『湾岸報道に偽りあり』(40)

第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔

電網木村書店 Web無料公開 2001.5.1

第七章:世界を動かす巨大ブラックホール 3

なぜか早目に原油買い占めや増産体制の準備

 さてその一方、一バレル一五ドルまで落ちていたニューヨーク原油価格は、なぜかイラクのクウェイト侵攻の一ヵ月半前から急上昇していた。

「安値の時期にアメリカ企業やメジャー系が原油買い占め」の噂もあった。

 もう一つ、早くから中東の消息筋に流れていた次のような噂があった。

「なぜか、インデペンデント(独立系石油業者)や、ワイルドキャッター(独立油井掘削業者)が作業準備中」

 新進の国際ジャーナリスト浅井隆は『アメリカの罠』と題する著書で、国際石油市場の数字をあげ、「石油マフィアたちはこの時点で、すでにアメリカの極秘シナリオを知っていた可能性がある」と論じている。

 ニューヨーク原油価格は侵攻直後に三二ドル、十月には四一ドルを記録していた。以後は少し下がったものの、湾岸戦争直後の三月十一、十二日に行なわれたOPEC閣僚会議の経過を踏まえてか、二一ドル前後を維持している。生産停止中のイラクとクウェイトを除く産油国は湾岸戦争中にボロモウケ。以後も価格安定により、順調に利益を上げ続けている。ブッシュ大統領の本拠地テキサスも久々の石油ブームに沸き、一九九一年度は、アメリカの石油関係全体で数百億ドル規模の売上げ増加と推測されている。

 中東で戦争が起きると、必ず出るのが石油メジャー謀略説であるが、その基本的政治構造についてはすでに第二部でふれた。経済的に見ると、湾岸戦争前の最も注目すべき現象は、やはり、例のCIA密約文書がらみの「クウェイトの増産と安売り」である。

 安売り、またはダンピングは、歴史的な事実としてもメジャーの主要戦略の一つであった。もっともこれは、別に石油業界にかぎったことではなく、ダンピングは、弱肉強食の資本主義社会の法則を最もどぎつく体現する殺戮戦略であり、業界独占の伝家の宝刀をなしている。生産規模が大きくて資金の豊かな独占企業が、自分の意思に従わぬ相手に、自らの出血を覚悟で屈伏を迫るのである。ただしその場合、市場に供給される生産量全体に占めるシェアが、双方の生死の分岐点をなす。シェアの変動の経過は、業界戦国史の謎を解く決定的な鍵である。湾岸戦争前から世界最大のシェアを握るサウジアラビアは、戦後には湾岸戦争への出費を論拠にして、OPEC内でもさらなる増産の権利を譲らず、その立場を強めている。こうしたサウジアラビアの動きには、いくつかの疑問があるのだ。

 最大の疑問点は、サウジアラビアが、イラクと直接衝突こそしなかったものの、クウェイトなどの原油増産と安売りをチェックする機能は発揮しようとしなかった、という事実経過にある。そして、自らも安値で原油を売り続けたのだ。さらには湾岸危機に突入すると、それを待ち構えていたように、それまでの二倍にも達する増産に踏み切った。つまり、サウジアラビアは、それだけの増産余力を蓄えていたのである。

 石油業は設備産業といわれ、経常支出の比率は低く、投資の大半は設備に当てられている。建設業や石油掘削業者の存在を抜きにしては、新しい石油資源の開発、生産、精製、輸送のプラント建設は不可能だから、ここに石油マフィアによる謀略の謎を解く重要なカギ、物的証拠が潜んでいる可能性が高い。そう思って資料を見直すと、あった、あった。

「フセインを狂わせた『一枚の極秘コピー』」(『サンデー毎日』90・9・30)という記事によると、アメリカ大手建設「フルア」など三社が「生産能力倍増」の「アラムコ・プロジェクト」を受注した極秘契約がキプロスの週刊誌に「スッパ抜」かれており、それがサダムを激怒させたのでは、というのである。さらに疑えば、意図的リークにより挑発を狙った可能性もあるだろう。

 もう一つの可能性は、ルメイラ油田盗掘である。たとえば『朝日ジャーナル』(91・10・25)には、次のような、ラムゼイ・クラークと下村満子編集長の対談が載っている。

「クラーク ……シュワルツコフ総司令官は『この計画は八九年に遡る』と発言しています。

 下村 ということは、戦争は計画されていたと?

