電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6
第一章 暗号コード《いずも》 2
頃合を見計らって智樹も中座した。山城総研に直通電話を入れ、必要な時には助手役を引受けてくれるサーチャーの原口華枝を呼出した。
「はい、原口です」
「影森ですが、……」
「アラッ、また緊急ですか。ウッフフッ……」
華枝は、わざとらしく「キーンキューウ」と引伸ばして発音した。
「そうです。キーンキューウです。済みませんね。最高裁長官についての個人データと、最高裁に関する資料リストが欲しいんですが。出来ましたら、うちのヒミコに入れておいて下さい。目を通してから、また御相談します」
「ワッかりました。すぐ取掛かります。でも、たまには顔を見せて下さいよ。本人からの依頼かどうか確めないといけませんからねッ」
「はい。努力します。では、よろしくお願いします」
原口華枝と軽口をたたいたので少しは気が晴れた。《いずも》関係の秘密情報は秩父冴子審議官か小山田特捜警視が揃えてくれるだろう。あとは時間の流れに身を任せるだけだ。智樹は席に戻って、再びイメージトレーニングに没頭した。
《いずも》が二十年前にほぼ現在の構成で発足した時から、智樹は事務局メンバーだった。当時は防衛局調査課にいた。以後、身分は変わっても継続して参加しており、今では最古参である。ただし、立場が民間のオブザーバー格になったので、事務局でも控えの間に座る感じとなった。気楽といえば気楽な立場である。
会議も組織も当然、非公開だが、その理由は明白である。公式に開けば、戦前の情報局の復活だ、大本営だと大騒ぎになる。そもそも戦後の独立直後に、内閣調査室、公安調査庁、保安庁が相次いで発足した時以来、ほとんど全てが裏街道の仕事であった。機能の統合は他の機関にも増して緊急性があるのだが、これも更に日陰の作業にならざるをえない。
いつの時代でも情報は権力にとって必須の武器である。〈知らしむべからず〉が不可能になった以上、その分だけ情報集中と分析力で民衆を上回わらなくてはならない。戦後日本の情報機関が、江戸時代の《お庭番》に先祖帰りしたかのような密かで後ろめたい作業を強いられているのも、権力支配の必然であった。
この点では、アメリカの情報機関の公然性と中央統制は対称的である。
世界的に有名なアメリカのCIAやFBIなどは、別々に発足したが、今では情報機関全体を網羅した中央統制の下にある。もちろん、組織に付きものの反目や暗闘は避けがたい。テレビドラマによく出てくるニューヨーク市警とFBIなどとの対立関係、出し抜き合いは、挙げれば限りがないだろう。しかし、公然舞台で一体化が定められているのだから、非常時には強い。
アメリカでは、中央情報局(DCI)長官がCIA長官を兼任し、軍部を含む全ての情報機関を統轄し調整する仕組みになっている。情報機関のトップに立つDCI長官は、閣僚ではないが、大統領の秘密情報顧問として政府の中心機能を担っている。三権分立をはじめとして近代民主主義の権限分散思想が発達している筈のアメリカで、これほど強力な体制が成立した裏には、それなりの特別な事情があった。
智樹はもう二十年も前になるワイキキの浜辺での会話を思出す。
話は情報機関の組織からパール・ハーバー、太平洋戦争全体に広がっていった。
「生みの親は戦争だよ。しかも日本との戦争なんだよ」
アーサー・ライマンがバーボンのオン・ザ・ロックをグイグイ煽りながら、流暢な日本語でぶちまくっていた。最近は日本語で話す機会が減って寂しいのだという。
智樹はアーサーと、ハワイの日米軍事情報機関親睦会で親しくなり、以来機会あるごとに一緒に飲んでは語り合う仲になった。戦前から貿易会社の社員として日本駐在の経験を持つアーサーは、太平洋戦争開戦後に志願し、日本担当の情報将校になった。戦後もマッカーサーの部下として占領期の最後までGHQ本部にいた。歯に衣着せぬ率直なヤンキー気質のベテランである。当時すでに六十歳を越えていただろう。智樹にしてみれば大先輩であった。知合うとすぐに、自分はアルコール中毒だからアーサーのフランス訛りで〈アル中〉と呼べと言い、智樹は友達の〈トモ〉にされた。
