくらかでも〈証拠不十分〉な話をする場合には、〈法律家〉の職業倫理のしばりが解けるものであろうか。一瞬、いたずらっぽい生地の表情がのぞけたような気がした。達哉の持論だが、いわゆる反体制運動で一苦労をする活動家は、いたずらっ子の延長線上にある。別に、反体制運動をいたずらと同一視する意味ではない。だが、反権力意識というものは、〈三つ子の魂百まで〉の類いであり、成人してから簡単に身に付くものではない。いわゆる優等生は、口や文章は達者でも寄らば大樹の陰の性格が強く、危険で無償の仕事にはなかなか手を出そうとしないものである。達哉は長い間の取材経験から、そういう確信を抱いていた。

 これなら面白くなりそうだ、という予感がしてきた。そこで、

「実は、わたしも不思議に思っていたんですが、……」

 と達哉は、さらに疑問をぶっつけてみた。

「最高裁判事の略歴は、すでにコンピュータで調べてきんです。ところが、いまおっしゃった五、六人も、弓畠耕一長官と同じで、戦争中が空白だったんです。皆が一斉歩調というのは不自然ですね」

「そうなんです。しかし、この理由は簡単です。出所が同じだからです。『司法大鑑』という本が出典になっています。法曹会という司法関係者の団体がありまして、そこで出しているんですが、原稿は各級の裁判所の人事課から出ています。最高裁も同じです。人事局の人事課です。だから、同じ基準になるのは当然です」

「なるほど、なるほど。いやあ、有難うございました。コンピュータの検索だけにして、こちらに早目に伺ったのが正解でした。あわてて紳士録や興信録まで調べてたら、二度手間もいいところです。出所が一緒のものを、図書館まで行って一所懸命にページをめくったりしていたら、腹が立って仕方がないところでした。ハハハハハッ……」

「お役に立てれば幸いです」と鶴田の生真面目な顔がゆるんだ。「やはり巧妙なデータ隠しだというべきでしょうね」

「しかし、こういうことが、いままで問題にならなかったというのは、どういうわけでしょうか。私は二・二六事件の裁判ぐらいしか知りませんが、法務官というのは、司法資格、戦前なら高等文官試験の司法科合格というのが必要だったんでしょ。立派な法律家の経歴ですよね。階級も将校だし……。戦後に司法試験を通って裁判官になった人の場合は、司法研修所を出てすぐの判事補から経歴に記入されていますから、バランスとしてもおかしいですね」

「さあ、正確なことは分りませんが、なんとなく避けたのかもしれませんね。そういう風潮があったということではないでしょうか。ともかく戦後の司法については、戦争犯罪の追及がなかったのが、基本的な問題点だといわれています」

 鶴田は話しながら、つと立上がった。

「一寸失礼」

 達哉は、鶴田が長話を避けたがっているのかと思い、〈お忙しい所を……〉といい掛けたが、そうではなかった。逆に鶴田は、格好の聞き手が現れたという感じになっていた。鶴田は手を二、三度振って、達哉に待てと合図した。書類で埋まってしまいそうな事務所の奥の本棚から、器用な手つきで、三冊の大型本を抜出してきた。

「これは、弁護士としても有名な橋場大作さんの資料集です。橋場さんは海軍の法務中佐だったんですね。『海軍法務資料 橋場大作綴』というんですが、『十五年戦争極秘資料集』の第二十集です。橋場さんが戦後も隠し持っていた資料なんですね。しかし、談話の中ではフィリピン方面軍での〈軍律会議でゲリラ十数名全員を死罰に処した〉とか、〈ゲリラに対しては司令部も厳罰方針だった〉などと語っているのに、それに当る判決文などの資料は入っていないんです。日本軍内部の事件の判決文はあるんですが、占領地での現地人に対する判決文は残っていない。その説明はありませんが、わたしは、その分を焼き捨てたかなにかして、始末したのだと思います」

