『煉獄のパスワード』(1-5)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第一章 暗号コード《いずも》 5

「相変わらず、執拗に挑んでいますね」

 二十本連続を果して一息入れていると、隣りのコースで泳いでいた新地初雄が話し掛けてきた。響きの良いバリトンバス。周囲を和やかにする明るい若者の声だ。

「いやいや、やっとこさですが、出張のブランクを六日間で取り戻しましたよ。昨日は泳げなかったけど、かえってスタミナ回復になったようです」

「そりゃあ、たいしたもんだ」

 新地も、この城西スイミングクラブのフリー会員で、やはり、マスターズ水泳大会の常連である。

 フリーの音楽家、サックス奏者、兼編曲者、兼作曲家。不規則な仕事が多い。テレヴィの本番に追われて徹夜の録音をした翌日など、目の下に隈ができていたりする。

「僕にとっては、水泳が唯一つの躰の自然なリズムを回復する手段なんです」

 と、自分自身にもいい聞かせるように大声で語っていたことがある。

 智樹と同じく、自分なりの練習スケジュールを組み、この温水プールで一年中泳でいる。マスターズ大会仲間の内でも一番熱心な方だ。種目は平泳ぎを中心にして、なんでもこなす。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、フリーの四種目による個人メドレーも得意種目の一つにしている。三十代前半だがクロールでは智樹といい勝負である。他の種目では智樹より早い。お互いにタイムや練習方法を知抜いているので、そのこととなると話が早い。新地は自分も練習をしながら、智樹が二十本続けるのを横目で見ていたようである。

「世界大会で上位入賞を目指すからにはベストを尽くしませんとね」

「ハッハッハッ……」

「ハッハッハッ……」

 智樹が、わざと気取って重々しく応じ、二人で大笑いとなった。

 秋には、第二回世界大会がオーストラリアで開かれることになっていた。

 日本国内のマスターズ水泳大会では、採算点以上の出場者数を確保するためか、十八歳以上を出場資格とする場合が多い。しかし、国際ルールによる世界大会では二十五歳以上である。しかるべきチームに所属し、週一回以上練習していて、それなりに健康であればよい。申込めば全員参加できるように運営されている。

 競技は、五歳刻みの年齢区分によるタイムレースである。水泳連盟から公式記録証が発行され、入賞者には、一~三位に金・銀・銅、大会によっては以下六位とか八位までに同じ銅または一寸差をつけた青銅のメダルが授与される。

 オリンピックとは大違いの気楽さであるが、年配層は、オジンピックとかオバンピックとか、ロージンピックとか、自分達でもじって喜んでいたりする。もっとも、実際に参加してみると、次第に昂奮が高まってきて、いわゆるプレッシャーも大変なものである。人間、競争心や闘争本能は、何歳になっても変わらないものだと、痛感させられるものがある。衆目を集めるという状況も、刺激的である。有名な所では、シャンソン歌手の白井雪子が六十五歳で台湾のマスターズ水泳大会に出場して、新聞記事になった。あれだけ場慣れしていても、スタート台に立ったら胸がドキドキ、舞台よりあがったというのである。

 智樹も、そんな競争をひとつの励みにして、泳ぎ続けてきた。メダルも数十個、金、銀、銅、青銅、とりまぜて、引出しに一杯溜っていた。

 泳ぎ終わってサウナに入ると先客が三人いた。

 一番奥の上段に、風見達哉があぐらを組んで座っていた。

 達哉は智樹の高校時代の同級生で、水泳部の仲間だった。東大のフランス文学科を出て日々新聞に入社したが、宮仕えに不向きな性格で、十年程前に辞めてしまった。シナリオ、テレビ台本、小説からノンフィクション、各種調査報告まで何でもこなす自称〈もの書き〉、最近の呼名ではフリーライターである。毎年一冊は単行本をまとめる程の能筆なのだが、なかなかヒット作が出ない。だから、サラリーマン時代よりも収入が落ち、いつもピイピイしている。

〈器用貧乏で山っ気がなさ過ぎる〉というのが友人間の定評である。その代わり、顔の広さは抜群であった。あらゆる分野に友人知人を持ち、情報ルートを張りめぐらしていた。

 「よう……」

 と智樹が声を掛けると、達哉は黙ったまま表情を変えずに二度うなづいた。二人だけに通じる合図で、緊急の連絡を承知したという意味だった。

 智樹が特別顧問として雇われている山城総研の親会社の山城証券は、証券界では随一の規模である。従って、山城総研の主な仕事は上場会社の分析だが、外部からの研究依頼も引受けており、独自に政策分析なども手掛けている。世界的なシンクタンクとして名乗りを上げている手前、国際的フォーラムを主催するなど、採算を度外視した研究にも人手と予算を割いている。

 智樹の場合、雇われた経過もあり、仕事は隠れ蓑に過ぎないから勝手が利いた。たまに上司から直接頼まれる仕事も特殊な調査が大半で、ほとんど事務所には出勤しないで済む。自宅のヒミコによる通信と検索で大体の用は足りていた。急ぎの場合には華枝が手伝ってくれる。

 しかし、コンピュータは所詮機械であり、データベースに入力されていない情報は逆立ちしても得られない。ヒミコで割出した情報源に、さらに足で直接迫る必要が生じる場合も多かった。達哉には、そういう場合の社外契約スタッフになってもらっていた。