「直接のきっかけはパール・ハーバーだ。法律的に一元化されたのは戦後のことだけれども、DCI=CIAの集中体制は、特殊な戦時体制の延長なんだよ」
「パール・ハーバーのもう一つの陰の功績ですか」
「そうなんだよ、トモ。当時、日本海軍の動きはほとんど察知できた。暗号電文もすぐに解読していた。だから、秘密情報機関の歴史上では、真珠湾奇襲攻撃というのは永遠の謎なんだ。情報が集中されず、大統領の判断をうながす体制になかったというんだが、これが不思議な話なんだよ」
「日本でも最近、その議論が盛んですよ」
「真相は私にも分らない。しかしね、トモ、当時のアメリカの世論はかなり割れていた。イギリスだって長いことナチス・ドイツとの正面衝突を避け続けていたんだからね。アメリカのも参戦反対派が多かったし、参戦反対の政治集会も盛んに開かれていた」
「そうらしいですね。最近それを知って妙な気分になりました」
「アメリカにはドイツ系市民も沢山いる。フォード財閥はナチに献金していたし、ドイツにまたがる多国籍企業も多かった。参戦してからも取引を続けていたくらいなんだ。だから、参戦の国論統一と大統領の権限強化にとって、パールハーバーは願ってもない挑発だった。戦後に毎朝新聞が連合国記者団長の談話を載せていたけど、書出しは〈日本の敗因は真珠湾攻撃〉となっていた。私も同感だった。私なんかも、あれで海軍に志願する気になったんだからね。日本ではまだ山本五十六を英雄扱いする連中がいるけど、大変な間違いだよ。確かにパール・ハーバーの被害は大きかった。二流の海軍国なら、あれで戦意を失ったかもしれない。しかし、アメリカの潜在的軍需生産能力から見れば、かすり傷だ。おまけに貴重品の空母は一隻もやられなかった。港の軍需施設も特には狙われなかったから復旧が早かった。あの記事にも書いてあったが、ああいう孤立した中途半端な作戦はアメリカ人には理解できない。合理的な説明が付かないんだ。上陸して占領でもすれば別だがね。あの記事では確かこうなっていたな。〈奇襲の心理的影響は想像以上だった。あの一撃によって米国民一億三千万は一夜にして総決起したのだ〉」
「毎朝新聞ですか。私も探して読みましょう」
「是非読んでほしい。でもね、〈奇襲〉という言葉にも注意してほしい。あれは通常の戦争の奇襲作戦とは違うものなんだ。日本では十二月八日をアメリカに宣戦布告した日だと表現する場合が多いが、アメリカ人はそう思ってはいないんだよ。………
なあ、トモ。オアフ島に対する爆撃は何の事前通告もなしに始められたんだ。一時間後に届けられた覚書きの内容も、ハーグ条約に定められた最後通牒の条件を満しているとは考えられなかった。それに、もし内容が整っていたとしても、たっぷり一時間も爆撃してから手紙を届けたんじゃ、全く意味がない。意図的に出し遅れた宣戦布告は無効なんだよ。そんなものは出したことにはなりゃしない。そうだろ。………
〈奇襲〉だとしても、〈surprise attack〉よりは〈sneak attack〉。アメリカ人の実感から言うと、むしろあれは〈sneak attack〉だ。国際法無視のだまし撃ちなんだよ。直後の上下両院合同会議では、ルーズベルト大統領が、あの攻撃を受けた日を〈defamation〉、破廉恥と呼ぶ演説をしている。そして、あの覚書きは、戦争や武装攻撃についてのなんらの脅しも暗示も含んでいないといい切った。その通りだろ」
「その通りなんです」
智樹は一言の反論もできなかった。それどころか智樹自身が日本の戦史に関して、いいたいことを山ほど抱えているのだった。真珠湾攻撃は、山本五十六があの手この手を駆使して海軍軍令部に売込んだ作戦計画である。その過程の真相が分れば分るほど、それはますます狂気の計画であった。もともとこの攻撃は、全くの隠密行動とアメリカ側の油断、もしくは最近の取沙汰のような誘い込みという状況なしには、絶対に成功しえなかったであろう。宣戦布告を故意に遅らせるというこそくな手段に出た理由も、そこにあった。
