『湾岸報道に偽りあり』(59)

隠された十数年来の米軍事計画に迫る

電網木村書店 Web無料公開 2001.7.1

補章:ストップ・ザ・「極右」イスラエル 2

「良心的」番組にもユダヤ・ロビー宣伝が侵入

 まず典型的な具体例を紹介しよう。すでに問題点を指摘ずみの「ヴィデオ」の一例である。

 湾岸戦争の停戦直後、一九九一年三月十日に、TBSは時間枠を広げた報道特集スペシャルで「湾岸戦争の源流/新・対決する文明」と題する中東の歴史ドキュメントを放映した。

 古代エジプト遺跡風の装置を配したスタジオには、解説者として元新聞記者の森本哲郎が招かれ、普段の報道特集と同じく、やはり元新聞記者の筑紫哲也が司会役を勤めていた。制作意図としては、アメリカの「正義」とアラブの歴史的「正義」を対比させ、中東の複雑な歴史と現状を展望しようとするものらしく、この種の番組としては、かなり良心的な部類であった。

 だが、歴史叙述の大部分は、アメリカ製「ヴィデオ」そのままであった。「ヴィデオでご覧ください」という典型的な台詞こそなかったが、「ヴィデオ」のショットで番組が始まり、スタジオの対談の途中に、「では、そのへんを見ながら」といったり、沈黙したまま「ヴィデオ」に場面を受け渡すという手法が取られていた。気になった点を細かく並べればきりがないが、一番重要なのは、第四章「エルサレム物語」におけるイスラエルの建国の歴史である。同じような「ヴィデオ」による歴史解説は、他のテレヴィ番組でも見受けたのだが、ここでも歴史は、アメリカ流に都合よく歪められていた。

 イスラエル建国の近代史解説は、年代でいうと、一八七八年のベルリン条約から始まる。

 それまでの宗主国トルコがロシアとの戦争に敗れた際に結んだサン・ステファノ条約に、ヨーロッパ列強が干渉し、その結果として、エルサレムが一時的にフランスの管理下に入ったのである。それに対してイギリスを代表する立場で、植民地大臣チャーチルの「スエズ運河の守りを固めるために、パレスチナに友好国を求める」思想が紹介され、ユダヤ人に『民族的郷土』を約束する一九一七年のバルフォア宣言が続く。

 以下、重要な部分だけにかぎり、ナレーションなどを正確に再現してみよう。

「当時ロシアや東ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人が、この計画に飛びついたのは当然である。ユダヤ人の移住は、一九二〇年代だけで八万人にものぼった。『土地なき民に、民なき土地を』というシオニズムであったが、これもイギリスの考えである」

 背景の映像は、バルフォア宣言の原文と「無人」の砂漠地帯である。これだけを見聞きすると、ユダヤ人のパレスチナへの移住はバルフォア宣言以後であり、移住先は「無人」の荒れ地であるかのように思えるだろう。

 画面が転換すると、部屋の壁一杯の巨大な額縁に入ったポスターが映る。「パレスチナへの移住」を訴えるスローガンが書かれている。正面のデスクに座る女性が、画面のスーパー文字で「イギリス・シオニスト協会 ブレンダ・カッテン会長」と紹介される。彼女の話の断片が英語で流れ、同時通訳の日本語が入る。

「一九四八年、イスラエルは建国します。私がいつも思うことは、六百万人というユダヤ人虐殺についての罪悪感がなかったなら、国連はイスラエルの建国を認めたか、ということです」

 画面は再び「無人」の砂漠にもどる。続いて、ミケランジェロ作「モーゼ」の大理石の顔をバックに、重々しいナレーションが流れる。

「一九四七年、国連はパレスチナに二つの国を造る決議を採択する。イスラエルの建国を認めるものであった。紀元前千二百年、モーゼに率いられてエジプトを出たユダヤの民が、国を造る。しかし、その民なきはずの土地には、パレスチナ人がいた。建国宣言の翌日、最初の中東戦争が火を吹く」

