《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.10.20
第一章 なぜNHKは《国営》ではないのか? 3
“カタカナ”で、いんぎん無礼
友人のAは、このカット事件のことでNHKに電話をした。最初はNHKのNC9スタッフを激励するつもりだったのだが、結果は口論に終った。そして、腹が立って仕方ないというのである。
Aは『朝日新聞』でカット事件を知った。タ刊に続報があるかと思って探したが、何も載っていない。時計を見ると、午後七時三十分。NC9まで、まだ一時間半ある。電話帳をめくって、四六五・一一一一とダイヤルをまわした。「NC9をお願いします」というと、ぶっきらぼうに「どちらさまですか」と聞く。「視聴者です」と答えると、「ハイ、それではちょっとお待ちください」……しばしの間があって、
「お待たせいたしました。視聴者センターです。どういう御用件でしょうか」
「えーと、NC9をお願いしたんですが……」
ここですでに、Aは気分を悪くしている。「視聴者……」の一言を聞いただけで、有無をいわさず「視聴者センター」とやらに、つないでしまうシステムなのだ。“苦情処理係”という感触を受ける。それでもすぐ、「ハイ、NC9のことで何か……」となめらかな受け応えだから、語を進めざるをえない。
「ロッキード事件の……」といった途端に、視聴者センターの対応は変ったそうである。Aの感じだが、すでに返事を用意して待ち構えていた、という態度であったという。『朝日』の記事の大筋は事実と認める。しかし、「外部からの圧力とかいうことは一切ありません」と強くいい切ったというのだ。カットの理由は、記事の通り、「バランスがとれない」の一点張り。これでは直接電話をした意味がなくなる。だから、「NC9の担当者にまわしてほしい」と頼んだ。ところが、「そうですか、それでは……」と交換台を呼び出し,「お待ちください」といったまま、何分たってもそのまま。
普通の仕事の電話なら、途中で「もう少しお待ちください。ただいま呼んでおりますから」などという応対がある。それもなしに、ただ待たされると、同じ時間が何倍にも感じられるものだ。Aはとりわけ気の短い方だから、電話を切って、もう一度、四六五・一一一一とやった。そして、待たされた事情も話した上、やっと、NC9のデスクにつないでもらった。事情を確かめ、視聴者として、「三木元首相のインタビューを見たいから、今晩のNC9で放映してくれないか」と要望した。Aとしては、NC9のスタッフが全面カットの圧力をはね返しやすいように、視聴者の素朴な要求を伝えたつもりである。
だが、相手が悪かったようだ。最初から、「ふん、ふん」という感じで、一視聴者風情が、花のNC9のスタッフ様に、何を生意気な、といった態度。まともな返事もせず、Aの要望を聞くと、怒り出した。「編集権……」と居丈高になり、NHKが自主的に判断したことに干渉するな、といわんばかり。なんだか、話が逆になってしまったらしい。
Aの方でも、これは悪いのに当たっちゃったな、と思いはじめた。しかし、変な理屈をこねられて、そのまま引き下がる男ではないから、即座に腹を決めた。一視聴者とみて、ひとを馬鹿にする気なら、トコトンやり合おうではないか。マスコミの専門技術は知らないが、常識で判断しておかしいことは、この際、譲るわけにはいかない、と……。
「編集、編集というけど、こちらだって、しゃべる内谷を頭の中で編集している。常識問題だ。なぜ、三木のインタビューをカットしたのか。ただバランスではわからない。どういう点が、どういうようにバランスが悪いのか」
「担当者の判断だ。ビデオテープの編集では、カットするのはしょっちゅうやってることだ。それをいちいち外部からいわれては仕事にならない」
「しょっちゅうというが、通行人のインタビューとは違うだろう。いいですか。ロッキード汚職事件は国政を左右するような大事件なんですよ。その事件当時の日本国首相に、再度頼んでインタビューのテープをとって、それをまったく全部カットしたというようなことが、NHKではしょっちゅうあることなんですか」
「……」
「どうなんですか。閣僚クラスでもいいですよ。わざわざ御指名インタビューをして、まったく使わなかった例があるなら、教えてくださいよ」