問題の覚書きの内容とその解釈についても、事実は明白である。
当時の外務大臣、東郷茂徳は、巣鴨の獄中で綴った手記『時代の一面』の中で「形式的には宣戦の通告とは異なるものなるは明らかである」と認め、「当初自分の希望して居たものとは相違」した形式だったと書き残している。
ただし東郷はそのあとに続けて、覚書きを見たルーズベルトが「これは戦争を意味する」といったとか、アメリカの挑発で手出ししたのだから、などと反論を組立ててはいるが、この後段部分は立場上の発言に過ぎない。
確かに真珠湾攻撃は〈戦艦……隻撃沈〉の華々しいニュース種となり、日本国民の戦意を一時的に高揚させることには成功した。しかし、山本五十六も含めた海軍の上層部は、アメリカとの戦いに勝利の展望を持っていなかったのである。だから、真珠湾攻撃が万が一成功しても、それは、まさに一時的な覚醒剤以上のものではありえなかった。そのことを山本らは、充分に知っていたのである。ありていにいえば真珠湾攻撃は、覚醒剤の幻覚で軍自体をも国民全体をもだまし、敗北が必至の日米戦争に引きずりこむための狂気の作戦計画であった。パール・ハーバーは、アメリカ人に対してだけでなく、日本人に対してもだまし撃ちだったのである。
ポツダム宣言が「日本国民を欺瞞し誤導して世界征服の挙に出でしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せらるべし」と規定したのは、決して、いい過ぎではなかった。戦後の数十年、日本の歴史教育の風化は激しい。しかし、智樹らのような立場にいると、かえって、職業上の必要性がある。戦史を学べば学ぶほど、パール・ハーバーやポツダム宣言の意味がはっきりしてくるのであった。
「山本五十六の頭の中にあったのは、やはり、東郷先輩の日本海海戦だろうね」
アーサーはクールに続けた。
「彼はきっと、あれに並ぶ海戦の勝利者になりたかったんだよ。しかし、時代も変ったし、相手も違っていた。だから、悲惨な喜劇の幕開けを演出してしまったんだよ。……
だけど、作戦そのものだけじゃないんだよ、山本五十六の失敗は。……
たとえば彼が右翼の笹川良一に当てて出した手紙が、開戦直後にアメリカでは評判になった。〈日米開戦に至ったなら、目指すはグアム・フィリピンでもハワイ・サンフランシスコでもない。ワシントンはホワイトハウスの盟である〉……
なあ、トモ。アメリカ人は結構プライドが高いんだよ。それなのに、こともあろうに、あのホワイトハウスで敗戦を認める条約に調印させてやる、と言ったわけだよ。これだけの放言で怒らせてくれれば充分だ。日本は満州事変でも支那事変でも、わざわざ中国側の挑発行為なるものをデッチ上げて無理矢理に国民を戦争に引きずり込んでいる。〈暴戻なる支那軍を膺懲すべし〉なんて、おそろしく難しい漢語を使っていた。いかな独裁国でも戦争には大義名分が必要なんだね。ところがパールハーバーは、全くその逆なんだよ。わざわざアメリカ国民が総決起するきっかけを作ってくれたんだよ。
いうまでもないことだけど、そういう事実経過をお互いによく知って置かないと、本当の日米親善は実現しないよ。商売ペースの腹芸だけの関係は、いざという時には弱いもんだよ。パールハーバーを心底反省していない日本人を、どうやって信用しろといえるかね」
智樹は黙ってうなずくのみであった。今では防衛研究所などでも、日本の戦史の失敗をかなり大胆に見直している。しかし、まだまだ小手先の技術的な反省であり、根本的な世界観の反省には至っていない。〈無責任体制〉の異名がある日本で、このままズルズルと戦力の再編強化ばかりが進む状況は、やはり不安であった。
《いずも》には危機管理の使命があった。だが、いざという時、本当に組織の暴走に対するチェック機能を充分に発揮できるかどうかといえば、これまた疑わしいのである。
様々な権力のバランスが微妙に揺れ動いている。その谷間にあって、陰の存在でしかない《いずも》の事務局の毎日は、綱渡りの不安の連続であった。
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