『湾岸報道に偽りあり』(52)

第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔

電網木村書店 Web無料公開 2001.7.1

第九章:報道されざる十年間の戦争準備 2

なぜアメリカ議会国防報告が論評されなかったか

 次の問題は、さらに決定的な「計画性」の証拠となる公式文書や、アメリカ議会の国防関係記録があったのか、なかったのかである。

 答えは「あった」であり、しかも、二重丸つきの「あった」なのだ。

 最近のものだけではなく、十年ひと昔前の一九八〇年初頭の計画まであった。現在の「中央軍」につながる「緊急展開軍」編制と増強のために「軍拡」予算が請求された当時の何百ページもの公聴会議事録までが、いとも簡単に入手できたのである。内容もすごい。これら証言と報告が、湾岸危機の初期の段階に詳しく報道されていたならば、誰一人としてアメリカの戦争への意図と、それを可能にする謀略の存在を疑うものはなかったと断言できるほどのリアリティーがある。湾岸戦争は、十年以上前からの予定通りに実施されたといっても過言ではない。実物のコピーを見たとき、私自身、自分の目を疑うほどの驚きを禁じ得なかった。

 驚きは二重であった。どうしてこういう公開記録が、最も大事なタイミングで問題にされなかったのか。なぜどのメディアも、これらの十年にわたる議会記録の意味するものを、振り返って解明しようとしなかったのか。英米流の議会制民主主義がはらむ可能性と、その陰の反面をなすマスコミ・ブラックアウト、大衆的「隠蔽」の機能を改めて痛感せざるを得なかった。

 アメリカ議会の公式記録の重要性を私が再認識し、直接原資料に当たる気になったのは、本書の巻末付録の資料リストをほぼ整理しおえたのちのことであった。情報洪水との格闘に疲れはて、やっと一年後に訪れた谷間の休息のひととき。整理の合間に収集した資料をパラパラめくったわけだが、その際はじめて宮嶋以外には「だれもこれらの記録を引用しておらず、存在にもふれてない」という事実が、次第に浮かび上がってきた。あたかも、情報洪水を覆っていた霧が晴れてみると、突如、濁流の真中にそそり立つ巨岩が不気味な全容をあらわにしたような情景であった。

 防衛庁広報課に「この種のアメリカ議会での報告を翻訳しているか」と問い合せてみたが、「必要があれば各部で翻訳し、研究しているが、外には見せない」という返事。専門誌の『軍事研究』編集部も、その当時に直接実物全体を調べて研究した例を聞かない、という。大手メディアの外報関係トップの友人知人に聞くと、やはり初耳だという。たいていは新聞報道などの二次資料の論評で間に合せていたらしい。

 比較的に詳しくアメリカの国防問題にふれた単行本としては、『超大国アメリカ/そのパワーの源泉』があった。著者の経歴は、「ウィスコンシン大学大学院終了、カリフォルニア州立大学講師。在米20年、専攻は国際関係論・比較防衛学」とあり、現在は日本の大学講師である。緊急展開軍創設の時期については、次のように書いている。

「カーター大統領がソ連のアフガニスタン侵攻という煮え湯を飲まされ、あわてて軍事費増大を行ったのは、レーガン政権交代直前の八〇年一月で、二、〇〇〇億ドルに及ぶ予算を議会に提出した。しかし実際にはその三ヵ月後、新政権下のワインバーガー国防長官はそれよりもさらに四%~一三%の増額修正を行った」

 イランのホメイニ革命だけなら「失政」のそしりをまぬかれないところだったが、「ソ連のアフガニスタン侵攻」が、まさに「干天の慈雨」として軍拡派に降り注いだわけである。だが、この「比較防衛学」の学者も、「参考文献」に議事録そのものをあげておらず、内容にもその気配はない。

 かすかな予感はあったものの、これはやはり意外だった。軍事学者、軍事評論家、アメリカ・ウォッチャーを自認するジャーナリスト、ワシントン駐在記者、何十人もいるはずの専門家が「だれ一人して」、公開されていた議会証言・報告を「見ていない」可能性があるのだ。

 私自身は決して専門家ではないが、日本のテレヴィ制度を論じる際、必ず逓信委員会議事録ほかの主要な公式記録や文書を参照してきた。歴史的に述べる際には、初期の電気通信委員会の時代の議事録にまでさかのぼった。最近のNHKシマゲジ失墜事件に関しても、簡単な雑誌記事を書く前に一応は委員会議事録を見た。メディアを論じる立場として、これは当然の基礎作業だと心得ていた。だから、アメリカ軍について論じる専門家が「だれ一人として」、米議会の軍事関係公開文書を参照していなかったなどということは、予想だにしていなかった。誰かが検討しただろう、何人かの軍事専門家の文章を読み較べれば、ほぼ真相がつかめるだろうという気構えだったのだが、これがまったく甘かったのである。


(53) 「謀略をも辞さない固い決心」を見破る問題意識