《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.11.6
第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理 1
ちょっと“低次元”ですが……
NHKといえば、あの、のっぺらぼうな感じのアナウンサーたちと、だだっ広い代々木放送センター。そして何よりもかによりも“受信料”。これがわたしなどのような、落第生型庶民の第一の実感である。そして、どんな金でも払わずに済めば、それに越したことはないと思う。
ところが、当世流行のマスコミ論とか、ジャーナリズム論とかになると、話はややこしくなる。一番わかりやすそうな説明をしてくれるのが、元共同通信記者の評論家、新井直之あたりだが、この人はなぜか、NHK受信料を払えという立場。たとえば、こういうのだ。
「受信料を払っている視聴者はいわば『一株株主』ですから、この権利を最大限に活用させることです。具体的には、現在はNHKの経営委員の選び方や、番組のあり方について視聴者はツンボ桟敷におかれているが、これに参加する方向で運動を展開し、積極的に対応していくほかないと思うんです」(『週刊新潮』’89・3・29)
しかし、「株主」といわれてもピンとこないのも道理。「株券」すらないし、「株主総会」の案内状などもらった覚えもない。
これに対して、ジャーナリズム論では一方の雄、朝日新聞の本多勝一記者は、『NHK受信料拒否の論理』により、不払いを、要求貫徹のためのストライキとして位置付ける。
さて、当事者の一方、NHKにも強力な“論者”がいる。または、「いた」というべきであろうか。ともかく、古式(?)の美文調演説でNHK女子職員を泣かすとか、ヒソヒソ話だけで人事を左右するとかいわれた、噂の“闇将軍”上田哲センセイである。
「百%の合意を求めながらも自発的な受信者が八十%にとどまることを当然とする発想」(『サンデー毎目』’89・4・6)
これが、受信料の数字に関する限り、最新の“上田語録”のようである。というのは、これから詳しく追及するのだが、日放労(日本放送労働組合=NHK労組)=上田「議席」の体制は、近年ますます受信料制度についてはトーンダウン。当局発表と口裏が合っているからだ。当局発表のやり方といえば、“意識的支払い拒否”の数は“契約数”の一~三%そこそこ、といった理屈。電波流ホワイト・マジックとでもいうのだろうか。すりかえの妙技を駆使し、あの、のっぺらぼうの笑顔でインギン無礼に、いいくるめる。
かつての会長、小野“角下”は、「廊下がひろいというようなNHK批判は低次元である。NHKは、国民に対する使命感を感じて、あまり雑音を気にしないで進みたい」という、高貴なお考えを示されたこともあるが、マスコミ人というのは、この“低次元”とか、“レベルが違う”という表現に弱い人種。そのためといって切り捨てるつもりではないのだが、受信料の実態追求は、“理論”上の問題ではないかのような扱いになっている。
わたしが受信料の収納実態についてまとめる気になったのは、その点に関しての、大変なオドロキからである。いやむしろ、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の世界に迷い込んだかのような“恐怖”からである。オーウェルの名作を読んでない方には急ぎお薦めするが、そこでは“真理省”が歴史の改ざんに当たるのだ。そして“愛情省”で裁かれた反逆者には、“白を黒”と信じ込むための思想教育がほどこされる。オーウェルの直接の意図は、スターリニズム批判にあったようだが、それは同時に、情報化社会と称するものの暗部を照らし出す作品になっている。
そこで、わたし自身のオドロキだが、それは、たとえば、この人までがと思う新井直之の文章なのだ。
「放送法改定による支払い義務制の導入が、ここに来て、クローズアップされてきた背景には、受信料滞納者・契約拒否者が七〇年代後半に入って急増したという事実がある。その数は、NHKの調査によると、滞納が一九七六年度七十五万六千件、七七年度八十五万四千件、七八年度九十二万九千件、また契約拒否数は七六年度七万三千件、七七年度八万四千件、七八年度九万六千件に上っている。七八年度末の契約総数二千七十一万五千件に対して、滞納はその三・四バーセントにしか当たらないが、それでも仮に滞納者と契約拒否者がカラーテレビを見ているとすると、NHKは月月七億二千七百七十五万円の収入をフイにしている計算になる」(『マスコミ日誌’89』)
ここで出てくる数字は、NHK当局の発表数字だけ。ただし最後に「損失」の計算があり、論旨からすれば、「こんな多額の……」という意味のようだ。だが、この発表数字自体に大変なカラクリがあることには、一言もふれていない。これは、どうしたことだろう。数字は“低次元”だとでもいうのだろうか。