第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔
電網木村書店 Web無料公開 2001.4.1
第六章:謎の巨大政商とCIAの暗躍地帯 4
CIAとアメリカの中東政策
もう一つ、カリフォルニア発「大森実のアメリカ日記」(『サンサーラ』91・5)から、ジクソーパズルの失われた断片のようなCIA関連情報が発見できた。さすがは元ベテラン記者の感にたえない。ポトマック河畔を中心に、百数十人も駐在しているはずの日本大手マスコミ企業高給取り記者たちは、一体なにをしていたのだ。かねてからの疑問がますますふくれ上がる。
私は早速、アメリカの雑誌などでこの大森情報の真偽を確かめたが、あの、暴力団幹部そこのけの「熊」男ノーマン・シュワルツコフ大将の父親は、間違いなく、イランのモサデク民族政権をCIA工作のクーデターで倒したときの現地指揮官ノーマン・シュワルツコフ(同名、父親の方をシニアと呼んでいる)准将だった。この一九五三年のクーデターで亡命中のパーレヴィーが王政を復活し、親米政権を樹立した。それがまたホメイニに倒され、イラン・イラク戦争があり、今度の戦争につながっている。シュワルツコフ准将は第二次大戦中から、スイスを舞台に活躍したアレン・ダレス(国務長官の実弟、後のCIA長官)の側近、つまり、CIAの前身をなすOSS(戦略情報局)以来の腕っこきのスパイの親玉だった。ノーマン・シュワルツコフ(ジュニア)は、なんともヤバイ、CIA二世将軍なのである。
問題は、これらの断片的な情報を総合し分析する際に必要な大枠の歴史的知識、心眼である。歴史は現代を写す鏡である。この鏡なしには、複雑な現象の奥に潜む真相を見抜くことは不可能である。イランはもとよりアラブ諸国は、CIAの最大の標的であったし、現在も、ますますそうなっている。この認識抜きに中東情勢や今度の戦争を論ずるのは、まさに暴挙に等しい。
手元のCIA関係書から、アラブ諸国についての記述の一端を抜き出してみよう。
いまや伝説的なアラブ民族運動の英雄ナセルに対しても、CIAは特製の装甲をほどこしたポンティアックと六百万ドルを贈った。この贈物工作と並行して前述のイランのクーデターを計画したCIAのキャップ、カーミット(キム)・ローズヴェルトは、セオドア・ローズヴェルト大統領の孫であり、フランクリン・ローズヴェルト大統領の従兄弟だった。
いかにもアメリカ的な表現だが、アセット(Asset、資産)というCIA用語には、秘密工作に使える施設、機具、補給品のほかに、人間のグループ、個人までがふくまれている。ナセルもアセットであったし、その後継者のサダトやムバラクは、さらにそうであった。エジプトの政府機関すべてに電子盗聴網が張りめぐらされ、上層部から下級職員にいたるまで全階層にCIA工作員が送り込まれていた。CIAはアフガン反政府ゲリラ支援工作に一億ドルを注ぎ込んだが、武器や援助資金のほとんどはエジプト経由で運ばれた。
今度の戦争でヨルダンのフセイン王は、イラク支持の態度表明に踏み切った。だがそれは、国民の大半を占めるパレスチナ人の世論に押された結果に過ぎない。フセイン王はPLOの活動を弾圧し、五千人ものパレスチナ人を虐殺したことさえある。もとをただせばサウジの族長出身のカイライ王であり、当然のことながら「親アメリカ諸国の元首を守り、きずなを強めるための」CIA秘密工作の対象だった。「政権を守るために」年間五千万ドルが国王個人に提供されていた。
レバノンで大統領に選出され、就任直前に暗殺されたバシール・ジェマイエルは、ワシントンの法律事務所に務めていたときからCIAに雇われており、以後も暗号名を持つ大物工作員だった。レーガン大統領はイスラエルのシャロン国防大臣の要請に応え、バシールが率いるキリスト教右派の民兵組織ファランヘ党に対して、一千万ドルの軍事援助を認める最高機密指示に署名したことがある。
今回アメリカ軍を受け入れたサウジアラビア政府の情報機関を創設したのは、元CIAサウジ支局長レイモンド・H・クローズであった。サウジの王族は金持ちだから、ここでは、金の流れが逆になる。CIAはサウジに、ニカラグァのコントラ援助資金をせびっていた。見返りというのも今更ながら、サウジとアメリカの軍事的連携は最強力だった。ダーランの空軍基地は、アメリカ軍の工兵隊によって四〇年も前の一九五一年から建設が始められていた。一九七一年には秘密協定を締結。ハイテクを駆使する電子情報センターつきの飛行場が各地に建設され、今度の戦争では、このシステムが威力を発揮した。
以上は、一般に公開されている資料のみから摘出した情報の、ほんの一端に過ぎない。これでもなお、あの醜怪なオイル・アパルトヘイト・カイライ首長政府とCIAとの密約の存在を、否定する気になるだろうか。
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