《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.10.20
序章《自分史》的NHKの再発見から
権利の確認へ
NHKについて書かれたものは、意外に多い。NHKの関係機関の編集による文献目録でも、何百もの論文がある。雑誌の蒐集と独特のカード方式で知られる大宅文庫には、「NHK」の項目カードが五百枚近くある。NHK関係者の個人カードも多い。大学の社会学にマスコミの講座がふえている時代だから、そのうちには、“NHK学”とか、“NHK文献学”とかも成立するかもしれない。少なくとも、卒論のテーマにはなっているようだし、博士論文も出るころだろう。
だが、中小書店はおろか、大書店の書架にさえ、NHK批判の単行本はろくに並んでいない。版を重ねているのは、本多勝一著『NHK受信料拒否の論理』くらいなもの。さびしいかぎりである。NHK批判だけではなく、放送批判の単行本は、年に一、二冊は出版されているが、ほとんどが数千部の初版第一刷で終っている。版元は、いずれも一般には名も知られぬ小出版社である。単行本ではなく、講座の類でみても、特別に左翼文化人が肩入れした企画でしか、NHK批判は展開されていない。大手出版社や大学の出版会あたりでは、抽象的な放送論を、マスコミとかコミュニケーションとか社会学の講座に入れているだけだ。
さて、はじめから挑戦的になってしまったが、こういう具体的な事態こそが、NHKをめぐる状況の象徴ではないだろうか。
というのは、ちょうど本書を構想している間に、小学校六年生の長女が、学校の社会科見学で、NHKと読売新聞を見てきたという。新聞社の方は、普段なら朝日新聞なのだが、例のネルソン計画とやらによる築地の新社屋工事中で、変更になったらしい。それを聞いて、筆者も想い出したのである。内幸町のNHKと有楽町の朝日新聞社には、たしか中学校に入ってすぐ見学にいっている。うん、うん、何か報告も書いたような気がする。そこで押入れの隅から、埃まみれの紙箱を引っぱり出してみると、あった、あった。中学校のガリ版学園誌に、「放送の出来る迄」という八ページの小論文が載っていた。一人で書いたのではなく、「一年社会研究部員」として、わたしをドンジリに四名だけの名前があり、「外二十四名」となっている。指導の先生から参考書を教えられ、四人で分担して書いたもののようだ。まことにうすぼんやりとした記憶しかないのだが、その後もNHKと朝日新聞には、何か独特の親近感を覚え続けていたのには、それなりの理由があったのだ。その証拠物件を、いま確認できたという想いであった。
この《自分史》的再発見については、本文中でもふれるが、要点は《神殿》NHKにある。つまりNHKは、国会などとともに、思慮分別のつかぬ時期に《刷り込み》がなされる何か、なのである。
三十年前の感想文の一節には、こうあった。
「中学一年程度ならば理解出来ると言うようにやさしく説明してくれるラジオのニュース、そのかげには放送記者のなみなみならぬ努力がひそんでいるという事実を私達は知らなくてはならないと同時に又それを感謝しなければなりません」
そしていま、わたしが手にする論文には、たとえば、こう書いてある。
「放送媒体は、インテリ層がいかにその言論機関性・情報伝達機関性を軽視しようとも、イデオロギー関係機関であることは否認すべくもない」(奥平康弘『法律時報』40巻6号所収「放送における政治と行政」)
つまり簡単にいえば、NHKのニュースは子供だましだから、インテリは目もくれない。しかし、その間、NHKは、立派かどうかは別として、日本の政治機構に一役も二役も買ってきたのだ。インテリ、いい換えれば読書人がNHKを軽視するから、NHK論も、いままでは少数の関係者たちの間のものでしかなかった。そして井戸端会議以上のものになっていなかったのではないか。それは極端にしても、少なくとも読書人の全体に通用するレベルのものではなかったのではないか。数千部という、小出版社向きの発行状況は、そういう楽屋裏の実情の表われではないか。
ふりかえって、本多勝一の『NHK受信料拒否の論理』を考えると、ロングセラーの理由は、あながち著者が高名なだけではなさそうだ。もちろん、話の運び方のうまさもあろう。しかし、出版社は、「出版は志の業」を唱え、注文販売方式でがんばる未来社。広告で売ったわけでもない。ひとつだけ類書にない特徴をあげれば、「受信料拒否」という“実用書”的ニュアンスを持っていることではなかろうか。これは極端にいえば、放送の内容云々に関心がなくても、受信料の支払い対象者のすべてに関係がある本だ。その上、「拒否」という、はっきりした行動提起を含んでいる。
[注]:本多勝一への評価は別問題。木村愛二の電網宝庫「憎まれ愚痴」関連記事参照。