 鶴田は、『軍律会議関係資料』と『軍事警察』という資料集も広げて、達哉にその要所を指摘した。南京事件で有名な柳川兵団の法務官が残した「法務部陣中日誌」も収録されていた。それらにも同じ傾向が見られるのだった。

「しかし、東京裁判が終わるまでは、関係者は生きた心地がなかったでしょうね。後ろめたい思いをしながら、じっと背を丸めて隠れていたのでしょうか。すこしでも資料を隠し持っていたというのは、度胸のある方じゃないですかね。それに、自分の仕事への何らかの思いがあったんじゃないでしょうか」

 達哉の相槌に、鶴田も深くうなづき返した。

「橋場さんなどは、法律家としても大変なエリートです。東京帝大法学部卒、高等文官試験司法科合格、直ちに海軍法務官試補を拝命、とあります。解説によると、当時の法務官試補には、大学の法学部卒業の学士に加えて司法官試補の資格が必要だったようです。軍関係の法律案の作成にも関わっていますし、比較防牒法の研究をまとめたり、陸軍憲兵学校の教官として軍法会議法などの講義もしていますし、大変なものです。〈作戦軍法務〉という用語が使われていますが、軍法務の位置付けについても、一家言あるようです。敗戦直前の軍律裁判の判決や資料を見ると、現地人の食糧の略奪、味方同士での奪い合い、同士打ち、降参のための逃亡未遂、集団逃亡部隊の斬り込み特攻隊編入、ありとあらゆる悲惨な崩壊状況が浮かび上がってきます。一つには、この事実を後世に伝えたいという気持ちがあったのでしょうね。橋場さんは東京裁判の弁護団にも入っていました。残念なことに、その後は経営者側の弁護士として、われわれとは対立する立場になっていますが、この資料の重要性は変わりません」

「なるほど。その本も買って勉強しなければなりませんね」

「あとは、弓畠長官の評価ですが、前回の国民審査の時の資料を差上げましょう」

「恐入ります」

 達哉は、資料を受取りながら、もう一つ聞いてみた。

「これ以外に弓畠耕一個人について、ご存知のことはありませんか」

「さあ……、日本の司法の世界というのは、個人的接触がないのが特徴でして、……私も自分が担当した事件の裁判官ですら、法廷以外では会ったこともないんです。最高裁はほとんど法廷を開きませんし、弓畠長官が下級裁判所にいた頃に法廷で会った人となると、相当に年配の弁護士になりますね。そういうデータはまだコンピュータ化されていませんしね。……本当はもっともっと資料も集め、議論もしたい所なんですが、……」

「最近やっとテレビでも司法の問題を取り上げたりしていますが、まだまだ本当の重要性が認められているとは言えないでしょうね」

「ええ。機能の点でも知られていないことが多いんです。アメリカの最高裁は憲法判断しかやらなくて良いんです。逆にいえば、それだけしか国民が最高裁に権限を与えていないんです。日本の最高裁は肝腎の憲法判断は避けっ放しという皮肉な批評もあるくらいなのに、その他にも最終判決を下して判例を作るし、何よりも全国の各級裁判官の人事権を握っています。法務省の検事と裁判所の判事を計画的に入れ替えたりして、実際には、戦前の司法省の機能を引き継いでいるのです。この最終審と人事権については一応語る人が多いんですが、もう一つ、最高裁は規則制定権を持っているんです。これを拡大解釈して、たとえば法廷に傍聴者が溢れていても予備の椅子を出さず、立ち見は許さないとか、実に下らない点でも裁判所統制を厳しくしているんです。この大元締めが最高裁長官ですから、大変な権限を握っているわけです。もっと国民の監視がし易くなるように情報公開しなければいけませんね」

 鶴田は、ついつい大演説をしてしまった、という感じの照れた素振りを見せた。

「どうも有難うございました」と達哉が礼をいうと、

「もしかすると、彼等ならまだなにか知ってるかも……」

 ためらいながら鶴田が教えてくれたのは東京争議団連絡会議、略称《東京争議連》という労働事件で裁判所や労働委員会で争っている当事者の集団であった。


(2-4) 第二章 花崗岩の砦 4