「これ以上話しても無駄ですな。……テストが始まるから、切りますよ」……ガチャン。
以上が、AとNC9スタッフの報道記者とのやりとりの要旨である。Aのいうには、このNHKの記者は、いかにも思い上がっている。ちょっとばかり国会周辺をうろついて、政治家と口をきいたからといって、人間の格が上がったとでもいうのか。どだい国会談議の大半は愚の骨頂。ヤクザの世界と選ぶところはない。一般の仕事の方が、もっとまともな論議をやっている。国会答弁ならいざしらず、あんな穴だらけのヘリクツで世間に通用すると思っているんだったら、大馬鹿者というしかない。ああいう連中が、田中番記者とかなんとかで、国政にかかわっているつもりだと知ったら、情けないやら、腹立たしいやら、その上、「テスト……なんて気取りおって」と、憤懣やる方ない。
あんまり腹が立ったので、晩飯もまずい。そこでAはもう一度、四六五・一一一一とやって、今度は最初から「視聴者センター」を指名した。そもそもの始めは、NHKが目白の闇将軍だか汚職屋の親分だかに脅かされている。だから、がんばれと一言かけるつもりで電話したのだ。そういう視聴者を馬鹿にして怒らせるようでは困る。わからないならわからないといえば、それでいいじゃないか。なにも、NHKの番組編成を、一人で全部しょってるような返事をしなくてもいいのだ。Aは、そういう気持を、一言伝えておきたかったのである。
ところが、視聴者センターの電話の受け手は、さきほどとは違っていた。よくしゃべる人で、まず、NC9の報道記者の“非礼”については、あっさりとわびた。だが、肝心の「編集……」に関しては、絶対に譲らない。「圧力なんて、よくおっしゃる方がいますが、そんなことは絶対にありません」、そして「バランス……」でがんばりつづける。それがまた、あまりに立て板に水なので、これまた、かえって馬鹿にされた感じ。Aの腹の虫は、またぞろ収まりが悪くなってきた。「圧力はないって、あなたは自信たっぷりにいうけど、どうやって確かめたんですか。いまどきチンピラ右翼じゃあるまいし、人前で堂々と圧力をかけるわけはない。電話一本でも立派な圧力だ。それが、なにもなかったといい切る方がおかしい」
「いえ、わたしも関係しておりましたから、よく知っています。報道局長の判断です」
「いいですか。それでは報道局長がカットを決定したとして考えましよう。せっかく平記者が取材してきたのを、局艮がカットしろといったんですね。そういうのも、世聞一般では、上層部の圧力というんですよ。NHKでは日本語の意味が違ってるんですか。別に、あなた方のような窓口の方に、いや味をいいたいわけではない。しかし、ただわからないといえばいいものを、本気で突っぱってこられると、いつまた大本営発表をやられるかと、心配になる」
「いえ、NHKは、絶対に昔のようにはなりません。平和を守ります」
「悪いけど、あなた、目白の親分が怖くて嘘つく人が、戦争さわぎで右翼や軍人が暴れ出した時に、生命をかけて闘ってくれるなんて、だれも信じませんよ」
「……」
「まあ、ともかく、だれが考えてもおかしなことなんだから、あなた個人としても責任持って、やれることをやってくださいよ」
「はい、わかりました」
こういうわけだから、一応、話せばわかる相手であった。だが、これでAの気持が収まり切ったわけではない。はじめてNHKに電話をしてみて、これは大変な状態だと思ったというのだ。話の途中には、「この件では電話が鳴りっぱなしです」ともいわれた。かなりの数の視聴者が、『朝日』や『内外』の記事で知って、NHKに激励なり抗議の電話を入れているのだ。
いままでにも、似たようなことは何度もあったのだろう。下手な応対をすれば、受信料支払い拒否にもつながる。だからNHKは、かなりのベテランを、視聴者センターに配置するようになったのではないか。だが、あの一見丁重のようでいて、なんとも没個性的な、判で押したような回答ぶりはなんだ。これは、恐るべきことなのではないか。Aの実感は、「人間を相手に話していたつもりが、よくみたら、のっぺらぼうのお化けだったという恐怖感」だという。
