イラク威嚇情勢 キーワード「査察」への大疑問

イラク威嚇情勢 「査察」は因縁付け 危機演出の狙いは

1:キーワード「査察」の意味は因縁付け

1998.2.12

 昨年秋以来、イラクが「査察」を「拒否」したという口実で、アメリカは、経済制裁の解除を遅らせ、「爆撃」の脅しを繰り返している。では、「査察」とは何か?

 私自身、昨日の2月11日には、湾岸平和訴訟の仲間からの誘いを受けて、アメリカ大使館への申し入れ行動に参加した。

 思い起こせば、あれは1960年の初夏、日米安全保障条約改訂に反対する国会抗議行動の怒涛の流れが、同じ敷地の昔の建物を取り囲んだ。アイゼンハワー大統領の訪日の露払いにきたハガティ特使が羽田空港で抗議のデモ隊に包囲され、ヘリコプターで大使館に逃げ込んだのだ。結果として、アイク訪日は中止となったが、あの時、ギッシリ立ち並ぶ警官の肩越しに「アメ大」を初見して以来、すでに38年。

 しかし、これが最近の優等生型市民運動スタイルなのであろうか、怒りの声をシュプレヒコールでぶっつけるでもなし、スピーカーで演説するでもなし、ただ淡々と小声で予定通りに用意の抗議文読み上げ、これまた柔和でニコヤカな警官に手渡して、これで一仕事済ませたという面持ち。言いにくいが、これでは、かえって相手を安心させるばかり。自己満足でしかない。休憩を兼ねて意見交換をするでもなし。これでは運動が発展するはずもない。まるで何もやらない大組織よりは少しましといった程度の寂しい運動である。

 孫子「謀攻編」の冒頭にいわく、「故上兵伐謀」。

 一番優れた戦い方は、(軍事力を用いずに)敵の謀略を見破り、それを無効にすることである。「謀略」の歴史的考察発展については、拙著『湾岸報道に偽りあり』で要約しておいた。軍と軍との戦いが主だった過去の戦争では、敵軍をだますことが「謀略」の中心だった。現代の国家総動員体制による戦争では、自国の、または味方になる国の市民をいかに上手にだますかが、一番重要になっている。湾岸戦争でアメリカに荷担した日本では、「国際協力」というキーワードが作られ、それがまたカンプチアPKOからゴラン高原出兵にいたるまで、麗々しく使われてきた。この「国際協力」についても拙著『マスコミ大戦争/読売vsTBS』で論じた。

 敗戦後の日本では、戦前に威力を発揮した「愛国心」が、もはや無効となった。「愛国心」自体についても、すでに200年以上も昔の1775年に、イギリスの文豪、サミュエル・ジョンソンが、その本質を鋭く見抜いていた。いわく、Patriotism is the last refuge of a scaunderel. refugeの訳語は「隠れ家」が一般的だが、文脈から見ると「逃げ口上」または「奥の手」である。「ならずもの」は首相クラスの政治家を指していた。

 さて、問題の「査察」であるが、一応、外務省の中近東2課に聞くと、特に国会答弁向けの「用語解釈」などは用意していない。私の記憶では、国際舞台で「査察」という用語が使われ出したのは、アメリカとソ連の2超大国が、核兵器の削減(余って仕方ないのを宣伝に利用)で手打ちした際のことで、「相互査察」と称する大衆向けお芝居でしかなかった。本気で隠す気になれば、それこそ「武田信玄の軍資金」ではないが、どこを掘っても出てくる気遣いはない。あの場合には、大国間の話しが付いての上での芝居だから、揉めごとの種にはならなかった。ところが、イラクの場合には、あくまでも反アメリカの旗印を降ろしていない。そこへ、たとえ何万人もの査察官を送り込んだところで、超古代遺跡までが各地に埋もれているイラクから、どれほどの「大量破壊兵器」を発見しうるものであろうか。

 結論として、「査察」とは、平和実現の仮面を被った「いやがらせ手段」でしかない。または、やくざの「因縁」付けの仕掛けである。とりあえず以上。


2:イラク危機演出の狙いは違法入植地問題逸らしか

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