 前夜に智樹が直接電話した時に達哉が不在だったので、ファックスでメモを入れておいたのである。合図は、その返事であった。

 二人は、念のためということもあって、プール仲間には仕事での協力関係を隠していた。仕事自体、時として極秘を要する性質のものだったが、このスイミングクラブ内では、水泳以外の個人生活にはお互いに立入らないのが暗黙の慣行であった。世間話や、なるべく誰にでも分る共通のニュースだけに止めて置くのが、礼儀の様な感じになっていた。

 智樹は落着いて、さり気なく、マスターズ世界大会の話を始めた。達哉もすでに、大会参加を表明していた。

 達哉の運動能力は一応人並以上だが、智樹よりは若干体力が劣り、水泳のスピードも遅い。高校時代もそうであったが、その後の人生の差はさらに大きい。片や、規則正しく躰を鍛え続けた軍隊生活、片や、最も不規則な運動不足のジャーナリスト稼業である。

 達哉の実力は、インタバル訓練のやりかたを智樹と比較すれば分り易い。達哉はクロールで五十米を四十五秒ハーフダッシュ、十五秒インタバルの一分サイクルである。練習本数は十二本まで。ブロックを組んだり組み直したりは、数が少ないだけで智樹と同じようにしている。体力の消耗度からいえば、智樹の半分ぐらいの練習量である。

 だが達哉には、スピードだけに頼らない独特の楽しみ方があった。

 マスターズ大会で競技種目の穴場を探すのである。簡単な所では、短水路プールでの二十五米種目である。オリンピックはもとより、いわゆる正式競技大会は、長水路の五十米プールに決まっており、当然、二十五米の種目はない。だからまず、玄人筋は二十五米種目に出場しない。また、一日の個人出場が二種目以下に限られているため、実力のある選手が他の種目で手一杯になる。一日で終わる大会の場合、たとえば二百米と四百米の自由型に出場する選手は、当然、二十五米自由型には出場できない。それを見越して、達哉は二十五米種目での入賞を果たすのである。そして、

「金メダルは同じ品物だよ。家宝として伝えて置けば将来は同じ値打ちさ」

 などと涼しい顔を決めこむのだ。確かに、マスターズ大会のメダルは大量生産であり、出場種目を刻みこんだりしていないのである。

 達哉が本当に苦労しているのは、まさに泳ぐこと自体が苦しい種目である。

 フリーでも、二百米、四百米、八百米、千五百米と、距離が長くなるにつれて出場者が減る。消耗の激しい背泳やバタフライ、個人メドレーになると更に減る。特に、年齢が高くなれば、二百米背泳とか二百米バタフライ、二百米、四百米の個人メドレーは、泳ぎ切ること自体が難しい種目になる。大会によっては、それらの種目に四十歳とか四十五歳以上の出場者が全くいないこともある。五十歳以上となればなおさらである。その場合、入賞は最早スピードの問題ではない。完泳できればよいのだ。

〈根性あるのみですよ〉というのが達哉の口癖であった。金メダルもすでに十数個とっていた。最初は〈出場者一人の優勝。頭脳戦ですよ〉と鼻をひくひくさせていた。一人といっても、他の年齢グループと一緒に泳ぐので、見た目にはビリのゴールインで年齢別一位ということもある。だがさすがに、この手は、全国規模の大会では通用しなかった。やはり参加者が多く、中には必ず何人か早い選手がいるのである。

 そこで達哉の最近の自慢種は、〈なんと関東地区で四人中の一位ですよ〉というものであった。その年の関東地区大会では、二百米個人メドレーに同一年齢グループから四人が出場し、達哉が見事優勝したのである。〈私と同じことを考えるのが増えましてね。しかし、やはり、こちらには一日の長がありましてね〉というのが、これまた新しい口癖となっている。ただし裏を返せば、どうやら達哉の〈壮挙?〉がスピードの遅い選手を勇気付け、進出を誘ったらしいのである。

「マイナーリーグの結成みたいなもんだな」

 というのが、その時の智樹の冷やかしであった。

「春先に風邪を引いて二週間も練習を休んで以後、なかなかスタミナが戻らない。オーストラリアが遠くなる。この体力で泳ぎつけるかな」

 と達哉が、いつもの冗談とも本気ともつかぬ口調でぼやいた。

「そうか。お前も泳いでいく積りだったか」と智樹も、負けずに真顔でぼやき返した。確かに、泳ぎに行くために何万円も飛行機代払うのは馬鹿馬鹿しい。せっかく太平洋の水でつながっているんだからな」

 すると達哉は一見大真面目な顔で、

「うん。テレヴィ局が乗ってくれば、費用も出るよ。付添いの船を仕立ててね、サメよけの金網の中に入って泳ぎ続けるんだ。これは壮絶だよ。アハハッハハハッ……」

「アハハハハッ……。しかし、そりゃ、お前。躰中がふやけちゃうよ。いや。塩気でやられるか、日焼けで赤剥けになっちまうな」

「アハハハハッ……。それじゃあ、クイズ番組にもなるぞ。アハハハハッ……」

 下らないようが、ジョークはストレス解消のために欠かせない。達哉との付合いは、そういう面でも智樹にとって貴重だった。


(1-6) 第一章 暗号コード《いずも》-6