 画面にはイスラエル国旗がはためき、「イスラエル建国/一九四八年五月十四日」のスーパー文字が入る。続いて、コンクリートの壁の銃眼が映り、その画面にかぶせて、機関銃の射撃音が響く。スーパー文字は「第一次中東戦争/一九四八年五月十五日」  私は、幸いなことに、この番組をヴィデオに収録しておいた。だから、このように細部を活字で再現し、論評ができる。そうでもしておかないと、テレヴィ局は内々に協定を結んでおり、報道番組の記録用ヴィデオを外部の者に見せないことにしているから、細かい批評は不可能になるのである。放送にはこの点でも、流しっぱなし、だましっぱなし、という謀略向きの「人為的」特性があるのだ。

 私はまた、ただちにTBSに電話をして事情を調べた。この報道特集全体の制作者に対して自己紹介をし、取材の目的を告げ、「比較的には良心的な番組だと思う」という趣旨の意見を先に述べておいてから、「失礼ながら……」と質問をした。疑問を感じた部分を指摘し、「歴史学者の意見を求めたか」と聞くと、「聞いていない」という返事であった。そしてやはり、アメリカ製の番組の一部分を、そのまま使っていたのだという。

 さて、問題点は多いのだが、まず最初に指摘しなければならないのは、一般に普及されている歴史書にも明らかな事実が、都合よく歪められているという点である。

 ユダヤ人という用語自体にも、後に指摘するような問題が残っているので、とりあえずカッコをつけるが、「ユダヤ人」のパレスチナへの意識的な移住運動は、すでにベルリン条約の直後から始まっている。移住に必要な資金のほとんどは、有名なユダヤ系国際財閥のロスチャイルド家から拠出されていた。ロスチャイルド家の最初の援助は、現地の土地の購入資金であった。つまり、現地には「民なき土地」などは存在しないことは、移住した当事者たちにとっても常識であった。

 エルサレムの別名であるシオンに由来する組織、シオニスト機構(後に世界シオニスト機構と改称)が設置されたのは、二十年後の一八九八年、スイスのバーゼルにおいてであった。その際、「ユダヤ人」の「ホーム」の第一候補に決定されたのは、当時はイギリス領のウガンダである。ウガンダ人にいわせれば、やはり勝手な話ではあろうが、「ユダヤ人」自身が最初からパレスチナへの「復帰」を絶対視したわけではないという事実にも、一応注目しておく必要はあるだろう。ロスチャイルド家に関する文献は、それだけで図書館をなすといわれるほどであり、ユダヤ系の大富豪特有のヘソ曲りな逸話に満ちているため、ことの真相に迫るのは容易でない。だが、大筋を見ると、陰に隠れた資金援助で最初にパレスチナ移住を促進したのは、ロスチャイルド家にほかならない。シオニストの方が結果として、「ウガンダ」方針を転換して、ロスチャイルド家の規定方針に従ったと見るべきではないだろうか。

 興味深いことには、日本語版訳者が「ロスチャイルド一族の協力を得て完成した本書は……珍しいもの」として紹介する『ロスチャイルド王国』にさえ、次のような、一読しただけでドキリとする一節があった。

「彼が買いとった入植地はジュディ、サマリア、ガレリアにわたって点在し、必要あれば、戦略的に拠点として役立つという確認さえとっていた。その時は四十年後にやって来た」

「彼」とは、パレスチナへの移住から現地での企業作りまでの資金援助に一番熱心で、財産を傾けたとさえいわれるパリのロスチャイルド家当主、エドモン男爵のことである。

 さて、「ヴィデオ」のナレーションを繰り返すと、「『土地なき民に、民なき土地を』というシオニズムであったが、これもイギリスの考えである」となっていた。

 次の問題は、この後半である。アメリカ製のこれらの歴史解説の特徴の一つとして、旧植民地帝国のイギリスやフランスが行なった侵略政策については、ある程度正確に描こうとする点が挙げられる。目的は明瞭である。「民主主義」のアメリカが、それら「旧悪」の後始末を引き受けざるを得ないのだ、という世論誘導である。だからここでも、悪いのは「イギリス」で、アメリカが現在擁護している「シオニズム」にはその影響下で若干の不十分さがあったかもしれない、という弁解が準備されている。短いが、非常に巧妙なレトリックなのである。ところが、問題のバルフォア宣言の直前には、たとえば次のようなシオニスト側の積極的な動きがあった。