 クラーク そうだと思う。そう考えると、いくつかの奇妙な出来事を説明できる。CIAはイラクを怒らせる目的で、クウェイトの情報部と密接な連絡をとり、『斜めボーリング』によってイラクの石油を盗む技術を教えたりしていたのです」

「国際戦争犯罪法廷」に向けて情報収集中のクラークがこういったのだから、なんらかの証拠があるのだろう。ブッシュは石油採掘業で富を築いたし、こうした仕事はベクテルの縄張りに属する。CIAと一緒にクウェイト=イラク国境地帯で『斜めボーリング』を行なった石油採掘業者がおり、その極秘作業の情報が関係者に知られていたと考えれば、事前のベクテルらの動きの謎は見事に解けるのである。

 後に詳しくふれるが、ベクテルはサウジアラビアと非常に深い関係にあった。

 石油メジャー支配に関していうと、OPEC(石油輸出国機構)結成以来、かつての欧米独占には亀裂が生じた。メジャーの支配力は四割などといわれていた。だが、アメリカ系のアラムコはいまだに、サウジアラビア産の石油のほとんどの販売権を握っており、いわゆる下流を支配している。

『石油の世紀』に詳しく描かれているが、サウジアラビアでは国有化そのものの経過にも、特殊な状況があった。イランやイラクに見られたような、メジャーとの激しい争いやクーデター騒ぎをともなうことなく、「一九八〇年、サウジアラビアは王国内のアラムコの全資産に対し、正味帳簿価格で補償金を支払った」。だが、「サウジアラビアとアラムコ諸社の協定には、一つ奇妙なことがあった。サウジアラビア側は、合意が成立してから一四年後の一九九〇年まで、それに調印しなかったのだ。『それはきわめて実際的な措置だった』と会社のある調停者は言う。『彼らはその欲するもの、つまり完全な支配権を手に入れた。だがアラムコをぶっつぶしたくはなかった』。その結果、一四年間にわたって、約三三〇億バレルの石油が生産、出荷され、七〇〇〇億ドルを超す取引が行われたが、そのすべてが、あるアラムコの幹部に言わせれば、『どっちつかず』の状態でなされた」

「調印」がなされた「一九九〇年」とは、まさに湾岸危機発生の年のことである。

 しかも、この同じ年に「新しいアラムコ」(Nouvelle Aramuco)の計画あり、という情報が流れていた。『中央公論』三月号の「クウェイト侵攻に密約はあったか」という記事のなかに、フランスの石油業界誌を通じて得られたアラビア語週刊誌の、次のような情報が載っていた。

「サウジへの出兵を機会に米政府は国有化以前のように油田を租借して中東における石油利権を強化しようとしている。……実現すれば、産油量などはOPECの取極めに拘束されず、米国への安定供給確保を目指す。これがヌーベル・アラムコ計画である」

 この「新しいアラムコ」計画のその後はまだ伝わってこない。だが湾岸戦争の結果、イラクとクウェイトの石油輸出がストップし、OPECにおけるサウジアラビアの発言権が急速に増大した。これは取りも直さず、アメリカ系メジャーの支配力回復である。

 たとえば日本経済新聞(91・6・6/7)は、「緩やかな価格上昇へ、世界石油新秩序」という上下二回の特集記事で「メジャーの復権、サウジと組みシナリオ」という中見出しをつけた。サウジアラビアがイランと組み、その陰にメジャーがいる、という裏舞台の観測だ。石油マフィアだけの都合なら価格は高ければ高いほど良い。だがブッシュ大統領は、石油消費者のアメリカ国民に「安い石油の確保」を戦争目的の一つとして公約した。世界中の石油の約二十五%を消費するアメリカ経済全体の安定のためにも、「緩やかな価格上昇」の範囲にとどめるのが必須条件だ。


(41) 二重公約「アメリカの石油業、必ずペイ」のカラクリ