第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔
電網木村書店 Web無料公開 2001.5.1
第七章:世界を動かす巨大ブラックホール 4
二重公約「アメリカの石油業、必ずペイ」のカラクリ
さらに特徴的なのは、ブッシュ大統領の出身選挙区、そしてブッシュ自身が石油業で富を築いたテキサス州を中心とする「湾岸戦争」石油ブームである。ブッシュのもう一つの石油業者向け公約「アメリカの石油業を必ずペイさせる」が実現したのだ。
日経産業新聞(91・6・10)の特集「米地方景気、素顔を探る(5)」では、「南西部は不況をかわす」というダラス連邦準備銀行の「自信満々」の台詞を紹介。「全米石油化学産業の六割が集まるヒューストンからルイジアナ州にかけての『ペトロケミカル回廊』はブームに沸いている」と報じた。「価格上昇」は、このブームを可能にする程度必要であった。八〇年代後半の石油不況期に語られていた「適正価格」は三十ドル以上だったが、その後の合理化、系列支配、加工処理過程の統合化、保護政策などの結果、二十ドルを越えればペイする状況が整っていたようだ。現在も、税制優遇に加えて、中東の石油が安くなった分、石油消費側の利益を国内生産側に回す「補助金を五ドル出せ」などの提唱が続いているという。
本来、「安い石油の確保」と「石油業、必ずペイ」の公約は矛盾をはらんでいる。両者を同時に実現するには、もう一つの決定的な条件が必要だった。消費者向けの「適正価格」にしながら、湾岸の石油を扱うアメリカ系メジャーが潤い、同時にアメリカ国内で石油ブームを再現するためには、国内の「優遇」だけでなく、湾岸での「増産」が必須条件だったのだ。「増産」でメジャーのシェアーを増やして利益を確保するのだが、もちろん、OPEC協定を無視してのことである。湾岸戦争中には、イラクとクウェイトの石油が市場から消滅したために、増産体制を準備していたサウジアラビアが、その必須条件を満たした。次いで湾岸戦争後、OPEC会議でサウジアラビアはねばり抜き、減産を承認しなかった。結果から見ると簡単な理屈のようだが、こういう芸当が可能だとは誰しも予想していなかったようである。
ところが、テキサスでは湾岸危機の以前も以前、一昨年の一九八九年秋から、怪しげな動きが始まっていた。数年間も野ざらしにされていた原油掘削機が急にベラボウな値段で売れ始めた。掘削権の奪い合いが始まったというのだ。
『アメリカの罠』にはこう書かれている。
「実際、ブッシュ大統領の地元であるテキサスでは、八九年の夏が終わり、はるかロッキーから秋風が吹き降ろしてくるころには、目に見える『大きな動き』がすでに始まっていた。国際ジャーナリストとして有名な落合信彦氏は、自らも若い時代に米西部で石油ビジネスに携わり巨富を築いた一人であるが、同氏は早くも八九年の秋口にその動きに気づいていたという。テキサスの友人に電話を入れるたびに、『こちらでは八六年の原油暴落以来荒野にうち捨てられていた原油掘さく機が、急にとんでもない値段で飛ぶように売れ始めた。目はしのきく奴はもう石油を掘る準備を始めている。そう遠くない将来、大変なことがおきるだろう。ミスター・オチアイも早いうちに原油掘削権を買っておいた方がいい』とくりかえしていたという」
生産コストが高くて放棄されていたテキサスの石油に、どうして再び明日がくるという予測が立てられたのだろうか。中東では、サダムが石油の値下がりで、怒り狂っていたというのに……。ブッシュの口先だけの公約を、人々は本当に信じたのだろうか。
なぜか。その回答は、地元民の目の前にもころがっていた。テキサス州の州都ヒューストンで、ベクテルを先頭とする建設業者が次々に体制強化を図っていたのだ。『アメリカの罠』を裏づけるべく探し出した資料の一つ、日本の業者団体「財団法人エンジニアリング振興協会」の一九八九年度報所載「エンジニアリング産業の動向」によると、ベクテルはブッシュ大統領当選の翌年に当たる一九八八年、ヒューストン支社を千名増員して二千五百名の体制としたが、一九八九年末までには、さらに六百名を転勤などで補充していた。しかもこのときベクテルは、全社的には人員を半分以下に減らすという、大減量経営の最中であった。
つまり、さらに一年前の「一九八八年」から準備が始まっていた可能性もあるのだ。
また、現地消息筋によると、ベクテルは当時、安値の石油を大量に買い込んでいた。
「ベクテルがなにか知っている、狙っている」という噂は、ベクテルの企業経歴を知る人々にとっては、「なにも考えずに買いに回れ」のゴーサインだったに違いない。
奇妙な情報もある。ブッシュが一九五四年にヒューストンで創業し、巨富を築いた石油掘削会社ザパータ(政界入りで持株は売り払う)は、赤字続きの経営難を理由に一九九〇年七月、つまり、イラクのクウェイト侵攻直前、海上油田掘削リグ一二基すべての売却を発表していた。ただし、破産法申請を避けるための措置とかで、買手の会社からリースで借りる契約を結び、いざというときの備えは残していたようだ。
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