《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.10.20
第一章 なぜNHKは《国営》ではないのか? 2
“スクープ”合戦の陥し穴
話をもどして電車の中。『内外』の記事には「新聞」としか書いてないから、松浦総三が見た朝刊は何新聞だかわからない。単数か複数かも、これは日本語の文法のせいでもあろうが、まったくわからない。とりあえず、タ刊で後追いしたり、続報を載せてはいないものかと、車内で無料の調査活動。平たくいえば“のぞき”の手を使ってみたが、まったく、その気も見えぬ。さてはNHK奴! 早くも各社に手を回しおったかと、疑心がふくらむ。
ともかく自宅ではじめて手にした『朝日新聞』(’81・3・6)では、いわゆる“三面”記事欄に、「ロ事件五周年、三木元首相インビュー、NHK、直前カット」の四段の大見出しが踊っていた。ベタ八十行ほどの記事で、はっきりした取材源は、三木事務所とNHK報道局長だけのようだ。
要約すると、NHKが二月四日の「ニュースセンター9時」で「ロッキード事件五年」の報道特集を計画した。三木元首相には、「事件当時の首相としてのお話をインタビューさせてほしい」と申し入れ、いったんは断わられたのに、「ぜひお願いしたい」と再度申し入れ、十分程度のビデオテープ録画をした。それが全面カットとなるのだが、放映直前の午後六時にはNHKの「部長」、翌日には「担当局長」が三木側に頭を下げにいっている。
二度も謝るくらいなら放送すればよかったのに、と思うのだが、それができなかったところに、現在のNHKの“危険な状況”があるようだ。そして、洗えば洗うほど、このテープ全面カット事件は、番組弾圧事件としても第一級。それが象徴する背景は大掛りなようだ。振り返ってみれば、他の言論弾圧事件も、いずれマスコミ産業の仲間うちの不祥事。他のメデイアがこぞって報道したり、論評したりしたことはない。そういう意味では、かなり早めに詳しい事情が外に洩れた方かもしれない。カットの理由は、島桂次報道局長の説明によると、「バランスがとれない」ためとあるが、だれも納得するわけはない。
さて、これはたしかに、『朝日』のスクープであった。そして、新聞に関しては、「他社の後追いもなく、しだいにウヤムヤ……」(週刊文春’81・3・5)という状況だったようだ。もっとも、この「他紙」には『内外』は入っていないらしい。いわゆる五紙か、『東京新聞』を入れた六紙のことであろう。ともかく、『毎日』にも載らずじまい。『朝日』も続報はしなかった。『赤旗』は、かなりあとになって、「TV時評」欄で「NHKは自立性を貫いて」(『赤旗』日曜版、’81・3・1)とチクリ。しかし、「『ニュースセンター9時』のロッキード特集の一部(三木元首相のイン夕ビュー)がカット」という表現であり、再度の出演要請と全面カットという、最もドラマチックな要素が抜け落ちている。
ただし、大手紙には、予備軍がある。毎日新聞「社」は、『サンデー毎日』(’81・3・8)に六ページの特集を組んだ。題して「NC9ロッキード五周年カット事件の二週間、NHK報道局長VS現場記者」。電車の中吊広告も、この記事をデカデカとトップに出し、なかなかの力の入れようと見受けられた。担当の記者は、鳥越俊太郎と茂木和行。両記者とも、このところヒット続きで、敏腕の名を高めている。ついでに他の掲載誌も列挙しておくと、『週刊文春』(3・5)が四ページの特集、『週刊新潮』(2・19)が半ページのゴシップ扱い、『文化評論』三月号が「マスコミ時評」欄で見出しなしのガヤ扱いで三分の一ページほど、といったところ。だから、『サンデー毎日』の取り上げ方は、明らかに他より大きい。
しかし、それだけで毎日新聞杜を“無罪放免”とするわけにはいかない。
なぜならまず、それだけでは、日刊の本紙読者には、何等の弁解にもならないからである。当たり前のことだが、『サンデー毎日』は別料金である。新聞とは別の雑誌なのだ。そして、『毎日新聞』の読者数四百五十万として、『サンデー毎日』は百万部内外。その差の三百五十万以上ないし、数学的に厳密にいえば四百五十万ギリギリの『毎日新聞』定期購読世帯には、このNHKの大事件はまったく伝えられなかったという可能性があるのだ。
つぎに、毎日新聞杜が、この全面カット事件を『サンデー毎日』の目玉特集とするだけのニュースだと判断したのなら、今度は逆に、なぜ本紙で『朝日』の後追いをしなかったのか。ひるがえって、この矛盾を追及せざるをえない。もしかすると『サンデー毎日』を買わせるためだったのであろうか……。この点では、まったく報道しなかったらしい読売新聞杜の方が、一本筋が通っている。といっても、これは最大級の皮肉に過ぎないのだが。
もちろん朝日新聞杜も、最初のスクープだけで、そのあとは「ウヤムヤ」。続報なし。『週刊朝日』『朝日ジャーナル』の特集もなし。これでいいはずはない。むしろ、トップを走っただけに、ただちに圧力、早くも屈したかと疑われても仕方あるまい。
とまあ、こういったところが、NHKの報道番組異変をめぐる、他のマスコミの動き方である。おっと忘れたのが民放だが、これは論外。かつてはNHK批判もしたが、それは後述する。ほかの事件でも同じような配置である。要するに、NHK批判はいつも、バラバラのパラパラ。とても流行の総ジャーナリズム状況とやらにはならない。
そこで視聴者の有志は、たまりかねて、NHKに直接の抗議電話を入れるのだが、これがまた、万全(?)の準備をととのえて待ち構えている。