もう一人、やはりこのカット事件でNHKに電話した友人がいる。Kの場合は、「NHKは外部の圧力に屈しません」と大見得を切られて鼻白み、それだけで終っていた。ところが、四日後の二月十日のこと、『赤旗』のラジオ・テレビ欄を見ていたら、NHKの「虹を織る」というドラマの再放送で、「この話はフィクションです」という字幕が出たが、それは「旧海軍の関係者」からの抗議に応えたもの、と書かれていた。「佳代ら宝塚の団員が慰問旅行の先で指定の旅館にくつろいでいると、酒に酔った海軍将校たちが入ってきて佳代らに酌を強要する。佳代がこばむと将校が軍刀を抜き、目の前につきつけるその場面に字幕が……」とある。「抗議」は、“海軍はあんなことしない”という趣旨のものだったらしい。
これは冗談ではすまされない。しかも、くだんの再放送の日付は、二月六日。つまり、NHKがKに対して、「外部の圧力に屈しません」と明言したその日なのである。
Kはもう一度、NHKに電話をしたが、Aとはちがつて、広報室にかけた。それはKが『内外タイムス』を見た方で、そこには、「NHK広報室の話」というのがあったからだ。内容は同趣旨だが、「圧力うんぬんについては、もちろん、あり得るはずはない」と結んであった。
最初に「虹を織る」の件について聞くと、すでに六日の放映直後、全国各地で抗議電話が殺到したという。大阪の制作番組で、担当部長の判断で字幕を入れてしまった。軽率な行動だとして本人にも注意し、抗議があれば謝罪することにしたという。だがその一方で、同じ日に、ロッキード特集のカット事件でこれこれ、というKの追及には、打って変って低姿勢。平あやまりだったそうだ。
ただし問題なのは、カットの理由説明が、前回と変っていたことだった。「バランスがとれない」ではなく、事件五周年という時点に「マッチ」ない」という局長判断だったといいだしたのだ。Kは、「いい加減にしてくれ」といっといたそうだ。バランスといったって、重量のバランスから肩書のバランスまである。最初の報道では、NHKが再度の要請の際、「田中派からは、山下元利氏(元防衡庁長官)がインタビューに出る」(『朝日新聞』’81・2・6)と伝えたことになっている。要するに自民党内の派閥のバランスを取ろう、という発想でしかない。それを報道局長の島桂次が、「田中角栄元首相と三木元首相の二人のインタビューを計画したが、田中元首相の方がダメ」(同前)だったと、話の筋をすりかえている。取材の相手が予定通りにいかないことは、間々あること。こんなヘリクツで、だれも納得するわけはない。しかし、いったんこねたヘリクツを、抗議が集中したからといって、さっさと張り代え、リクツとコウヤクはどこにでもつくとばかりに居直られてはかなわない。
Kは長話のきらいな方だから、「逆じゃないですか。マッチしすぎたんでしょ」といって、電話を切ったそうだ。
バランスとか、マッチだとか、相手を煙に巻くための日本式英語がひょこひょこ出てくるところも、NHKの待色のひとつであろうか。戦後の日本で最も有名なのは、元駐英大使のワンマン吉田茂で、国会答弁にも、よくこの手を使った。NHKのワンマンにも、元外信部記者が目立ったから、共通の風土があるのかもしれない。
さて、NHKへの抗議電話で、かなりの紙数を使ってしまったが、これにはわたしの考えもある。というのは、マスコミ関係の労働組合は、電話や投書によるマスコミ批判を、むしろ一般人に要請している。組合のビラや『赤旗』のラジオ・テレビ欄にも、最寄りの放送局の電話番号が時折、一覧表にして載せられている。それへの対抗手段として、NHKの視聴者センターへの人員配置があるのだ。
ところが、時には電話局のヒューズがとぶといわれるほどの電話のやりとりは、それぞれの局内用報告程度の記録にしか残っていない。新聞ならば投書欄は欠くことのできないものになっているが、放送では、視聴者の声は、まったく恣意的な扱いしか受けていないのである。もちろん、このカット事件をめぐる電話抗議の有様は、週刊誌にも取り上げられてはいないから、何の証拠も残らないことになる。NHKでは、視聴者とのつながりは「NHKの窓」とか、「NHKガイド」というテレビの番組案内ものと、「わたしたちのことば」というラジオだけの投書コーナーしかない。電話の要望や意見は、数字の公表もしていない。
だから、わたしが知りえた電話のやりとりは、ここに書き残すことによって、歴史的証言の地位を獲得するかもしれないのである。