 立山良司は『イスラエルとパレスチナ』で次のような経過を指摘している。

「英国本土では、マンチェスター大学で化学を教えていたハイム・ワイツマンらのシオニスト・グループが、ユダヤ人国家建設について英政府に対し懸命の工作を行なっていた。ワイツマンらはロスチャイルド卿らユダヤ人有力者とともに、『世界戦略上、スエズ運河は英国にとって死活的な重要性を持っている。もし戦後、パレスチナに親英、親西欧的なユダヤ人国家ができれば、スエズ運河に対する東アジア方面からの脅威に対する有効な障害となる』と主張、戦後のパレスチナにユダヤ人国家を作るとの約束を取り付けようとしていた」

「ロスチャイルド卿らユダヤ人有力者」の主要な武器は、戦費調達に苦心している最中のイギリス政府への、財政面での協力にほかならなかった。「地獄の沙汰もカネ次第」と日本でもいうが、ユダヤの金融パワーこそが、バルフォア宣言の二枚舌約束の裏に隠された公然の秘密であった。

 もともとロスチャイルド財閥の出発点は、ドイツのヘッセンにおける両替屋上がりの「宮廷銀行家」であって、税の徴収、軍需品の調達、戦費の貸しつけなど、なんでもござれ。最後にはフランス革命の嵐の中で、亡命中の王家の財産を管理して、浮き貸しの投機やら、大陸封鎖破りの密輸までこなし、またたく間に巨富を築いたのである。日本の三井財閥が薩摩や長州と結んで成功したのと、まったく同様、いや数倍も上を行く近代史である。

 ロンドンには時の当主の三男ネーサンが銀行を開き、対ナポレオン戦争では、イギリスの軍事財政を金貨の輸送までまかなうという、当時では最大の国際的金融投機に成功した。しかもネーサンは、独自の国際情報網によってワーテルローでの歴史的勝利をいち早く知りながら、わざと証券取引所で債権を投げ売りし、「ネーサンが売り、つまりは敗戦」の耳情報で大量の投げ売りを誘い、値が下がるだけ下がったところで一挙に買い占めて莫大な利益を得たという、証券取引の歴史上最大のエピソードの持ち主だった。他にもロスチャイルドが、その後の帝国主義戦争の歴史を動かす巨大な金融力を発揮した実例は山程ある。そういう国際財閥が、単にユダヤの血のつながりという、お涙ちょうだいだけでカネを出すわけはないのである。イギリス政府に対しても、むしろ積極的に中東進出をけしかけていたに相違ないのだ。

 しかも、この件では最も象徴的な歴史的事実がある。ユダヤ系アメリカ人のリリアンソールは、『ユダヤ・コネクション』の中で当時のイギリス政府極秘資料をもちいながら、第一次世界大戦当時のイギリス政府で唯一のユダヤ系閣僚だったモンタギューが「シオニズム」を「反ユダヤ主義」として批判し、ロスチャイルドらの計画に反対していたことを、見事に立証しているのだ。

 さらに時代はくだって第二次世界大戦後の一九四八年五月のアメリカでのこと。

「元ニューヨーク・タイムズ記者ジョージ・レストン回想録」(『朝日ジャーナル』92・2・7)によると、トルーマン大統領がイスラエル国家の承認に踏み切る際、最も重要な閣僚だった国務長官ジョージ・マーシャル元帥が、「すかさず」反対したという。「反対したのは彼だけではない。ディーン・アチソン、ロバート・ロベット国務次官、ソ連問題専門家のジョージ・ケナン、E・ボーレン、ジェームズ・V・フォレスタル国防次官、それに当時国務省国連担当室長だったディーン・ラスクがいた」

 マーシャル元帥は「トルーマンが『生あるアメリカ人で最も偉大な人物』とみなしていた」ほどの、当時のアメリカの有力人物だった。そしてこの元帥は、「イスラエル承認」問題に関して、トルーマンが「一九四八年の大統領選挙で勝利するため」に、「『見えすいたごまかしをした』と考えていた」というのだ。トルーマンの頭の中には、大統領選挙での勝利と、そのためのユダヤ・ロビーの支持確保だけしかなかったのかもしれない。

 イスラエル国家の建設と国際的承認は、最初から、それを推進したはずの英米両国の権力者たちの間でさえ、これほど危険視された暴挙だったのである。


(60) パレスチナへの移住の歴史的事実はどうだったのか