この具体性こそが、ロングセラーの秘密であり、しかも著者の意図そのものなのではないだろうか。ハウ・ツーものが流行している時代でもある。だが、それだけではなく、部外者にはわかりにくいマスコミ経営の内部を、あれやこれやと暴きたててみても、しょせん、週刊誌種以上のものにはならない。いきおい、専門筋にしか売れず、ロングセラーは望みようもない。そんな状況のなかで、本多勝一の本のみが、ひとり気を吐いているのではなかろうか。
「受信料拒否」の是非についても、本書のテーマのひとつとする。だが、問題は、この拒否も含めた一般視聴者の行動であり、その行動を具体化するような材料の提供なのではないだろうか。本書にその資格があるかと問われれば困る。しかし、重要なのは、歴史の流れを変えようとする方向性の有無ではないのだろうか。
さて、NHKとは何か? という問いに対して、答えは幾通りもあるだろう。
NHKの看板ディレクター和田勉にいわせれば、それは「番組」であり、「自分」であるらしい。「番組」以前に「機構」を論ずるものに対して、和田勉は、「批判者のフハイ」(『放送批評』’75・12)とまで極言している。だが、その和田勉が、ドラマ『ザ・商社』で何を描いたか。「商品」の石油などではなく、まさに国際的な「機構」であり、それを動かす「人間」の奥底ではなかったのか。それならば、なぜ、「批判者」が『ザ・NHK』の正体に迫ってはならないのか。
芸術家の衝動的な発言をとらえて、これ以上、あれこれいう気はない。しかし和田勉が、「批判者」はNHKの「番組」を見ずに「機構」を問題にする、という受け取り方をしている点については、一言せざるをえない。たしかに、NHKの「機構」を問題にするようなインテリは、NHKだけでなく民法テレビもラジオも、そんなに長時間は見たり聞いたりしていない。最近でこそ、視聴率との関係で、“選択性”などという用語が見受けられるようになったが、インテリ層といえる部分の人々は、最初から“選択”していたのである。そして、“一を聞いて十を知る”といえば大げさだが、それくらいの能力がなければ、批評活動ばかりか専門的活動などできるわけはない。
しかも、だれしもがNHKを問題にするとすれば、それは、多くの中高年の日本人にとって、戦争中の子供のころからの、つけっぱなし聞きっぱなしの、あのラジオだったのだ。テレビだって、通算すれば大変な量を見ている。そのことは、同じく中年(熟年?)の和田勉自身がよく知っていることだ。そういう年を経たNHKの視聴者そのものが、テレビを見始めたばかりの若者への影響を憂えて論ずるのが、なぜ、「(NHKの)『番組を見ている人』に対して無礼なこと」(同前)だといえるのか。
その上、和田勉が自信をもって推薦できるのは、自分が作った「番組」だけのはずだ。他の「番組」まで責任を持つといえば、NHK広報室の仕事になってしまう。しかも、本書の最初に取り上げる例は、カットされたインタビューなのであって、ブラウン管上の「番組」をいくらながめていても、映りはしない。NHKの裏側から透視しないことには、そのビデオテープの存在すら確かめようもないのである。
ここから、つぎの問題が生ずる。
和田勉は、NHKは「番組」だから、それを見ろという。しかし、一個の完成された芸術作品としての「番組」の場合ならともかく、NHKの「番組」を見ること自体が目的ではない場合が多いのだ。NHKという媒体を通じて、世の中の状態を知りたい、もしくは知らせたいと思っているものにとっては、「番組」に表われない重要問題があるという“事実”は、どうでもいいことではない。
だから、「機構」としてのNHK、媒体としてのNHKとは何か、という問いは、避けがたいものになる。
だが、さらに問えば、「機構」とは何であろうか。第1図のような、経営体内部の「機構」もある。しかし、さらに複雑なのは、たとえば《天皇機関説》のごとき政治的位置付けである。またNHKは、本編と資料編を合せて千八百ページにもなる『放送五十年史』を刊行したが、そういう歴史的経過もたどらなくてはならない時期だ。
戦後史については、すでに『放送戦後史I、II』が刊行されている。日経新聞放送記者の松田浩によるもので、まさにライフワークの名に値する好著である。だが、戦前からの歴史については、公史に対抗しうる大著はまだない。
そんな状況をふまえて、ひとまず本書の役割を、側面追求、裏面史ひろい上げ、とする。
「週刊誌は新聞と違って物事を側面的・裏面的ストーリー化する傾向を持っている」
これぞ、かの有名な、広告代理店・電通の作成による「自民党広報についての一考察」の一節である。《NHK広報》についても電通の動きありという昨今、あくまで「側面的・裏面的ストーリー」に執着し、それを《自分史》と照らし合わせて確かめたいというのが、わたしなりの視点である。
第一章 なぜNHKは《国営》ではないのか?
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